幽霊からの依頼
その後――。
【あの? ちょっといいですか?】
事故現場から家に帰り、落ち込んだ姉貴が夕食を要らないと断って自室に閉じ篭ったあと、母さんと二人で無言の夕飯を取って自室に戻った俺は、いつの間にか戻って来ていた女に開口一番訪ねられる。
【えっと、ですね。私では難しいことなので、ちょっと来てほしいんです、よ? ……いいですか?】
「警察はまだいたか?」
【え? いや、もういなくなりました】
「わかった。行こう」
【え? 本当ですか? じゃあ、すぐ行きましょう!】
あの女の子のことだろう。本音では関わりたくないけど、お前があの子と関わった時点で俺に何かしらくるだろうと予想はできている。
女と一緒に俺は、先ほどの事故現場に出向く。
夜であるということと、事故現場になった場所ということで人通りはまったくなくなった十字路。
やっぱり幽霊か、と当人を見た瞬間に思う。
あの時はちょっと遠かったこともあって雰囲気しかわからなかったが、十字路の角で一人佇んでいる女の子の歳は六つか七つぐらい。小学一、二年生ってところのどこかで見たことがある子。
で、先ほど見た気がした左手小指の黄色の糸もしっかり結ばれている。
何なんだ、この糸?
【おにいちゃんをさがしてほしいの】
女の子の開口一番は人探しの依頼だった。
「おい、赤髪の女?」
【ん……? あ、それって私のことですか?】
「目の前にいる小さな女の子が赤い髪をしているのか? 俺にはどう見ても黒い髪にしか見えない。お前もこの子も女だろ。区別するためにそう呼んでいるんだ」
【あ、じゃあ、私ですね。この子、山吹マリナちゃんっていうお名前ですし】
俺に無駄骨をさせるなよ、お前。しかも山吹って、ご近所さんだよ。
と溜め息をつき、
「そうかい。で、お前、姉貴やフェルたちの話しを聴いていなかったのか? 事故に遭った二人は病院に運ばれたって言っていただろが?」
【はい。それは聴いていました】
「だったら何で俺をここに連れて来た? この子が兄貴を探しているんだったら、その病院に連れて行ってこい。話が簡単だろ?」
こいつ、心底アホだ。と少し項垂れて思う。
【いや、それがですね、ちょっと違いますし、無理みたいなんですよ】
「何が違うの? 何が無理なの? 説明して? わからんわ、もう」
訪ねると、マリナちゃんが代わりに答える。
【えっとね、おにいちゃんね、〝びょういんにいったけど、びょういんにはいないの〟】
――……〝病院に行ったけど、病院にはいない〟? どういう意味?
【この子のお兄さんもですね、……〝亡くなっているらしいんですよ〟】
女が呟くように言った言葉にゾクッと背筋が伸び、目の前にいるマリナちゃんに、嘘だろ? というような目を向ける。
「本当……なの?」
【うん。どうしてかわからないけど、そうつたわってくるからまちがいないの】
伝わってくる?
ふと俺の目は、マリナちゃんの左手小指に結ばれている黄色の糸を捉えた。
もしかして、これ……か?
【この子、周りにいた人に言っても聴いてもらえなかったらしくて……】
当たり前だろうが、幽霊なんだから。
【あの、おねがいします】
女の子が俺にお願いをしてくる。
生きている人じゃなくて、亡くなった人――幽霊を探せ、か……。
【いま、たのめるひとはおにいさんとおねえさんしかいないの!】
女の子は涙を零しながら俺に訴えかける。
【ちょっとおそくなったおにいちゃんといっしょにかえるためにね、がっこうでまっていたの。それでかえったら、おうちでいっしょにあそぼうっておはなししながら……】
そんな話を聞かされてもなぁ、と困って頭を掻く。
【そしたらくるまがきて……。おにいちゃん、あのとき、あたしと〝よくみかけるしろいくるま〟のあいだにたってたすけてくれようとしたの。だいすきなおにいちゃんがいないと、あたし……あだじぃ……】
妹思いの兄と、兄が好きな妹か。兄と妹の間にはこういう時期もあるんだな。
尚更、誰だこの兄妹を車でひき逃げした奴は? と思う。
やたらと沸点が低くなっているのか、俺はひき逃げした奴に対してイライラと怒りが湧き上がってくる。と同時に、まだ冷静な部分に、ある単語が引っかかる。
「ねえ、マリナちゃん? さっき、〝よく見かける白い車〟って言ったよね?」
【うぅ? はい……】
「その〝よく見かける白い車〟、いつ見ているの?」
「おにいちゃんといっしょにかえっているときとか……あと、おうちのちかくで」
「そう。じゃあさ、その白い車に乗っていた人のこととかは覚えているかな?」
【うん。えっと、わかいおとこのひと。メガネをかけて、くろいろの……そう、おとうさんがしごとのときによくきているふくをきて……。あれ? あのひと、なんどもみたような……】
〝あいつ〟じゃないのか。と俺は真っ先に頭に浮かび、夜空を仰ぐ。
女が俺の様子に疑問に思ったようで、
【これで何かわかったんですか?】
人身事故と呼んでいいのかわからないけど、起こすのは幽霊であるこのアホ女だけにしとけよ。生きている人間をしたら弁護できない。
いやいや。弁護する、弁護しないとかの問題じゃないな。ハッキリ言って人として許せることじゃない。
この子が何度も見て知っているということは、あいつだってこの子のことを知っていてもおかしくない。近所に住んでいる子供を車で撥ねといて逃げるとか、頭がどうかしている。気が狂ってやがる。責任を持った大人とは思えない。
お湯が煮えたぎったヤカンの中身はこんな気分か? 今にも怒りの暴発で蓋が宇宙旅行しそうなほど飛び出しそうだ。
【あの? もしもーし? 聞いていますか?】
「ちょっと黙れ、てめぇ」
【――……はい】
女は蒼白のっぺりとした感情の読めない表情のまま固まる。
「マリナちゃん?」
俺は膝を折って、下からマリナちゃんの顔を覗き込むように見上げた。
【はい?】
「君のお兄ちゃんは必ず探してあげる。だから、ちょっと待っていてくれるかな?」
マリナちゃんの目が大きく見開き、希望を見つけたような満面の輝きで、
【はいっ! おねがいします、おにいさん!】
と俺からの提案を聞き入れてくれた。
「あと、最後に一つだけ訊いてもいい?」
【なあに、おにいさん?】
「マリナちゃんの左手の小指に結ばれている黄色い糸、何だかわかる?」
【ん? あたしのひだりてのこゆび? なんにも〝ない〟けど……】
左手をかざして眺めるマリナちゃんは不思議そうな表情。
「あ、ごめん。気にしないで。じゃあ、ちょっと待っていてね」
【うん。わかった】
――……視えていない……。
何なんだろう、この糸? と更に疑問が過ぎるけど、内々の抑え切れない小さな暴発によって、糸が意味する疑問はかき消された。