フェルえもん
「スミレ? もう入ってもよいぞ」
ルリとハギフサという人が道場から出て行ってすぐ、アケトモさんは言った。
スミレいるの? どこに?
道場の入り口傍からスミレが顔を覗かせ、恐る恐る控えめにその姿を現した。
あらー。本当にいたよ。
「スミレ。用は何じゃ?」
「はい、アケトモ従兄さま。昼餉が出来ましたので呼びに来ました」
「そうか。待って貰ってすまんのう」
「いえ。それほど待っておりません」
「ふむ? 勝負を受けた時にはおったのはわかっておったから、ずいぶん待たせてしまったと思うたのじゃが……」
「だ、大丈夫です。私はそれほど待った気はしておりませんから」
「そうなのか?」
「はい」
結構長い間話し合い――という名のバトル――をしていた。
その間ずっと待っていたのか、スミレは。しかもその時から気づいていたとか、アケトモさん、マジ超能力者? 〝カミノミチ〟って力、そんな便利なの?
「二人ともすまんのう。稽古をしようと言っておきながら出来なくまってしまったのう」
【あ、気にしないでください】
不思議な力はともかく、スミレとの稽古やルリという人との勝負で、動きとか色々見させてもらったので。
稽古をしたらまず間違いなくボコられるだろうというはわかりました。自分の稽古不足がアレだけで露呈しました。
【――……】
あれ? フェル? どうしてそんな浮かない顔してんの? お前なら昼から稽古つけてください、とか意気揚々と言いそうな感じなのに?
さっきの威勢はどうした?
「ふむ、そうか。すまんのう」
【いえいえ】
「よし。では、昼は出掛けよう」
【え?】
どこへ?
「散歩じゃ、散歩。ワシとスミレとお主らの四人でのう」
アケトモさんはそう言って笑みを浮かべる
あのー、その意味あり気な笑みは何ですか? 意図が分からないんですけど。
正直、その幼いスミレは俺の知っているアンポンタンなスミレとは違うので、少々気まずいところがあるのですが……。
「さて、どこへ行くか……。そうじゃ、近くに川原があったのう。今の季節じゃったら水遊びもできる。久々に行ってみるか」
川原って、俺がいつも稽古している川原? はて、六、七○年前はどうな感じなんだろうか。
「よし、川原へ行こう。スミレ、どうじゃ? ワシと行くか?」
「……は、はい! お供します、アケトモ従兄さま!」
スミレ、張り切るねぇ。
「お主らは?」
【ええ、まあ……】
特に今はやることが思いつかない。帰る方法もわからんし。
帰り方の方法が見つかるまで、下手なことをしなければちょっとぐらいこの時代を見るのもいいか。
【はい。行きます】
俺はそう答えた。
「……フェルナンドは?」
【あ、はい?】
「昼から散歩に行こうという話しなのじゃが?」
【……え、ええ。いいですよ。行きます】
「よし。決まりじゃな。となればさっさと片付けを済ませて、昼餉を取るかのう」
アケトモさんはそう言って防具や竹刀などを片付け始める。
……今になって気づいた。
スミレは嬉しさと不安が半分半分。たぶん、俺たちの存在でだろう。
フェルは実に分かりやすく浮かない顔をしている。その真意はわからん。
このメンバー大丈夫か? 会話に困りそうだ。というか、アケトモさん頼みにしかならない。
行くって言っちまったこと、しくじったかもしれん。
朱鷺尾の屋敷から一歩外に出ると、そこは知っているようで見知らぬ土地に来たように思えた。
現代では家々やマンションなどの建物が立ち並ぶ住宅街なのに、ほんの六、七○年前は古い家々が散在した村。
昔はこんな感じだったんだぁ……。
青々とした稲が揺れる田んぼ、畑と小山が続き、木でできた電信柱に驚きつつ、少し寂しと同時に新鮮な雰囲気を持つ不思議な風景が広がる。
小山の方か聴こえるセミの鳴き声を聞きながら舗装されていない道を歩き、キョロキョロと視線は興味を惹かれた感じで泳いでいた。
ほどなくして見慣れた地形――土手道への坂を上ると、
「ほう……」
土手の坂は生い茂った草花の絨毯が続いており、水面が透き通る川は、光の反射でキラキラと宝石が流れているように映る。耳を澄ませればせせらぎが聴こえてきそう。
――……すごくキレイな景色だ。
「久々に来たが、綺麗じゃのう。空の天の川が地上に降りてきたみたいじゃ」
高い土手道から眺める景色は、川の反対側も行く道と同じような田んぼ、畑と小山が続き、高い建物は一切ない。数分に一度通る電車もない。橋が遠く離れたところに一つ見えるぐらい。
自然がこんなに残っているんだなぁ、この時代って……。のどかだ。
「よし。下りるかのう。スミレ。危ないから手を繋ぐぞ」
「ありがとうございます、アケトモ従兄さま」
アケトモさんはスミレの手を取り、土手の坂をゆっくりと下りていく。俺とフェルも後を追って下りて行った。
アケトモさんとスミレ、後ろから見ると親子のよう。
川岸まで来ると、一層、川の底が見えるほ水のキレイさがよくわかった。
あんまり深くないんだな。現代の川が汚れすぎたってことなんだろうけど。
「うむ。冷たくて気持ちが良いのう」
アケトモさんが川に手を入れてそう呟く。俺もどんなものかと手を入れてみた。が、
……ダメだ。触れた感触が一切ない。
「気持ち良いですね、アケトモ従兄さま」
「そうじゃな。夏はこの川辺におると、とても涼む」
アケトモさんやスミレを見ると、川の水の中に手や足を入れたり、直に飲んだりと、すごく気持ち良さそうなことをしていた。
――……。
こんな貴重な体験、滅多に出来ないのが惜しいな……。
「あっ。アケトモ従兄さま、あそこ見てください。魚が泳いでいますよ」
「ふむ。釣竿でも持ってこればよかったかのう」
「アケトモ従兄さま、釣りがお上手なのですか?」
「下手の横好きじゃがな」
ガサガサ――。変な音が聴こえる。
「わあっ!?」
突然スミレが驚き、一目散にアケトモさんの後ろに隠れた。
「お。ウシガエルではないか。これは大物なやつじゃのう」
デカッ!? スミレが居た場所の後ろに、大きさ十五センチはある茶色みをしたカエルがそこにいた。
ジッと動かないカエルは俺たち四人を見ている。
何これ? カエルはカエルだけど、でかすぎない? こんなカエルいるんだぁ。ゲテモノじゃん。
「ア、アケトモ従兄さま……」
「何じゃ、スミレ? カエルが苦手なのか?」
「ええ、まあ……。ちょっと見た目が好きではなくて……」
着物を掴んで、恐る恐る言うスミレ。カエルとは絶対に目を合わせようとしない。
いや、これは正直怖いわ。小さい子供は泣いて喚くと思う。
「大丈夫じゃ、スミレ。こちらが何もせんかったら、このウシガエルも何もせん」
「ほ、ほんとう……ですか?」
「本当、じゃ!」
パァンッ! アケトモさんがいきなり手を叩く。
「きゃっ!?」
叩いた音に驚いたのだろうか、ウシガエルはその大きな身体と同じように大きく飛び跳ねると、川の中に飛び込んで潜っていった。
「あーはっはっはっはっはっ」
何やってんですか、アケトモさん?
「もう大丈夫じゃぞ、スミレ。だから、ワシの着物をそう引っ張るでない」
「驚きました……。カエルはもういないのですか?」
「うむ。あの程度の大きさ、恐るるに足らんぞ。ワシは、あれよりもっと大きいウシガエルを見たことがあるからのう」
あれより? 日本国内だけど世界は広いねぇ。
「……私はもう見たくはありません」
「ワシが見たやつはのう、大きさが膝までくるそれはそれは大きいものでのう。この川に住む主では……」
「や、やめてください、アケトモ従兄さま。身震いが致します」
ですよね。カエルの話しをされたら普通の女の子の反応はこうですよね。
てか、アケトモさんって、けっこういたずらっ子なんだなぁ。
「そうか? では、次は何をするか……。そうじゃ。花冠でも作るか?」
「あ、はい。作りたいです」
「では、花を摘んできてはくれんか? スミレが綺麗だと思う花をたくさんのう」
「わかりました」
「あまり遠くへは行ってはならんぞ。ウシガエルに襲われるからのう」
「カ、カエル……。は、はい。わかりました」
「うむ。では、行ってきてくれ」
「行ってきます」
スミレは小さな子供らしく、元気に川原を駆けて行った。
はあー。アケトモさん、完璧お兄さんお兄さんだなぁ。小さい子の扱いに慣れてる感じがする。
「さて……。話しをしようかのう、お主ら」
え? 話しですと? そらまた急なことで。
「そろそろ、お主らも元の時代に戻らんといかんじゃろ?」
あ、そういうお話? マジで散歩するだけかと思っていました。
アケトモさん、考えてくれてたんですね。思いっきり自然の景色を楽しんでいましたよ、すいません。
【でも、どうやったら帰れるんですか?】
俺は率直に訪ねる。
「お主ら〝三人〟が繋がっているのはわかっておるからのう。それを何とかするればよい」
〝三人〟?
【ちょっと待ってください。〝三人〟って何ですか?】
この時代には俺とフェルの〝二人〟しか来ていない。あと〝一人〟は誰?
「ん? レンヤ、フェルナンド、そして〝スミレ〟じゃが?」
……はい? どうしてそこでスミレ? どういうこと?
「ああ……。まあ、お主らはわからんか」
【はい、さっぱりわかりません】
不思議な力のことなど勉強したことないので。
「お主らの魂は異質な感じがすると言うたじゃろ?」
【それは時を駆けたからですよね?】
タケチカさんも同意していましたし。
「まあ、そうじゃが。お主らは今、思念魂の状態なのじゃ」
あー、えー、不思議な専門用語を出されてもわからないんですけど……。
「ああ、すまんのう。わからぬ言葉を言ってしまったな」
【あ、いえ】
「上手くは説明はできぬが、魂というものは全てのモノに宿っておる。この川の水も、草花も、石、土、大気までも。全てじゃ」
全て……?
「思念魂とは、その名の通り〝思いや〟、〝念〟。その思念は瞬間々々(しゅんかんしゅんかん)に意思を宿す」
瞬間々々に意思?
「喜びがあれば喜び。怒りがあれば怒り。悲しみがあれば悲しみ。楽しければ楽しい。簡単なところでこの四つ」
【喜怒哀楽ですね】
「うむ。じゃが、心から喜んでおる者はその最中、心から怒りを感じんじゃろ? 心から悲しんでおる者はその最中、心から楽しいと思わんじゃろ?」
【ええ】
そんな器用なことができる人はいないと思います。
「その瞬間はその思念の意志が表れる。大きく大雑把に見れば単純に。小さく細かく見れば複雑に。じゃが、その逆も然りでもある。正確に視る者はその逆を分かったりもするものじゃ」
それって……。当事者の人が嫌な気持ちを抱いても、当事者じゃない人はそれ以外の気持ちを抱いたりする、ってことかな?
「ワシはようやくわかった。お主らが何故、この時代に来たか、ということをのう」
【それは何ですか?】
「〝スミレ〟じゃ」
【スミレ……ちゃんが?】
「今、花を摘みに行ったスミレではない。〝お主らの居た時代のスミレ〟じゃ」
幽霊になったスミレか。
「初めはわからんかった。しかし、お主らと話しをし、知ることでお主らの思念魂に〝今の時代のスミレの魂〟ではなく、〝お主らの居た時代のスミレの魂〟が繋がっていることに気づいた」
――……。
「恐らく、それがお主らの魂を、思念としてこの時代へ来させた一因。この時代を知るスミレの遠い記憶の思念。お主らの思念が単純に、そして複雑に繋がった結果なのじゃろう」
スミレの記憶の思念と、俺たちの思念……。
もしかして、あの梯子から落ちたことが原因か? 俺はあの時、フェルとスミレの上に落ちた。だから、か……。タケチカさんが俺たちは生きていると言ったことは……。
でも、
【訊いていいですか? どうしてそういうことがわかるんですか?】
ホント、アケトモさん何者?
「ワシもよくはわからぬ。ただ言えることは、〝カミノミチ〟じゃな」
……ああ、説明できない不思議な力ですね。
訊いて時間の無駄をさせた俺がアホでした、すいません。
「まあ、その繋がった思念魂を解いてやれば、お主らは元の時代に戻れるじゃろう」
【本当ですか? で、その解く方法って?】
「――……」
……アケトモ、さん? どうして黙るんですか? もしかして、方法がわからないと?
「フェルナンド」
え? フェル?
フェルは神妙なのか辛気臭いのか、そんな複雑な表情をしていた。
【は、はい】
「何か言いたいことがあるのなら言ってみよ」
【え……?】
「ワシに何か言いたいのじゃろう? お主の魂はそう表しておるからのう、嫌でも分かるわ」
フェルがアケトモさんに何を言うの? 稽古をつけてくださいってことか? でも、それなら道場にいる時に言うはずだしなぁ。
「溜めるのは心に毒じゃぞ」
【――……】
フェルの口が震えている。言おうか言わないでおこうか、迷っている様子。
「お主の口から聞きたい。言うてみよ、フェルナンド」
言いたいことが分かっている様子のアケトモさん。
フェルは一体何が言いたいんだ?
【ア、アケトモさん】
重苦しい感じでフェルが口を開く。
【アケトモさんは、どうして戦争に行くんですか?】
フェル、それは……。
【どうして、どうして〝この戦争〟に……】
おい、フェル。もしかして。やめろ。それ以上は言うな。言っちゃいかん。
【どうして、〝負ける戦争〟に行くんですか!】
「ほう?」
……ああ、言いやがった。
フェルは重々しく張り詰めた空気を纏い、アケトモさんは少し呆けた様子。
何てこと言ってんだよ、こいつ。わざわざドラ○もんになりにいくなんて、アホなのか? そうか、アホなんだな。フェルえもんなんだな。
とにもかくにも、アホとしか言いようがねぇっ。




