レンちゃん先生による保健の授業、からの事件
失神したアイラを一度リビングに連れて行き、母さんが持ってきた服を着せ、空いている部屋に運んで寝かせて、重労働を終えた俺はリビングに戻ってきた、のだが……。
俺の左――腕組み、足組みしてソファーに座り、牙を見せて威嚇の鳴き声を出しそうな怒った表情。まったく愛くるしいと思わない猫、もとい姉貴。
俺の右――腕組みしながら床に正座し、眉間にシワを寄せて気難しそうにしている困った表情。肉食系とは程遠い草食系の狼、もといフェル。
その二人の間でなぜか正座させられた俺、もとい獲物のキツネ。
前門に虎と同じのネコ科の人、後門に金色をしたイヌ科の人か……ああ、もう一匹いたなぁ、後ろに。俺と同じキツネの部類に分類できる母さんが。
ふむ……。例えてみてもどういう状況かわからない。ホント、正直どうしてこうなった?
「レンヤ、キミって奴は。はあぁ……」
巻き込んでごめんね、フェル。何とも言えない、と言わんばかりの溜め息を吐き出さないで。出すならこの状況の説明を出してほしいです。この俺が理解できる懇切丁寧な代物を。
「レン。お風呂は、楽しかったようだね」
楽しいことを訊きたいならまずその表情を何とかしたほうがいい。それにあれが楽しい奴は頭の構造が違う。ロリコンというプログラムがされていると思う。
「レンちゃん、もう浮気しちゃったのぉ?」
まともな話を持ってくるまでお前には口を開かない。
というか、とっても不穏な空気がリビングを支配。ハッキリ言って重苦しい。
この空気を壊す誰かが必要だと感じる。うーん、誰か呼ぶか。
モモカ。敵を増やしてしまう。四匹目登場で四面楚歌になる。
スミレ。まともだけど、まともじゃない時もあるからギャンブル要素が高い。
分身女。俺の中の俺に申請したい。こいつは選択肢から抹消してもいい。選択をしてしまったら、前二つの選択肢もオプションでついてくるという最低最悪の選択肢だ。
あとはこの状況のため、俺の部屋にいるケンシンくんとマリナちゃんなのだが、あの子たちにこの状況を見せるのは、俺がこの状況の当人じゃなくても絶対にさせたくない。なので、却下。
あ、誰も呼べる奴がいねぇ。
「俺、頭が痛くなってきたよ……。なあ、何か言ってくれ、レンヤ」
「キミはいつになったら口を開くんだい?」
「これはぁ、前門の虎、後門の狼ねぇ」
この母さんと同じ考えが浮かぶなんてもうお終だ、俺。グレていいかな?
でもこの話、すっごく簡単なことなんだよなぁ。
何が問題かといえば、俺が気づいているのに約二名が気づいていないことが問題。一名は楽しんでいるし、説明しないといけないのは途方もなくめんどくさい。
「レンヤ、頼むよ。話してくれ」
「いいかげんにしなよ、レン」
「急展開はいつかしらぁ。ワクワクねぇ」
若干、いや、かなり一名マジうざい。決めた。うざいので、終わらせてやろう。
「なあ?」
「言ってくれるのか、レンヤ?」
「ウソや隠し事をしたら許さないぞ、ボクは」
「犯人が自らの罪を告白するシーンねぇ。ドキドキしちゃうぅ」
残念ながらシナリオは書き換えてやったわ。
「フェル、姉貴。俺、言うことないよ」
「「ん?」」
「だから、俺は二人に言うことはない」
「レン! キミって奴は!」
「おい、レンヤッ」
「まず、赤ちゃんのほうから解決しよう。姉貴のお腹の赤ちゃんは、俺の子供じゃない。これは間違いない」
「レン! 酷いよ!」
姉貴は立ち上がって声を荒げる。その身体なんだから暴れるなよ、と俺は思う。
「姉貴、座れ。立ちたいならそのままでいいけど」
言ってやると姉貴は渋々ソファーに腰掛け直した。
「どういうこと、レンヤ? キミ、電話で確かに……」
「二人ともさぁ、小学校の時、保健の授業ちゃんと受けた?」
「ちゃ、ちゃんとう、受けたさ、ボクは」
「俺も」
フェルはいいとして、姉貴の返答が怪しい。
「なら、おかしいって気づくだろ? 赤ちゃん、正確には胎児は母親の胎内で約一○ヶ月近く過ごす。朝、普通だった姉貴のお腹が、夕方にいきなり大きくなるのは、どう考えてもおかしくない? 突然変異とか言ったら、その説明を詳しくさせるよ?」
「「――……」」
姉貴はちょっとショックを受け、フェルはハッと気づいて納得した様子。遅いなぁ、フェル。
「なあ、姉貴? お前は俺と、いつ{ピー}したの?」
「え!? セッ……!」
「{ピー}だよ、{ピー}。{ピー}のこと。俺は断言できるぞ。俺はお前と{ピー}なんてしていない」
やっていたら道徳的にアウト。もし俺の同意を得ずにお前が勝手したのなら、{ピー}の{ピー}でお前は犯罪者確定だ。
「なな、何て恥ずかしいこと言うんだよ! レンのエッチ! バカッ! 最低だ!」
耳、首筋まで真っ赤にして恥ずかしがる姉貴。その後も濁った呟きをブツブツ、ブツブツと吐き出す。
いや申し訳ないけど、これはハッキリさせてもらうよ。恥ずかしがろうがそんなの関係ない。大事なことだから。
「やったの? やってないの?」
「ややや、やったとか下品なこと言わないでくれっ! 女の子なんだぞ、ボクは!」
こいつ、俺より年齢が年上のくせして精神年齢は年下なのか?
「最低。下品。父さんと母さんは{ピー}したんだぞ?」
「父さんと母さんは関係ないよっ」
そこを否定するのか? お前、ふざけてんのか?
「関係ある。お前が最低で下品と言った行為で、お前は〝産まれてきたんだ〟」
それでも最低、下品と言うのか? モノを知らない子供じゃあるまし、わかれよ。
「ッ……! だ、だけど、レンの……」
「俺が何? 言い方が悪いのか? なら、その行為が該当する違う言葉を教えろ。俺は至って大マジメに話をしている。お前が妊娠して、俺がその父親だと言うから大事なことを訊いている。一切のふざけはない」
今この場のこの状況で俺がふざけていたら、俺は自分自身の人間性を疑うわ。
「それは、わ、わかるけど……」
「わかるならそこを通らないと話が進まないのがわかるだろ。誰として妊娠したか、そこが問題なんだから。で、どうなの?」
「これは……アレだよ……」
アレって何? まさかの、コウノトリが、とか頭の悪さを証明する説明したら、即アホと呼んでやるぞ。
「――……キャベツ畑で……」
「ぶふっ!」
思わず吹いてしまう。
「なな、何だよ、レンっ。だ、誰もおもしろいことなんて言ってないぞっ」
わかっている、このドアホウ。ホントないわぁ、このドアホウ。そっちの説明もアホの証明だよ。
「というか……、やったって、何をどうやるのさ……」
ん? 消え入りそうな姉貴の小声に俺は首を傾げる。聞き取れたけど、本気で姉貴の言っている意味がわからなかった。
「姉貴? お前、{ピー}のやり方、知ってる?」
「だ・か・ら! そんなエッチなことをハッキリ言わないでくれっ! ボ、ボクは、慣れてないんだから……。だから、やり方なんて知っているわけないだろ……」
そっぽ向く姉貴。
え、そこを知らない?
確定です。このアホなお姉ちゃん、保健の授業をちゃんと受けていません。
たぶんアレだろう。クラスに一人か二人はいるかもしれない、マジで恥ずかしくて授業が聴こえていなかった奴。
だから胎児の説明をした時、ちょっとショックを受けていたのかぁ……。弟の立場としてショックだわ、俺。
でもまあ何にしても、これで俺の無罪が確定したのは事実。俺はやっていない、姉貴はやり方さえ知らない。真実は解き明かされた。
「姉貴、小学生からやり直してきなさい」
「小学生って何だよっ。憐れみをもった生暖かい目でボクを見ないでくれ」
「いや、憐れみなんてないよ。出来の悪い姉がいる、という感想しか浮かばないもの」
「ひどいっ!」
その台詞は自分自身に頭に向けてください。
姉貴が再びショックを受けた。これで一つ問題は終わり。
「そうか。よかったぁ……。レンヤがそんなことするわけないと思っていたよ」
右にいるフェルがとても安堵していた。
心配性な奴だなぁ。フェルちゃん、もうちっとメンタル面を鍛えようね。巻き込んだ俺が全面的に悪いので言えないけど。
だけど一つ疑問が解決すると、疑問が一つ残るのが問題。
――姉貴のお腹の赤ちゃん、誰の子ですか?
返ってこない答えに俺は頭を悩ます。
「けど、レンヤ。俺はまだ安心できない。ここに〝あの子〟がいる。どうしてここにいるんだ?」
「あ、どうでもいいわ、それ」
「よくないだろっ」
「いや、母さんに訊いて。母さんが拾ってきたから」
俺とフェルが母さんの方に目を向ける。エプロンを着て台所に立っていた。
「あらぁ? 終わちゃったのぉ? もうすぐご飯ができるからねぇ。フェルちゃんも食べていきなさぁい」
大事な話を子供だけにさせて夕飯の支度をしているとか、おい、母親、お前は本当に親か?
「いや、俺は家でご飯がありますから」
「いや、フェル。アレに律儀に答えなくいい」
ツッコミを入れないと、果てしなく自由人な振る舞いしかしない。
「レンちゃん先生による保健の授業に混じれなくてごめんねぇ」
そんな大層なことはしていない。というか、
「母さん、ホントに親か?」
「えぇ、何言ってるのぉ? 母親よぉ。ただぁ、デリケートなお話だからぁ、お母さんにはちょっとぉ」
だからって放棄するなよ。
「おーい? もしもし? 頭の中お留守ですか?」
「はぁーい。いますよぉ。判子ですかぁ?」
パタパタとスリッパの音を立ててこっちに来る。
誰が荷物を届けにきたと言った?
いかん。このままだとエンドレスでボケを返されそう。
「どうして〝あの子〟、〝アイラ〟を家に連れてきたんだ?」
話を切り替える。
「迷子かと思ってぇ」
「交番。迷子は交番に連れて行くの」
「迷子の迷子の小猫ちゃん、あなたのお家はどこですかぁ」
「そろそろ怒るぞ? フェルが」
「え? 俺?」
だって俺、どうでもいいもん。
「あの子、〝式を宿していたのぉ〟。それにぃ……」
母さんがエプロンのポケットから何かを取り出す。
ゴトリ、と重々しく重量感のある黒光りした塊がテーブルの上に置かれた。
「何、これ?」
「あらぁ、レンちゃん初めてぇ? お母さんもテレビでしか見たことないけどぉ、これ〝ピストル〟って言うのよぉ。実物って、とっても重いわぁ。ビックリしちゃったぁ」
――……。のほほんと言うな。事件だよ、これ。
俺は寒気がする冷や汗が、背中に流れるのを感じる。
――あいつのこと、どうでもいいなんて思えなくなったじゃねぇか……。




