偉大な魔女の禁術書
祭壇が退いた後に現れた壁は陽の光に触れておらず白く埃や手垢の汚れもない。
現れた壁はこれまで誰の眼にも触れられたことのない様子が見て取れた。即ち未だかつて天才魔術師と謳われたソルシエール禁術書は誰の手にも渡って無いということが証明されたと同義である。
アウラと少年、ランディー側近の騎士数名で扉を潜ると神殿の地下へ繋がると思われる螺旋階段が視線の先に見える。
陽の光も届かず明かりも無い地下室に通ずる螺旋階段へと続く通路は不思議と明るい。
どうやら所々に鏡が取り付けられ、空気穴を有効に使って鏡を使って太陽の光の屈折を利用し地上の光を運んで明りを得られる構造に造られているようだ。
もしかすると偉大な魔女が魔術で作り出している光りなのかも知れない。
そう思ってしまうほど地下に通路の螺旋階段は明るかった。
「なにかさ。これまで誰にも見つけ出すことが叶わなかった禁術書という割には簡単に見つかってしまってるような気がするんだけど……。グランソルシエールって案外、間抜けなのかなぁ?」
少年が碧眼の瞳を弓のように反らせた。
「いやそうでもない。巨大な絵画に残されたメッセージを今日まで見付けた者はおらず、あの高さに残された文字を見つけ出し、あまつさえ小さな文字を読み取るなど普通の人間には到底出来まい。まず一つ目、探せされば見つかる」
金髪を揺らして難しい顔をしてランディーが壁画に残されたメッセージを反芻した。
「ソルシエールって、やっぱり間抜けだなぁ。あんなところに書いたメッセージに“探せされば見つかる”って書いても意味がない。見つけてから探せって、遅くないか? あっ! それともランディーがバカなのか」
「おそらく探せされば見つかるとは地下に通ずる通路のことだと思いますよ? 覗き魔さん。それに戻してみて気付いた像が見詰めていた先に残されていたのが壁画に隠された古語のメッセージだったでしょっ? 覗き魔さんが見つけた古語……メッセージの在り処を示す像が扉を開くための鍵になっていたのですから、像を注意深く探れということだったのではないでしょうか。そして二つ目は秘められた財産。おそらく魔術に用いられている古語を翻訳するために必要になる資料や知識です」
アウラが紫水晶の瞳を少年に向けた。
「アウラが翻訳した古語で書かれたメッセージだね。古語を資料を用いず翻訳するのも至難の業だ。まったく私は運がいい」
「そして三つ目の苦難を乗り越えよ。いったいどんな試練が待っているんでしょう……」
アウラの紫水晶の瞳が少し湿り始め唇も小刻みに震えている。
「怖いのか? 大丈夫、アウラに危険が及んだら俺がなんとかするから」
アウラは少年の微笑み掛ける視線から眼を逸らした。
これから得ようとしている力はグリンベルの仇かも知れないこの少年の中に宿る循鱗を滅する為に手に入れたいと願っていたグランソルシエールの禁術書なのだから、屈託のない微笑みを浮かべる少年を見れるはずがない。
この少年は一方的に自らが言い出した約束を律儀に守ろうとしている。
少年の望みはアウラと同様、長く過酷だったであろう放浪の最後に辿り着き、生涯の終末を迎えようと選んで住み始めたに違いない。その街と母を襲った魔物たちを創り出した魔術師を討つこと。
アウラは思う。
それでもこの少年は禁術書を手に入れようとしている自分に危険が迫ればきっと約束を守って我が身を守ってくれるだろう。
風狼と対峙したあの時と同じように自ら交わした約束を果たすために……。
数奇な出会い方をしたこの少年を心の何処かで信用している。
この少年が体内に宿すドラゴン循鱗がグリンベルの悪魔のものではないと分かるまで、胸の奥に閉じ込めたままにするであろう少年に対して生まれた灯火のように淡く揺れる自分の気持ちにもう気付き始めてしまっている。
この少年の言うことは間が抜けていて、安易にいい加減なことを言っているように思えるが、彼の言ったことは的を得ていて実際にそれらは起こり少年が言ったようになった。
それらの経緯からこの少年の言うことは全てが真実でもあるかのようにも思え、それは確かな信用に値し頼もしく魅力のある男の子の姿だった。
風狼が現れた時はその身で自分を守ってくれたときは、……ちょっとかっこよかったぞっ。などと思っていると無意識の内に階段を並んで下りている少年の手を握っていたことに気付き顔を赤らめた。
程なくして地下に降りていた階段が視線の先で終わっている。
広いダンスホールの様にも見える床一面には、一つの魔法陣が薄ら積った埃の下に描かれ、一見しただけでその複雑な模様が見て取れた。
グランソルシエール自らが禁術書を残したと伝えられる噂はやっぱり伊達じゃない。
アウラの仕事はこれから始まる。
この魔法陣を解けばグリンベルの悪魔を討つ力が眠るかも知れないグランソルシエールの禁術書を手中に出来るのだ。
胸が鼓動で弾みだし弾めば弾むほど息苦しさと切ない痛みを胸の奥に感じた。
「あっ!」
少年が不意に声を上げた。
「どうしてんだね? 急に」
ランディーが少年に問い掛けた。
「言い忘れてたけど街の外に嫌な気配を感じたんだった。……ごめん言い忘れていた」
「それは先客のことかね? それとも魔物か?」
「そこまでは分からない。魔物だとしたら循鱗が疼き出すんだけど……いつもは」
「循鱗? なにんだね? それは」
「ドラゴンの循鱗だ。詳しく説明をする気もないし説明しなくてもその内に分かることになる。たぶん」
そう言って少年は壁に近付き耳を当てた。
「……やっぱり動きだした。恐らく軍隊だ金属が細かくぶつかり合う音がする。これは甲冑から出る音で間違いないがまだ遠い。奴らは援軍を待って禁術書の場所が分かるまで潜んでいたのかも知れないなぁ」
「戻った方がいいのかな? 我々は」
「その方がいいと思うけど? どう思う? アウラ」
「わ、私に聞かれても……」
アウラは突然の問い掛けに驚いたが、ここの魔法陣を解く事が出来る可能を持っているのは自分だけだと思い答えた。
「ランディー様と覗き魔さんは行ってください。グランソルシエールの禁術書は私が解読いたします」
「分かった。アウラそうしよう」
少年とランディーは元来た階段を上り始めた。
神殿の外に出ると神殿内の明かりとは違う眩い陽の光に眼が眩む。
先に戻っていたランディーの側近たちの指示を受けた騎士たちが戦拵えをしていた。
しかし敵の姿はまだ見えては居らず、こちらの動きに気付いた敵の斥候が状況を本陣に伝えたのだろう一筋の煙が天に延びた。
敵側もまだ戦拵えを整え始めたばかりなのか今すぐ攻められるといった気配は感じられない。
地下室の入る前に感じ取った気配は敵の援軍が先遣部隊に合流しようと近付く気配だったのか進軍を始めた動きなのかまでは分からない。
「こちらの援軍が神殿に到着出来るのは、早くて二日後それまで我々だっけで持ち堪えなかればならない。……さてどうするか」
ランディーが少年に金色の視線を向けた。
「俺に聞かれてもなぁ」
「我々は神殿に到るまでの道中に予備の装備を捨てて来ている。祭壇裏の扉を発見して直ぐ正確な神殿までの道順を記した伝文を持たせ早馬を出したが、あの泥濘では早い段階での援軍到着を期待し過ぎるのは愚かなことだ」
「敵の条件も似たようなもんだと思うけどなぁ? 既に敵の先遣隊が援軍と合流していかは分からない。けど向こうの先遣隊も援軍を待っていることをランディーたちに気取られたくなかっただろうし、監視の兵を残して相当な距離を取らなければならないはずだ。……それに悪路の条件も同じだと思うけど」
「それはそうなんだがね」
「天運に任せるさ俺は……。後はアウラがどれだけ早く魔法陣を解いてくれるかだ。敵が攻めてくる前に逃げられる」
「私は騎士なんでね。天運などに任せる訳にはいかないんだがね」
「いざと言う時はなんとかするさ。ランディーが……」
ランディーがやれやれと言った様に手の平を開いて肩を竦めた。
夜が明け幾時か経った頃、一人の見張りが人影に気付いて上げた声で目が覚める。
「何者か」
一人の騎士が声を張り上げた声が聞こえ、視線を向けた先に桜色の髪の毛を、そよ吹く風に遊んばせた人物が立っていた。
騎士たちは素早く武器を構え、その人物を囲んでいる。
その人物は無人の野を歩くかのように歩みを進め、騎士たちの間を割って神殿に向かって行く。
ランディーが剣の柄に手を掛けたが、少年は何時ものようにぽかんとした顔でその人物を見たいた。
「やれやれ……。旦那は留守だと言うのに昨日といい今日といい大勢で人の住み家に土足で入ってくれる」
「……何者かな?」
「随分な事を聞いてくれるねぇー? 無粋なことを聞くもんじゃない。ここの住民だよ。私は」
「神殿の住民?」
「そうだよ私の名はソルシエール・エクル。そうさね? あんた達が云うとことのソルシエール、偉大な魔女さ」
ランディーが険しい表情を浮かべ眉間を寄せた。
To Be Continued
ご拝読アリガタウ。
次回もお楽しみにっ!




