アイラ、轟沈
湯気が天井に昇り、水滴となった雫が、ピチャ、ピチャと浴室の床に落ちる。
女の子は歯を食いしばり、睨みの利いた凄みのある顔で俺の目と鼻の先に近づいた。
――どうして俺と面識を持つ奴って俺の眼前に寄るの? そう睨むなよ。可愛い顔してんだからさぁ。
「私は、アイラよ」
はい、どちら様でしょうか? 近所や親戚の子供とかにそんな名前の子は該当しません。
まったく身に憶えのない俺に、
「その顔、本当に忘れている顔ね」
女の子は力んでいた表情が脱力へと向かう。
「うん。誰ですか?」
ハッキリ言ってくんない?
「貴方には、道路と塀を直せと言われた」
――……道路と塀? あっ、お前、
「あの時のアンテナか」
「アンテナ?」
「不思議な怪電波を拾って発信するアンテナ。知っているか? ちまたでは厨二病って言われるらしい」
「何よ、それ」
「まあ実際は、屋根の上で傘差して突っ立っていたから、アンテナと見間違えただけなんだ」
「そんなものと間違えないで」
「あー、ごめん」
「全然謝られている気がしない」
だってどうでもいいからね。
あの時は確かに驚いたよ。おかしな奴がいるな、って思った。うん、思った。思ったけど、家に帰って姉貴を見たら全て吹き飛んだ。
お前のハプニングは小さいもので、姉貴のハプニングが大きかった、それだけ。名前すら忘れるほど大きかったんだ。
「もう何よ、今日は……。厄日だわ」
あの時の俺にとっては、キミの存在そのものが厄そのものだったんだけどね、と言い返してやりたい。
「それより、それがお前の素顔なんだな。可愛い顔しているね」
でもあのメイクはない。どうしたらあそこまで行きつくの? コスプレ? 趣味趣向は人それぞれだから文句は言わないけど、正直スッピンの方がいいと思うよ。
「か、可愛い……。アホなこと言いなやっ、何言うてんの、アホちゃうっ」
急に関西弁? 変なスイッチでも入れちゃった?
視線をそっぽ向くアイラ。可愛いと言われて照れているんだろう、言わなければよかったかな。
俺は天井を見上げ、お風呂という素晴らしく気持ちのいいものに身を委ね、落ち着くほど頭の中が浚われそうになる。
これ、いい。眠ってしまいそうだぁ……。
「貴方? 貴方? 貴方! まだ話は終わってないわよっ!」
閉じた瞼が重い腰をあげる。
あ、いかん、いかん。本当に眠ってしまうところだった。
「いや、お疲れなんです。静かにしてください」
「話は終わってないって言っているでしょっ」
姉貴のことで頭が一杯なんだよ、考えてないけど。
「何話すの?」
アイラちゃん、学校はどうだった? とか? そういうのは親にやらせてあげなさい。
「えっと……それは、その……」
「考えてないのかい。考えてから話して」
「もうぉっ! 何がなんだかわからなくなったのっ!」
錯乱しているのか? 難儀な奴だ。
「もう、イヤ! 〝仕事〟は邪魔されるわっ、壁と塀を直せと言われるわっ、大事な式はやられるわっ、邪魔された者に遭遇するわっ。しかも、しかもっ……あぁぁっ、もうイヤ! 何なの、今日はっ!」
「静かにしろよ、お前。ご近所に迷惑だろ」
「貴方の所為よっ」
「それはない」
「どうしてっ!」
「俺は大声を出していないから」
「もうっ、そのことじゃない!」
「そのことも含めて、だ」
「はあぁっ? じゃあ、その訳を言ってみなさいっ!」
アイラは立ち上がると、俺を指して叫ぶように言う。
白く、ほんのり赤く火照った裸体が姿を露になり、真正面に女性にとって大事な{ピー}が丸見えとなった。
ツルツルだなぁ。身体全体にも言えることだけど、肌がツルツルで綺麗だ。
「まあ説明してあげるから、とりあえず座りなさい。大事な部分が見えている」
恥ずかしいでしょ?
アイラは正しい発声が出来ないまま勢いよく湯船にその身を沈める。口元まで浸かり、ブクブクと空気を放出しながら俺を睨む。
これ、痴漢じゃないのか? 痴漢って男がするもんだろ? 逆痴漢ってやつ?
怪電波+痴漢か……。この子の人生、大丈夫かな? 俺がこの子の親なら、どうしてそう育った? と泣きたくなるなぁ。
「そう睨むなよ」
恨めしげで、親の仇のようにまだ俺を睨むアイラ。
百発百中でさっきはお前自身の所為だ。さっきのだけじゃないけど。まあ己の行動を恨め。
「……なさい……。さもないと……」
「ん?」
「さっき見たものは忘れなさい。さもないと……」
「さもないと?」
「呪い殺す。祟り殺す。何が何でも、殺す」
「物騒だね」
「貴方はそれほどのことを私にしたわっ」
「さっきのことも含めて俺がしたんじゃない。お前が勝手にしたの」
「どうでもいいわっ、そんなことっ! 私は怒っているのっ! だって、はだはだはだ、裸……」
超理不尽すぎるだろ、これ。
――……。
それなのになぜか不思議だ。未だに怒りが沸いてこない。ってことは、まるくなったのかなかぁ、俺? あの時もけっこう我慢できていたし。うーん……。
「わわわ、私のはは、はだはだ、裸を見たんだからっ! ととと、当然、貴方の所為よっ!」
いや、誰の所為かと言えば、俺の母さんだと思う。
脱衣所に俺の服がある。俺が風呂に入っているの知っててお前を放り込んだもの。
「私がこんな目に遭っているのも貴方の所為! そうよ! 私の〝仕事〟が失敗したのは貴方の所為よ! 本当なら今頃、〝兄様〟に良い報告ができたわっ!」
〝仕事〟ねぇ。ケンシンくんとマリナちゃん以外の迷惑な奴を狙えよ。
それに失敗したのはお前の力量が足りなかったの。あんな大トカゲまで出してモモカに負けたお前の力量が足らない所為。
俺は話をしようとしただけだもん。途中までだけど、ね。だから俺は関係ない。
「しかも、私の裸を見たわっ! これも貴方の所為だわっ!」
あれ? 同じことを二回言った? 錯乱しすぎだ。
「はぁっ、はぁっ……! 言い訳があるなら何か言いなさいよっ! 貴方の所為だって言いなさいよっ!」
息荒げにものすごいことを言われる。
言い訳を求められたのに、俺の所為ですと認めろと……。ものすごく理不尽だぞ。
でも、なかなか面白いこと言うな、お前。お前で笑えねぇと思ったけど、ここまでやられたら笑えるわ、苦笑いっていう笑いが。
「何を笑っているのよっ!」
「まあまあ。落ち着け」
「落ち着けないわよっ! 私の裸を見て鼻息荒くされるなんて考えただけで寒気がするわっ!」
「してない、してない。俺はロリコンじゃないんで。ロリコンの人に言ってあげて、そういうの」
「私の裸を見た貴方は、普通だって言うの!」
見たのではなく、見せられた。
「まあね。綺麗だね、と思うぐらい」
「え……?」
「お前、肌がツルツルだからな」
{ピー}もツルツル。子供だから生えているわけないけど。
「ききき、綺麗なんて、そんなっ。アホちゃうかっ。アンタ、アホちゃうかっ」
また関西弁。どうやら褒めると照れ隠しで関西弁のスイッチが入るらしい。
ちょっと好奇心が沸いてくる。
「いやいや。綺麗だよ。俺はそう思った。うん。顔は可愛い、肌は綺麗、美少女ってやつじゃないか?」
「ううぅ。ちゃうわっ。そんなんちゃうわっ。そんなん言うアンタはアホやっ」
「いや、お前を見たら、可愛いなぁ、アイドルかな? と誰もが見間違える。間違いないと思う」
「アホーッ。ウチがアイドルなんて……。アホーッ」
「いや、アイドルなんて目じゃないかもしれない。美少女の中の美少女だからな、お前」
「びぃ……ア……ううぅ……」
アイラの頭が沸騰したのか、ただの湯気なのかわからないけど、暗号みたいな言葉を残し、
「おい?」
真っ赤なアイラはブクブクと湯船に沈んでいく。
「あらら、轟沈した。てか、見ている場合じゃねぇな」
あまりの恥ずかしさで失神してしまったアイラを引き上げる。
「大丈夫か?」
顔を覗きこむと、とっても赤い茹でアイラの出来上がりだった。
「あぁ……。とりあえず上がろう」
アイラを右脇に抱えて風呂から出る。
脱衣所でアイラの身体にタオルを巻き、俺も大事な部分にタオルを巻いて母さんを呼んだ。
「お母さんはぁ、いないわよぉ~」
ふざけているのか、あいつ?
「そうか。早く来い」




