気丈の奥
【レンヤ、固まって、どうしたのじゃ?】
「泣いている」
【誰がじゃ?】
「〝二人が泣いている〟」
飛び込んできた〝想い〟が心に刻まれるように感じた俺は、ケンシンくんマリナちゃん二人の姿を思い起こす。
【二人じゃと?】
「もしかして……ケンシンくんと、マリナちゃん……」
表情が読み取れないアイラがそう呟く。でも、どこか物悲しげな雰囲気を纏っていた。
俺は無言で頷くだけで答える。と、
「あの二人に何があったのっ」
アイラは顔に迫って問いただしてきた。
【ケンシンくんとマリナちゃんとは、あの十字路で事故にあった子たちのことか?】
「ああ、そうだ」
「ねえっ。泣いているって何っ。答えてっ」
答えて、と言われても、俺だって〝泣いている〟というイメージだけ。
あの二人に起こったことまでは正確にわからないから、どう伝えていいものかその明確な答えの判断が咄嗟につかない。
「あの二人に何が起こったのっ」
なおもアイラは俺の肩を掴み、身を揺すって答えを迫ってくる。
ちょっと待ちやがれ、お前。
【こらっ、アイラ。レンヤの身体のことを考えよっ】
するとスミレが一喝。思い出したようにアイラの指が瞬時に広がり、反射的に俺から距離をとる。
「ごめん、なさい……」
ケンシンくん、マリナちゃん二人のことを考えて気が動転したのだろう、けど、謝ったあとすぐ動揺しだす。心配そうな気持ちが前面に押しでている表情だった。
「いや、いい」
俺も二人のことに関してあまり大差のない心境だから一応理解はできる。
【レンヤ、もしや〝糸〟か?】
スミレが横から冷静に問いただしてきた。
「いと?」
【うむ。アイラ、レンヤはのう、〝糸〟で結ばれておるのじゃ】
「どういう、こと?」
【詳しくはわからん。ワシとも結ばれているようなのじゃが、魂の存在であるワシにも見えんものじゃからのう】
「何よ、それ」
【しかし、その〝糸〟は結ばれた者の〝想い〟が伝わってくるそうじゃ】
「伝わってくる……」
【うむ。魂から伝わる想い、と言えばよいのか? じゃから、何かしら二人にあったことは間違いないということは言えるのう】
「だったらこんなことしている場合じゃないでしょっ。あの二人を探さないと」
【わかっておる。じゃが、ワシらでは二人がどこにおるのか見当もつかん。レンヤでなければ、のう】
二人が一斉に俺に目を向ける。
すまん、ありがとう、スミレ。ちょっと落ち着ける時間を作ってくれて。
〝黄色い糸〟は外に伸びて向かっている。ケンシンくん、マリナちゃん、二人の二つの糸が。
方角的に、学校の方。だったら、あの二人に関連のある場所はあそこしかない。
「十字路だ」
言った瞬間、アイラは駆け出そうとする。が、
「待て。待ってくれ」
俺は呼び止める。アイラはこちらに振り返った。
「俺を、連れて行ってくれ」
「でも、貴方その身体……」
わかっている。こんな身体で外に出て、誰かに見られたらどういう風に思われるか、ってこともね。顔見知りの近所の人ならなおさら。噂だって立つだろう。
でも、あの二人が〝泣いている〟のなら俺がどう思われようが、そんなことどうでもいい。
話をしようと家に連れて来たのに、余裕を失ってあの二人に気を配ってやることができなかったんだから。
「頼む。足腰痛くてさ、吐き気もするんだ。一人で立って、歩くことも難しいんだ。だから、手伝ってくれ」
アイラは少し考えるが、すぐに考えを振り払うように頭を振った。
「わかったわ。貴方はあの二人にとって大事な人だから、貴方が行くほうが二人にとってもいいと思う」
そう言ってアイラは俺の許に寄って、その小さな身体――肩を差し出す。
「ありがとう」
「感謝はいらないわ。私は謝らないといけないかもしれないから」
「どうして?」
「あの二人が〝泣いている〟原因が私……かもしれない。私が、滅するなんて言った所……」
「違う」
俺は最後まで聞かず即座に否定した。
「え?」
「それは違う。お前が現れる前に俺は二人の内の一人、マリナちゃんの様子がおかしいと気づいていた。」
「そう」
ああ、そうだ。だからお前は気にしなくてもいい。
と、俺は思いながらアイラの肩に手を乗せ、立とうとする。が、
「くっ……」
俺の体重がアイラに圧し掛かる。赤ちゃんの魂によって膨れたお腹の重量もあるだろう、けど階段の時とは違い、上手く足腰に力の入らない俺の問題もあった。
【危ないのう】
フラフラと倒れそうな俺たちに、スミレがさっと手を貸してくれる。
【ワシもおるのじゃぞ。というか、ワシにも手伝いをさせんか】
「スミレ」
【それとも何か? 幽霊のワシが手伝ってはダメか?】
滅相もねぇ。
「有難くてありがとうの一言じゃ足りないわ」
【感謝はいらん。大変な者に手を差し伸べるのに、理由や理屈はいらんじゃろ】
確かにね。けど、ありがとう、俺はそう思った。
「貴方、行きましょう」
スミレとアイラに支えられ俺は、ゆっくりとケンシンくん、マリナちゃん二人がいる場所へと向かった。
下校途中だろうか、小学生の女の子三人組が行き道反対側の車道端で立ち止まって俺、もとい俺のお腹を間抜けに口開けて目で追いながら凝視している。
虫が口に入っても知らないよ、お嬢ちゃん?
スーパーの袋片手に急ぎ足で歩くおばさんが、俺の近くでお腹に気づいて急停止。一応、会釈して通り過ぎた俺。
急がなくていいの、おばさん?
バイクに乗ったお仕事中の郵便局員は通り過ぎる時、やっぱり俺のお腹に視線が集中していた。
前をちゃんと見て運転しろよ、郵便局員?
アイラは自分に向けられているわけではない視線だけど、何だか気になるようで、妙にソワソワと視線が泳いでいた。
呆然、驚愕、怪訝、好奇な目を向ける近所の人などとすれ違うが、特に恥ずかしいとか嫌だとかは思わず、当然だろうと割り切って十字路までやってくる。
と……、
【いいかげんにしなよ、マリナッ!】
俺たちにはハッキリと聴こえた乾いた音。ケンシンくんの振り上げた手が、マリナちゃんの頬を叩いた。
え、何で……?
【だっでぇ……だっでぇっ……うわあぁぁぁん!】
叩かれたマリナちゃんは大声で泣き出した。
「ケンシンくんっ、マリナちゃんっ」
アイラがいち早く二人の名を呼ぶと、マリナちゃんは大泣きしてこちらには気づかず、ケンシンくんだけが振り返る。
その振り返ったケンシンくんは、親に怒られる時のようにバツの悪そうな表情。目には大粒の涙が目尻一杯に溜まっていて、必死に堪えていた。
「どうしたのっ。何があったの、二人ともっ」
【アイラ、落ち着くんじゃ】
「でもっ」
【ごめんなさい】
スミレがアイラを宥めようとしていた所、ケンシンくんが唐突に謝った。
いや、謝りたいのは俺なんだけどなぁ……。二人とも、放っていてごめん。
【話を聞かねばいかんのう。何があったのじゃ?】
スミレが事の事情をケンシンくんに訊ねる。
【え、えっと、それは、ですね……】
ケンシンくんは言い篭ると、俺の方を見てくる。
何だろう? ものすごく伝えたいことがあるという訴えかける目だった。
【レンヤ】
「ん、何だ?」
【どうやらお主に話を聞いてもらいたいようじゃ】
どうして?
【ワシはこの子たちとはあまり面識がないからのう。少々話しづらさがあるのじゃろう】
なるほど。
「アイラ、マリナちゃんの傍にいてやってくれ」
コクリと頷いたアイラは、泣きじゃくるマリナちゃんの傍に駆け寄った。
【ありがとうございます、お姉さん】
バツの悪そうな表情が一層悪くなってケンシンくんは言う。
【あまりそういう風に気にするものではないぞ】
スミレに同意権を抱いた。子供があまりそんなこと気にする必要はない、と。
ケンシンくんは礼儀正しいが、少々子供らしさがあまりない……前々からだけどちょっと大人びている感じ、気丈に振舞っているような節がある。
【あの、お兄さん】
「ん、どうしたの?」
【〝ボクとマリナ、このままこうしていていいのかな〟?】
バツの悪いケンシンくんの表情に暗い影が落ちる。
――……どういうことだろう?
【ボクたちがここにいて、事故が少しでもなくなってくれるといいなと思ってここにいます】
「うん」
【けど、ボクたちがここにいると、〝泣いているです〟。ものすごく〝悲しんでいるんです〟。それでも、〝ボクとマリナは、このままこうしていていいのかな〟?】
強く訴える目。声の抑揚は普段通りだけど、訴える気持ちはとても強いと感じる。あの時、アイラに話したあとに見せた強張った面持ちそのままの気持ちが。
「どうして、そう思うの?」
【ボクたちがここにいて、〝その人〟が……どう言ったらいいのかな、えっと……、悪いほうにひっぱっられちゃう、気がするんです……】
ひっぱられちゃう?
「それは誰の、こと……?」
【毎日ここに来る……〝ママ〟……】
聞いた瞬間、胸を押さえた。殴られるより、どんな硬いモノで叩かれるより遥かに痛い〝想い〟に。
そうか、そうだよなぁ……。
ケンシンくんとマリナちゃんはここで事故を防ごうと良いことをしている。亡くなっても見ず知らずの人のための行為。それを、俺は立派だと思う。
けど……けど、ケンシンくんとマリナちゃん、事故死した二人のお母さんは違う。
ケンシンくんとマリナちゃん、ずっと続くだろうと思っていた二人がいる景色が突然消えてしまった。そう簡単に割り切れるもんじゃない。常に日常の中で、嫌でもその現実を突きつけられる。
そしてたぶん、悪いほうに引っ張られるというのは、突きつけられた現実を知ったあと夢であってほしいという思いなんかを抱き、それを知りたくてここに来るんだと思う。
毎日、毎日、毎日毎日繰り返しここに来て、現実を知って、また泣いて悲しみを抱いていると想像がつく。
【お兄さん、どうしたらいいですか……?】
ケンシンはジッと俺を見つめて訊いてくる。
気丈な表情――今にもその無理やり作った表情は決壊して、ぐしゃぐしゃに泣き崩れそうな姿がその表情の奥に見え隠れしている。
【ボクたちは……どうしたら、いいですか……?】
この世から亡くなって幽霊となったケンシンくんとマリナちゃん、この世を生きているその二人のお母さん。
二人のお母さんが俺のように二人の姿が視えて、話ができるのならこんなことにはならない。
そう、〝俺のような力〟を持っている人じゃない。決して混じることができない立場同士。
ケンシンくんとマリナちゃんにはその〝想い〟を汲み取ることができるのに、二人のお母さんにはそれができない。
【お兄……さん……】
ケンシンくんの訴える声も弱弱しくなり俺は、どうすればいいのか、と行き場の無い力が下唇を噛む力にしか変わらなかった。
ふと、アイラに目が行く。
泣き止まないマリナちゃんの傍で、アイラも不安な表情で俺と〝あるモノ〟を交互に目を配っていたから。
横向きのアイラ、その腰辺りが膨らんでおり、その膨らんだ〝あるモノ〟に手を伸ばそうとして途中で止める。
〝あるモノ〟はすぐわかった。幽霊を滅するために持っている〝ピストル〟。
アイラもどうしたらいいのかわからないのだろう。幽霊を滅するのが仕事と言っていたが、それをするのは簡単。それを行おうと思えばすぐにでも行える。
けど、ケンシンくんとマリナちゃん二人のことを聞いて、それが正しいことだと自信が持てていない。
だから俺に目を向けてくる。俺が、どうするか、それを知りたいから。
――……。
俺はどうすればいいのだろうか、どうしてやれるのだろうか、と考えながら同時に、無力感が後を追いかけてくるような焦りがあった。
二人のお母さんは〝俺のように力〟を持っている人じゃない。それをどうすれば……。〝俺のように〟?
と考えたところで、俺は思い至る。
俺には〝この力〟がある。思い、伝えることができるんだったら、俺にはできることがある。
できるんだ。そう確信し、あるんだったら、ただそれをやろうと決心した。
「アイラ」
俺はアイラの名を呼んで小さく首を振る。それだけで伝わったのか、アイラがピストルに伸ばす手が止まり、グッと一回握り拳を作って俺に頷いた。
「ケンシンくん」
【……はい】
待っていてくれたケンシンくんは意気消沈というか、そんな雰囲気を纏っている。そんなケンシンくんに、
「二人のお母さんに会いに行こう」
【え……】
「ケンシンくん、マリナちゃん、二人のお母さんに会いに行こう」
俺は、それだけを言う。
【でも、ママはボクたちのことを……】
「視えないのはわかっているよ」
【だったらどうしてですか? マリナにも言いました。ここにいても……ママにはボクたちの姿は視えないって……】
二人が俺の部屋からいなくなった理由が今わかった。マリナちゃんがどうやら一人でここに来たんだと思う。
ケンシンくんはお母さんに会っても、どうにもならないとわかっているからマリナちゃんを連れ戻そうと追ってここに来たんだろう。そして感情が大きく出て、マリナちゃんを叩いた。
【だから……ママに会っても……】
違うよ。その時とは違う。今は、
「俺がいるよ」
【お兄さん……】
「俺がいる。俺も一緒に行く。二人のお母さんには二人のことが視えなくても、俺がケンシンくんとマリナちゃん、二人の〝想い〟を伝えてあげる」
ケンシンくんは俯いて押し黙り、答えなかった。
不安や迷いがあるのだと思う。俺が一緒に行っても、そう上手く伝えることができるのかわからない。
そう、二人のお母さんは理解してくれるかわからないという一番の問題。ケンシンくんとマリナちゃんの姿がお母さんには視えないわけだから。
「ねえ、ケンシンくん」
【――……】
「俺、二人のことホントすごいと思う」
【――……】
「亡くなって、幽霊になっても、ここで、この場所で誰かのために良いことをやっている」
【――……】
だからね、
「そんなキミたちのために誰かが何かをしてあげないといけないのなら、俺はその誰かをしたい」
二人がここで、この場所でやっている誰かのためと同じ。
俺は身を屈め、同じ目線に立ち、
「ケンシンくん、マリナちゃん、キミたち二人のためにできることをしてあげたい。だから、任せて」
そう、伝えてあげる。
【う、うぅ……】
ケンシンくんの目から次から次へと涙が溢れ、頬を伝って決して濡れることのない雫は道に落ちると消えていく。
無造作に両手で拭うけど、ケンシンくんの涙は止まらなかった。そして、泣く声も……。
気丈な表情は、完全に壊れた。
【……おにいちゃん】
泣いていた自分よりも泣く兄――ケンシンくんを見てマリナちゃんは泣き止み、お兄ちゃんの許へと駆け寄ってくる。
【おにいさん、おにいちゃん、だいじょうぶ、なの……】
「大丈夫」
礼儀正しく、気丈に振舞っていたのも、全ては妹であるマリナちゃんのため。
マリナちゃんがお母さんのことで落ち込んでも、自分はしっかりしないといけないという気持ち、その今まで背負っていた重荷が軽くなった反動。
ケンシンくんも、泣きたかっただけなんだ。
「マリナちゃん、キミのお兄ちゃんは、ケンシンくんは大丈夫だから」
ただその場で泣くケンシンくん。それを心配そうに見る妹のマリナちゃんを安心させるように俺はその手を握ってやる。
――ケンシンくんが、泣き止むまで。
【泣いたら、すっきりしました】
十分ぐらい泣いていたケンシンくんは、目を真っ赤にさせてそう言った。でもその表情は、とても笑顔が溢れている。
【ごめんなさい、お兄さん】
「気にしないでいいよ。それよりも……」
【あ、はい】
とケンシンは頷き、マリナちゃんに振り向く。
【ごめんね、マリナ。ボク、ひどいことしちゃって】
マリナちゃんは首を横に振る。
【マリナもごめんなさい。おにいちゃんもマリナとおんなじで……】
言いかけたマリナちゃんの口に人差し指を当てるケンシンくん。
【それはもうなしにしよう】
【――……。うん……うんっ!】
二人どうやら仲直りした様子。
ホントいいなぁ、こういう兄妹。俺、弟だし、妹か弟がいればケンシンくんのような兄になりたいねぇ。
いや、というか俺自信は弟として問題がある。我侭だからこういう兄になれるかなぁ。現時点で姉貴にも……あ、いや、姉貴の方が俺より問題だった。
ケンシンくんとマリナちゃん二人を見ていると、何だか羨ましい。
率直に思ったことを考えていると、
「貴方……」
アイラが傍に寄ってくる。
「ん? どうしたの?」
「あの、あのね……」
「ん?」
何か言いたげな様子。けど、
「ごめんなさい。何でもないわ」
アイラは何でもないと言って目を逸らした。
「そうか」
何だろう? ものすごく引っ掛かる。
アイラもアイラで何か〝想い〟を持っている、そんな気がして……。
【お兄さん】
「え? 何?」
【ママのところ、いっしょに行ってください。お願いします】
【おねがいします】
ケンシンくん、マリナちゃん、二人が俺に頭を下げてきた。
「いや、そんなことしなくていいよ。俺は一緒に行く。そのつもりだから、ね」
【その必要はないようじゃぞ】
突然、後ろで今まで黙っていたスミレが口を開く。
どういうことだよ? と思って振り返ると、道の先で二人の女性が立っていた。
一人は、俺の母さん。もう一人は、どこかで見たことのある〝妊婦〟の人。
【ママだぁっ】
マリナちゃんが叫ぶ。
「え? ママ?」
【は、はい】
頷いて答えるケンシンくん。
マリナちゃんの面影がある顔つき。幼さは一切なく、マリナちゃんを大人にしたらこうなると思える黒髪が長い綺麗な人。
けど、暗く物憂げな表情は、事故現場で初めてマリナちゃんを見た時と同じ。
「あらぁ、ちょうどいいところにみんな揃っているわねぇ」
どうして母さんは、その人と一緒にいるの……。




