父さんご帰宅で家出したい
「え? ボクが死んだと思ったの? そそっかしいんだなぁ、二人とも。あははははっ」
「そうよぉ。おかしいでしょぉ」
リビングでの遅い晩御飯の最中、母さんから先ほどの話を聞かされた姉貴は箸を止めて大声で笑う。
姉貴、食事の最中だ。笑う時はできれば口を押さえろ。
「そんなに笑わないでくださいよ、アカネさん」
結局俺の家で晩御飯を食べていくことになったフェル。
「だって、ちょっと早とちりが過ぎるよ。くっくくく」
「そうよねぇ」
「うぅぅ」
恥ずかしいのを隠そうとするようにご飯を口にかき入れた。
おいおい、フェル。そんなにがっつくと咽る……、
「ごふぉっ」
咽た。ベタだなぁ。
さらに笑いを飛ばす姉貴と、微笑ましく笑う母さんに、咽たフェルはより一層顔を赤らめた。
笑わせておけばいいのに。早とちりしたのは確かなんだから。
「けどぉ、アレは早とちりしちゃうわよねぇ。アカネちゃんが動かなくなったときお母さん、胸が締め付けられて泣きそうだったわぁ。あらいやだぁ、思い出したら涙がぁ」
母さんがワザとらしく、ワザとらしく目尻を指で拭く仕草をする。
涙が出ていない、出てない。潤んでもいねぇ。
「あ、えっと、母さんごめん。その、心配かけて……」
「大丈夫。お母さんですものぉ。任せてぇ」
「か、母さん……」
姉貴、信じるな、感動するな。母さんの言っていることは嘘で、仕草も演技だ。
てか、任せてって何なの? 何を任せればいいの?
「でもぉ、レンちゃんとフェルちゃんのあの慌てっぷりったらぁ、うふふ。思い出しただけでぇ、おかしくって可愛いかったわぁ」
あぁ、もう本音をブチまけやがった、この親。
「アイラちゃんもそう思わないぃ?」
「え?」
急に話を振られたアイラは、のそのそゆったりした食事の箸が小さな口に運ぶ手前で止まった。
俺たちを慌てさせた本人にどうして訪ねる? まさかこいつ、母さんの知り合いで、こういうおかしなことをさせるために雇った手先、とかか……?
いや、そんなわけないな。うわぁ……、雇った手先とか、思考が分身女と同じレベルに落ちている、俺。最悪。
「あうぅ、えぇ、えっと……」
まあそんなことより、普通に返答に困っているねぇ、アイラの奴は。
「あ、あの、どうして、ですか?」
ん? 突然、何がよ?
「どうしてご飯を食べているのですか?」
「はあ? 遅いけど晩飯だからご飯を食べているのですが、それが何か? って、レンちゃんなら言うわねぇ」
人の言いたいことを代弁してくれてありがとう、母さん。
「い、いえ、そうじゃなくて。私がまだこ……」
「ここにいるのに平然としているのがぁ、そんなに不思議かしらぁ?」
コクコクと頷くアイラ。
「母さんが何も言わない。なら今、お前をどうにかする必要もない。って、レンちゃんなら答えそうねぇ」
わかっているじゃん、母さん。俺、喋らなくてもよさそうだな。
「で、でも……あんなこと起きて……。それに、その……」
アイラの視線が俺の腹部を捉える。見事に妊娠したような姿になった俺のお腹がそこにはあった。
俺の話題に話を持って行こうとするな。
「もうぉ、ピストルを向けたりしちゃったらダメよぉ」
「でも、あの人のお腹はとり憑かれて……」
俺は箸を、テーブルで音が鳴るように叩いて置いた。
「ッ……!」
それ以上は言うなよ、と俺はビビるアイラを見据えて睨む。
この妊娠したようなお腹の中には魂――〝赤ちゃんの幽霊がとり憑いた〟、というのはわかったよ。
けど、姉貴が言っていたように、この赤ちゃんの魂には何か理由があるのだろう。だから、その理由が何のかわかるまではとり憑かれてもいいと俺は判断する。
迷惑な幽霊とは違い、害はなさそうだし。万が一、俺の命に関わることが起きたら迷わず成仏させるけど。
「ピリピリしちゃぁダメよぉ。楽しい、楽しい、ご飯時なんですからぁ」
そういう話を掘り起こさなければそうならない。
「で、でも」
「でもでも、ってまだ言うか、ごらぁ?」
「ひぃ!」
箸をテーブルに落とし、蒼白になってアイラは怯えた。
ひょっとしてこいつ、ビビりなのか? モモカにもビビッていたし、さっきも今も。これはもうビビり決定だな。
すごいなぁ。おかしなメイクと服装して、大トカゲ飼っていて、ピストルまで持っていて、錯乱しながら関西弁話して、おまけにビビりだなんて。一つでもまともになれるように頑張れよ。
暖かい目でアイラを俺は見た。
「やっぱりそのお腹の赤ちゃん、幽霊なんだな」
俺の妊娠したお腹をマジマジと見つめてフェルは呟いた。
「違うわよぉ、フェルちゃん。そのお腹の赤ちゃんはレンちゃんの子供よぉ。初孫だわぁ。お母さん嬉しいわぁ」
「ボクのお腹にいた子だったのに。あ、でも。レンのお腹に移っちゃったってことは、やっぱりレンがパパだったという何よりの証拠、なのか!?」
「流していいぞ、フェル」
「そ、そのつもり」
アホの相手はしてはいけない。おかしい湊家、その中で特筆して頭の回転が違う、おかしい二人だから。
「ただいま」
この声は……。
「あらぁ、お父さんだわぁ」
あ、父さんの存在をすっかり忘れていた。
このお腹見て、何て言うだろ? ちょっと反応が気になる。できるならまともであってほしいなぁ。
そう願いを込めていると、
「今日もお父さん、お仕事頑張りました」
リビングのドアが開く。
猫科の姉貴に似た顔つきと癖毛髪に、全体的に骨だけのような痩せ型の体型をした会社員、もとい、父さんのご帰宅。
「お帰りなさぁい、あなたぁ」
「あ、どもども。ただいま、アサギ。今日は大勢いるんだね」
「そうようぉ。何せぇ、おめでたいからぁ」
「おめでたい? 誰かの誕生日だったかな、今日は?」
「違うわよぉ。レンちゃんにぃ、子供ができたのよぉ」
「子供?」
「ええ」
「見て、父さん」
俺は大きく膨らんだお腹を父さんに向けて見せる。
「九ヶ月目ぐらいよぉ。おめでたいでしょぉ」
さて、どういう反応が返ってくるか。まともであってほしいなぁ。
「九ヶ月目?」
「らしいよ」
と突然、父さんは真剣な表情へと変貌していく。
「きゅ、九ヶ月目ということは、あと一ヶ月ほどで産まれるということで、いや、早ければ明日にも。落ち着け。落ち着くんだ、私。私がやることは、オムツにミルクなどのベビー用品を買いに行って……」
あまりまともじゃねぇ。
「あ、赤ちゃんの名前を考えないと……いや違う、名前はレンヤに決めさせてあげないと。親はレンヤなんだから」
「名前を占い師さんに見てもらわないといけないわねぇ」
「アサギ、それだ。そうだな。うん、そうだ。私が占い師さんのところに鑑定しに行ってこよう。で、その次は……」
フェルの奴なんかはポカーンと呆然している。フェルだけじゃない、今日初めて出会った他人のアイラも同じ。知人以外の第三者でもこうなるのか。
ホントまともな家庭じゃないんだな、この家。湊家全員おかしいという証明を確認。
溜め息を吐き出しつつ、俺は脱力感に襲われた。
「今、レンヤが十四歳だから、中学卒業すると働けるわけだけど、でもやっぱり稼ぎ頭は私なわけで、私があと三○年近く働くことができるから……」
「初孫だからぁ、頑張ってぇ、あなたぁ」
「うん、精一杯頑張るよ。シングルマザーのレンヤをサポートするのは、親の役目だからな」
シングルって……いつから俺は女になったの?
「もし子供が女の子だった場合、アカネの時に経験している私にとっては造作もないはずだ。幼稚園はレンヤと私とアサギが交代制で送り迎えして、小学校は、小学生の時期は一人親であることで問題が起きるかもしれない。何しろ、こういうことに敏感になる時期。心しておかなければ。中学校は多感な時期であるから……」
「ねぇ、あなたぁ? レンちゃんのようにぃ、赤ちゃんができちゃったらどうするぅ? 十四歳の母親二世」
「あっ、そういうことも念頭に入れておかないといけないのか?」
念頭に入れんでもよろしい。
「そうか、そうだな。うん、うん。となれば、その頃には私は五○代で……」
ものすごい勢いで妄想人生プランが父さんの中で出来上がっていく。
母さんも母さんで何やってんの? 何、この親たち?
溜め息は何度出ても足りないと感じる。
「どうしたの、レン? 溜め息ついて?」
「姉貴、あの親を見て何とも思わない?」
「うーん。ボクとレンの時のような感じになっているな」
「え?」
「ほら、あの時だよ。レンがボクを泣かせた時。その夜に、父さんと母さんが話し合っているのを見たんだ」
「マジで?」
「うん」
あの時もこういう妄想プランを言っていたんですかぁ……。
「ひくわぁ」
「だけどさ、レンヤ。良いお父さんさんだと思うよ、俺は」
フェル、父さんのことをフォローしているようだけど、俺にはそのフォローの受け止め方が難しい。どういう受け止め方をすればいいのか教えてください。
「何だよ、その顔?」
難しいの。そういう顔もしたくなるよ、姉貴。
「ボクはフェルくんに同意見だ。こんなにポジティブに考えてくれる父さんなんだもん」
垂れ流している妄想はポジティブだね。でも、垂れ流す必要はないよね。口には出さず、心の中で留めて置くなどして欲しいなぁ。
「普通さ、中学生で妊娠したら、親にこんなこと言ってもらえないと思うよ?」
フェル……。
確かに。フェル、キミは、まとも、という名の最後の砦だと思う。今一番俺に必要な人。さすが親友だなぁ。
まともな親は子供が妊娠なんかしたら、娘に手を出したのはどこの馬の骨だ、とか、そんな子供に育てた憶えはない、とか初っ端に言いそう。まともだったら、たぶん。
ん? てか、俺は娘じゃねぇ! 変な思考スパイラルに俺は陥った。
「父親なんて碌でもないわ」
俺が陥って考えているところ、明らかに不機嫌な表情のアイラがボソボソと小さな声で呟いた。
アイラ、父親と何かあったのか?
「レンヤ」
「はい? 何、父さん?」
唐突に父さんに呼ばれて振り返る。
「任せておきなさい。私の考え通りなら大丈夫だ」
え? ごめん、あまりちゃんと聞いていませんでした。どこまで妄想人生プランを設計したの?
「なんとぉ、十七人大家族よぉ。おめでたいわねぇ」
もう俺、ついていけません。追いつけもしません。
「あれ、アサギ? 十六人大家族のはずじゃ……? まさか!? どこかで計算を間違えたのか!?」
「もう一人はぁ、あそこよぉ」
母さんは指差した。
俺は母さんと指差した奴を交互に二度見た。
「な、何……? 私?」
「十七人目のアイラちゃんよぉ」
わからん。経緯がわからん。
「あ、どもども。こんばんは、初めまして。父です」
「え、あぅぁ、こ、こん、ばんは。ア、アイラ、です」
「これは、これは、ご丁寧に。これから家族としてよろしくお願いします」
何? 父さん何なの、その低姿勢? 会社員の成せる技なの?
いや、会社員関係ねぇぇぇっ。
「アサギ? この子、どこの子?」
さっき家族としてよろしくって言ったばかりだろ!
くそっ。この父、俺にとって伏兵のような存在だったのか?
「迷子のアイラちゃん。拾ってきたのぉ」
「あ、そうなの? あれ? ということは、アイラちゃんが家の子になるということは、最終的に十七人家族じゃ収まらないということで……」
また始まったぁ……。何だろう? あまり喋ってないのに疲れてきた。
「アイラちゃんが小学生の低学年、二、三年生ぐらい。まず、レンヤに子供が産まれて五人家族になって、それから……」
あかん。俺、もうあかんわぁ。
「姉貴、アイラ。父さんと母さんの四人で末永く幸せに」
「レン?」
「な、何を?」
姉貴とアイラが怪訝な表情を浮かべた。
「フェル?」
「ん? うん?」
「俺を、フェルの家の子供にしてください」
「えっ!?」
前言撤回なんです。おかしいって認めるのはやっぱり嫌でした、俺。
とても家出したい。




