こいのはなし
お久しぶりです。
保梨先生とこいの話――
「失礼します……」
保健室のドアを軽く三回叩き、関野は静かにドアを開けて中に入る。
「あら、珍しい。どうしたの?」
「体育の授業で転んじゃって……、少し擦りむいちゃいました――」
関野は擦りむいた左足を軽く見せながら、保梨の元に向かった。
「水で洗ったので、消毒してもらえたらなと思って……」
左足を庇うようにぎこちなく歩きながら、関野は保梨の近くの椅子に腰掛ける。
「アルコールアレルギーとかない? 大丈夫?」
「はい、大丈夫です――」
関野の返事を聞いてから、保梨は消毒液と綿を準備して関野の前に移動した。
「少し染みるかも……」
そう伝えてから、保梨は関野の左足を消毒していく。
「っ……」
関野が少し痛みに顔を歪めていると、保健室のドアが開かれて、男子生徒が入ってきた。
「失礼します――保梨先生、絆創膏ください」
と、舛田秋乃が右手の親指をティッシュで押さえながら、絆創膏を探す。
「舛田くん、久しぶり。絆創膏はそこの棚にあるけど、大丈夫?」
関野の足の消毒を終えて、保梨は秋乃に顔を向けた。
秋乃は「大丈夫です」と答えながら、絆創膏のある棚に手を伸ばしながら続ける。
「授業が終わる少し前に、ノートで指切っちゃって……」
「あら、それは痛い。そんなに深くはないの?」
関野の足にガーゼを当てて、軽くテーピングをしてから秋乃にまた顔を向けると、秋乃は絆創膏を取り出して貼っていた。
「――はい、そんな深くないです」
「なら良かった――」
「あ、の、ありがとうございました、戻ります……」
おずおずと関野が保梨に声を掛けると「ちょっと待って」と引き止める。
「もしこの後時間あったら、お茶でもしない?」
「え……?」
きょとんとする関野の後ろから、お茶という言葉を聞き逃さなかった秋乃が会話に加わった。
「いいですね、おれも一緒にいいですか?」
「いいわよ。ふふ、帰りの準備してからまた来てね」
「あ、あの……! いいんですか……?」
話が進んでいくのを、大丈夫なのだろうかと関野が確認するように保梨を見ると、保梨は笑顔で頷く。
「いいのいいの。もちろん、関野さんが用事あったら断ってくれていいし。これはワタシがお茶したいだけだから」
そう保梨が少し苦笑いして答えると、関野は「じゃあ……」と少し考えてから微笑んだ。
「生徒会の仕事もないので、準備終わったら来ます」
「ふふ、ほんと? ありがとう――もし一人があれなら誰か連れてきていいからね」
柔らかく微笑んだ保梨に、関野は「はい」と笑って頷き、椅子から立ち上がる。
「おれも誰か呼んでいいですか?」
「もちろん。多い方が楽しいから」
保梨の返答に秋乃が「わかりました」と頷いて、二人は保健室を後にするのだった――。
*
関野が帰りの支度を終えて保健室に向かうと、もう秋乃が先に来ていた。
「関野さん、足怪我したんだって?! 大丈夫!?」
と突然 篠山が関野の前に現れて問い詰める。
「えっ?! 篠山くん!? 何で――!?」
てっきり平井章や田端香月を連れてくるものとばかり思っていた関野は、驚いて秋乃に目を向けた。
秋乃は「あー」と関野の目に答えるように口を開く。
「章と香月はもう帰ってて、湯川とか野嶋呼ぼうと思ったんだけど、二人は用事があって来れないっていうから、途中で会った篠山に関野さんが足怪我したらしいって伝えたら、それは大変だ! って言って――ついてきちゃった☆」
コツンとわざとらしく頭を叩いて舌を出す秋乃に、関野は苦笑いしながら篠山に視線を戻した。
「大丈夫だから、そんな大怪我じゃないから、擦りむいただけだから……!」
「ほんとに?!」
「ほんとほんと、落ち着いて……!?」
関野がまあまあと両手で宥めると、篠山はそっかと胸を撫で下ろす。
「なら良かった……」
「お待たせ――」
すると、保梨が保健室に戻ってきて、テキパキと丸い簡易テーブルを組み立てると、丸椅子を周りに四つ配置した。
「あら……篠山くんだけ?」
保梨が確認するように秋乃と関野へ顔を向けると、関野が答えた。
「あ、私、夏見さんと羽山さん誘おうと思ったんですけど、教室に行ったらもういなくて……。だから誘えてないんです」
「そうだったの。じゃあとりあえず、今日はこのメンバーね――」
保梨は笑って紙コップ取りにいき、その足で冷蔵庫から飲み物を取り出して簡易テーブルに置くと、今度は一番端の棚に向かっていき、棚を開けてお菓子を持ってくる。
「――ふふ……、あそこの棚はお菓子入れてあるの。内緒ね?」
楽しそうに人差し指を口元に当ててから、飲み物を紙コップに注いで三人に確認した。
「あ、オレンジジュース飲める? って、いれてから訊いても遅いか――」
一人ノリツッコミをしながら、保梨はコップをそれぞれ椅子の前に置いて、座るように促す。
「お茶したいっていうのは建前で……、今日はみんなに相談に乗ってもらおうと思って集まってもらったの」
「――相談、ですか……?」
「おれたちで役に立てますか?」
「力不足では?」
関野と秋乃、篠山は椅子に座って不安げに顔を見合わせた。
「相談っていっても、ただ話を聞いてほしいっていうか……」
と保梨は少しモジモジしながら続ける。
「山井先生のことなんだけど……」
ぽっと頬を染める保梨に、関野は「え?」と小さく声を洩らす。
「あれ? 関野さん知らない? 保梨先生、山井先生好きなんだよ」
秋乃がコップに口付けながら伝えると、関野と篠山は驚いたように保梨に視線を向けた。
二人から視線を受けながら、保梨はモジモジとまた身体を少しくねらせて答える。
「いや、その、伝える気はないんだけどね……! もちろん胸にしまっておくんだけど……! でも、でも……、誰かに話したくなるの。こんなことあったとか、話したとか、そういう、ね?」
「わかるでしょ?」と保梨は関野と篠山に問いかける。
「みんなみたいに、友だちと恋バナとかするような感じで、このドキドキを吐き出したいの」
照れたように笑う保梨は恋する乙女のようで……男だけど――、関野は「ふふ」と小さく微笑んだ。
「話を聞くくらいなら、付き合います」
「ほんと?! ありがとう」
「俺も、その気持ちよく分かります……!」
と篠山も身を乗り出す。現に篠山は関野に片思い中で、もどかしい思いをしている――。
保梨は二人を見ると、嬉しそうに笑ってお菓子を取り分け、三人の前に差し出した。
「じゃあ、話聞いてくれる?」
「もちろんですよ」
「はい!」
「私たちでよければ」
三人が頷いたのを確認して、保梨は少し恥ずかしそうに、でも楽しそうに話し始めるのだった。
*
保健室で談笑していると、そっとドアが開かれて「楽しそうだな」という羨ましげな声が四人の耳に届く。
ドアの方に振り向くと、そこには山井が立っていた。
「や、山井先生……?!」
「先生も食べます――?」
慌てる保梨とは対照的に、秋乃はお菓子を山井に見せて訊く。
一方関野と篠山は少し姿勢を正して、注意されるんじゃないかと内心ヒヤヒヤした。
山井は静かにドアを閉めると、四人のもとに近付いて、秋乃からお菓子を受け取る。
「食べる――そろそろ下校時刻だぞ、何保健室で呑気にお茶してんだ。保梨先生、きっと舛田にお茶しましょうとか言われて渋々付き合ってくれてるんですよね? いいんですよ、断ってくれて」
山井が保梨に顔を向けて言うと、保梨は「いや……その……」と困ったように笑うので、秋乃が代わりに答えた。
「いや、保梨先生に誘われて、今お茶してるんですよ」
「え?」
「そ、そうなんです……、すみません……」
保梨が肩を竦めて謝ると、山井は「そうなんですか?」と少し驚いてから「じゃあ」と続ける。
「俺もご一緒するかな――」
と山井は近くにあった椅子を持ってきて、秋乃と保梨の間に座った。
「えっ?!」
「生徒からなら注意しないとですが、保梨先生から誘ったなら話は別です。俺もちょっと休憩したかったんで……」
「だめですかね」と苦笑いする山井に、保梨は「そんなこと……!」と大袈裟に両手を振ってから、紙コップにオレンジジュースを注ぐ。
「……大丈夫なんですか?」
「怒られると思ってました」
保梨から紙コップを受け取る山井に、関野と篠山が窺うように声をかけると、山井はオレンジジュースに口付けてから答えた。
「ん……、大丈夫かどうかは、お前たち次第だな。もちろん、他の先生たちには内緒だぞ――? はは、そんな怒ったりしないさ」
そう山井が軽く笑って言うと、丁度下校の予鈴が鳴り始める。
「お、ほら、お前らそろそろ帰る時間だ」
「これからが面白いところなのに……」
山井が手で払う仕草をすると、秋乃は名残惜しそうに残りのジュースが入った紙コップに手を伸ばした。
「時間的には仕方ないよね。お菓子とジュース、ありがとうございました」
「美味しかったです――」
篠山と関野もジュースを飲み干して、紙コップをテーブルに置く。
保梨は「ほんとに帰るの……?」と少し不安げな顔をするので、秋乃と篠山、関野は顔を見合わせてから笑顔で伝えた。
「はい、下校時刻なんで」
「保梨先生なら大丈夫ですよ」
「また今度お話聞かせてください――」
三人は微笑んだまま、保健室を出ていく。
残された保梨は、少しドキドキしながら紙コップを口に運んだ。
「……そういえば、さっき何の話をして盛り上がってたんですか?」
山井の話をして盛り上がっていたとは、本人に言える訳もなく、保梨は苦し紛れの返答をする。
「こ、こいの話ですかね……!」
「あー、恋バナってやつですか、青春ですね。あ、もしかして保梨先生も今好きなひ」
「違います! 鯉です、鯉! 魚の!」
山井の言葉を遮るように、保梨が強めに言葉を続けた。
「最近池のある公園に行ったら、鯉がいっぱい居て、餌もあげられたんですけど、皆口パクパクしてて可愛いなぁって思って!」
「鯉、ですか?」
「はい!」
力強く頷く保梨に、山井は「へぇ……」と呟いて、またお菓子を口に運ぶ。
「何を言ってるんだワタシは……」と、山井の隣で保梨は項垂れた……。
「――いろんな柄の、いますよね」
「……へ?」
「鯉です、鯉」
山井がお菓子を飲み込んで、思い出すように続ける。
「赤とか、黒とか、たまに赤に黒柄とか、いろんなのいますよね。保梨先生は好きな鯉とかいるんですか?」
「ぇ、あ、黄色の鯉が好きです……! ほんのり赤い丸がほっぺみたいな模様になってる鯉がいて――」
それは山井の優しさか、はたまた単なる好奇心なのか、それでも鯉について話題を振ってくれたことが嬉しくて、保梨は「こういうところも好きなんですよ……!」と内心両手を合わせてキュンとするのだった――
保健室を後にした三人。
秋乃「上手くいったかな」
篠山「テンパってたりして」
関野「上手く話せてたらいいな」




