『優しく無ければ生きている資格がない』なんて馬鹿げてる
内浦打海。
彼女はナルコレプシーやカタプレキシーに似た、謎の病気を患っている。
情動脱力発作。
興奮するとレム睡眠時に起こる筋肉の緊張消失が起こり、崩れ落ちるように脱力してしまう。
これがカタプレキシーだ。
しかし、彼女の場合は脱力すると同時に眠ってしまうのだった。
通常、ナルコレプシーの症状を持っている人が、副症状としてカタプレキシーを患う。
彼女は逆だった。
後者の症状が起こった時にだけ、眠たくて眠たくて仕方が無くなる。
その症状が今、出たのだろう。
ぼくに身体を貸す時以外は、中枢神経刺激薬を服用して抑えているはずなのに。
自分ではコントロール出来ないとはいえ、今このタイミングで起こすことは無いと、やり場の無い気持ちが溢れてくる。
意図的にしていることではない。
怒るのは筋違いだった。
与名さんが危険な目に遭っているというので、ぼくは少し冷静でいられなくなっているのかもしれない。
一つ深く息を吐き出す。
とりあえずは、彼女に指示を仰ごうと来た道を戻ることにした。
幽霊というのは意識の無い相手ならば、誰にでも憑りつくことが可能ではある。
ただし、身体を少しでも動かそうとすると、たいていの人間は起きてしまう。
内浦のように深い眠りから覚めない人や、身体を動かしても目覚めない夢遊病患者。
魂が弱い人間ならばあるいは。
しかし今、内浦に憑りついたところで意味は無い。
ぼくは彼女のように格闘術などを扱えないし、そもそもにして内浦は縄で椅子に括り付けられている。
起きろよ、と心の底から叫びたい。
けれど悪いのは彼女でなく、彼女を縛り上げた周りの連中。
相手のことが嫌いだからと言って、不当に責めるのは間違っていた。
カンファレンスルームを出ると「誰でもいいっ! ここをぶち破れ!」とさっきまでとは打って変わった様子で、声を荒げる透一郎が居た。
焦れたのだろう。
こらえ性のない大人だった。
それに応じたのは、猪原で「ここは他の寝室と違い、軽々に破れない様な造りとなっています。専門業者を呼ばなければ開けることは難しいかと……」と、透一郎の剣幕に押され、後半は消え入るような声だった。
「なら直ぐに呼び出すがいい! 急げよ! 警察が来る前に片を付ける必要がある!」
それは暗に警察では処理できない方法を持ってして、犯人へ報復するという意味合いにも聞き取れた。
しかし、彼の言い分はぼくの想像を超えて悪い。
「最悪、犯人などは後で良い! 何よりも拙いのは、三ツ橋家総帥の逝去だ! 三ツ橋グループが父さんの手腕でもって支えられているのは、周知の事実! マスコミに知れれば、三ツ橋グループ全体への影響は計り知れんものになる! せめて私が後継者として指名されるよう偽装するまでは、生きているよう見せかけなければならん!」
ぼくは目の前が真っ暗になる。
犯人どころか、現場を目撃してしまった与名さんが危ない。
与名さんを知り合いだと言った東三は控えめながらも、それに意見を返す。
「と、透一郎兄。警察が来ても、誤報だったと追い返せば良いじゃあないか。それに、透一郎兄から警察の上層部に話せば通報自体を無かったことに……」
透一郎はその言葉を訝しげに思い、片眉を上げる。
「お前はあの探偵の知り合いだと言っていただろう。なぜ知らん。あの女の危険性を」
「あああアレは、あの暴力的な女がそう言わないと殴ると脅しつけたからで。本当はアレが誰だかしらないんだ、ょ」
透一郎は振り上げた掌で、東三の頬を払う。
東三は無様な悲鳴をあげて、床に転げ倒れた。
「ぉっ、前は本当に―――ッ」
怒気を孕んでいた言葉を何とか抑えた透一郎は、今の一撃によって冷静さを取り戻し、出来の悪い弟へと噛んで含めるように言い連ねた。
「お前は国内にしか目を向けなんだから知らんかもしれんが、彼女は世界でも有数の探偵でな。警察や政府機関にも太いパイプがあると聞く。いいか。私は確かに顔が利くし、警察上層部への弱みも握っておる。しかし、それが名取与名が持つ手札より強いという確信が無い限り、迂闊に連絡してはこちらの立場が危うくなるわ」
さすがに三ツ橋グループの次期総帥である。
世界の著名人である与名さんのことも、頭の中に入っていたようだった。
透一郎の言葉に、東三は愕然として「あんな餓鬼が……?」と信じられない様子で彼を見上げる。
しかし、透一郎はそんな弟の態度に対してこれ以上の説明をしてやる気も無いらしく、猪原に対して「何を呆っと突っ立っておる! 早う行け!」と叱咤した。
そうして猪原が階下へと降りていくのを見送ったぼくは、与名の待つ室内へと入って行った。
彼女は窓際に立っていて、こちらを振り返ることなく「君は窓の下を見ていたかな」と尋ねてくる。
「内浦は寝ていました」
「見ていないのなら、こっちに来てご覧」
ぼくが彼女の問いかけを無視したように、彼女もまたぼくの言葉を聞いていなかったように手招く。
仕方なしに、ぼくは呼ばれるまま窓際へと移動する。
与名さんは庭先を見下ろしているようだった。
視線の先を追うと、ところどころが壊れているクロスボウの様なものが落ちていた。
遠目で分かりづらいが、弓自体が折れていて、弦も片方に引っかかっているだけ、脇に取っ手の部分が転がっているようだった。
わざと落としたのだろう。
アレを持っていたままでは、木から降りるのにも時間がかかる。
回収しなかったのも同じ理由で、一刻も早く現場から立ち去る為だろう。
ぼくらも早くここから逃げ出さなければ。
だというのに。
「いいねアレ。テンポイント社製の百八十五ポンドクロスボウ。アメリカで一番売れてるメーカーだよ。コッキングメカも付いていないようだし、弦を引くこと自体を自分の背筋力だけでやるようだ。さすがに日本ではクロスボウを持ってる人も、取り扱っている店も少ないかな。犯行前に買ったならすぐに特定されるだろうから、元々誰かが持ってるのを使ったろうね。古い型だ。ここらへんは周り全部の山が私有地だろうし、的には困らなさそう」
そうして、彼女はアメリカで過ごしていた時代を思い返し、架空の弓を引くようにしてぼくへと指先を向けた。
悪ふざけに付き合う余裕がぼくには無く「内浦は寝ているんです」と再度そう話す。
ぼくらを守れる人物がいないと、彼女の弟子の一人である彼女が危ないと、聡い与名さんは分かっているはずなのに。
「弓ってのはね。引くのが大変だから頑丈そうに見られがちだけど、逆に負荷がかかっちゃうとね。ああして案外に壊れるんだよ。花を手折るようにとはいかないけれど、相応の負荷を掛ければポッキリと。人だったらあんなに簡単には壊れないんだけどね」
ぼくは最後の言葉に対して、そうだとは思わなかった。
人は簡単に壊れる。
実例は目の前にいた。
与名さんがそうだとは、ぼくは生涯言わないだろう。
三度目の正直とばかりに言葉を繰り返す。
「内浦は」
「壊れないって言ってるだろう? だからそんなにしつこく言わなくていい」
うんざりしたように返す彼女は、人でなしのように見えた。
そうは思いたくない。
だからぼくは彼女なりに納得のいく理由があるのだろうと問いかける。
「なにを根拠に言ってるんですか」
「彼女には普段からマーロウのような探偵を目指すよう言っているからね」
ふざけている。
「言い含めただけでそう成れれば良いですね」
弱気を助け、非情になり切れない探偵主人公。
彼女にこそ、そういう人間になって欲しい。
かつてそうであったように。
誰か。
壊れた彼女を、治してやってくれ。
もしも彼女を元に戻してくれたのならば、ぼくは孤独に立ち続けるぼくに戻ろうとも構わない。
「冗談はさておくとして」
どこまでが冗談だったんだろう。
今までのやりとり全てであって欲しい。
「君が戻ってくる前に言われたよ。彼女の命が惜しくば部屋から出て来いとね。あんまりにも使い古された台詞だったから、私も往年の戦争映画よろしく言ってやったよ。『脅しには屈しない』ってね」
あっけらかんと話す様子にぼくは思う。
ここまでが冗談であってくれ。
それはつまり、内浦のことを見捨てたと言うことに他ならないのではないか。
彼女の身内である内浦を。
見捨てた。
それはつまり。
明日は我が身ということでもある。
さっき、そうなったとしても良いと思ったのは、交換条件として彼女が真面に戻ってくれた場合だけだ。
ただ犠牲になるだけでは、彼女の非人間性を煽るばかり。
ぼくは今一度、彼女の心に響くような展開を頭に巡らせる。
彼女は車中で確かに言っていた。
ぼくの言葉が面白ければ耳を傾けても良いと。
「『裏社会に足を踏み入れ自分は無関係とは甘すぎる』」
関心を示したのか、ぼくの言葉に応ずるように彼女は返した。
「『子供は信頼されるとピンチに強くなる』」
「『家族は助け合うもんだ』」
「『信じてくれる子がいるかぎり我々は恐怖と戦える』」
「『大事なものは失ってから気づく』」
「『悲観的になるな。きっとうまくいく』」
「『有能な兵隊も弾を受けたら最後だ』」
「『人は破滅を経験して自分の人生を守る方法を学ぶのよ』」
「『人は皆生きる理由が異なる。命を懸ける代価もだ』」
「幽霊は悔いによってこの世への存在感を増すけれど、君が生前に懸けた代価は何だったんだろうね」
「いつか貴方がそれをぼくに教えてくれるんでしょう? だからこんなところで諦めないでください」
ぼくの声は震えていたのかもしれない。
彼女はついに根負けしたのか。
それとも単に飽きたのか。
鬱陶しい様子で呟く。
「警察が来て切羽詰ったらどうかわからないけれどね。私がここにいる限り、打海は保険となる。そうは殺さないよ」
そうして、彼女が内浦の身をそれなりに案じていることを教えてくれた。
投げやりであろうとも。
どうでも良さそうであっても。
僅かにしか感じられなくても。
彼女が身内を心配する心が残っていることに。
ぼくは心から嬉しく思う。




