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警察は探偵より優れている

 探偵は警察に敵わない。

 探偵事務所所長であるはずの名取与名なとりあたなさんは重ねて言う。

「探偵は。警察に。敵わない」

 いつものように彼女が口を酸っぱくして、ぼくに言い聞かせる演説は、自身の仕事を否定するものから始まった。

「目撃証言を集める人手。科学捜査を行う施設。社会的に認知されている信用。これらは国と歴史と資金あってのもの。たった一人の個人では用意しえない」

 探偵に解決出来ない事件があっても。

 警察に解決出来ない事件は無い。

「粉末法、液体法、あるいは気体法を用いての指紋掌紋足紋採取。ルミノール反応を利用した血痕の可視化。帯電シートを敷いての靴跡付着。髪の毛などからのDNA分析。飛沫血痕からその軌跡を推測し、被害者殺害時、犯人との立ち位置を特定。行動科学を用いたプロファイリング。死体検分による死因、凶器の推定。同時に銃器や刃物などの入射角を見、犯人の利き腕や殺害時の状況を推測する―――」

 彼女は指を追って鑑識や科学捜査、検死などを行う人間のスキルを淀みなく挙げていく。

 淡々と。

 延々と。

「最新の科学を使用すれば、殺害現場で起こった会話の内容を、その室内に生えていた観葉植物から聞き出すことも可能なんだよ。これはもちろん二〇一五年現在では法的証拠としては取り扱われないけれど、犯人特定の為の一つの指針となることは間違いない。容疑者を絞れば証拠集めに無駄がなくなる。探偵などまるで話にならない。降霊が使えると嘯く霊媒師、犯人の現在位置を掴めると吹聴するサイキックですら、現代捜査の前には屈服せざるを得ないだろうね」

 彼女は諦念したように目を瞑って、息を継ぐと共に溜息を吐く。

 現代科学による捜査技術の発展は、悪事を働く者には凶事だろう。

 未解決事件の撲滅。

 冤罪の低減。

 犯罪の抑止。

 そのどれらにも繋がり、善良な人の暮らしを豊かにする。

 それは通常、喜ばれるべき向上であると思う。

 しかし、彼女にとっては好ましいものでは無い。

 謎を愛したからこそ、探偵となった彼女には。

 それはただただ邪魔なものでしか無かった。

 気落ちした様子を演じる彼女を見やる。

 身内びいきでも無いけれど、与名さんは静かにさえしていればどこかの令嬢にも見えなくはない。

 墨を吸わせた様に暗い髪は、心が落ち着くと同時に儚げに思え、ぼくに不安を与える。

 失望に細められた瞼から覗く瞳は、日の光を反射しない虚ろであるけれど、その存在感自体を失わず、仄暗い井戸の底を見下ろした時に感じる、吸い込まれるような錯覚を覚えた。

 彼女が眼鏡を掛けていなければ、ぼくはその穴に魂を吸い込まれて、きっと間抜け面を晒して呆けていることだろう。

 とても脆そうで。

 危うく感じる。

 そうして薄命のような容姿をしているにも関わらず、彼女はアメリカにて探偵を行う上で、最上位の資格を有している。

 日本で探偵という職業は、ひどく胡散臭く、また浮気調査などの下世話な仕事をしているように想像されるかもしれない。

 しかし、アメリカでの探偵は違う。

 弁護士に次ぐ社会的信頼を得ている職種だ。

 探偵免許取得には一定の実務経験と法的知識が必須となる。

 誰にでもなれるものでは無い。

 彼女のような若さで取れるものでは、決して無かった。

 ―――まあ、ぼくは彼女の正確な年齢を知らないのだけれど。

 若いという噂はよく聞く。

 彼女自身はアメリカのその手の社会では有名なので、海外のサイトを調べれば一発で分かる。

 分かるのだけれど、しかしぼくが何を見、何を調べたかは、彼女に筒抜けになるのであえて探ろうとはしなかった。

 ぼくは鈍い上に記憶を失っているのだけれど、女性に年齢を聞いてはいけない常識くらいは知っている。

 覚えている。

 機嫌を損ねると、彼女に対する手間が倍ほどになるのも既に分かり切ったこと。

 そもそも彼女の年齢に関して、そんなに興味が湧かない。

 彼女が幾つだろうが、ぼくの気持ちは変わないのだから。

 ぼくの内心を推理したのか、彼女は前ほどには、こちらの行動を気に掛けなくなった。

 パソコンのログを調べたりしては、ぼくが年齢認証が必要になるサイトなどを使用していないかを確認しているようではある。

 まあ、職場のパソコンでそういったサイトを見るほどに飢えてはいないとだけ言っておこう。

 さて。

 話を戻す。

 ぼくがこうして頭の中で与名さんのことを想い焦がれている間ですらも、彼女は自身の職を貶めるようなことを話し続けている。

 しかし、そろそろだろう。

 ぼくはもう無意識的に無視できるほど無限に聞いている話だったので、自虐的なコレが前置きであるということを理解していた。

「ではなぜ警察に解決できない事件があるか」

 そら来た。

 ここからが本題。

 淡々と話していた彼女が、徐々に熱を持ち始め、力強く拳を振るって気炎を吐く。

「国から支給される予算にが限りがあるからだよ。考えても見てご覧。刑法犯認知件数は年間約二百万件。三百六十五日で割って、一日におおよそ五千五百件。全国の警察官の総数は約三十万人。一見すると足りていそうだけれど、実はまったく足りていない。一つの事件に何人が何分何時間何日をかけて解決へと導くのか? その人件費は何処から出る? 鑑識などの専門知識を持った警官が何人いるのか? 科学捜査が出来る人が一体、何人いるかな? 民間企業へ行けば倍以上のお金を得られるかもしれないにも関わらず、公務員ほどの給与で、ブラック企業さながらの残業に次ぐ残業が課される、それでもなお正義を心に燃やす熱い科学捜査班はいったい何人いるだろうね? 少なくとも軽犯罪などには手が回らないだろう。物的証拠などの鑑定をする際の機材は一ついくらかかる? 結果が出るまでにはどれくらいの時間がかかる? その整備費、維持費は? 回転率を考え出すのにも人が出勤し考えなければならない。毎回の検査で使われる消耗品の数々はどう補充するのか? 人手が足りないとばかりに、民間へ外注をしたならば尚更に資金繰りが難しくなってくるだろう。ちなみに出生前の胎児に対して親子関係を調べるためにDNA鑑定を、裁判に使用できうるレベルで民間に依頼した時の相場は、およそ二十万。さて。不特定多数の人間が出入りするような場所、たとえばコンサート会場などで人が殺された場合、いったい何人分のDNAを調べればいいと思う? その予算は何処から出る? 税金には限りがあるんだよ」

 科学的に人海戦術的に、あらゆる手を用いて犯人を追いつめれば、なるほど確かに警察は捕まえることが出来るだろう。

 しかし、その過程に至るまでの資金は有限であり、尽きればその他の捜査が困難になってしまう。

 年間の予算が決められているのだから、足が出ないようやりくりをしなくてはならない。

「ご利用は計画的に、だよ」

 会社と同じだと言ってから、彼女は幼女のように愛らしくい、無い胸をはる。

 だからこその推理。

 だからこその探偵なのだと。

 探偵に、膨大な資金など必要ない。

 犯人を心理的に追い詰め、自白を引き出し、現場で全てを完結させる。

「もちろん裁判で有罪を勝ち取るには物証が必要になる。推理はあくまで犯人を特定しするだけのものだ。極論、説得力さえあれば嘘を吐いても構わない。容疑者の洗い出しなどの無駄な作業が省かれ、国民の血税が無駄に流れることは無いだろうし、他の、動機や密室の無い、およそ推理では手がかりもつかめないような、路上での通り魔的犯行などに対して予算を注ぎ込むことが出来るようになる。警察も探偵もどちらもお得なウィンウィンな関係の始まりだね」

 ともすれば、恐喝による自白誘導すれすれのようなことを言っている。

 しかし、与名さんは別に間違ってはいない。

 一般的には間違ったことを言っているのだろうけれど、彼女自身の立場としては間違っていないのだ。

 探偵である与名さんは、法の名の下に動かなければいけない警察とは違う。

 そもそもにして、彼女にとっての謎解きとはライフワークであり、正義を行うことを目的としないのだから。

 法に反しようが知ったことでは無い。

 誰が死のうとも。

 知ったことでは無いと、彼女は言う。

 そう軽く言って欲しくない。

 まったく聞きたくない。

 耳を塞いで閉じる。

 せめて心の中で思い留めて欲しい。

 過去の彼女はともかくとして、今の彼女はそういう人だった。

 先ほどの演説を聞いていれば分かるだろう。

 彼女は正義に飽いたのだ。

 ただ謎を追う。

 それだけが与名さんにとっての一番であり、それ以外は全て等しく価値が無い。

 彼女は自由であり、そして、ぼくは自由の徒である。

 長々とした演説が続く中、ぼくは一人立ち上がって用意を始めた。

 地震の備えのように、彼女はいつ如何なる時も旅行の準備を怠らない。

 与名さんの着替えだけがはち切れんばかりに詰め込まれているキャリーバックと、探偵七つ道具―――のほとんどを担うタブレットを事務所の隅から引っ張り出す。

 あたかもぼくが居ないかのように熱弁を振るう彼女の横に立って、事務机の一番上を引き、車のキーを取り出す。

 喉でも傷めそうだけれど気持ちよくなっている彼女を止める気にはならず、そのまま放って置く。

「いってきます」

 そう言うぼくに対しての返事は無かった。

 探偵小説の主人公には事件を誘引、あるいは誘発する能力が備わっていると皮肉られることが多い。

 それはそうだろう。

 買い物に訪れたり、移動している最中だったり、旅行先だったり。

 探偵がいるところでは、ありとあらゆる場所で事件が起こる。

 お前らはもう事務所の外へ一歩も出るなと言いたくなるのも仕方が無い。

 ただし。

 世間がどう言おうとも、彼女が探偵である限り、そんな批判をぼくは認めない。

 隣の月極駐車場へとキャリーバックを運び、彼女の愛車へ荷物を詰め込んだ。

 ぼくは車種を覚えない。

 車なんてものは移動手段の一つであるとしか思えないので、燃費が良いか、乗り心地がどうかだけが気になるのだけれど、彼女の愛車はそのどちらも兼ね備えていない。

 最悪の乗り心地で、最高に金が掛かっていて、最速のスピードが出せたりもする。

 だったら素直にスポーツカーを買って欲しかった。

 固いシートを取り換えてくれるだけでもいい。

 警察の欠点に予算の不足を挙げるくらいなのだから、経費についてもっと考えるべきだろうと、この車を見る度に思う。

 その癖、節電だ何だとぼくが使っているパソコンのディスプレイの明るさを最少にする。

 車を維持する費用の万分の一にも満たない節約して何の意味があるんだか。

 そうして金食い虫の運転席に座って、エンジンを暖気すること十分少々。

「人の話は最後まで聞くようにと習わなかったのかな、君は」

 むくれっツラを晒しながら、彼女は運転席後ろの後部座席へと腰を掛けた。

 事故を起こした時に一番安全な場所。

 これはぼくが希望していることで、決して彼女自身の意志では無い。

 彼女は助手席を好む。

 ただ車に酔いやすく、前方の景色が見易いという理由だけで、だ。

 車の中で最も安全では無い場所へ。

 自分の命に頓着するような天才が、わざわざ探偵業を、それも殺人事件を追いかけるような真似なんてするはずも無かった。

「ぼくの話を聞いてくれるようになったら改めます」

 いつもいつも。

 事務所を出る時には必ず「いってきます」と声を掛けているのに、無視をされる身にもなって欲しい。

「君の話が面白ければ私も耳を傾けるのだけれどね」

 そう言って彼女は後ろからぼくに向けて一枚のメモを差し出す。

 ぼくはいつも通りにそれを受け取って、そこに書かれた目的地へと向かうべく、車を発進させた。

 事件を誘引する為では無く。

 事件が起こるであろう場所へ。

 彼女の推理の下に。

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