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ドラゴンの循鱗(じゅんりん)

 蒼い月夜の中、広野の片隅で焚き火を二人と一匹で囲んで黒いライ麦パンにチーズを乗せ、焚き火で炙った物と年が連れている山羊から絞ったミルクでささやかな食事を摂っている。


 少年の口笛を聞き取って集まった山羊たちも、今は少女が追って来た羊の群れに溶け込んで夜の闇に溶け込んでいようだ。


「と、当分の間の天気は良さそうですね」


 少女が星空を見上げて言った。


「そうでもないぞ? 近い内に雨が降る、強い風を伴って」


 少年は山から吹く風を見て言った。


 森でのハプニングから脱する事が出来たのは、幸い陽が西の地平線に沈む前で、まだ空が明るい内に森を出る事が出来き、本日の野宿の準備も夜になる前に終える事が出来たのは幸いだ。


 夜は獣や魔物の時間である。


 白と黒が基調の牧羊犬は、主の膝に顎を置き咽喉元を撫でられながら、気持ち良さげに眼を細め尻尾を振っている。


「そんなはずないです。夕陽は綺麗なオレンジ色をしていましたし、夜空もこんなに蒼く星たちも綺麗です。覗き魔さんも放牧者なら天候くらい読めそうですけど?」


「読めるさ。少なくとも柵の中で羊を追う様になった今の羊飼いより確実に」


「あっ! 馬鹿にしましたね。なにを根拠に言っているのですか? 覗き魔さんは」


「天候を確実に当てることなんて誰にも出来ない。ただ空気が重くなってきてるんだ。それが俺には分かるだけかな」


「はぁ……空気の重さですか?」


 少女が首を傾げて不思議そうな顔をして尋ねた。


「そう空気が重くなると空を飛んでいる有翼獣は低く飛ぶのさ。気圧が変わったからな。昨日、鳥たちが一昨日より低い空を飛んでいた。今日は更に低い所を飛んだ。空気が重くなれば風が出る」


「私たち羊飼いだって風と共に旅をしていたのですよ? 風が変わったことくらい、私だって気付いてます」


「風が変わったことくらい誰にでも分かるさ」


「覗き魔さんは何故、空気の重さが分るのです?」


 少女は興味津々の眼を少年に向けた。


「空気に重さがあることを鳥たちは知っているし、空気の重さが変わったことを感じ取って、今日は低いところを飛んでいた。俺はそれを見ていただけだ」


「空気に重さなんて鳥たちには分かるのですか? そんなの私たち人間には分からないのに鳥たちには分かると言うのですか? 私にも風の方向が変わったことくらいは分りますけど」


「さぁな? 水が高いところから低い方に流れるように、空気も圧力の高い方から低い方へ流れる、それが風。今、どっちから吹いてる?」


「山の方に向かってから……、です」


「山の方の方に向かって吹いている風が徐々に強くなって来ているんだ。圧力の高い方から低い方に流れる空気の流れつまり風だ」


「うぅぅ……」


 少女は額に指を当て唸った。その様子をみて少年が言葉を続ける。


「あの山の向こう側の山肌にぶつかって天に向かって昇る。風は昇ってる間に陽に温められながら細かい水の粒を吸って大きくなり、空に雲を作る。元あった空気の場所に周囲の空気が流れ込んで天に昇る。繰り返されて急速に雲は大きく重なり合って、重さに耐えかねた空気が溢れ出すと雨になって地上に落ちて来るんだぞ」


 少年が話す雲を掴むような会話に、少女はつい聞き入ってしまっていた。


「本当ですかそれ? でも覗き魔さんは鳥でもないのに、そんなことを知っているの?」


「それは内緒。君が何処の街から放牧に来ているか知らないけど、激しい雨が続けて降るかも知れない。君の街に川に繋がる水路があるなら水門を閉める様に言ってやった方がいい」


 少年が笑みを消し真剣な眼をして言った。


「それ本当に、本当に本当ですか?」


 少女は真剣な顔で話に夢中で聞き入った。


「さぁ? 本当は俺にもよく分からないんだ」


「さぁって……」


 少女はきょとんと首を傾げた。


「でも、この辺りに雨は降る。同じ様に街の方も降るのかは分からないけど、水は川を流れるから」


「わ、分かりました。予定を切り上げ明日の朝、街に戻ります。食糧も後僅かになっちゃいましたし……、まさか三日分も一人で食べちゃうなんて思いませんでしたから」


「ある物が無くなるのは自然の摂理だから仕方がない」


 少年が笑みを戻した顔で答えた。


「もぉー知らない内に消えたみたいに言わないでください……」


 少年の一顰一笑(いっぴんいっしょう)に、少女は半ば厭きれ苦笑を浮かべた。


「じゃあ、こんな顔をすればいいのか?」


 そう言い、顔を(しか)めてから笑ってみせる少年に少女も釣られて笑ってしまう。


 静かに夜が更けて往き、蒼い月夜の下、二人の笑い声が静かに響いた。


 星が(またた)く星空の下に時折、羊たちの首に付けられたカウベルの軽い乾いた音色が交る。ひと塊りになった羊とそれに交じる山羊の群れが冷えてきた空気の中、身を寄せ合っていた。


 二人が囲む焚火の薪が、弾け火の粉を天に捲き消えていく。


「この現象と同じ様な事が起こっているだけだ。大きな規模で」


 天に昇る火の粉を指差し少年が言った。


「風と雲のお話ですか? 覗き魔さんは誰もが考えない面白いことや誰もが感じない感覚を沢山知っているのですね」


 少女は好奇の視線を向けた。


「母さんが残してくれた力の恩恵だ。ドラゴンの循鱗(じゅんりん)って言うんだ」


「……ドラゴンの循鱗じゅんりん?」


「そうだ。体内に封印されていて殆ど使えないけど」


「覗き魔さんのお母様はドラゴンでも退治しておられたのですか? 剣か魔術の達人かなにかですよね? ……きっとそうですよね? 覗き魔さんは魔術の存在を知っていましたし……」


 少女は自分に言い聞かせる様に言葉を継ぐんだ。


「そうじゃない。ドラゴンが育ての親なんだ。循鱗を与えてくれたのは母さんで、魔術を使って封印したのも母さんと後だれだっけ? 小さい頃の話だからもう忘れた」


「そんな……うそ。お母様がドラゴンだなんて……うそですよね? 私をからかってるのですよね?」


 少女の顔からまるで汐が引くみたいに血色が消え、体は小さく震え出した。


「どうかしたのか?」


 少年が尋ねた。


「……きっと人違いよね、違ったドラゴン違いよね」


 少女は熱病でうなされているかの様に震え、揺れる震えを抑えようと両腕を交差し自分の身体を抱きしめる。


「寒いのか? まだ夜は寒いからな」


 少年が自分の毛布を差し出し同じ言葉を繰り返してくれたが、少女はただ震えていた。


「それとも母さんドラゴンがどうかしたのか?」


「の、覗き魔さんのお母様は今何処に?」


 少女は震える声で尋ねた。


「母さんは四年前に死んだ。住んでいた街を救おうと魔物の群れと戦って。結局、街は魔物が吐いた炎で焼かれてしまった。俺は母さんと循鱗と一緒に逃げていた街の人たちのお陰で運良く生き延びることができたけど……」


「四年前……死んだ? 街を守って?」


 少女は虚空を見つめる様に瞳を宙を彷徨わせた。


「ああ。流石の母さんも循鱗の力抜きでドラゴンの姿に戻っても、野を埋めるほどの魔物たちと刺し違えるのがやっとだったみたいだ」


「もしかして覗き魔さんが言っているのは、もしかしてハングラードの神罰のことですか?」


「よく知っているな。その通りだ」


「ハングラードの神罰は余りにも有名な話ですから……。山羊飼いたちが多く住んでいた東の辺境の街ハングラード起きた神の神罰。魔物を呼び出したハングラードの民と近隣にあった五つの村を壊滅させた神が放ったオレンジ色の閃光。その閃光こそが神の裁きだと云われています」


 少女は静かに眼を閉じた。悲しみに眼を覆う様に、なにかを想い出しそうとしているように、或いは何かを想い出さないように。


 暫し考え少女は静かに口を開いた。


「七年前の冬……。覗き魔さんと貴方のお母様は何処に居て、なにをしていたか覚えていますか?」


「俺と母さんがハングラードの街に住みだしたのは七年ほど前だったかな? それまでは放浪の旅をしていた。その頃にはもう山羊を連れて旅をしていたと思うけど? それがどうかしたのか」


「北の山間に広がった裾野にあったグリンベルという街を知っていますか? その頃から放牧をしていたのですね? その当時に街の名を聞いたり立ち寄ったりはしましたか?」


「グリンベル? 知らないなぁ……北には行った覚えはない。その頃から山羊は連れてはいけど放牧をしていたわけじゃない。俺が山羊飼いになったのは母さんが死んでからだ」


「良かった。やっぱりドラゴン違いだった……」


 少女は胸を撫で下ろし安堵した。


「ドラゴン違い? それはない。この世にドラゴンを名乗れるものは後にも先にも母さんしかいない」


「えっ!? そんな……の嘘ですよね? 今は珍しくなりましたが、この世には沢山のドラゴンが存在していたと聞きますし」


「それでグリンベルの街がどうしたんだ?」


 少女は唇を噛みしめ眼を閉じた。


 胸の前で撫で下ろしている手を止め、膝の上で堅く握った。


「グリンベルは私が生まれた街です。七年前……ドラゴンに焼かれた街。家族を焼かれ全てを無くした場所です」


 少女は静かにそう少年に告げた。


 To Be Continued

ご拝読アリガタウ。


次回もお楽しみにっ!


本作品へのご意見、ご感想、評価などお待ちしておりますよっ。

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