ハプニングの特売日
「私はそこの魂を滅しに来た」
淡々と告げるアイラという子供。
「レ、レンヤ……」
「レン、くん……」
【燃やされます、射ぬかれます、滅せられます! このままだと私たち、危機的危険な状況になりますっ!】
分身女、危機的危険な状況はもうなっとるわっ。と心の中でツッコミしたら、ハッとして頭に冷静が戻ってきた。
でもまだいまいち、整理が追いつかない。順を追って考えてみよう。
まず、時代錯誤の服装をした子供が突然現れた。名をアイラという。
そいつは何て言った? わけわからん単語が多かったけど、一つわかるのは『そこの魂を滅しに来た』。
そこの魂――幽霊――該当者はケンシンくんとマリナちゃん? 分身女はどうかわからん。
で、次。アイラが懐から出した小さなトカゲが、大トカゲに変身レベルアップ。アイラに命じられたその大トカゲが、わけのわからん火矢を飛ばすと、道路と塀が壊れた。摩訶不思議すぎる。
ああ? これってもしかして……。
「……ンヤ? レンヤ? レンヤってば?」
「お? 何?」
フェルが俺のことを何度か呼んでいたようだ。
「何じゃないよっ。どうするんだ?」
「ああ。そのことでさ、ちょっと話があるんだが……」
「こんな時に何言ってんだよっ」
そう言われるが、
「落ち着け。――なあ、キミ?」
フェルに一言返してアイラに向かって言う。
「何? 立ち去るの? 立ち去らないの?」
「ちょっと話をしたいんだ。時間もらえるかな?」
「立ち去らないのなら、悪いけ……」
「すぐ済む。待ってくださいっ」
強行手段か何かしようとしたのだろう、俺は有無を言わせず口調を強めた。
アイラは真っ直ぐに俺を見つめてくる。曇り一つないガラスのような透明で綺麗な黒い瞳。けど、無機質な印象を受ける。
見つめ合いが続く。雨だけがこの場に音を鳴らしていた。
なあ? 『待ってください』って頼んだんだから、早く何か言ってくれない?
「……わかった。待つわ」
ようやく言いやがった。
「ありがとう。さて、みんな……」
「レンヤ、ホント何やってんのっ」
いまだにパニくって焦ってんなぁ、フェル。もっと冷静になれよ?
【そうですっ、そうですっ。寿命が縮まりましたよっ】
寿命はありません、お前は。
「レンくん、私の傘に入って。濡れるよ」
「ありがとう」
「何か考えがあるの?」
赤い傘を差し出され、俺は入れてもらう。モモカは平静だなぁ。
「ちょっとみんなに訊きたいことがあるんだ」
ん? とモモカとフェルは首を傾げた。
【訊きたいことがあるのはこっ……】
「俺だ」
【そうですね。はい、そうです。レンくんどうぞ】
弱いなぁ、お前。本当にモモカの分身か?
「まずさあの子、『魂を滅しに来た』って言っただろ? その魂って誰のこと?」
「それは、ケンシンくんと……」
「……マリナちゃん、のことだと思うよぉ」
【標的はまさか私? 命狙われていますよー、私! ヤバイですー!】
一応含めておいてやるから、踊るほどあたふたするな。
「次に、トカゲが大きくになったよな?」
「うん」
「そうだねぇ」
【ファンタジーの世界へようこそ。初めからドラゴン退治は難易度が高すぎますね】
お前の方が難易度高いわ。話の腰を折る奴を黙らせる魔法か道具、今一番欲しいと感じるぞ。
「火矢? みたいなものを飛ばして、道路と塀が壊れたよな?」
【ドラゴンの攻、むぐっ!】
手を差し出して分身女の口を塞ぐ。これ以上は喋らせません。
「う、うん」
「思わず目をつぶちゃったけど、たぶんそうだと思うよぉ。燃えていたし」
道路と塀で燻ぶって燃えていた赤紫色の炎は雨によって消えた。でも、壊れた部分は残っている。
なぁーんだぁ。俺、合ってるんじゃん。
考えが纏まって俺はアイラに再び視線を向ける。
「済んだ? どうするの?」
「おい、ガキッ。話あるからそっから降りてこいっ」
「え……?」
無機質だったアイラの黒い瞳が僅かにぶれる。
あ、つい口が滑っちまった。
「レンヤ。まさか、キミ……」
「あ、あらぁ……」
【ドラゴン使いは神の怒りを買ったようです。なむあみだぶつあーめん】
落ち着け、俺。まだ冷静。俺、冷静。まだ怒ってないない。
「ああ、ごめん。ちょっと口が悪かったね。話しがあるから、そこから降りてきてもらえないかな?」
「な、何を」
「話しがあるの。降りてきてもらえるかな?」
「私はあなたたちを巻き込みたくない。だからここから立ち去りなさいと言っている」
「うん、わかっているよ。それも含めて話があるの」
まず、お前にやってもらうことがあるんでな。
「――……」
アイラは答えない。でも、大トカゲを使ってすぐ攻撃してこないところを見ると、怪訝に思いつつも俺の頼みを考えているよう。
俺はアイラの答えを待つ。
ああ、見上げるのしんどい。ちょっと首が疲れてきた。
何を好き好んで高いところに登ってんだ? 降りるなら早く降りてきてくれない? 言った手前だけどどうでもよくなってきたから、そのままで話したいなら話してやるし、どっちか早くしてくれー。
と、待つと決めたそばからダレてきたところ、アイラが動く。というか、飛んだ。生身で。
危ねぇっ! 俺と同様にみんなも驚いた。
雨でできた小さな水溜りを飛び越えただけのように、アイラは服もその表情も落ち着いて崩さず着地した。羽ばたく大トカゲもアイラのすぐ傍に降り立つ。
わぁー、すげぇー。あの家、二階建てだぞ? 魂を滅するとかそんなことしないで、オリンピック選手にでもなれよ。
「なな、何者なんだ、あの子……」
「はあぁ、びっくりしちゃったぁ」
【かっこいいぃー。サーカスの人? 私、空中ブランコというものを見てみたいです!】
俺以外の三者三様の反応。サーカスか、そっちの就職先もあるな。と分身女に同意できた。
「降りてきたわ。話というのは?」
「お手数かけたね。まずやってもらいたいことがあるんだ」
「やってもらいたいこと?」
「うん。壊した道路と塀、直しなさい」
俺は穴開いた道路と塀を指してそう言った。
「レンヤ! こんな時に何言ってんだよっ!」
【そうです! 話が急斜面すぎて登れませんよ! 平坦な話でお願いします!】
だって俺はあのガキの言うことを聞くつもりはないから。
ケンシンくんとマリナちゃんを滅するというのなら、俺は絶対にさせない。あのアイラってガキを殴ってでも。
でも殴ってボコボコにしたあとで、壊したところを直せ、なんて酷いことをやらせるつもりもない。だから先にこれをやらせるだけだ。
と説明しようとしたけどやめた。ケンカ決定のこの話は平坦ではないので。
まあ俺以外はさっさと家に帰ってもらおう。
「キミ、直して。早く」
【スルーされました!】
スルーはお前の専売特許だと思うぞ。けっこうな確立で俺の話をスルーするし。
「何故、私がそんなことをしないといけないの」
「だってキミのペットがやったから」
「ペットじゃないわ。〝式〟よ」
「数学か季節か? どっちでもいいけど早く直しなさい」
この壊した道路と塀は誰が直すと思ってんだ? 道路は国からの税で、塀に至ってはその住人の負担だぞ? 立派な器物破損だ、アホ。
「どっちも違うわ。間違えないで」
まず〝式〟というのがわからん。見た目ペットじゃねぇか?
「ああ、それは悪かったね。謝る。言い直すな。そのキミの〝式〟がここを壊したから、キミが直しなさい。わかった?」
ペットの責任は飼い主の責任。お前、犬の糞を持ち帰らないアホな飼い主になりたいのか? この先こういうことしたら怒られるぞ?
「〝晩秋〟。射よ」
大トカゲの右の羽から先ほどと同じモノが放たれる。
炎を纏った火矢――それは俺の首筋を掠めて上空に飛んでいくと、途中で小さな花火のように爆竹音を鳴らして燃え広がった四散。
「レンくん、大丈夫!?」
制服に焦げ跡が残り、首筋には僅かな火傷でヒリヒリとした痛みを受けた。
「これ以上は話しの無駄。わけのわからないことを言うのなら、あなたたちも一緒に滅してあげる」
回答が火矢で、しかもわけのわからないこと、だぁ……?
俺、よく堪えた。うん、よく我慢した。ここはもういいな。
「てめぇなぁ……」
「レンくんに何するんですかぁぁぁぁっ!」
「なぇい?」
間抜けな声と同時に赤い傘が俺の視界を一度遮ると、目で追った赤い傘は地面に落ちる。
俺が唖然としていると、素早い動きでモモカが走り出していて、竹刀袋を投げ捨てて竹刀を取り出し、
――大トカゲの横面を叩きつけるようにブッ飛ばす。大トカゲは塀の壁まで吹き飛び、地面に横たわった。
頭から命令されてもいないのに背筋が条件反射で伸びる。首元に真剣を突きつけられたような、そんな感覚を伴って。
マジかぁ……モモカァ……。
「何するんですか、あなた」
モモカが少し首をアイラに向け、言い放つ。
視線を交えたのだろう、アイラは目が大きく見開き、瞳が絞ったように小さく一つの点となる。
戦慄して、恐怖して、畏怖したその形相。
「何するんですか、あなた」
もう一度言われたアイラは、足が折れたように身を崩してその場に尻餅をついた。濃い紺色の傘を地面に落として。
「もうしないでください」
怯えつつ、小刻みに震えるアイラは声を出せずに小さく頷く。
いやぁ、怖くて強いなぁ、モモカは。あのアイラってガキを威圧だけで圧倒したし、あの大トカゲ一発で……ん?
大トカゲが、小さくなっていく。元の手のひらサイズに戻った。
あれは、あのアイラってガキの力の所為か?
「わかってくれてありがとおぉ。あと、レンくんに言われた通り、あの壊したところ直して帰ってねぇ」
モモカもいつも通りに戻った。
「はあぁぁぁぁ……」
すると、フェルが大きく盛大な息を吐き出す。
「どうした、フェル?」
「いや、モモカの怖さに息が詰まっちゃって。怖くなかった?」
「めっちゃ怖かった。それは同意する」
あのモモカは集中力を発揮した時のモモカだ。やっぱ一つのことに集中すると、恐ろしいほどすごいわ。
「レンくん、帰ろおぉ」
トテトテとこっちに戻ってくるモモカ。これはこれでギャップがあるなぁ。
でも、俺のために怒ってくれた、それはそれで素直に嬉しいと思う。
「だけどレンヤ。あの子、どうするの? 放っておくの?」
「え? どうしてその質問?」
あのガキはここで壊したモノを直す。手伝わないといけないの?
「いやだって、また……」
ああ、あっちのこと。
「とりあえず、ケンシンくんとマリナちゃんは俺の家に連れて帰る。それにあの状態だから、早々に来ないだろうさ」
放心しているアイラ。あまりの恐怖にへたり込んだままだ。
「もし滅しに来たら、今度は俺直々にブチのめしてやる」
「キレるなよ」
「それ無理がある」
「ダメだ。レンヤがキレたらあの子、病院送りにしそうだ」
「――……」
「そこはすぐ否定してくれよ」
「いや、それも已む無しかなと思っていたんだけど」
「ケンカ自体ダメだ。正当防衛でも、な」
それもダメなのか? 俺、八方塞がりじゃん?
「約束できるか?」
しゃーねぇなぁ。手は他にいくらでもあるからいっか。
「わかった。約束だ」
そう言うと、安心安堵の顔色を浮かべるフェル。優しいなぁ、お前は。
「仲良いですねぇ、レンくんとチーくんはぁ……」
不機嫌なオーラ出して呟くのやめなさい、モモカ。
男のフェルに嫉妬していたのはあの時聞いたけど、もうちょっと寛大で余裕のある心を持って。
【私たちドラゴンをやっつけましたねっ! わんだほーです! ぐれいとです!】
それとは対照にモモカの分身はアホなことしか考えてねぇなぁ。そう思いながら傘を拾い、竹刀と鞄を持つ。
「さあ、ケンシンくんとマリナちゃん、行こうか? ――分身女、行くぞ?」
【レベルが上がった気がします。魔王を倒すのも夢じゃないですね!】
「じゃあ、このままモンスター退治頑張って」
【え? ちょっと置いていかないでっ】
フェルとは道の途中、モモカと分身女は俺の家の前で別れた。
「ただいま。ケンシンくん、マリナちゃん、先に入って」
【おじゃまします】
【……おじゃま、します……】
みんながいたからあまり気にできなかったけど、やっぱりマリナちゃんの様子がおかしい。
とりあえず濡れた身体のままだと風邪を引く。風呂に入って、それから訊いてみよう。
「母さん? 母さん?」
「母さんならスーパー行ったよ」
少し開いたリビングのドアの隙間から声。返事を返してきたのは姉貴だった。
「じゃあ、姉貴。悪いけどタオル持ってきてくれない?」
「タオル? 濡れたのか? 傘持って行かなかったの?」
「いや、実はな……」
さっきあったことを言おうとして口が止まる。
あんなもん言えない。電波を拾って発信するアンテナに絡まれたとか。
「ハプニングがあって濡れた。このまま家の中に入るのがまずいぐらいに」
「そうなのっ? わかった。すぐ、いや、でもすぐには……。ちゃんと持って行くから待ってるんだよ」
「ああ」
何だ? すぐに持って来れないことでもしているのか? 何だろう? リビングと玄関すぐ近くなのに?
――……。理由が思いつかない。台所があるから、夕飯の支度か?
ちょっと疑問に思ったことを考えていると、少し開いていたリビングのドアが開く。のそのそと歩く姉貴の姿が現れた。
「ちょっと待ってくれよ、レン」
おい……? 姉貴のお腹に釘付けになる。
「すぐ洗面所に行ってタオル取ってくるから」
「ちょっと待てっ!」
「ん、どうした?」
「いや、それ……」
夢か? と思い、竹刀袋のまま自分の頭を叩いてみる。痛かった。夢じゃない。
【お兄さんのお姉さん、〝お腹大きい〟ですね】
見間違いと考えたかったけど、ケンシンくんに指摘されて違うと断定。
「どうした? レン? ハッキリ言いなよ?」
「あ、ああ……。姉貴? お腹、どうした?」
「ん? ああ、これ。〝赤ちゃん〟が出来たんだ」
姉貴は大きなお腹を優しく撫でた。
うーん。ハプニングの特売日なのかなぁ、今日は……。




