山羊飼いの名
静かだった草原は朝食の準備に取り掛かった騎士たちが忙しく動き出し、俄かに騒がしくなり始めた。
朝食の準備をする騎士たちの傍らでは夜通し見張りをしていた騎士が大欠伸をし眠そうに眼を擦っている。
「あれ? 解けない……」
「んん? なにが?」
「縄……」
「アウラ? 君って才能ないなぁ。今度、俺が――痛ぇ、まだなにも言ってないのに酷いじゃないか」
草原の朝に乾いた鐘の音が、からん♪ と響いた。
「プラムを呼びますよっ! プラ――」
アウラは薄桃色の口を尖らせた。
「ま、待って、あいつが来ると俺の尻に尻尾が生えるから勘弁して欲しいかな」
「大丈夫です。今の覗き魔さんの状態では喉しか噛めませんから」
「それはもっと困る」
「いいじゃないですか? 討たれてくれるのでしょ? 私に」
「君ってば、人の話全然聞いてないよね?」
「聞いてましたっ。それにちゃんと覚えてますよ? 確か私に討てれてくれるのですよね?」
アウラはやわらかくな微笑みを浮かべ、口調は何処か冗談と確認の意を含めて言った。
「うーん。今直ぐは困るって言わなかったけ?」
「そうでしたね、覗き魔さんが夢を叶えたいからですか? もしかしたら私たちは敵に、仇同士になるかもしれないのですよ?」
「そうかも知れないし、そうでないかも知れない。それに……」
「それに?」
「俺は、まだ約束を守ってない。もう忘れたのか? 馬鹿だなぁアウラは」
少年が満面の笑みを浮かべた。
「……ということは循鱗の封印を解かなければならない時があるかも知れませんね? 無闇に封印解いたりしちゃ風狼さんに叱られますよ?」
アウラも紫水晶の瞳を瞼で覆うと弓のように反らせた。
「そうだなぁ……。まぁそれはそれでいいことがある」
アウラは顔を赤らめながら苦笑した後、くすくす笑い出した。
「覗き魔さんてなにを考えているのかさっぱり分からないし、エッチで覗き魔だしほんと可笑しな人です」
「……その言い様じゃ、まるで俺が危ない人みたいじゃないかっ? それに最後のは助け船になってない。せめて風変わりと言ってくれ」
二人はくすくす笑い合った。
今は、この少年の言葉を信じよう。雲のようにふわふわ笑う少年の笑顔を信じていよう。とアウラはそう思い、アウラは紫水晶の瞳はやわらかな輝きを浮かべた。
手の平に握ったコインを振った時のような金属のぶつかり合う音が近付いて来ている。近付いてくる音の正体は鎧が出す金属音だった。
「おはようアウラ」
長めの金髪を先程から強まった風に泳がせ金眼の騎士がアウラに声を掛けた。
「ランディー様。……お、おはようございます」
アウラはローブを摘まみ恭しくお辞儀をした。
ランディーの後ろには二人の騎士が控え、朝食のライ麦パンと日持ちのする野菜と塩漬けされた豚の肉を水で煮込んだスープが入った皿、葡萄酒を水で薄め蜂蜜を入れた飲み物が入った木の器を持っている。
「うーん。俺は乳の方が良いんだけど……」
少年が騎士に微笑み掛けた。
少年の言葉に後ろの騎士が肩を揺らしながら笑いを堪えている。
ランディーは、にこりと微笑を見せ少年に言った。
後ろに控えた騎士は我慢出来なくなったのか、引き締めていた唇を割って出る息の洩れる音が聞こえる。
「すまないな生憎王都からの遠征でね。保存が利く酒は大量に持って来ているが傷みやすい乳は持ち合わせていないんだ」
「それなら俺が連れている山羊の乳を絞って来よう。アウラもその方がいいろ? 子供なんだから」
少年の碧眼がアウラの顔を見たあと胸元に移った。
「なっ! ど、何処見て言っているのですかっ」
アウラは碧眼の矢を受けている胸元を両手で隠し頬を膨らませた。
「さあ内緒だ」
アウラはわなわな身体を小刻みに揺らした。
「馬鹿にしないでくださいっ。これから成長するんだもん! こ、これでも今年で十六になるんだからっ! まだ十五になったばかりだけど……」
「なんだ俺と同じ年じゃないか。それにしては小さいなアウラは。そうだ山羊の乳は栄養価が高いからアウラも、もっと大きくなるかもしれないぞ?」
「だから何処見て……。はっ!? もしや昨日のことを思い出して言ってるんじゃないですよねっ」
「言ってもいいのか?」
「言っちゃ駄目ですっ」
「えっと――」
「わぁわぁわぁわぁ。言っちゃ駄目ですってばぁ」
アウラは大声で少年の声を掻き消そうとした。しかし途中で息が途切れた瞬間……。
「――と胸」
少年の言葉尻が聞こえた、聞こえてしまった。
「あっ……ば、ばかっっ! ランディー様の前でっ、もう、ほんとばかっ」
アウラは顔から火が出るほど赤らめる。
「大きな声を出すから肝心なところが聞こえなかっただろ?」
「いや、むしろ肝心なところしか聞こえなかったです……」
アウラは肩を落とし「はぁー」と可愛らしい溜息を吐いた。
後ろに控えていた騎士たちが遂に堪え切れなくなって笑い出した。
「僕は気にしないよ」
ランディーが苦笑いを向けていた。
「ラ、ランディー様まで……。殿方は皆大きな胸に惹かれるのですね」
アウラは細い肩を大きく落とした。
「いや皆がそうとは限らない。それにアウラは今のままでも十分魅力的だ」
「そうだ断じてそんなことは無いぞアウラ。俺も気にしない。むしろ俺は控え目な――」
「プラムぅぅぅ」
からん♪ と鐘の音が響きアウラが口にした名前が荒々しい息を吐ながら疾駆し少年との距離を急激に縮めてきている。
そして少年の知りに食らい付き尻尾と化した。
野営の後を始末し終えた騎士団が馬を引き出した。
「アウラ。この先どうするんだね? 急ぎの用でもなければ北の神殿がある放棄された街まで一緒に来て貰えないだろうか? 君には禁術書を見つけ出した際、解読を手伝って欲しいのだがね」
ランディーが部下が引いてきた馬の手綱を握て尋ねた。
「は、はい。しかしこれから降り出す大雨で氾濫するかも知れない川のことを伝えに、私はシュベルクの街に急ぎ戻らねばなりません」
「羊飼いの天候を読む力は侮れん。確かに山の雲行きが怪しくなっているな」
「いえ今日まで私にも分りませんでした。私も読み違えていました」
「そうか優秀な羊飼いのアウラでも読み間違えることがあるのかね? しかしアウラも人間だ間違うことはあるだろう。しかし本当に災害になるほど降るのかね? 雲は厚いが街までは届いていないようだが?」
「……ですが彼がそうだと言っているのです」
「山羊飼いの少年が?」
「はい」
ランディーが考え込む様に腕を組み少し間を置き少年に向かって言った。
「少年。頼みたいことがあるのだが良いかね?」
「出来ることと出来ないことがある」
少年がすっかり馴染んだ微笑みをランディーに向けた。
「アウラが連れて来ている羊を連れシュベルクの街に行って、そのことを伝えてくれないか」
「それは出来ない」
少年の顔から笑顔が消し困った顔をした。
「何故かね? 君は山羊飼いだ。群れを扱うことには長けているはずだが? 君の連れている山羊とアウラの羊を合わせても三十頭程度だ。なんということはあるまい?」
「うーん……。数の問題じゃないかなぁ?」
ランディーが隣に控えた副官らしき人物に目配せすると、その男が腰に下げていた革の袋を差しだした。
革の袋はごつごつと歪な形になっている。
「これは豪気だ」
おそらく金貨がぎっしり詰まった革袋だろう。
「足りないかな?」
嫌な眼を少年に下してい副官らしき男が言った。
「困ったなぁ……。金は欲しいがそういう問題でもない」
「小僧。ではなんだと言うんだ?」
「俺は山羊飼いだ」
傍で話を聞いていたアウラは、はっと顔を上げた。アウラの細い桃色の髪がふんわり宙を踊る。
「俺は山羊飼いだ。羊たちを連れて行くのはなんて造作もない。でも俺がシュベルクだっけ? に行って話をしても誰も俺の話なんて誰も信じない」
「見た目で羊飼いと山羊飼いの区別などつかないだろう? それに山羊は街にもいるではないか」
「確かに羊飼いは少数の山羊も飼っているからな。それは大きな羊の群れには好奇心の強い山羊を何割か山羊を交ぜるからだ。三分の一も山羊が交じるアウラの羊たちを街に連れて行っても誤魔化せない。それに羊飼いは自分の羊を見分ける眼を持っている」
副官は黙ってしまった。
「本当かね? アウラ」
「はい。ランディー様。私が追う羊は少ないですから混ぜません。しかし多くな群れを追う羊飼いは山羊を群れに混ぜて放牧にでます。これは好奇心の強い山羊を混ぜることで羊たちに刺激を与えて食事や運動を促す役割もあるのです」
「それに俺にはアウラと交わした約束がある。何処にも逃ないと」
少年と副官の様子を見ていたランディーが、長めの金髪を揺らし高らかなに笑た。
「ははは。副官、貴様の負けだ。少年、名を聞いておこう」
少年は微笑んで答えた。
「俺の名は――」
その時、草原に大きな銅鑼の音が鳴り響いた。
To Be Continued
ご拝読アリガタウ。
次回もおたのしみにっ!><




