鉄の鳥篭
遠い過去。
羊飼いは夕陽を見て天候を知り風と共に放牧の旅を続けていた。
山羊飼いは空を見て天候を知り風を読み放牧の旅を続ける。
――今も尚。
むかしむかし、広大な宇宙に蒼き星が生まれ生命が誕生し人類が生まれた。
人は大河の辺に寄り添い文明を開き文化を作り上げていく。
闇の世界で火を熾し明かりを灯し、森を焼き大地を耕し開墾し植物を育てる知恵を身につけた。
そして家畜を飼い放牧し、乳を搾り肉を食し、皮を剥ぎ毛皮を売って生計を立てた。
羊飼いや山羊飼いなどの放牧者たちだ。
しかし両者が辿る道は大きく分かれる。
“神”
唯一無二の存在にして全ての創造者“神”と、その使者たちの信仰。
神ノ書二各アリ。
「私は善き羊飼いであり、また世の罪を切り取り除く神の子羊である」
神の書曰く、羊は羊飼いに導かれ広野を歩き、羊飼いは神に導かれ楽園を豊穣させるのだ、と。
「彼ら山羊飼いは邪神たちが使わした魔物使いであり、山羊は豊穣を喰らう魔物である」
神の書曰く、山羊は山羊飼いに導かれ荒野を歩き、山羊飼いは魔物を操り楽園を枯れさせるのだ、と……。
――とある場所。
「覗き魔さん? 良かった、い、生きていてくれて……」
潤んだ瞳が白銀にブルーマールの映える髪の少年を映し出した。
「どうやって……ここに?」
「ひっそり、こっそり潜り込んだ。俺はどんな場所でも一人なら何とか行けるからな」
「なぜ……、あの時、私は覗き魔さんを助けられ――」
「待たせたな? アウラ。助けに来た」
言葉を少年に遮られ屈託のない微笑みを向けられる。
「ど、どうして……? 私なんかを危険を冒してまで助けに来るなんて、バカ……」
今にも零れ落ちそうな涙に気付かれまいと、少年の胸に飛び込んだ。
「そんな顔をするなアウラ。約束しただろ? アウラに何かあったら力を貸すって。さあ封印を解いてくれ」
「でもっ……封印を解いたら覗き魔さんが……」
「心配する事はない」
「でもっ! でもでもっ……。一度封印を解いた時から覗き魔さんの右眼が――」
「うん、そうだけど循鱗の力を使わずにアウラを連れてここを出るのは、ちょっと骨が折れる。アウラに傷を負わせない自信がない」
「でも……」
「大丈夫、以前より循鱗は馴染んでいる、だから早く封印を解いてくれるか? アウラ」
慈愛顔には程遠い、少年の笑みに頬が染まっていく事に気付く。
「……は、はい」
小さく頷き震える腕を少年の背中に回し、小さな手に持っている節くれた杖に括られた鐘を、からん♪ と小気味良く音を奏で古の言葉を紡いだ。
「ansuz・perth・nauthiz・othila・fehu・teiwaz・sowelu・uruz」
(秘め事を受け取りなさい。戒めを放ち所有者の下に導き完全なる力を)
少年の左首筋に浮かび上がっている、六芒陣とドラゴンを模した紋章の描かれている部分に口づけを与えた。
封印は眩い七色の光を放ち解き放たれ少年が包まれて行く。
少年の姿は以前と違いなく、見た目に大きな変化は見られないのだが、強いて言えば既に変ってしまっている鋭い魔獣の右眼が一層、眼光炯炯を放っていた。
しかし左眼はやさしい少年の碧眼のまま、やわらかい輝きを放っている。
「さあアウラ――」
潤んで視界がぼやけた先に、少年がやわらかく微笑んでいた。
少年の言葉通りで安心した事と、危険を犯してまで助けに来てくれた少年が頼もしく心強く感じたと同時に、幼い頃に読んだ絵本に登場する王子様を思い出して、まるで自分が囚われのお姫様にでもなったのか? と、状況を忘れ暫し呆けてしまっていたが、少年の言葉が胸に響いた。
「――帰ろう。皆が待っている」
――帰れるんだ。こんなに嬉しい事はない。
悲しい時の涙でも寂しい時の涙でも嬉しい時に流す涙とも違った涙が溢れ出し紫水晶の瞳から頬を伝って零れ落ち出した。
――安堵の涙。
「う、うん……」
ほんとに、ほんとに、この少年は無茶ばかりして、危険を顧みず私なんかを助けに来ちゃって、ほんとに、ほんと、もうっ……、バカなんだからっ。
でも、やっぱり嬉しい。
「……なにか、下の方が騒がしくなってきてるね」
「ああ始まったみたいだ。俺たちも始めるとするか。このアウラを閉じ込めている鉄に鳥篭を壊して、俺たちの今居るべき場所に帰ろう、アウラ」
アウラは「はい」と小さく頷いた。
少年はそう言い残し七色に輝く紋章の光に包まれ、その姿を変えて行った。
To Be Continued
冷遇されてきた山羊飼いの少年と優遇されれきた羊飼いの少女の物語。
グリンベルという放牧が盛んな街に生まれた少女は幼い頃、納屋で見つけた魔術書に興味を持った。
魔術書に残されていたメモ書きを解き明かした少女は、知らずに“魔物”を生み出す魔術を完成させてしまう。
放牧先で落書きした術式(魔法陣)は、少女の預かり知らぬところで発動し、少年の母と安住の地を滅ぼした。
メモ書きを残した人物こそ、名高き古の魔術師グランソルシエールだった。
とある荒れ果てた地でドラゴンに拾われ育てられた少年は、その小さな身体にドラゴンのコア“循鱗”を宿した。
少年は母との長い旅路の末、南の偏狭の街ハングラードに安住の地を見出すが、
“魔物”の群れに襲われ(後にハングラードの神罰と呼ばれる)安住の地と母を失った。
その少年もまたハングラードに至るまでの旅路の途中、成長と共に本来の力に目覚め始めた“循鱗”の暴走を起こす事になる。
それと同じくした時期に、少女の故郷グリンベルを後に“グリンベルの悪魔”と呼ばれる強力な魔獣に襲われ、少女もまた家族と故郷を失う。
そして……時を経て二人は出会った。