第6話 幻想
実はというと俺自身何が起きたか分からない。
ただ一つ言える事は、長年求めてきたものが今俺のデバイスの中にいるっていう事だ。それは精霊。俺が求めてきた物。魔導を使うのに必要な物。
だから俺は手のひらをディードの方へと向けて声高らかに叫ぶ。
「っ!? 貴様まさか!?」
「喰らえ! サラマンドラの『火球』!!」
その瞬間俺の手のひらから巨大な炎が集まり、まるで極小の太陽のように輝きながらディードの方へと向かって――、
『……』
「あ、あれ?」
何も出ない。
そもそも魔導すら発動していない。この長い間俺を苦しめてきた感覚は間違いなく、魔導不発動のそれだ。
どういう事だ? 集中してみると腕輪型のデバイスには精霊の反応があるのは間違いない筈だ。
それなのに何故魔導が発動されない? 属性適性がないならないで、それでも火花ぐらいは出る筈なのに。
「ふん、何をするかと思えばただのハッタリか」
「……っ」
「すり抜けたように見えたが私の目の錯覚だったようだな! 『水球』!!」
「くそっ!」
ディードが俺に向かって水の塊を射出してきた。水の塊というがあれは水を圧縮しているため、かなりの速度でぶつかったら骨折は免れない!
「ぐっ……!」
加えて回避しようにも体が遅く感じる。
体感と体の動きが噛み合わない。これじゃあ当たる――!
「そうはさせない! シルフィードの『風壁』!」
その時、イブキが水球にぶつかる直前の俺に対して風壁の魔導を発動した。
風の壁を対象の周囲に張り、壁にぶつかってきた攻撃魔導を渦巻いている風がまるで掘削するように削って威力を削ぐ魔導だ。
『なっ!?』
だが、遅い。イブキの判断ではなく、魔導が俺に届くまでの速度が目に見えて遅いのだ。
ディードの野郎、俺だけじゃなくイブキの魔導付与速度まで遅くしてやがった!
「ぐあ!!」
水球が俺の体に当たり、全身に途轍もない衝撃と痛みが走る。
それだけじゃない。水球の威力に俺の体は浮かび上がり、屋上の端にまで吹き飛んでいく。ここは鉄骨がむき出しになっている工事ビルだ。
当然、ここの屋上にフェンスなんて存在しない。
「ゲン!?」
『解析完了、これなら行けるわ! シルフィードの『浮風』!!』
その声と共に突如として俺の体が浮かび上がる。
この声はイブキの精霊であるシゼンだ。彼女が魔導を発動したのか? 恐らくさっきまで代理詠唱の解析をしていたんだ。つまり土壇場で代理詠唱が成功したという事だ。
「成長が早いな……だが遅い!」
だが駄目だ。ディードの言う通り遅い。
何故なら俺の体は既に屋上から出ているからだ……!
『そんな……!?』
シゼンの絶望した声が聞こえる。
確かに俺の体は浮いてこれ以上屋上から離れる事はないだろう。しかし俺の体は既に屋上から出ており、シルフィードの『浮風』でも体重の違う俺を浮かばせる事は出来ない。
慣れた自分の体しか浮かばせる事が出来ないのだシルフィードの『浮風』という魔導は。
それでも、短時間とはいえ俺の体を浮かべたんだ。
大した奴だよお前ら。
「う、おおおおお!!」
俺に掛けられた『浮風』を足場に、俺は屋上の端へと飛んで手を伸ばす。
手が届けば落下は免れる。指先一つでも掛かれば後は根性でどうにかしてぶら下がるだけだ。ぶら下がれば、生き残れる。
――だが、
「……くそ」
届かない。俺の手は、指は、何一つ触れられず、このまま下へと落ちていく。
その時、俺は目を見開いて口を抑えるイブキと目があった。
これで……俺は終わりなのか。
そうして、俺はイブキの視界から外れた。
「う、嘘……」
「ようやく一人か……しかし代理詠唱とは驚いたぞ」
「ディード……!!」
『……まだ、まだよイブキ……! あいつは代理詠唱まで干渉する事は出来ないと分かったわ!』
「ほう? しかし足掻いても苦しむのが長引くだけだ」
「絶対に……負けない……!!」
……。
………。
…………。
あ、危ねぇぇえええええ!!
下の階に壁がなくて良かったああああ!!
あの時俺は『浮風』を足場にして飛んだ。だが俺の手は屋上の端に届かず、そのまま落下するかと思われたが俺の体は下の階層に着地した。
ここが建設中で良かった。でなかったら着地する前に壁に当たって余計なダメージを負ったまま地面に落下するところだった。
「しかし……」
俺は考える。何故あの時魔導が発動しなかったのか。
今俺のデバイスの中にいるはずの精霊の名前は、確かアリスと名乗った筈だ。俺はアリスに話しかけることにした。
「アリス……だよな? いるのか? 俺のデバイスに」
『はいマスター! マスターの精霊はここにいますよー!』
「偉くテンションが高いな……」
『当然! 今日という日を私がどれだけ待ち望んでいたことか……だというのにマスターは来る日も来る日もくだらない属性ばかり考えて……』
「ダメ……だったのか……?」
『それは勿論! マスターの理想を体現するのに属性魔導は力不足でしょう。だから私が属性魔導をシャットアウトしました!』
それはつまり……俺が普通に魔導が使えないというのはアリスが勝手に使えなくさせていたということか……? 来る日も来る日も魔導を使えるように努力したあの日々は全てアリスのせいだと?
「アリス……お前……!」
『しかし、今日マスターは私を望んだ。ならばお仕え出来なかった日々を帳消しするように、マスターに素晴らしい魔導を授けましょう』
「お前は、一体……」
『私はアリス。偉大なるマスターの精霊にして魔導の王』
――さぁマスター。一緒に幻想を見せましょう?
◇
「ぐ、うぅ!!」
「代理詠唱が出来たところで、反撃出来なければただの案山子だな!」
『あの野郎……! サラマンドラの『火球』!!』
シゼンが魔導を発動してディードに火球を飛ばす。
しかしディードはそれを素早く動いて回避して見せた。さっきからこの展開だ。ディードは自分の動きを素早くさせ、代わりに相手の動きを遅くさせる。
ディードは余裕の表情だ。
このままでは受け身のイブキに勝ち目がない。
それでも、そこに勝機がある。
「く、そ……! サラマンドラの『火柱』!」
「ふ、効かんよ」
イブキの魔導詠唱を聞いて、ディードは悠々と横に一歩移動して火柱を回避する。そして火柱が消えるとディードはイブキに向かって笑みを浮かべた。
「その程度か?」
「くっ……」
「いや、まだだ」
「なに!?」
その声と同時にディードは自身の足元から『火柱』が生まれるのが見えた。
ディードは驚きながら後方に退避した。そう、したのだ。なのに突如としてディードの体が炎によって燃え盛った。
「ぐ、あああああ!!?」
「嘘……!?」
ディードを燃やしている火が消えたのを見計らって、俺は二人の前に出た。
俺の姿にイブキが驚き、全身に火傷を負って片膝を地面に付いているディードが俺を睨みつけた。
「き、さま……生きていたのか……!!」
「ようディード、見なくても分かるが調子はどうだ?」
「ゲン、ゲンなの!? さっきのあれもゲンが!?」
「あぁそうだけど、上手くいったようだ」
俺はしたり顔でイブキを見やる。
ここから反撃だ。俺は既にアリスから魔導のやり方を教わっている。それを活かすも活かさないも俺次第だが、やってやるさ。
「『水、療』……くそ、魔導を使えなかったガキが……」
ウンディーネの『水療』で火傷を治すディード。
ディードは俺のやったことにまだ気付いていないようだ。だが良い、俺の魔導はネタバレすると効果が半減するからな。
「何を、やったか分からんが……この私に怪我をさせるとは……『風刃』ッ!!」
不意打ち気味に放たれるシルフィードの『風刃』。
勿論ディードの侵食式によってその速さは桁違いのものとなっている。それに加え俺の体を遅くさせている。俺に風刃を回避する余裕はない。
「これで……何!?」
勝ち誇ろうとしたディードだが、自らの放った風刃が俺の体をすり抜けたことで間抜けな顔を晒す。
「な、何故すり抜けた!? ええい『水球』!!」
再度俺に魔導を放つディード。今度は発動速度を上げてまるでマシンガンのように水球を放つ。
「ふ、やったか!?」
「おいおい、どこ見て撃ってんだお前?」
「な、後ろだと!?」
ディードは後ろにいる俺の姿を確認して、再び水球を放った場所を見る。そこに俺の姿はなく、あるのは水球によって抉れた屋上の地面だけだ。
(私は確かにあの少年を遅くしたはずだ! それなのに風刃はあの少年の体をすり抜け、そしていつの間にか私の後ろに移動した! 何故、どうやって!?)
「考えている場合か?」
「何――がっ!?」
ディードの目には俺が後ろにいるはずなのに、急に俺が横でディードの顔面をぶん殴ったと見えているだろう。ディードは俺の拳をダイレクトに受けて、口から歯が数本飛び出る。
「何ひゃ……ほひてる……!?」
地面に倒れ、口から出る血を抑えながら俺を見る。
口の痛みや歯がないので呂律が回っていないようだが、直に魔導で癒すだろう。そこに、ディードに向かって火球が飛んでいく。
「く、くそ……!」
急いで立ち上がって横っ飛びで回避をする。
(いや、待て……何だこの火球は?)
迫り来る火球にディードは違和感を抱く。
しかし、そこでディードの体はまた炎によって燃え盛った。
「ぎゃあああああ!!」
また、まただとディードは困惑した。攻撃を回避した先で、何故か、そしていつの間にか当たってしまうその現象にディードは困惑するしかなかった。
(熱い、熱い、熱い!! ……熱い? っ、そうか!)
ディードの悲鳴は炎が消えるまで続いた。
そしてそこには地面に突っ伏しているディードの姿があった。
「……」
「やったの……?」
「く、くく……」
「しぶといな……いや、そのローブだな?」
手加減しているからかイブキの放った炎は、普通の人間だったら全身を炎に焼かれて意識を無くすほどの熱量になっている。
でもディードは何回も炎に焼かれても意識を保っていられる。その理由は恐らくその着ている黒いローブだ。現代には魔導を物に付与して様々な効果を発揮する魔導具がある。
ディードの着ているローブもその類いなんだろう。
「分かった、分かったぞ……この現象について……!」
「……ゲン」
ディードが自身の体を治しながら、まるで問題の答えが分かったかのような子供みたいに笑って立ち上がってくる。
その様子に唯一この場で俺の魔導について知っているイブキが心配するような目で俺に向けてきた。
「今までの出来事は全て……! 貴様が見せた『幻覚』だな八城ゲン……!!」
「こいつ……!!」
答えを聞いたイブキがディードに手のひらを向ける。
いつでも魔導の発動が出来る態勢だ。しかしそこで俺がディードに向かって言葉を放つ。
「あぁ、そうだ」
「ゲン!?」
「やはり……な」
そう、これまで起きていたことは俺の魔導によるものだ。
俺の魔導は『見えているモノを見えなくさせ、見えないモノを見えるようにする』魔導。ディードの言う通り、その魔導は『幻覚』を見せる魔導だ。
イブキの放った火柱を俺の魔導で透明にした。次に偽の火柱を見せてディードを透明な火柱に誘導させた。
ディードの魔導が俺の体をすり抜けたのは、その俺が魔導で見せた偽物で俺は既にディードの後ろにいたからだ。
ディードが気付いたのは最後にディードに向かった火球に熱が無かったからだろう。俺の魔導は視覚以外の感覚を誤魔化すことができないからな。
「『固有魔導』……! 貴様がそれを持っているとはな……!!」
固有魔導とは、属性魔導に属さないその人が持つオリジナルの魔導だ。固有魔導の使い手は二属性以上を使える例外者と同じぐらい稀少で、同じ固有魔導を持つ存在は全く現れない。
その固有魔導を、俺が発動して見せた。
「これが俺の固有・『幻想魔導』だ」
「ふ、ふふ……だが残念だったな……!! タネが分かれば恐るるに足りん!!」
「あぁだが問題ない」
「……なに?」
「例え分かっても、お前に勝ち目なんてないからだ」
この光景はまるでディードが俺たちに侵食式の概要を説明した時と同じ状況だ。俺は自身の魔導をディードにバラした。でもそのことに俺は危機感を抱かない。
何も問題がない。そう俺は宣言する。
――つまり、お前と俺との間に実力差があるということだ。
「貴、様……ッ!!」
「最初の選択肢だ。自首するなら動くな。抵抗するなら容赦しない」
「戯言を!!」
「ならば良し、――『アリス』ッ!!」
瞬間、俺の目の前に火球が現れてディードの方へと向かっていく。
「貴様の魔導が幻覚と分かったのなら、この魔導はまやかしだ!」
ディードは笑みを浮かべて回避しようとしない。目の前の火球が偽物であると確信しているかのようだ。しかし、残念だなディード。
「がっ!?」
ディードは火球を真正面からまともに喰らって吹き飛んでいく。
幻覚なのは火球じゃなく、俺自身だったんだよディード。火球を放ったのは俺じゃなく、俺の姿になったイブキだ。
「あ……ぐ……」
「最後の選択肢だ、ディード。このまま落ちるところまで落ちるか、自首するか」
俺の言葉を聞きながら、ゆっくりと立ち上がるディード。
しかし、その瞳はまだ俺たちを睨んでいた。
「ふざけるな……!! ただのガキにこの私が……!!」
「……分かった、神凪さん」
「……サラマンドラの『火柱』!」
「くっ」
俺の合図と同時に事前に説明を受けたイブキがディードに向けて火柱を唱える。
ディードの足元に火柱の魔導が生まれる。
(くっ……これは幻覚じゃない……! 熱もある正真正銘の魔導だ……!)
あぁ確かにこれは幻覚じゃない。
だからこそお前は後ろに回避する。
「くそ……!」
俺の予想通りにバックステップをするディード。
――だがそこに、地面はない。
「な、に――」
「お前は既に崖っぷちだったんだよディード」
後ろにまだ屋上のスペースがあると思っていたのだろうが、違う。そこは既に端で、俺がまだ地面があるように幻想魔導を発動したんだ。
ディードはそのまま地面に向かって落ちていく。
「舐めるなよ……!!」
だがディードはまだ諦めていない。それはそうだ。ディードの使う属性は水と、そして風の二種類。そして風属性にはあれがある。
「私はこのまま終わらない!! 『浮かぜ……ごふ!?」
ここは建設途中の工事ビル。
当然鉄骨はむき出しのままだし、鉄骨が突き出ているところもある。ディードはその突き出ている鉄骨に無防備なまま背中から激突し、詠唱がキャンセルされた。
見えていれば対処できたのだろう。だが当然、その突き出ていた鉄骨は俺の魔導によって見えなくさせていたためディードは対処できない。
人というものは例え低い高さからでも、背中から受け身も取れずに落下すると息ができなくなるのだ。
「落ちるところまで落ちろディード……奈落の底までな」
魔導具のローブがあるお陰で高所から落下しても生きているだろうが、運が悪ければ死ぬかもな。