十字路にて
西に夕焼けが微かな光を残し、東から夜が覆いかぶさってくるような時間帯。
部活している生徒もほとんどが下校したあと、昼休みだけでなく放課後まで生徒会の作業に付き合った俺は、ようやく帰れるな、と思いながら下駄箱で靴を履き替えていた。
【あなた、すごい人なんですね?】
上履きを下駄箱にしまいながら、フワフワと俺の近くにいる女に、
「何が言いたいのかさっぱりわからん」
言って、帰ろうと歩き出す。
【いえね、今日、あなたを見学させてもらってですね……】
やっぱり俺限定で見学してやがったのか、お前。
【あんな難しい問題をスラスラと解いちゃうし、わからないところを聞きにきた女の子にも丁寧に教えていましたし、さらに生徒会の人にも頼りにされていたところを見て、すごいと思いました】
「普通のことを普通にしかしていない」
【いえいえ。普通だなんてとんでもない。私、ものすごくあなたのこと見直しましたもの】
俺はお前に対してのイラつき度を見直したわ。容量が増えて上書きが大変だぜ。
「あ、そう」
【そっけないですねー。私に対して冷たいです。もっとフレンドリーにいきましょうよ? 本当はあなた、すごく良い人でしょ? 学校にいるとき、すごく人に対して礼儀正しくて優しかったです。それを私にもしてください】
「え? イヤ」
【どうしてですか?】
「幽霊のお前にはする必要がないもの」
【なっ! それって幽霊差別です!】
「そんなもん、ないない」
【あなたはやっぱり酷い人です! 頭や人柄が良くて人から慕われているのはわかりましたが、私には対しては相当酷い人です! 鬼! 悪魔! 天敵! カエルに対する蛇です!】
幽霊という存在が嫌いだから、その幽霊であるお前にはその対応をしているだけなのになぁ。
女は少し息を荒げてジッと俺を目の敵のように凝視している。俺はここにきて、幽霊も呼吸するのか? という疑問を抱いた。
呼吸していたらちょっとやめて欲しい。ただでさえ地球温暖化が進んでいるのに、この世にいる幽霊によってこれ以上二酸化炭素が増えるのは、ちょっとなぁ……。
「それでいいよ、カエル」
【カエルですって? まあっ、バカにして!】
「お前が自分で言ったんじゃん?」
【まったくもって反省の色なしです! 何て捻くれた人なんでしょう! これは人として教育的な指導が必……】
「ん?」
俺と女は話が止まり、帰り道の先に目を向けて立ち止まった。
「……警察?」
【みたい、ですね……】
暗がりの周りに赤いランプが家々の建物に映っており、ご近所の住民が集まって人だかりを作っている隙間から警察官の服を着た人が数名確認することができた。
【あ、待ってください】という女の声を無視し、俺はこの場所がどういう場所なのかを考えながら人だからに近づいていく。
ここは毎日通る通学路であり、今朝も通った場所。女が車にすり抜けられた場所でもある見通しの悪い十字路。
――事故だな、と見当がついた。
「あ、レン」、「レンヤ」、「レンくん」
人だかりに近づくと姉貴、フェル、モモカがいたらしく、俺に気付いた声を上げる。
「みんな、何かあったの?」と一応、詳しく訪ねてみる。
「子供二人が事故に遭ったんだよ、レン」
「どうにもひき逃げらしい」
「男の子と女の子の兄妹なの」
姉貴とフェルは悲しみにやりきれない感じがし、モモカは泣いてしまったのか、涙のスジが頬に残っている状態で気持ちが沈んでいる。
【引き逃げなんて、酷すぎます……】
俺は姉貴やフェル寄りの気持ちで、隣で呟く女の言うことに内心同意していく。
「その二人、どうなったの?」
フェルに訪ねるけど、
「俺とモモカはさっき通りがかったばかり。ひき逃げのことはアカネさんから聞いたんだ」
「二人は救急車で運ばれていったらしいけど、安否は……。助かっているといいんだけど……」
「そうなんだ……」
フェルの後を引き継いだ姉貴の答えに、力なく俺はそれだけしか出てこなかった。
朝、女から話の当て逃げを食らっていた場所で、現実的にもっと酷いひき逃げという事故に遭う場所になっているとは……。
【あの?】
喋るだけの実害のない女と、事故という実害のある車だったら、俺の状況の方が数倍マシだ。
【あの、ですね?】
いや、自分の状況と比較しても意味はない。それはわかっているけど、どうにも何とも言い難く、悶々としたやりきれないものが湧き上がってくる。
【あの、あなた? 聞いていますか?】
うるさいなぁ、さっきからこいつは。と視線だけ女に向ける。
俺が気付いたことに気付いた女は、【あそこ、見てください】と指差す。
指した場所は十字路の角――視線だけを向けた瞬間、大きく鼓動が跳ねた。
白のプリントパーカーにチェックスカート、黒のニーソにカラフルスニーカー。黒の長い髪の下はどこか物憂げな表情。
警察官の人たちが調査で現場を動き回る中、目立つのに誰からも気にされず佇む小学生ぐらいの女の子が一人立っている。
【あの子……もしかしてひき逃げに遭った子……じゃないですよ、ね……?】
わからない。けど、確かなことはあの子は〝幽霊〟であるということ。
もし、ひき逃げに遭って幽霊としてこの場所にいるんだったら、助からなかったということ。心内に悲痛な苛立ちが覆う。同時に、無力感も。
けど、助からなかったことがわかったところで、俺にはどうしようもない。あとは警察が捜査するだろうと自分自身を納得させ、みんなに聴こえないように小声で女に、関わるなよ、と言おうとしたけど、女はいつの間にか幽霊となった女の子の許に近づいていった。
あのアホ! と思わず口から発しそうになる。
ミスった気がして仕方がない。あの女の性格からして、興味を惹かれたものに向かって行く節があったのに……。
何事か話している女に頭痛を覚えつつ、
「みんな? もう家に戻ろう? あとは警察がやってくれる。ここにいても仕方ないよ」
帰るように促す。最初に反応したのはフェル。
「そう……だな。レンヤの言うとおりだ。ここにいても仕方ない」
「姉さんやモモカも疲れたでしょ? 今日は帰ってゆっくり休まないと」
「そ、そうだね」、「レンヤくんの言う通りにする」
納得した様子の二人――ショックが大きいから動きは遅いけど、帰ろうと気持ちを入れ替えている。
「さあ、行こう」
あのアホがどうしようもないものを俺のところに持って来る前に、一刻も早く家に帰りたい。というより、俺自身の気持ちを少しでも落ち着けさせたい。
歩き出して最後に女の子と話している女に視線を配る。
今はこっちに気付くなよ……ん?
ふと目を凝らして〝視る〟と、女の子の左手に黄色い糸が繋がれているのが見えた気がし、最近の幽霊には糸が結ばれるのか? と疑問に残った。