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現場検証

 彼女はまず心電図モニターの電源を落とした。

 集中したかったのだろう。

 これがクラシックだったならば、より美味しい食事を演出するスパイスと取っただろうけれど、なんの音階も無い電子音はただただ耳に障るだけ。

 彼女が他の全員を部屋から追い出した理由が、現場保全の為でないことは、これで分かるだろう。

 雑音を排除したかっただけ。

 他に意味など無かった。

 次いで、彼女は遺体の検視(検死ではない)に入り、毛布を剥がして、全身を嘗め回すように見始めた。

 ぼくの話や、頭部の外傷を見れば死因は明らかなのに、彼女は決して手を抜かない。

 むしろ、嬉々として手間を惜しまない。

 腕に何か薬物を注射された跡が無いかを調べているのだろう、遺体の腕や脚を持ち上げその裏を確認したりしている。

 一頻り体を見終えると、彼女は毛布を元通りに、皺一つ無い状態へと戻した。

 そうしていよいよ頭へと目を向ける。

 御年、百二十歳。

 あまりにも惨い死に様だった。

 矢は手品でありがちな先の無いものではない。

 左腕と右手を貫き、頭に深々とうずまっていた。

 腕の尺骨に引っかけたのだろう。

 尾羽だけは見えていた。

 与名さんは血まみれの頭部を苦も無く動かして、その後ろの様子を探る。

 矢先は貫通し、宗二郎氏の頭の後ろから人差し指一本分は突き出していた。

 殺された時の映像を思い起こす。

 声をあげる間も無かったことから察するに、即死したのだろう。

 心臓ならばともかく、脳を破壊されれば人としてはそこで終わる。

 ぼくのように幽霊になるか、あるかどうかも分からないあの世へと行くしかない。

 過去の記憶がぼくに僅かでもあるのは、脳では無く、心臓を貫かれたからだろうか。

 人の死を見る度に、しくしくと胸の辺りが痛む。

 ぼくは死体から目をそらすようにして、総帥の右手側にある窓を見た。

 換気の為か、窓自体は開いているのだけれど、それには鉄格子がはめ込まれていた。

 その鉄格子の向こう側には、庭から生え伸びた木が幾つか望むことができる。

 暗い宵闇の中で青々と茂る枝葉の隙間から覗く月は美しく、痛むぼくの心臓を癒してくれる。


 一人さびしく過ごしたベッドの上にいた時。

 格子越しの月はいつも優しく慰めてくれた。


 宗二郎氏もこんな気持ちで見ていたのかもしれなかった。

 つむじあたりに疼痛。

 昔を懐かしむことすら出来ない自分が嫌になる。

 推理に戻ろう。

 木と窓までの距離といい、鉄格子の隙間といい、ここから人の出入りは出来そうにない。

 実際に窓の外へと飛び出し、自分の身体で測ってみたけれど、ここから木までの距離はおおよそ六メートルほど。

 一足飛びには届かない。

 木の高さも二階分に揃えられていて、より高いところから飛び降りることも出来そうになかった。

 たとえ窓まで辿り着けたとしても、鉄格子の幅の許容範囲は狭い。

 ぼくの肩口までが限度そうで、とても人一人が通れる隙間は無かった。

 窓からの侵入は不可能と考えていいだろう。

 そうして結論付けてから、ぼくは室内を改めて見回す。

 矢を射出する道具が見当たらなかった。

 つまりはこういうことだろう。

 犯人は屋敷の庭にある木のどれかに上り、枝葉にその姿を紛れさせ、弓の様なものを使って矢を射出。

 その後、木を降りてそのまま逃走―――という流れになるのか。

 ぼくは自分の考えを補足する為、再び、遺体に目を向ける。

 矢が突き立っているのは、右目。

 角度的に見て、やはり外から射ったと判断するべきだろう。

 そうして矢の尾羽から窓への軌跡を想像している時に、ふと、ノートパソコンの電源が落ちていることに気付いた。

 ぼくは幽体なので触れられないし、与名さんが操作した様子も無い。

 さっきも総帥が「見えん」と言って、会議を止めていたが、その故障と同じだろうか?

 しかし近づいて見ると、パソコンの電源ランプは点滅している。

 おそらくは省エネモードに設定しているのだろう。

 節電が叫ばれる昨今、パソコンは様々な設定によって電力を抑えることが出来る。

 たとえば、本体の電源は切れないが、画面だけを消したり、今のようにパソコンの電源を完全に切るのではなく、休止状態にして次にパソコンを起動する時に素早く立ち上げることも可能であったりする。

 ディスプレイを消しているだけでも、随分と電力の消費電力が違うとは与名さんの談だった。

 そして、当の彼女は今なにをしているかと言うと、なぜか血まみれの地面に這いつくばってベッドの下を覗き見ている。

「汚れますから、ぼくが見ます」

 そう言ったところで聞きもしない。

 犯人が潜んでいる可能性を潰しているのだろうか、あるいは矢を射出できるものを探しているのか。

 窓からの侵入は不可能であるからして、鍵が開けられるまで密室だったわけだ。

 宗二郎氏殺害時、カンファレンスルームに居なかったのは東三氏のみ。

 ということは必然的に彼が犯人ということになるまいか。

 庭木から矢を射出したのは、鍵を持っている自分に対しての疑いを晴らす為。

 悪く無い考えだとは思う。

 そう考えたのは与名さんの表情が決め手だった。

 ベッド下を探してた彼女は、顔を引き抜くなり何だか落胆したように表情を暗くし「少し早まったかもしれないね」と言葉を呟く。

 彼女は犯人が分からないからそういった表情を浮かべるのではない。

 むしろ、犯人が分からなかった時の彼女は、尋常では無い喜び方をする。

 あまりにも謎が易かった時だけ、与名さんはこのような顔を浮かべるのだ。

 こういう時は、探偵でもなんでもないぼくであっても、読み解けるようなトリックである可能性が高まって来る。

「窓の外も、部屋にある収納スペースは全て見たし、念のためにと思って、隠し扉や収納床が無いかとも探っては見たけれどね。正直、ガッカリだよ」

 見込みが外れた。

 当てが違った。

 そう彼女は肩を落とす。

「こんなことならもう少しゆっくり来れば良かった。そうしたら今よりまだマシだったろうに」

 謎が謎で無くなった為に、彼女の意識は平常運転に戻ったらしい。

 至極退屈そうに「温泉のが有意義だったかも」と独りちる。

 さっきまでの喜びからの落差が半端なかった。

 部屋に備え付けられている電話を手に取り、「ああ、警視総監殿? ちょっと頼み事があるんだけどね。もちろん聞いてくれるだろう」そう緩やかに脅しつけて通報は完了した。

「十分経ったし、そろそろカンファレンスルームへ行こうか。君から聞いたことを疑ってはいないけれど、このまま犯人当てをすると憶測で物を言っているようになってしまうからね」

 証言を取ろう、そう言って部屋を出て行く彼女にぼくは追従する。

 室内の入り口脇には部屋の開錠を操作するのであろうコントロールパネルが貼りついていた。

 そして、ぼくらが部屋を出るとほぼ同時に、会議室の扉も開き始める。

 中から出て来たのは、透一郎氏。

 与名さんを見やり、唇を歪めて笑う。

 目が血走り、尋常では無い。

 すると彼女は出て来たばかりの部屋へと逆戻りし、扉を室内に置かれた棚や心電図モニターによって塞いだ。

 そうして更にコンパネを操作して、鍵を閉め、主電源を切ってしまう。

 ベッド脇に飾られていた花瓶を何度か振るって、物理的にもそれを叩き潰す。

 二三度、ドアノブを回したような音がした後「東三」と透一郎氏の声が聞こえた。

 彼の持つリモコンを使って開錠しようとしたのだろう。

 けれど、鍵は既に彼女の手によって潰されている。

 しばらくしても、扉が開くことは無かった。

 廊下から掛けられる透一郎の声は穏やかで「どうして閉じているのかね」と余裕たっぷりだ。

「どうして部屋を出られたんですか?」

 外面を被った声音で、問いかけに問いかけを返した与名さんは目配せをもってして、ぼくにカンファレンスルームの様子を見に行くよう指示を出す。

 そうしてぼくが壁をすり抜けて廊下に顔を出すと、透一郎と東三、そして猪原が居た。

 穏やかな声音に反して、こめかみには血管が浮かび上がっている。

「誠意を持って話したらね、腕を解いてくれたのだよ」

 嘘だ。

 彼女が与名さんの指示以外に従うはずが無い。

 内浦もまた、彼女を敬う弟子の一人なのだから。

 そうでなければ、名も知らぬ幽霊ぼくに自分の身体を貸すはずもない。

 当然、与名さんは透一郎の言い分を信じるはずもなく、扉は閉ざされたままだった。

 ぼくは彼女の指示通りにカンファレンスルームへと入り込む。

 中には残った全員が席についていて、内浦は―――机の上に顔を突っ伏して安らかな眠りについていた。

 比喩では無い。

 内浦は、健やかな寝息を立てていた。

 もしもぼくに実体があったならば、彼女の反撃による死も厭わずに、その頭を叩き起こしていたことだろう。

 それほどまでに、彼女の寝顔は幸せそうに見えた。

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