剣道部所属の三年生
夏休みに入った校舎は静かだった。
照明が点いていない体育館は、夏の日差しが窓から差し込んで妙に明るい場所と薄暗い場所を作っている。
朝から聴こえてくるのはリズムが噛み合っていない吹奏楽部の音楽と、グラウンドで部活に取り組む部員の掛け声、それと体育館で部活を行っている俺たち剣道部の面々。
動いていようが止まっていようが、おかまいなしに噴出す汗が、飛び散ったり流れたりしている。
素足で動き回っていると雫となった汗で床が濡れている場所があることに気づくから。
いい汗を流していることは間違いないと思う。
けど、体育館の扉、非常扉でさえも開放状態でないと大変。
風通しが良くないと蒸し風呂のような暑さと、むせ返る臭いが体育館内を覆うはずだから。
――練習中はまったく気にはならないことだけど……。
「今日はここまでだ、みんなっ!」
時刻は昼前――朝の六時から始めた部活は、主将のフェルが終了を告げる。
整列をするため部員たちが集まった。
「何度も言うけど、今週末は県大会がある。それまでしっかり練習に打ち込んでいこう。じゃあ、礼っ! ありがとうございましたっ!」
部員たちも礼をして終わり。
疲れたのだろう、暑いのだろう、水分が欲しいのだろう、剣道部の面々は礼が終わると思い思いに行動を取り始める。
タオルを顔に乗せてぶっ倒れたり、その場で座り込んで呼吸音しか発しなかったり、水道で水浴びするために体育館をすぐ出て行ったり、と。
俺もタオルで汗を拭いながら壁にもたれかかった。
すると、
「フェルの奴、気合入ってんなぁ?」
「ここのところいつもだよ、フェルは」
「大会が近いっていうのもあるのさ。なあ、レンヤ?」
俺と同学年――三年生剣道部員、一人足りないけどその面々が俺のところにやって来た。
「そうなんじゃない?」
俺はそう答えた。
「そっかぁ、大会かぁ……。ていうか、もう今週末じゃねぇかっ!?」
鼻詰まりを年中させていてブリーズライトが欠かせない癖毛黒髪短髪、チョイ悪風少年の〝シンタ〟。
「それ、さっきトシハルが言ってたでしょ、シンタ? どうして忘れているの?」
見た目知的で勉強出来そうだと思わせるが、成績は中の下辺りをウロウロしている顔立ち爽やかなヒョロメガネの〝ナルミ〟。
「俺たちの青春……中学の夏は最後なんだよなぁ……」
剣道より柔道や相撲が似合いそうなごつい体型で、ことあるごとに青春を連呼する暑苦しさむさ苦しさ年中青春男の〝トシハル〟。
「しんみりしててもしょうがないっ。精一杯やろうぜっ!」
そう言ってもナルミの背中をバンバン叩く。
「ちょっ! トシハルッ、痛いってっ!」
「トシハル、加減しろって。お前にかかったらナルミのような奴はポッキリ逝っちまうからよぉ」
「いやぁ~、悪い悪い」
謝るけど悪びれた様子一つ見受けられない。
「だから痛いっつぅのっ!」
「そうかっ? これも青春だろっ?」
「何すんだよっ!? ちょっ、叩くなっ!?」
なおもナルミをヘッドロックで捕まえ、しかも頭叩いて笑っているし。
「おーい? 近くで暑苦しいことすんな」
「そうだぜ。ただでさえ、むさ苦しくて汗臭い野郎ばっかりが集まってんだからよぉ」
俺とシンタはトハルシに苦情を言い放つ。
「これが青春だろっ」
「うわぁ、暑苦しい……」
俺もシンタと同じことを思った。
「何だよ、シンタ? ツレねぇなぁ。レンヤは俺と一緒に青春するだろ?」
「丁重にお断りします」
矛先を俺に向けないでちょうだい。
「レンヤ、お前もかよ?」
「ナルミと仲良くホモォってろよ、ハッハッハッ」
「まあ、俺から半径五メートルは離れてやってくれたらいいよ。俺が許可するからシンタは連れて行っていいし」
「そうそう……ってっ!? ちょい、レンヤッ!?」
「おっしゃぁぁああぁぁっ! シンタも俺と一緒に青春ハンティングッ!」
青春を狩るって何だよ? トシハル、お前は何の収集家を目指しているだ?
「えっ、おまっ、やめっ、俺は抱きつかれるのは女の子がいいぃぃぃっ……!?」
トシハルにガッチリヘッドロックされてシンタはナルミと同様に捕まった。
「おわぁぁぁぁああぁぁぁぁっ!? ヌルヌルするぅぅううぅぅっ!?」
ヌルヌルだけじゃないな。発熱した火照った男同士の身体が密着して動いているから、ほのかに湯気が立っている。
いやぁ、きしょい。おぞましい。吐き気催すわ。
「レンヤァッ!? 助けろぉっ!?」
気持ち悪いから絶対にイヤです。
シンタ、ナルミ、ご愁傷様、という思いを一瞬だけ抱いて俺はさっさと部室に非難しようと立ち上がった。
「おりゃぁぁああぁぁっ!」
「え? ふごぉっ!?」
「ぎぃっ!?」
「ぐえっ!?」
「おっ!?」
誰かが俺に思いっきり体当たりで突っ込んできて、後ろで青春なんちゃらをやっていた奴らまで巻き込んで倒した。
痛い、しかも何だか冷てえぞ……?
「いっぇなっ!? 誰だっ!?」
一番早くシンタが声を荒げる。
「俺だぁ」
この声は……。俺だよじゃねぇよこのボケ〝ヒサト〟!
「ヒサト、てめぇっ!?」
やってやったぜ! みたいな嬉嬉とした顔を満面に滲ませたヒサトのドヤ顔。
「いやぁ、ベリーロール失敗失敗」
まぁーたこいつは悪びれた様子が微塵もないなぁ……。
しかもあれはベリーロールじゃなくて、フライングボディアタックだろ?
ベリーロールなら俺たちの頭上を飛び越えろよ。
「ヒサトッ! てめぇなぁっ……!」
「あん? どうった、シンタ?」
「どうったじゃねぇ! しばくぞ、てめぇっ!?」
「え? 自爆するぞ、てめぇ? こえぇぇよっ!?」
「んなこと誰も言ってねぇよっ!」
まあ、いたずら小僧のクソチビガキがやっと中学生になりました、という奴だからな、悪気は一切ないんだろうな。
だけどそれはそれ、これはこれだ。ということで、
「みんな? 一人一発な」
俺がそう言い、
「へ? アダッ!?」
ヒサトの頭部をおもいっきり殴る。
脳みそがまだ成長に追いついていないのかわからないが、頭の中身が空洞化しているような印象を抱かせたヒサトの頭は良い音が鳴った。
で、シンタ、ナルミときて、最後はトシハル。
強烈な一発を最後にもらったヒサトは頭を押さえてフラフラする。
「いっつぅ……。お前ら、殴ることないだろっ!?」
「一人一発で済んだだけでもありがたいと思えっ、こんのバカッ!」
「そうそう。レンヤが決めなかったらもっと酷い仕打ちを考えるところなんだから」
「ナルミの言う通りだな。だが、これも一つの思い出。良い青春になったぜ」
トシハル、何でも青春に結びつけるな。ヒサトの奴がそれを口実にするだろ。
「じゃあ、青春もう一回いっとく?」
「今度こそしばかれたいのか、お前?」
「次は容赦しないよ?」
「むむぅ……それも青春というものか……」
やらせるならお前一人だけ付き合えよ、トシハル。
「ていうかよぉ、何か冷たくねぇ?」
「汗が冷えた……にしてはまだ身体が火照っているんだけど?」
ああ、何かおかしい。ナルミの言う通り部活後だからまだ身体は熱い。けど、部分的に冷たい所がある。
ん? 床が濡れている? しかもビショビショに……?
「ああ、それ水だよ」
水? こいつ、まさか……。
「いや~剣道着が重てぇー」
ヒサトは剣道着の裾の端を掴むと、ギューッと絞った。
ビチャビチャビチャ、という音とともに大量の水を撒き散らす。
「てめぇっ、水浴びしてきたのかっ!?」
「ん? うん」
「ちょ、おまっ!?」
ビシャビシャビシャビシャァ――……。
「あぁ……」
シンタの漏らす声に俺も心の中で同調。
尚も剣道着を絞っては床に水溜りを作るヒサト。俺たちは唖然としてしまってその行為をただ黙って見ていた。
この世に神がマジでいるならこのアホな子に知恵を与えてください、マジで。
「次、体育館、バスケ部が使う予定だろ? 水、マジで何とかしねぇと怒られるぜっ」
「え? そうなのか? ヤベーな。あはははははっ」
ヒサトにみんなイラっとを通りこして殺意が芽生えた。
「レンヤ。任せるよ」
そんな中、わりと冷静なナルミからお任せ依頼が舞い込んだ。
何でも屋とかじゃないんだけど、俺? ま、いっか。
「えっと、とりあえず掃除しよう。トシハル? 掃除という青春するから道具取ってきて」
「お、青春なら任されようっ」
トシハルが掃除道具を取りに行く。
あいつ、何でも青春って付ければ何でもやるな? 戻ってきたら、青春の一人掃除だ、と言えば一人でやってくれるかもしれんな。
「で、シンタはヒサトをプールに放り込んできて」
「プールに?」
「放り込めばわかる。ああ、剣道着は着たままでな。あとはお前に任せる」
「お、おお。よくわかんねぇけど、レンヤが言うならやってくるわ」
「水泳部が文句言ってきたら、俺のところに来いって言ってくれたらいいよ」
「わかった。おい、ヒサト。プール行くからちょっと来いっ」
「お? シンタも水浴びか? よし、やろうぜ」
お菓子に釣られる子供のようにヒサトは連れて行かれた。
「俺とナルミはトシハルが戻ってくるまで待とう」
そう言って俺は壁にもたれて座る。
「レンヤ? ヒサトのこと、あんなのでいいのか?」
「いいのいいの」
「いや、ヒサトの奴、絶対遊ぶと思うんだけど……?」
「いや、遊べないから」
「どうしてさ?」
「衣服着たまま泳ぐのって、簡単、難しい、どっち?」
「えー、難しい」
「剣道着は水を吸うとどうなるでしょう?」
「重くなる」
「そんなの着てプールなんかに入ったら?」
「あっ……!?」
「答えは、溺れる」
「うわぁ……」
「あとはシンタがそれを見たら絶対にちょっかいかけるから、楽にはプールから出られなくなる。良い薬になるよ」
「良い薬になるだろうけど……。いいの? ちょっとしたイジメのように思えるけど?」
「違う違う。〝おしおき〟」
そう言う俺は、濡れた床を指差す。
「この床は俺たちが片付けるんだから。片付けないあいつは、それ相応のおしおきが課せられて当然だろ?」
「じゃあ、ヒサト一人に片付けさせればよかったんじゃない?」
「濡れたままのあいつにやらせたって、濡れる床が多くなるだけ。それに、すぐにバスケ部が使うんだから、早急に片付けないと俺たちだって怒られるんだぞ?」
「あ、そっか」
「それにこれがイジメになるのなら、最初から水浴びして濡れたまま体育館なんかに入ってくるな、という話だ。だから、あいつに文句は言わせない」
「いや、まあ、レンヤに文句言おうとなんてヒサトは絶対思わないだろうけどね。ていうか、俺たちは誰一人レンヤに文句言おうなんて考えは思いつかないから」
「ん? 何で?」
文句がある時は文句言えばいいのに?
「まあ……〝昔、あんなことがあったからね〟……」
……どういうこと? 俺たちの昔に、重大事件のトピックスなんてあったけ?
「おーい! 持ってきたぞ!」
と、掃除道具を取りに行っていたトシハルが走って戻ってきた。
「さあ、青春の掃除をやろう! ほれ、ナルミ、レンヤ!」
この暑い中、走って戻ってきたのに何で息一つ切れてないの? お前、無尽蔵のスタミナを持つ○友さんなの? えらくごつい○友さんだなぁ。
「あのさ? 常に張り切ってばかりだと、熱中症になるよ、トシハル」
「倒れたら大変なんだから加減をしろよ。そもそも掃除するだけで無駄な気合を振り撒くな。粛々とやれ」
「そ、そうか? それより……。おいっ? シンタとヒサトはどこへ行ったっ!? 青春の掃除をサボりかっ!?」
熱血おバカさん、一々無駄に労力を使うのをやめろというのに……。
「ヒサトをおしおきするためにプールへ行ったよ」
「プール? そうかなるほど。水行というやつだな。ならばヒサトの奴ももう少しマシな男になるだろう。うむ」
まあ、滝に打たれたりとかじゃないけどな。説明するのも面倒なので、いっか。
「とっとと掃除をやろう」
「そうだね」
「おおぉぉお!」
暑苦しい……。
そう思いながらヒサトのバカがやった後始末を始める俺たち。
濡れた床もキレイに拭い取り、道具を片付け、あとはバケツに溜まった水を捨てに行くだけとなった。
「レンヤ?」
誰かが俺の名前を呼びながら体育館に入ってきた。
「ん?」
「フェル……、と〝新橋〟?」
長い髪を靡かせ、うちの姉貴みたいな無邪気な顔しているけど、しっかりした面構えした女子がフェルの隣にいる。
「レンヤ! フェルが女連れて青春しにやって来たぞっ! しかも男子女子剣道部部長のツートップだっ!」
誰だかちゃんとわかっているからそう大きな声で吼えるな暑苦しい。
「レンヤ、探していたんだ。ちょっと……って、何やってるの?」
俺とナルミとトシハルは顔を見合わせた。
「後始末」
「掃除だね」
「青春の一ページだっ!」
最後、おかしい。
「そ、そう。ところでシンタとヒサトは? もう帰った?」
「いや、すぐに戻ってくる」
「そう」
「ところで何か用か?」
「あ、そうそう」
フェルが新橋に目配せする。
「用があるのは私。あなたたち三年生の男子にだけ聞いてほしい話があるんだけど? いいかな?」
「俺たちに? 新橋が?」
「そうだよ。ナルミくん」
「青春の悩みかっ!? 任せろっ!」
「いや、青春とはちょっと違うかなぁ……」
「レンヤ? 少し彼女の話を聞いてもらいたいんだけど時間いいか?」
「掃除道具片付けてからでいいなら」
「そうか。なら、終わって着替えたら、みんなで校庭の裏庭に来てほしいんだけど?」
校庭の裏庭? これまたどうしてそんな場所で?
「いいかな?」
「ん? ああ、いいよ」
「ありがとう。じゃあ、またあとで」
「ああ」
フェルと新橋が体育館から出て行く。
「ねえ? もしかしてアレ?」
「もしかしなくてもそうだっ。俺たちに男子と女子の青春の第一歩の報告だろっ、これはっ!」
「やっぱり! 新橋とか……。フェルもやるねぇっ」
「これは大々的にみんなで、二人の青春を祝ってやろうっ!」
「あー、でも、シンタは絶対羨ましがるだろうな。フォローが大変そう」
「友達の青春も祝えんシンタには、青春の拳を俺が送ってやるぜっ!」
「いや、殴るのはよそうよ」
こんな感じでナルミとトシハルが話しを広げていく。
――……。
フェルと新橋、ねぇ……。
――……。
うん、ないな。
俺の中ではこう結論が出た。




