閑話 ドラゴンの苦悩。最初で最後の笑顔
陽の光を浴びて虹色に輝く巨大な翼を広げ、巨大な体躯を宙に浮かべ人々がドラゴンと呼び、恐れる魔獣が飛んでいる。
何時しか人々が死の世界と呼び、決して近寄る事のない大地の果ての更に大海の果ての空を飛ぶドラゴンの眼下に人々に忘れ去られた水面に浮かぶ孤島が見えた。
見たこともない金属が獣の屍が肋骨を剥き出しに、あるものは天に向かって立ち、あるものは傾き、あるものは地面に横たわりって骸を晒している滅びた大地がある。
そこには生命の欠片も感じられない荒れ果てた地が広がっていた。
山肌の切り立った場所に四角い巨大な口を開いた洞窟を見付け、そこを今日の塒にと巨体を大地に降ろした。
「おや? 珍しい卵が落ちとるのぉ」
久しぶりに深き森から出て、ほんの気まぐれで長い距離を飛んで来て見れば、面白いものを見付けることが出来た。
洞窟内は見たこともない金属の壁と石膏の様な壁で囲まれ、かなりの広がりと奥行があった。
その洞窟内の奥に壁が抜けている場所を見つけ近付いてみる。
巨大な体躯でも通れそうな程の壁に作られた吹き抜けの向こう側で、青、赤、黄、緑、白の小さな光が淡い光を放っている部屋には山仕事をする人間の偉丈夫ほどもある卵を見付けた。
卵の周りにはチカチカ点滅を繰り返している光が点滅を繰り返している。
ドラゴンが吹き抜けの向こう側に入ろうと、巨大な翼を煽って動きに勢いを付けて吹き抜けに向かって飛び込んだ。
ゴツンと見えない壁に衝突し動きを止める。
「どうなっておるのじゃ? この吹き抜けめっ。魔術の結界でも張ってあるのかのぉ? じゃが……魔術如きに怯む儂じゃないのぉ」
ドラゴンが体当たりを繰り返すが、一向に吹き抜けを通り抜ける事が出来ない。
岩をも切り裂く鋭い爪でガリガリ引っ掻いても、キィーキィーと嫌な音が出るだけでビクともしない。
「ええぃ。面倒でじゃのぉ」
ドラゴンの大きな口が開いた。
鋭い歯がずらりと並んでいる咽喉元に青い光が収束し一閃を放っと、閃光を浴びた吹き抜けは飴細工の様にドロリと溶け落ちていく。
ドラゴンは自分が通れる程の穴を穿つと卵に近付いた。
「おや? これは人間の子じゃな」
卵の一部が吹き抜けの見えない壁の様な物で覆われ、中身を窺うことが出来る。
その物体から幾つもの丸い管が、壁に光を点滅させている壁に繋がれていた。
ドラゴンは暫く卵を鋭い爪で突いたり、引っ掻いたりしていると、熟成したワインのコルクを開けた時の様な“シュパッ”と空気が一気に抜ける様な音を立て、卵の中程から綺麗に割れ液体が溢れ出した。
その中の人間の赤ん坊が産声を上げ出した。
「たまげた生きておる……」
赤ん坊の泣き声を聞いてドラゴンは驚いた。
その声に反応してか、赤ん坊が更に大きな泣き声を上げた。
「まったく世も移り変わって行くというのに人間という奴は、まだ生贄を捧げたりしてるのか? こんな赤ん坊を水の中に閉じ込めよって、やれやれじゃ」
ドラゴンは厳つい大きな顔を赤ん坊に近付け眼を細めた。
赤ん坊の小さく握られたやわらかい拳がドラゴンの厳つい鼻先に触れた。
ドラゴンは泣き声を張り上げる赤ん坊をじっと観察した。
「男の子じゃのぉ。良い子だから泣くのを止めるのじゃ。うるさくてかなわん」
赤ん坊は泣き止まない。
「……はて? 腹を空かしているのかのぉ? 生憎じゃが儂は乳が出ないんじゃ。すまんのぉ人間の子よ」
そう言い残しドラゴンは眠りに就こうと巨体を横たえ厳つい瞼を閉じた。
赤ん坊の泣き声が四角い洞窟の中に響き渡っている。
ドラゴンは暫し考えた。人間は生まれたばかりの子供に自分の乳を与え栄養を与えると聞いている。その後、乳を与えながらやわらかい粥も与え、やがて固形物を食べさせ育てる。
母親の腹の中で胎児はへそから母親の栄養を分けて貰い十月十日の歳月を腹の中で過ごし、生まれ落ちると聞いたことがある。
ドラゴンはのっそり巨体を起こし、鋭い爪で自分の胸の辺りに突き出した。
突き刺した腕を引き抜くと鋭い爪の先に、麦粒ほどの虹色に輝く宝石の様な物が光を放っていた。
ドラゴンは器用に赤ん坊へそに、光を放つ物を埋め込み周りに自分の血が、べっとりと血の付いた爪を引き抜き魔法の言霊を呟いた。
魔法が発動すると光は赤ん坊のへその中へと溶け込んで体内へと消えて行った。
「腹は満たさんが、きる為の力はそれで賄える。すまんぬのぉ――それで我慢してくれのぉ坊や」
赤ん坊は泣き止み「きゃっきゃっ」と笑った。
赤ん坊の笑顔を見たドラゴンは大きな赤い眼を細め、壊れ物を扱う様に大きな口に銜え、四角い洞窟を出て切り立つ断崖から滑空し巨体を宙へと舞い上がらせ月夜へと飛び立った。
深き森の中、巨大なドラゴンは溜息を吐くと、その息で木々をざわめかせた。
「ふむ……。儂の循鱗の欠片を埋め込んだといってものぉー。やはり腹が減るか……」
赤ん坊が泣くことを止めない。
ここのところ、起きている間は泣き止むことがない。
「坊や、お主のぉー。いくら泣く事が坊やの仕事でも、儂は坊やの笑う顔がみたいのじゃが……」
ドラゴンは、はて? と考える。
「儂は坊やの様に笑えん。ほれ、この通り頬の肉が無いからのぉ」
そう言って大きな口を開いて見せた。
「そうじゃ決めた。儂は人間の姿に化けて人里に下りる。そこで人に坊やの食い物を分けて貰えば良いのぉ。そうじゃその手があったわ」
ドラゴンは眼を細め言霊を呟き人の形へと姿を変えた。
時は過ぎ鋼鉄の屍の街でドラゴンが拾って育てた赤ん坊はスクスク育っていた。
固形物が食べられる様になるまで、ドラゴンはたびたび人の姿に化けて人里を訪れていた。
ある日、街の中を荷車に載せた木製の黒い棺桶の後に黒い服を纏った人が続々と涙ながらに続いて歩く光景と出会った。
「母さん。あれなに?」
幼い少年が尋ねた。
「あれはのぉ。葬儀と言っでしまった愛する者や死んだ心安かった者を惜しみ偲んで、あの世に送り出す人間の儀式じゃ……。儂は坊やを看取るのは嫌じゃのぉ……」
ドラゴンの寿命は人間よりなるかに長い。
「僕は何時までも母さんといるよ」
幼い少年が屈託のない笑みを浮かべた。
人間の寿命は短い。何時か必ずこの子を看取る時が来てしまう。
気の遠くなる時間を生きるドラゴンにしてみれば、人間の寿命など一呼吸するに等しい時間の観念だ。
「坊や儂は決めた循鱗を抜き取り坊やに与えるとしよう。坊やと同じ時間の中で坊やと同じ時の移ろいを見て過ごそうと思う」
「やったぁー! 僕はドラゴンになれるんだね? 母さんみたいに」
喜ぶ少年に向い頬の肉を引き攣らせ、ドラゴンは慣れない笑顔を作りだした。
「儂が坊やに循鱗を与え、儂と同じ力を得ても坊やは人間として生き、人の寿命を全うするのじゃ。坊やは人間じゃドラゴンに成らずとも、この母が人間として人里で坊やと共に同じ時間を過ごすのじゃぞ。坊やを立派な人間に育てるのじゃ儂はのぉ」
幼い少年は、きょとんと首を傾げて母を見上げた。
大地が魔物に埋め尽くされていく。
「母さん……。魔物の群れが隣の街を飲み込んで行くよ」
小さく見える街が魔物群れに易々と飲み込まれ見えなくなった。
避難して来た隣街の人々が一息つく間もなく慌ただしく動き出した。
ドラゴンは魔物の群れを見つめ、やがて頷くと大地を埋め尽くす魔物の群れに向かい歩き出し、幼い少年に背を向けたまま言った。
「坊や逃げるのじゃ。さあ早く」
「か、母さんは? 一緒に逃げないの?」
「……儂は、ここに残って奴らの足止めをする。逃げても直ぐに追い付かれるからのぉ」
ドラゴンは何度も何度も練習した、まだ引き攣ってしまう笑顔を幼い少年に向けた。
「しかしのぉ。――なんじゃあの魔物たちの姿は……異形じゃな。儂とソルシエールが極北に閉じ込めた凶悪な魔物や今も野にいる魔物が可愛く見えるわ」
ドラゴンは逃げる人を捕まえ、幼い少年を連れて逃げる様にと頼み、魔物の群れの方へ身を翻した。
「さあ……。坊や行くのじゃ」
「母さん?」
「坊や。生きるのじゃぞ。良いの」
「母ぁぁぁさーんっっっ」
頼みを引き受けてもらった人物に引きずられる様に、幼い少年は逃げ惑う人の波へと消えて行った。
「達者でのぉ。坊や……」
一度振り返り追って来ない我が子の姿を確認し、人の姿からドラゴンの姿へと戻ると巨大な翼を広げ飛び立った。
物が焼け焦げた臭いと無数の魔物が焼かれた肉の嫌な臭いが鼻の奥をツンと刺激する。煤に燻され黒くなった街の壁と崩れた家の残骸。幼い少年が戻った街は姿を変えていた。
「母さーん。母さん何処にいるの?」
「坊や、よく無事、で……」
少年が声のした方に視線を向けると瓦礫の中に母の姿を見つけ出した。
「母さん!? 今助けるからっ。死なないでよね? 死なないよね? だって母さんは気高き至高のドラゴンなんだから」
「……坊、や傍に、来ておくれ、儂の可愛い、坊や……、愛し、い息子……」
「か、あさ……ん」
「儂は幸、せじゃた、よ……。坊、やと一緒、に森を出て……人、里を旅をして、――同じ、時を過ご、せて、嬉し、かったわ」
「そん、な……こと言うなよっ母さん。これからも、ずっと一緒だろ?」
「可愛い儂、の坊や。そん、な顔をしな、いでおくれ……、儂に坊、やの笑、顔を見せて、くれん、かのぉ?」
「うん。見せるからっ。これからも一杯見せてあげるからっ!」
「嬉、しい、いのぉ……。坊や? 坊やはお腹が弱いから、へんな魔、物は食べ、ちゃ駄目。生肉ば、かり食、べちゃ駄目。肉は、火を熾して……、焼くな、り煮るなり、する、のじゃぞ。眠、る時は、沢山干し草を、敷い、て眠るのじゃ……よ。ぼ、坊や……は体が、やわ、らかいのじゃか、ら……」
「分かった魔物は食べない。母さんの言う事も良く聞くから、だから死なないで……、僕を一人にしないでよ。母さん」
「儂の、坊や……生きるの、じゃぞ。強く強く生きるのじゃぞ。儂は循鱗の力と共に……坊やと一緒じゃ。これ泣くで、ない。坊……や笑、顔を、見せておくれ」
幼い少年は涙を拭い精一杯無理をして微笑んで見せた。
「……うれしい、のぉ。お主の母は上手に笑え、ておるかのぉ?」
ドラゴンは眼を細め、頬をやわらかく動かし唇の両端を上げた。
「うん。やさしい笑顔だよ」
「そうか……、ありが、と……う。坊や、愛して……おっ、た……ぞ――――――――……」
「母さん? ……母、さん母さん、かあ……さ――んっっっ」
焦げた臭いがした。
煤に燻された黒色に変わり果てた街と、最後にやわらかく微笑んだ母の笑顔を幼い少年が決して忘れる事はない。
ご拝読アリガタウ。
次回、本編に戻ります。
お楽しみに、ねっ!




