回想。 ~消えない痛みの回廊~
風狼は去り、身体に纏わり着く様な張りつめた重々しい空気は風と共に消えた。
風狼に代わって現われた騎士たちの登場で、急に賑やかになった草原は野営の天幕で埋まっている。
アウラは憧れのランディーの言葉を聞いてから落ち着かない。この少年がグリンベルの悪魔と呼ばれるドラゴンを体内に宿しているのではないか? 少年の言葉を信じるならドラゴンと呼べるのは彼の母親だけだと言っていた。
しかしそれは誇り高いドラゴンが故の言葉かも知れないのだ。考えれば考えるほど落ち着かなくなる気持ちをどうにか落ち着かせようとプラムとじゃれ合う少年を見つめた。
「顔……色が悪いなぁ。どうかしたのか?」
アウラの様子に気付いた少年に声を掛けられた。
「顔……? 悪いですか?」
「うーん? 可愛い。それに綺麗だと思った。沐浴している君を見た時には、水辺に女神が降りて来たのかと思ったんだぞ? 本当に」
少年が屈託の無い笑み掛けている。
「……」
少年のやわらかい微笑みに浮かぶ碧眼と、まともに視線を交えることが出来なくなる。
なかなか無いであろう衝撃的な出会いから、まだ半日ほどしか過ぎてないというのに、この少年のお陰で辛く寂しい野宿も聖誕際と収穫祭が一度にやって来た、と思えるほど賑やかで楽しい時間を過ごした気がする。
いつ以来だろう。これほど心が弾んだのは街を焼かれてからは、ついぞなかったことだ。
少年の雲を掴む様な話しは、自分たちとは違う尺度で物事を捉え見いるようで、新鮮であり奇妙であり奇怪でもありとても興味深い。
ついつい怒っていたことも忘れ何時の間にか少年の話しに引き込まれている自分が不思議だった。
話が進んでいく中で少年もまた母親と定住を始め出した街を魔物に焼き払われ失ったことを知り、自分と同じ痛みを抱えていたのだ。
少年に母がドラゴンなのだと聞いた時、湧き上がった驚きの感情と辛く忌々しい過去が重なり痛みも共有しているように感じていた。
胸の奥に少年の母がグリンベルの街を焼いたドラゴンではないか、と疑う気持ちと違っていて欲しいと思う気持ちが、同時に浮かび絡み合い混乱もした。
少年が話したハングラードを壊滅させたという“神の裁き”と教会で教えられている“ハングラードの神罰”では起きた現象が大きく食い違ったいた。
アウラは違和感を感じながら、古来から山羊飼いたちの受けている世間の冷たい視線から逃げるように辺境へと流れて行った彼らのことを語った少年の痛みが、我が身に降り掛った災厄のように感じた。
自分は事ある毎に、旅商人などの旅人に旅の安全や街に繁栄を願い出られ祈りの儀式をし重宝がられているのに……。
山羊飼いは同じ放牧者でありながら、協会は勿論のこと民衆にまで疎まれ続け、苦しい旅をしていたのだ。
それだけでなく魔物使いと呼ばれ王国や教会から冷遇され、その果てに神罰まで受け魔物ごと街を焼かれた山羊飼いの少年に同情も覚えた。
風狼が少年の事を知っていて難を逃れ、ほっとしたのも束の間、現われた騎士団にランディーがいたことに驚いた。
ランディーから街を焼いたグリンベルの悪魔を討破れるかも知れない禁術書の存在と在り処を聞いた時、嬉しいと思う気持ちが湧き上がったのは正直な気持だった。
「どうした? 可愛いと言ってやったのに嬉しくないのか?」
「……」
「昼間の事をまだ怒っているのかなぁ? あれは本当に事故だったんだぞ? おいってばぁ」
アウラは少年の顔を見ることが出来なかった。
グリンベルの悲劇。
七年前の冬に、その悲劇は起こった。
その日は街の大人たちは総出で聖誕祭の準備に追われていた。大きな街の教会の司教様が街を訪れるとのこと。
北の端にあるグリンベルまでわざわざ聖誕祭に合わせ信仰を説きに来るらしい。
街の外に出る者はおらず街を上げて司教様を迎える準備に勤しんでいた。
同じ年頃の子供たちの祭り事に、はしゃぐ姿を横目に父から預けられた十頭にも満たない羊たちを連れ脇を通り過ぎ街の外に出た。
貧しい家だったこともあり、他の同年代の子供たちより早く羊飼いの仕事を手伝っていた自分は家の納屋で埃を被っていた術書を見つけたが、見たこともない蚯蚓がのたくったような文字に興味を持った。
街の小さな教会で初めて文字の読み書きを教えて貰った時、夢中になったことを覚えている。
見様見真似で術書に描かれた陣を街中に落書きしながら覚えた。
アウラはその日も放牧にでたていた。羊たちを山の裾野に広がった小さな森の中に円形に広がった草原までよく連れてくると、季節も冬に差し掛かった頃で色合いは寂しいかったが、冬の草花は力強く緑を放っていた。
雪が降るのはもう少し先、十頭にも満たない羊たちには十分にも思えるだけの草はあった。そこを秘密基地と呼び羊を追って来ては覚えたての魔法陣を描いて遊んでいた。
その日も秘密基地に着くなり術書を広げ描いて遊んだ。
父の魔除けを真似、小さなカウベルを括り付けた木の棒で鐘を鳴らし何事か言葉を発しながら、夢中で振ったのを覚えている。
術書の解読も面白く夢中で解いた。羊たちを追っている最中も術書を読み耽って文字をなぞった。
陽も暮れ出した頃、秘密基地を後にして街に戻る道中、羊が一頭足りたないことに気付き慌てて、秘密基地に戻り迷子の羊を探しようやく見付け出した時には空の月が蒼く光を放っていた。
父や母と自分より三歳下の弟がさぞかし心配していることだろう、と思い、父にこっぴどく怒られることを覚悟しながら家路を急いだ。
帰り道の中程で街の様子がおかしい事に気付く。
黄昏時はとうに過ぎているのにやたらに空が赤く染まっている。嫌な予感が疲れているにも拘らず、街へと向かう足取りが自然に速くなる。
不気味なほどに燃え上がるように赤くなった夜空。
その理由は街を見下ろす小高い丘の天辺にようやく辿り着いた時に明らかになった。
街が炎に包まれていた。
坂を転がるように駆け下った。頭の中は真っ白で何度転んだのか、転んだ事すら曖昧だ。自分の口から発している言葉も自分の耳に響かない。その時は泣いていたのかも分っていなかった。
ただ頭の中に響いていた言葉で覚えているのは、ほんの少しだけ。
「お父さん……、お母さん? アウル、お婆ちゃん、お爺さん」
他にも友達や近所のおじさんやおばさんの名前、文字の読み書きを教えてくれた教会の老神父の名前を叫んでいたに違いない。
街に近付こうとして既に駆けつけていた騎士に止められたが、その時の自分の取り乱した姿をあまり覚えていない。
「お婆ちゃん、お爺さん」
「お父さん、お母さん……」
「アウル――――っ。いやぁぁぁぁ――――っっ」
どれほど時間が流れたのか分からない。涙は枯れ果てもう出てこない。
ただただ泣き疲れ地面に膝を組んで顔を埋めているだけだった。不意に肩を叩かれ顔を上げたことを覚えている。
さぞかし虚ろな眼をしていただろう。
「大丈夫かい?」
そう声を掛けた若いひよっこ騎士。
当時グリンベルの街に繋がる街道を警備する詰め所に駐留していた若いひよっこ騎士だったランディーはグリンベルの街が焼かれた夜、炎で真っ赤に染まった空を見つけ街に駆けつけた駐留軍の一員で、放牧から帰り一人街の外で焼かれて街を見て泣き疲れ地面に膝を組んで顔を埋めていた幼い自分にやさしく声を掛けてくれた人物だった。
「寒いからこれを飲んで身体を暖めるといい。それとこれ」
ランディーに差し出された蜂蜜入りの温かいミルクとふんわりとやわらかい白いパンに良く伸びるチーズをたっぷり振り掛け焚火で炙った温かい香ばしい匂いがするパンと毛布を無言で受け取った。
「こんな時になんだけど街の生き残りは君だけだそうだ。酷だとは思うけど言っておくようにと命令を受けちゃって……。考えたけどやっぱり話しておいた方がいいと思ってね。君だけでも生きていてくれて良かったと僕は思うよ」
「……」
「だってグリンベルの街の人たちの生活や街並みを覚えていてくれる人がいるのだからね」
「…………」
「街を焼き払った犯人の事なんだけど、君は見たのかい?」
ゆっくりと顔を横に振った。
「見てないか。夜だったとはいえ街一つを誰一人逃げる暇を与えず焼き払えるものなんて、やっぱり極は魔物の仕業だと思うんだ」
「……魔、物?」
「そう魔物」
近くで騎士たちがざわめき出していた。
調査の末、巨大な足跡が見付かったのだとか、なんとかで騒ぎになっている様だ。ランディーは「ちょっと様子を見て来る」と言い残し駆け出して行った。
ほどなく戻って来ると彼はこう言った。
「街を襲ったのはやはり魔物だ。足跡も見て来たけど一つが多きな屋敷ほどもある大きさだった。街の外側から火を吐いて焼いたのだろう、と隊長たちが言っていたよ」
「……」
「こんな事が出来る魔物は原典や古伝記に登場するドラゴンしかいないと、グリンベルに現れた悪魔だと騒いでいた」
受け取ったパンと蜂蜜入りのミルクの入った木の器を手にしたまま、ぼんやり意識の外から響く声を覚えている。
「……グリンベルの悪魔」
今でも、はっきりと――。
To Be Continued
ご拝読アリガタウ。
次回もお楽しみにっ!><b