帰る時はあっさり
「そうか。負けるのか」
ありゃ……? アケトモさん、えらい軽い感じですね?
「そうか、そうか。ルリの言う嫌な予感とはこのことか。なるほどのう」
あまり表情は変わっていない。かなり衝撃的なことなのに……。
もしかして衝撃的すぎて逆に変わらなかったとか?
【どうしてそう冷静でいられるんですかっ! そんな、そんな冷静に……。死ぬかもしれないのにっ!】
いやまあ、フェル、お前冷静になれ。とりあえず冷静になれ。そして、お前がやったことをよく考えて懺悔して反省してこい。
「フェルナンド」
【……はい】
「お主は優しいのう」
ええ、ええ。もう、優しくて優しくて優しすぎるアホですよ。たまにその優しさは磁石のようになって、いらないものを自分の中に引き寄せて自身を悩ませるアホですよ、こいつは。
「ルリとのやり取りで思い至ったのであろう。ワシの安否を気遣ってくれるとは」
【――……】
「嬉しく思うぞ」
【アケトモさん】
「フェルナンド。お主の時代のこの国はどうじゃ? 平和か?」
【え? へ、平和ですけど……】
「レンヤはどうじゃ?」
【ま、まあ一応、平和ですよ】
表面上は、たぶん、まあ……。
「そうか」
アケトモさんはうんうんと頷く。笑みを浮かべ、とても満足した様子でもあった。
けど、
「では、這い蹲ってでも戦地へ行かねばならんのう」
次の瞬間には、一切の迷いなく真剣そのもので言い放つ。
【なっ!?】
アケトモさんなら、そう考えるでしょうね……。
【なぜですっ! どうしてですかっ! 負けるんですよっ!】
「それがどうした?」
【え?】
「『負ける』。そのことを聞いた上で訊こう。それがどうした?」
【え……】
「どうしたと言うのじゃ?」
【まま、負けるって聞いたのに、それなのになぜ戦争へ行こうと思うんですかっ! 意味がわかりませんよっ!】
「意味か。意味は、ワシが大日本帝国の臣民である〝日本人〟、朱鷺尾アケトモだからじゃ」
【……に、〝日本人〟】
「そう。一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし」
【えっと、それは……?】
「知らぬのか?」
【え、あ、はい】
俺も知らない。
「国家と国民の平和と安全が危機に陥った時、愛する祖国と同胞を守るためにそれぞれの立場で覚悟を決め、持てる力を尽くす。これは、祖先たちが守り伝えてきた伝統――〝日本の美徳〟の一つ」
【……美徳の一つ?】
「うむ。じゃから、ワシはその本分を全うするために戦地へ赴くのじゃ。戦争に敗れるとしても、何もせんわけにはいかん。〝大和の魂〟――それが日本精神じゃ」
【日本精神……】
「それにのう、お主たちのために戦地へ行かねばならん気持ちが一層強くなったというのもある」
俺たちのために……?
「六、七○年後の日本が平和であるということは、お主ら二人の思念魂――魂を視てよう分かった。ならばのう、その未来の礎になることは、今の時代の日本を生きる日本男児の望むところじゃ」
アケトモさんはそう言って笑う。屈託のない、心の底からの笑顔。
強い……。純粋にそう思った。
でもどうなんだろうか。現代でもゴタゴタは多い。アケトモさんが思うような平和な世に、本当になっているのだろうか……。
俺は片隅で疑問が拭えなかった。
【……でも……。でも、やっぱりあんな悲惨なことになるのに……】
アケトモさんは『負ける』ことは知ったけど、何が起こるかまでは知らない。けど、俺たちは知っている。フェルの気持ちもわからないでもない。でも、
【フェル、やめろって】
【レンヤ】
【アケトモさんが決めたこと。俺たちがとやかく言うことじゃない】
【そんなこと……わかってるよ……】
気持ちの整理はつかんよなぁ、特にお前の性格だと。
「フェルナンド」
【はい】
「今はそれでよい。お主にはお主の考えがある」
【アケトモさん】
「悩んで悩んで悩むがよい。それでも分からぬ場合はもう一度ワシの言ったことを冷静になって考えてみよ。ワシもお主にとっては先を生きる者――先人じゃからな。先人に学び、取捨選択し、それを己に生かせばよかろう」
【……先人に学んで生かす】
「まあ、ワシも十九になったばかりのヒヨッ子若輩者。お主たちには、あまり大したことは言える身分ではないがな」
そう言ってアケトモさんは笑い飛ばす。
アケトモさん、まだ十九なんだ。俺たちとは四、五歳しか違わない。若いなぁ……。
【……わかりました。俺、今はよくわかりませんけど、悩んで考えてみます】
「うむ」
フェルの表情に重苦しい雰囲気が無くなる。良い方向に考えが向いたんだろうか?
「アケトモ従兄さまー」
とその時、スミレの声が聞こえてくる。
振り返ると遠くに、両腕一杯に花の束に抱えて歩きそうなスミレの姿があった。
「少々、摘み過ぎました。手伝っていただけませんか?」
どんだけ作るつもりだよ、あいつ。
「わかった。待っておれ、スミレ。ではさて、お主らも元の時代にもう戻るがよい。帰らせてやろう」
え? あっさりですね?
アケトモさんはスッと立ち上がる。
「ワシに任せよ」
するとアケトモさんの両の掌が赤く光る。ルリという人との勝負で見たやつだった。
「絡まった思念を解き、お主らの思念魂を元の時代に帰らせてやる。なに、そんなに痛くは無い。一瞬じゃ」
【え? ちょっと……】
【アケトモさん、もしかして殴る系ですか……?】
フェルと俺は突然のことにビクついた。
「いや、軽く叩くだけじゃ」
いやいやいや、そんな大きく広げて振りかぶらないでください。絶対痛いでしょっ。
「そう怖がることはないぞ?」
叩かれると分かっていて、振りかぶって当たる瞬間まで怖いと思うのは当たり前です。俺は一回、フェルは二回、アケトモさんにドギツイやつを食らっているんですから余計ですよ。
「千歳フェルナンド。湊レンヤ。後の世の日本人二人に、一つだけ言葉を言わせてほしい」
え? 今、フェルのことも日本人って……。ハーフなだけで、フェルは日本人だってこと分かっていたのかな?
てか、言葉って何だろう?
「後の世の子供たちに会えて嬉しかった。清く正しく、強く逞しく朗らかに生きなさい」
――……。
ありがとうございます、アケトモさん。
もう何も思うことない。俺とフェルは黙って目を瞑る。
「アケトモ従兄さま? まだなのですかー?」
幼いスミレの声が聞こえ、その後は、静かになった――。
――……。
「レンくん! 起きて、レンくん!」
「ん?」
見上げると微かな埃が宙に舞っている。薄暗い天井が見えた。
ここって……。
ガバッと勢いよく俺は起き上がった。
朱鷺尾の蔵?
「あぁ~。レンくん、よかったぁ」
泣きじゃくるモモカがすぐ側にいる。鼻水を拭きなさい。
【レンくん、大丈夫ですか! どこも痛くないですか! どこか痛いですよね! どこが痛いんですか!?】
梯子から落ちた原因の分身女がいる。あとでお前は集合だな。
「うん、ん……?」
隣で倒れていたフェルが起き上がった。大丈夫か、フェル?
【何じゃ? 騒々しいのう?】
これまた近くで倒れていたスミレが起きる。おお、見覚えのある中学生バージョン。
夢を見ていた、じゃないな。どうやら元の時代に帰って来たようだ。




