当て逃げと変わった幼馴染
目が覚めると、部屋の中は窓から差し込む夕暮れの日差しによって山吹色に染まっている。
【おはようございます。夕方ですけど、おはようございます】
身体を起こして声の方向に向く。
女は部屋の中央でチョコンと正座して座っており、夕日の色に染まらず、艶やかな赤色のままの髪や瞳がこいつの存在をもう一度雄弁に語っていた。
「何だ、まだいたのか?」
【あ、はい。どこか行こうか迷ったんですけど。ほら私、幽霊じゃないですか? 不安でもあったし、それに道に迷って迷子になっちゃうといけないから】
道に迷う迷わない以前に、幽霊などは初めから難民みたいなものだ。
【あなたが『ここにいれば』と言ってくれていたので、そのお言葉に甘えました】
普通に受け取れ。別に甘える言葉でも何でもない、とベッドから足を出して腰掛ける体勢をとる。
よく眠ったな。すっきり爽快で気分が良いけど、こいつがいなければ尚のこと良好だっただろうな。
【そうそう。そういえばですね】
「ふぁぁぁぁあ、あぁ?」
【大きな欠伸ですね? 口の中が丸見え。締まりのない顔です】
アハハと笑う女。俺は目覚めの反動である欠伸で薄っすらと涙が浮かべながら、
お前は顔がアホだろ。泣いたり怒ったり笑ったり、と豊かに変化する表情は、まったくもって幽霊の類らしくない。
「で、何?」
【え? 何が、ですか?】
「さっき何か言いかけただろ?」
【あ、そうです、そうです。あなたが眠っている間にですね】
生前の記憶でもちょっとは思い出してくれたのか?
【女の子がこの部屋にやってきました】
「――……」
話を受け流そう。受け答えはしたくない。こいつとはよっぽど遠い無関係の話だし、俺自身があまり聞きたくない話でもある。
【顔立ちとかが猫っぽい感じの癖毛のショートで、あなたぐらいの歳の女の子。とても可愛いと思いました。あなたの妹さんですか?】
姉貴だよ。
【でも妹さん、あなたとは顔がまったく似ていませんね。アハハ】
最後の笑いにイラっとした。やっぱりこいつがいると気分は良好から程遠い不愉快にしかならない。
それにしても、あの姉貴は姉貴でよく俺の部屋に無断で入りやがるなぁ。
【でもですね、何だかとてもいいなぁって思いました】
何がいいんだ? プライバシーも何もあったモンじゃない。
【あのですね、妹さんが来て、あなたの寝顔を心配そうでいて、優しくジッと見つめているところを見ていたら、何だか兄妹愛っていうほほえましいものが】
薬でもやってんの、お前?
【いいですね、兄妹って。そう思いません?】
血の繋がりがある無二の存在っていう点は、な。そこは否定しないけど。
極々普通のどこにでもいる平凡な姉、というのが欠けているからな、あいつは。
【お兄ちゃんに甘えたいけど寝ているから静かに見ているだけの妹さん。お兄ちゃんを見ているだけで幸せを感じちゃう! その癒されるような気持ちがいいです】
蛆虫が脳みそに寄生してんのか、お前?
【でも、ちょっと嫉妬しました】
する必要がないだろ?
【微笑まし過ぎます。ホント見ている間、嫉妬を覚えちゃいましたよ、私。カップルみたいな雰囲気作っちゃって。だから私、ちょっと後ろから囁きました。『うらめしや』って。アハハ】
ベタな台詞だな、それ。どこに笑う要素があるのかわからん。
【でも、そしたらそれが通じたのか、一変して蒼白な表情でそそくさと出て行ったんです……妹さん。私、ショックでした。幽霊のように怖がらせてしまったんだ、自分が怖いと思う幽霊になっちゃったんだ、と……】
今のお前は幽霊であって、幽霊でしかない。でも、追い出したことはよくやったと心の中で褒めてやろう。
【だから、三回目以降から極力見ないように離れていました】
「やり続けろ。途中で放棄するな。妥協するな。あと、三回以上も来やがったのか、あいつ?」
あぁ、思わずツッコミを入れちまった……。
【はい。えっと、合計十二回だったかなぁ】
六時間近く俺が眠っている間に三分の一の時間を使うなんて、マジもんのブラコンか? そんな奴と一つ屋根の下で生活しないといけないのか、俺?
【どうしたんですか? 浮かない顔みたいですけど?】
「別に」
【もしかして、妹さんと上手くいっていないんですか? 妹さんの様子からしてそんな風には見えなかったですけど……。あっ、もしかして】
「もしかしてはない」
【私まだ、何も言ってないですよ?】
「俺自身の問題と言いたいんだろ? キッパリ言ってそれは無いから」
【私の思ったこと、よくわかりましたね?】
「わかるわ。あいつに問題がないと思ったのなら、自然に俺の方に問題があると考えるだろ」
とくに簡単なお前の頭の限界値は低いからな。
【あぁ、なるほど。で、もしかしてはあるんですか?】
「ない。さっき、キッパリと断言してやったばかりだろ」
【あ、そうでした。私ったら、つい】
遭ったことないからわからないけど、当て逃げに遭った気分ってこういう感じか? こいつ、会話が一方通行だ。どれだけ自分のペースで話を進めやがる気だろう。
それについて目の前の女はとくに気にした風でもなく、フワフワと次は何を話そうかな、とか考えていそう。
次、絶対来るわ。またどうでもいいのが。間違いない。
【そうそう。それと、あのですね。あなたが眠っている間に気付いたんですけど、私、お腹空かないみたいなんですよ】
ほら来た。
【これも幽霊だからかなぁって思うとちょっぴり残念で。あ、いえ、別に私は大食らいではないですよ】
訊いてないから。
【でも、これって年頃の女の子からしたら羨ましいのかもしれません。あれです。ダイエットの必要がまったくありません。はあん、素晴らしいです】
正直どうでもいい。
【もう、食べ放題なんです。チョコレートパフェ、ストロベリーパフェ、プリンパフェ、八町味噌パフェや豚カツパフェも】
パフェばかりだな。最後の二つは本当にパフェ類なのか?
【特にストロベリーは最高です! イチゴ、それは甘酸っぱい甘美な、ひ・び・き】
この後、食事と風呂以外の時間と眠るまで、こいつに話しの当て逃げをされ続けた。
翌朝――。
【早いですね? まだ六時ですよ? もう行くんですか?】
幽霊の癖に睡眠が必要らしい女は、寝惚け眼で俺にそう問いかけてくる。
制服に身を包んだ俺は、あとは鞄と竹刀を持ったらお仕舞いという状態。
「朝練がある」
【朝練習ですかー。それにしても学校かぁ。私も生前は行っていたんでしょうね】
「ついて来るなよ」
【まだ何も言ってないですよ、私】
「本音は?」
【行きたいです。ダメですか? いいじゃないですか? 私、あなたの学校って、ちょっと興味があります】
「俺の半径一キロメートル圏外で自由行動していろ」
【それって、絶対にあなたの学校に来るなって言っているようなもんじゃないですか?】
「そう言っているんだ。わかれよ?」
【はぁは~ん。わかりました】
違うことがわかったんだな、それ。
【もしかしてあなた、学校では寂しい人ですね?】
鞄持って、竹刀持って、忘れ物はないな。
【酷く性格悪いですし、人付き合いも苦手そうな感じ。お昼も一人で食べている根暗な……】
「行ってくる。ついてくるなよ」
と最後に一応念を押して部屋から出て扉を閉め、階段を下りながら、あいつ絶対ついて来るわ、と予想。
「いつも早いわねぇ。外でモモカちゃんが待っているわよぉ。行ってらっしゃい、レンちゃん」
「行ってきます」
靴を履き、後ろからの母さんに見送りの言葉を返してさっさと家から出る。
家から出ると、あいつが門の前で待っていた。俺のことに全然気付いていないけど。
「おはよう」
垂髪に背中半分まで靡く後ろ髪には見慣れない赤いリボンが華やかに映えていた。
「あ、レンくん、おはよお」
声を掛けると、小学生の低学年が投げる山なりボールと同じ速度のような緩やか声が返ってくる。
「おはよう、モモカ。ごめん。いつも待っていてもらって」
と話しかけながらモモカに近づき、視線を少し下に向けた。
広いデコがチラチラと見え、ほのぼのと寝惚けている雰囲気しかしない丸みのある幼い顔つき。
三月まで小学生だったこいつと、二つ年上の俺との身長差は結構ある。モモカ自身が手に持っている赤色の竹刀袋の長さと身長を比べてみても、あまり大差がないんじゃないか、と思えるぐらい。
制服のブレザーも少し大きい。一言で言うと、ちんちくりん。
「私もレンくんと一緒で朝練なんです。だから、そんなのご無用ですよ」
いやまあ、俺と同じ剣道部だからな。手に持っている竹刀袋は何だ? 違う部活動している口振りはおかしいんじゃないか?
「お家もご近所。通り道、通り道。それに、私とレンくんは幼馴染だから、ね」
「そうだね。それよりその赤いリボン、初めて見るやつだね?」
「あ、そうなんですよ。綺麗な赤色の生地を買いました。バラのように真っ赤。バラの花言葉は〝美しい〟。赤は情熱的な女性をイメージさせます。私のお手製ですよ」
「へー、そうなんだ。だからリボンの形もバラの形なんだね」
赤色が好きだからなぁ、モモカは。よく自分で縫い物をして作ったりしているけど、ほとんどが赤色のものばかり。
「うん。でも、私の名前の桃の花――ピンクの生地もいいなぁ、と目移りしちゃった。花言葉は〝チャーミング〟。でも、赤色が好きだからこっちにしました。似合いますか?」
「うん、とても似合うよ」
似合うけど、バラの赤というイメージは実物のモモカとは対極に位置している。名前の通り桃の花のピンクの方がぴったりだ。と感想を考えていると、モモカはジッとこちらを見つめていた。
はあ……、と俺は溜め息。さて、どれぐらいの時間が掛かるかな。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――……。
目、でかいな。純粋無垢で吸い込まれそうなほど奥行きがありそう。
何かに興味を持っていそうで、内実、小さな口が半開きでボケッと何も考えていない表情のモモカは俺を見上げ、俺自身も特に何も考えずにモモカを見下ろす。
体内時計的に十分ほど経っただろうか、モモカが、
「く、首が痛い……」
首を手で押さえて苦悶な表情となると、終わったか、と思う。
「すごく集中していたね」
「あ、またやっちゃたんだ、私」
慣れているからいいけどな。今回は短い時間で済んで良かったと思っている。
人を見つめる、という短気な奴にやれば絶対難癖つけているとか、好意もない奴にやれば、こいつ俺のこと好きなんじゃないか? と早とちりをされるような癖というわけではない。
モモカは何かに集中すると、周りがまったく見えなくなるほど集中する。一つのことに対して集中力が尋常じゃないほど半端なく凄まじい。
「やらないようにしているつもりなんだけどなぁ……」
変わっているといえば変わっているが、俺のような異常な奴じゃない。純粋無垢なんだろう。
昔、剣道場で稽古に集中し過ぎてトイレに行くのを忘れたこともあってお漏らしをやらかしたぐらいだからな。
「とりあえず、行こうか?」
「うん。あっ……」
「ん? どうしたの?」
「う、ううん……。何でもないの」
ビクッと身体を強張らせたモモカは視線を背け、僅かに震えながら言う。何かあったと丸分かり。
と、俺も震えというか、背後からの覚えある感覚的な気配に気付いた。
原因の何かはすぐに理解する。昨日の姉貴がモモカと同じような風になったらしいし、これはあのアホが真後ろにいるからだな、と見当をつける。
【小動物みたいで可愛い子ですね? どことなく子ダヌキっぽいですけど】
やっぱり、か……。
【この人、あなたの彼女さんですか? お名前は何て言うんですか?】
予想通りとは言え、俺が『ついてくるなよ』と言ったのに一切隠れようともしないなんて。
【ねえ、ねえ? 教えてくださいよ? どうなんですか、この子とのご関係は?】
視えない人であるモモカがいるこの状況で、返答できると思ってんのか? 相手にしたら俺、完全に頭おかしいと思われるぜ。
「遅れるから行こう、モモカ」
と、いたって気付いていないように言い、モモカの左手を取って歩き出す。
後ろで、【うわ! 大胆です! 手なんか握っちゃって! とても見ていられません!】と聴こえた。
うるさいな。じゃあ、見るな。
隣のモモカの気分具合が一層悪くなっている感じが見受けられ、フラフラっとおぼつかない足取りで握っている俺の右腕にしがみついてきた。
【はわわわ……! な、何ておアツイ二人組ですか、ここ、これは! 私まで火照ってきましたよ。燃えちゃいそうです!】
燃えて灰になってしまえ。今この瞬間、モモカにとって害悪にしかならないから、お前。というか、大多数の人間にとって迷惑極まりない存在だから。
「大丈夫、モモカ? 顔色悪いけど、帰る?」
「……ううん。大丈夫、大丈夫……。心配しないで。こうしていると……安心だから……」
「そう? 大丈夫なら、いいけど」
顔が赤い。モモカはモモカで二重苦だな、これ。
【色男ですね。こんな人気のない道でベッタリしているなんて】
イラっとした。お前の存在の所為なのに。
【私への当て付けですか? むむむ。あ、そうだ。私にも男の人を紹介してください?】
はい、話がだいぶおかしい、こいつ。モモカがいなかったら、竹刀で強烈な一発を頭にブチ込んでやりたい。
「あっ……」
ふと、モモカの足が止まる。
「ん? やっぱり具合悪い? 戻ろうか?」
ブルブルと首を横に振るモモカ。
【どうしたんですか? この子、顔が真っ青ですよ?】
原因はお前だよ。顔が近いんだよ。間に割って顔を出すな。
【というか、さっきから話しかけているのに、何で答えてくれないんですか?】
空気読めないこいつに、かなりイラっとした。
落ち着け、落ち着け。俺はこいつが視えない。このアホ女は視えない。そう自分に言い聞かせて沸々とする心を静める。
「ん……」
「どうしたの?」
ふと、モモカが辺りをキョロキョロと見回していた。
明らか不安な表情に、何かあるのか? と思い、俺は視線だけを泳がして辺りを見る。
【あ、あそこに光るモノが落ちています。お金でしょうか? 警察に届けないと】
道先にある十字路の角を指差す女。今はどうでもいいわ、ボケ。
いつも通っているあまり大きいとは言い難い通学路。家々の建物が立ち並び、見通しの悪い住宅街の十字路は車や自転車なども通るから安全面が悪い。
特に、小、中、高、と学生が少し多くなる時間帯や、ご近所の主婦の人の往来時は気をつけていないと事故に遭う。今同様、基本的には人通りは少ないから方だから、あまり気にされたことはないけど。
【あのー、ちょっと? これ、これ。見てください、見てください】
「モモカ、やっぱり帰ろう? 今日は休みなよ?」
病欠になるだろうけど、今は帰ってもらえるとすごくありがたい。
【見てくださいよ。お金かと思ったら、缶のプルタブでした】
このアホ女を今すぐ始末したいから。ていうか、拾ってくるな、んなモン。ゴミ箱に捨てて来い。
と、同時に後ろから迫る小さな排気音に気付いた俺は振り返った。
朝練ために通学するこの時間帯や、部活のない下校時によく見かける白い車が走ってきたので、モモカを道脇に誘導させる。
近づいてくる車に乗っているメガネに黒いスーツを着た若い男性は、近所でよく見かける人。今日も早い出勤だな、と思う。
【脇へ寄って、どうしたんですか? うん? ひゃー……!】
女が振り返ると、一台の白い車が徐行スピードで女をすり抜けて通り過ぎた。
【ああ、ビックリしました】
そんなところにフラフラと浮いているお前が悪い。
【もう! 人をすり抜けておいて謝りもなしですか、あの車? 私がいるのに、何て運転しちゃっているんでしょう。人身事故ですよ、これは】
そもそもお前は幽霊だから人身事故扱いにならない。例え人身事故になったとしたら、俺は運転手の方を弁護する。
「ありがとう、レンくん。それとあのね、私、もう大丈夫だから……。学校へ行こう? 遅れちゃう」
「そう? ならいいけど」
「うん」
腕から離れるモモカの身体の温もりがなくなり、空気に触れた感触が制服を通して伝わる。名残惜しそうに離れる感じを出すの、やめてくれ。
「さあ、レンくん。行きましょう、行きましょう」
モモカの表情――様子が普通に戻っていた。
「そうだね」
【あ、行くんですか? 待ってださい】
俺とモモカは歩き出す。女はピッタリと後ろをついてくる。俺への話しの当て逃げをしながら。




