怒られて泣いて学校見学
色々と時間を食ったけど、まだ早い時間で学校に着く。
剣道部の女子更衣室へと向かったモモカと別れ、少し余裕があるため、昼でも人気のない校舎裏へ俺は向かった。
【あれ? どこへ行くんですか? あなたは更衣室に行かないんですか?】
校舎裏に着いた俺は、
「おい、{ピー}。正座しろ」
【え……? な、何ですか?】
「てめぇ、{ピー}か? 俺は知らんが、ハッキリと言ったぞ」
【あ、あの……】
「てめぇ、マジで{ピー}か? 聴こえているなら一回で理解しろ」
浮いている女は俺からの威圧に負けて目を逸らし、無言で地面に降り立つと従順良く正座した。
俺は女を見下ろし、
「正座一つするのにどれだけ時間かけてんだ? てめぇ、マジで{ピー}か? {ピー}は家畜で大人しく{ピー}広げて四つん這いになっていろ。同類が{ピー}をブチ込んでくれる。{ピー}で、気色の悪い声出して喘いでいやがれ」
聞いた瞬間、顔面蒼白となった女。さらに溜まりに溜まったモノを吐き出す。
「てめぇ、俺が何で怒っているか理解しているか? {ピー}の頭で捻り出せるか? おい、答えてみろ?」
【――…………】
「てめぇが俺の世間体も配慮せずにイラつくほど喋りかけてきたからだ。てめぇを視えない人間が傍にいる状況で返事したら、俺、おかしい人間だろ。わかってんのか? おい? 理解できてんのかって訊いているんだから、何とか言えよ?」
【――…………】
「あぁ、そうか。悪い、俺の間違いだな。{ピー}には人間様の言葉は理解できねぇな。あ、{ピー}でもねぇな。幽霊だったな。{ピー}以下の幽霊さん、ごめんなさい」
【――…………】
「おい? 俺に謝らせといて、てめぇは謝罪なしか? さっきまで{ピー}みたいな臭い息とともに吐き出していたんだからダンマリしているんじゃねぇ。質問に答えろよ?」
【――……う、うう……】
女はヒクヒクと身体が震えている。俯いた表情はわからないけど、多分、泣いているだろう。
「どうした? 泣いたのか? 優しく丁寧に言って欲しかったのか? それとも日本語通じねぇのか?」
【うぅ……うえ、ぐうぅ……】
「Please reply to my question.(私の質問に答えてください)」
【ひぐっ……えぐ、ひひひ、うぅ……】
「Conteste mi pregunta(私の質問に答えてください)」
【ぐっ……ひひ、ひっく……ぐす……】
「俺、これ以上の言語は知らない。どの言語なら通じるんですか? 早くしてください。俺、朝練あるんですけどお」
しゃがんで顔に詰め寄ると、目を大きく見開き、ヒィッ! と叫ぶ女はボロボロと涙を零し、鼻水垂らしている。
「なあ?」
【……えぅ、ほぉべんばぁざい(ごめんなさい)……。ぼぉべんばざいべす(ごめんなさいです)……】
泣き声混じりだが、ちゃんとした謝罪の言葉を口にすると、俺は長い嘆息を吐き出す。
徐々に頭が冷静になり、落ち着いたところで、やっちまった、と頭を掻きながら、「いいよ。許してやる」と言って立ち上がる。
【ふぇ……?】
「俺も言いすぎた。すまない。けど、次からはちゃんと周りを見てから話かけてくれよ」
【――……。あ、あのー、もも、もう、怒らないん……ですか?】
怒られたいのか、お前? マゾなのか?
「怒ってほしいなら怒るけど……。一応、言いたいことはたくさんあるし」
【あ、いえ、そんな……。めっそうもないです。結構です。十分です。はい。以後、気をつけます】
その方がいい。面倒なことに怒るのはイヤだ。できれば怒りたくない、俺は。
「ああ、気をつけてくれ。じゃ、俺、朝練に行くから。くれぐれも他人に迷惑を掛けないようにいろよ」
そう言って俺は部室に向かうため歩き出そうとした。
【あ、あの?】
「ん? 何?」
【私、学校にいてもいいんですか?】
「昨日も言ったが、どこか行くあてがあるなら、行ってくれ」
【うっ……あ、ありません】
「だったらいれば。俺の通っている学校に興味があるんだろ? 人には視えないから、お前なら見学し放題だぜ」
【でで、でも私、あなたに『ついて来るな』って言われたのに来ちゃったんですけど……】
ついて来るなんて予想済み。ただあんなにも早く、しかも堂々とついて来ることが予想外だっただけ。お前がアホなことやらかして、結局のところ俺に怒られるだろうとは予想の範囲内ではいたさ。
早いか遅いかで言えば、この早い段階でそうなったことは結果的に良かった。全校生徒が登校したあとだったら被害が続出。学校を通り越して、町中に不気味な噂が流れるわ。
「来ちまったものはどうしようもない。それとも、帰る? 帰って、家にいてくれてもいいぜ?」
【あ、帰り道がわかりません】
だろうね。あれだけ夢中になって喋っていりゃ、覚えられるわけがない。
「だったら学校見学してればいい」
【いいんですか?】
「いいよ」
【あぁ、ありがとうございます】
「ああ。じゃあ、俺……」
【……あ、あの……?】
「まだ何か?」
何度呼び止める気だ、お前? と眉間にシワが寄る。
【あ、いえ……。何でもないです。てへ】
女は嬉しそう。わけわかんねぇ。
よくよく考えてみれば、やることがない幽霊ってやつはニートと同じだな。浮かれて何かやらかされても困るから、一応最後に念を押しとくか。
「行ってくる。くれぐれも、絶対に人様には迷惑を掛けるなよ。いいな」
【はい!】
元気の良い返事を聞いて今度こそ女と別れ、俺は部室の方に向かう。
校舎外壁に取り付けられた時計に視線を配りながら時間が少し足りなくなったと思い、急ぎ更衣室に剣道着に着替え、部員が集まっている体育館横の外に到着。
俺が現れると、「湊くん、おはよう」と男子女子学年関係なく部員から挨拶を受け、俺もそれを返す。
多く入部していきた一年の新入部員や、二、三年生部員との挨拶を交わした最後に、
「レンヤ」
耳に余韻が残るような静かな声に振り返り、頭一つ抜けて背が高かったので僅かに上を見上げた。
「あ、おはよう、フェル」
サラサラとした白金色の髪は綺麗で優雅な印象を与え、白い肌に彫りが深くて整ったハーフの顔立ちはとても男前。特に、優しげだけど力強さを持った瞳は同性でも惹かれる要素がある。
「おはよう。珍しく遅いな。レンヤが最後に来るなんて」
「ごめん。着替えるのに手間取ったんだ」
「いや一応、時間には間に合っている。さ、朝練を始めよう」
部長である物静かなフェルの掛け声とともに朝練の開始。
近くもなく遠くもない距離を取った傍らで、あの女は剣道部を眺めていた。
朝練が終わり、授業が始まって二時間目の数学――。
「この問題を、そうだなあ……、湊。解いてみなさい」
先生に指名を受け、俺は黒板の前へ。
白いチョークを持つ感触に、指先が荒れる感覚がする、と思いながら問題を解いていく。
「できました」
「うん、正解だ。よく勉強しているな。みんな、この数式はテストにも出すから覚えておくように」
俺は事も無げに自分の席に戻る。
教室の一番後ろで、小学生の授業参観に来た親みたいに嬉しそうな拍手をしているアホ女がいる。視線だけを逸らす。
休み時間――。
「湊くん、ちょっといいかな?」
とクラスメイトの女子一人に声を掛けられる。
「いいよ。何?」
「ちょっとわからないところがあってね」
「どれ?」
「ここなんだけど」
ノートを見せてもらうと、ミスしやすいところのミスだな、と思い、
「ここはね……」
と丁寧に解き方を教える。
教室の一番後ろで、珍しい光景でも見た、というようにほうほうと頷いて一人感心しているアホ女がいる。視えないフリ。
お昼――。
同じクラスであるフェルや、その他の友人たちと弁当を食べようとした時、
「湊くん? いる?」
教室に入って来た男子生徒。
「何? あ、生徒会の」
俺を見つけるなり、速攻で俺の席までやって来た。
「湊くん、生徒会の仕事でちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど、時間いいかな?」
好きなようにやればいいのに、と思うのだが、
「いいよ。お昼食べてからでいい? 食べたら行くからさ」
「ホント。ああ、助かったぁ。じゃあ、後で来てよ」
と足早に教室から出て行く男子生徒。
教室の一番後ろで、何を考えて何に納得しているかわからんが、へー、と一人納得しているアホ女がまだいる。存在していないものと思おう。
――無視を決め込んだ俺だが、これが最後の授業が終わるまで続いていた。
学校見学したいと言いながら、その素振りもないのは何で? 動けよ。色々見て来い。俺の周りから離れて自由行動しろ。
何をしたいんだ? 何の興味を持ってついて来たんだ? と俺は女について怪訝が募る。