穏やかな黄色
遅くなった帰り道――。
【私、ちょっと驚きました】
「何が?」
【いえね、あなたがあの子たちに無理やり成仏しろと言わなかったことに】
言えない。死んでしまっても、他人のために何かをする人に言えるわけがない。
【それで私、あなたのことすっごく見直しちゃいました。強いし、優しいし、良いこと言うですし。あの子たちに約束している姿は、とても感動的でした】
「そうかい」
【あなたは聖人君子というやつですね? 立派です】
それはない。間違っている。お前の目は眼球が無いのか。
【あの子たちもとても良い子たちですし。あ、でも、一つだけちょっと気になるんですけど、本当に良かったんですか? あの人のことは?】
「誰? どちらさん?」
【ひき逃げ犯の人ですよ。あのまま放っておいて良かったんでしょうか?】
「大丈夫。ケンシンくんも言っていた。『悩んで苦しんでいた』ってな。もし、それでもまだのほほんとそこら辺にいるなら、今度は喉に突きをくらわせてやる」
【喉って……。すごく痛そうです。あなたが繰り出した突きの一撃も痛そうでしたけど】
「当たり前だ。一応、反則技だからな」
【え? 反則技ですか?】
「そう。昔は良かったんだけど、今では剣道の試合において胸当ては反則技。しかも防具なしの急所に当たったから、あの人、相当痛かっただろうさ」
【反則技をさも平然と……。あなた、やっぱり酷い人ですか?】
「あれは正当防衛。夜道だから護身用として持って来ていたのが役に立ったのさ」
実際は、もしあの男を見つけでもしたら叩きのめすため用に持ち歩いていたんだけどな。
【ああ、そういう理由で。正義の闇討ちさんではなかったんですね?】
「ない。急所を狙ってやったのは確かだけど」
【狙たですって?】
「当たり前だろ? 黙らせてやるには一番簡単な方法だ」
【そうですけど……。何か淡々と言うあたり冷徹すぎて怖いです。聖人君子と思った私の目は節穴ですかねぇ?】
「節穴が開いているというより、眼球自体がないんじゃないかと思った」
それに聖人君子って言うのは、あの子たちのようなことを言う。
【あ、酷いです! 眼球が無いなんて、化け物じゃないですか!】
「幽霊は化け物に分類されるよ」
【それを言ったら、あの子たちのことも言っていることになりますよ。一緒にしないでください! しないであげてください! 理不尽です!】
「いや、あの子たちは絶対に違う。お前一人だけが化け物だから」
アホだから色々と俺に迷惑かけやがったもんなぁ……あ、思い出した。
【なっ……わ、私だけ! もう怒りました! あなたにはたくさん言いたいことがあります!】
「奇遇だな。思い出したけど、俺もお前に言いたいことがたくさんあるわ」
【え?】
「わけがわからない話で俺の怒りを何度も挫くし、犯人の男と話している最中は邪魔するし、前々から、まあ色々とあるなぁ。とりあえず、集合」
【しゅ、集合? 近くにいますけど、私?】
「アホか、お前? 俺が集合って言ったら、俺の前で正座だろうが」
【えぇぇぇっ!】
「集合」
帰るのは遅くなるけど、とりあえずこいつに対して溜まりに溜まった怒りを発散させてからだ。
ひき逃げを起こした男は、あの日の内に自首しており、翌日のニュースで少し取り上げられていた。
ご近所の噂になるのもそう早くはなく、けど、あくまでご近所での出来事に、子供を、家族を失った人が近くにいるという事情から、裏ではいても表立って口にする者はいなかった。
ただ注意していれば、気をつけていれば起こることもなかった事故だっただけに、周りは悔やむ気持ちの差が大小あるというだけ。
――部活帰りの下校途中。
夕闇の山吹色が残る見通し悪い十字路に差し掛かった俺は、花束やお線香が添えられた角に向かって小さく手を振る。
角では、同じように手を振り返してくれる二人。
「レンくん?」
「どうした、レンヤ?」
一緒に帰っているモモカとフェルが怪訝な顔だったけど、モモカは早く気付いた。
「あ……あそこは……」
「ああ……。やりきれない事故だ。犯人が近所の見知った人だったからな」
「う、うん……。とても、悲しい……」
モモカもフェルも悲痛な思いを抱いているようで面持ちに影が差している。
【後ろから来るよ!】
【おにいさん、うしろにきをつけて!】
ケンシンくんとマリナちゃんから突然声を掛けられ、言っていることを理解した俺は、後ろを振り返って確認する必要がなかった。
「ん? 車が来たよ、二人とも」
気付いたフェルが言ってくる。
道脇に寄ると、ほどなくして初老の男性が乗った車が一台、徐行スピードで俺たちの横を通り過ぎて行く。
「ありがとう、フェル」
「うん、ありがとうね」
「いや……。うん。何だか後ろから車が来るような気がしたからな」
ケンシンくんとマリナちゃんがこちらに向かって右手を振っていた。
本当のお礼は、あの二人に言ってあげないといけないな。教えてくれたのは、あの子たちだから。
ふと、あの二人の振っている右手に何か気付く。
小指――黄色い糸。新たに結ばれているその黄色い糸の先は、
「あ……」
零れるように漏らすと、俺の右手小指に結ばれていた。
山吹の花の色のような鮮やかな黄色――ほんのりと穏やかな感触が胸の中に広がり、優しいあの子たちと繋がっていると感じる。
「事故が遭ったばかりだから俺たちも気をつけないと。どうしたんだ、レンヤ?」
「ううん」
と僅かに笑みが浮かぶ俺。フェルが、
「レンヤ?」
「何でもないよ、フェル」
「そうなのか?」
「そうだよ。さ、帰ろう?」
「うん、帰りましょう、帰りましょう」
モモカに、そうだね、というように小さく頷き、二人と歩幅を合わせて歩き出す。
あとであの子たちには伝えよう。
〝ありがとう〟、と。