屋根のアンテナは笑えない
じめじめしてんなぁ……。
剣道部が部活をしている体育館。俺は不快指数上昇中の館内隅で、モモカの魂の分身である女と一緒に壁にもたれて座っている。
昨日まで外傷のため部活自体休んでいた。久々の部活でも、まだギブスしているから稽古はできないけど。
それにしてもじめじめしてんなぁ……。
外はしっとりとした雨じゃなく、むっしりじめじめした雨が降り続き、本格的な夏を前には避けては通れない梅雨の到来。湿気という何とも不快な時期に突入。
剣道部の面々も相当きついだろうなぁ、と部活練習を眺めながらその考えが一瞬頭を過ぎる。
蒸し暑さと湿気が充満している中、防具を着けて〝練習〟をする。
あの防具の下、さらにその剣道着の下はえらいことになっているはず。下着のパンツ、女子はブラもか、かなりグショグショになっているだろう、全員の衣服を絞れば大きな水溜りになるんじゃねぇかなぁ。
「みんな声が小さいよっ!」
俺がくだらないこと考えていると、部長であるフェルが部員に吼えた。
疲労感たっぷりだけど、「はい!」と必死に声を返す一、二年生部員。三年生余裕顔。
「へー」
俺は感心の呟きが漏れる。
前のフェルとは違う姿――剣幕というか何と言うのか、意気込み? そういうものを見た、気がした。
【すごいですねぇ、チーくん。これぞ部長! て感じがして一味も二味も違います。レンくんもそう思いません?】
一味も二味も違うフェルねぇ……。
というか高温多湿、身体動かしていないのに滲み出るような汗が制服に纏わりついて気持ち悪い。不快だ。
やっぱりじめじめしてんなぁ。風でも入ってこねぇもんか。
【あのー? その顔をするってことは、レンくん的にやっぱりまだまだってことですか?】
「お前であるモモカはどう思ってんの?」
と訪ねながらモモカの方へ目を向ける。
一、二年生部員たちに比べると、三年生部員と同じようにまだ余力がある様子。
なぜか殺気紛いの印象を感じるのは何でだろう?
【そうですねぇ。まだまだこれぐらいじゃへこたれませんと思っています。もっとやっちゃってぇー、です】
ああ、そうかい。
【で、どうなんですか?】
「お前が答えた通り」
ありゃぁ、まだ生ぬるい。二○度前後の風呂に入る感じ? 三年生やモモカもよくやってんなぁ、悪い意味で。
ていうか風呂入りてぇ。今すぐ汗を流したい。
【あ、同じなんですね。やったー。嬉しいです】
「それ、誰と同じで嬉しいの? 三年生は全員思っているよ? たぶん、フェルも」
【えへへ。そ・れ・は、レンくんと同じだから嬉しいんですよー!】
――……何だか練習している部員たちの方から寒気がした。そして部員の中に一人おかしいのがいる。
殺気紛いじゃなく、殺気そのものを纏ったモモカ。
あ、これはあれか。
「ふーん、そうですか」
俺は適当に答えてみる。
【何でそんな適当なんですかっ。レンくんは嬉しいはずです。ね、ね。嬉しいですよねぇ?】
お前、顔が近い。
声は聞こえている。同意を求めるだけで、耳元で喋るなよ。
「いや、特には」
【えぇー。もうぉ、これ言うの、けっこう勇気を出したのに。サバサバし過ぎです。バッサリ切るとかどういう神経ですか? わかっているんですかぁ?】
ぶつくさと文句を言う女。と同時にモモカの殺気が増し、さらに気落ちしているように見える。
俺と話す女――自分自身に嫉妬して、その自分自身の女を俺がバッサリ切ったことを感じて気落ちした、と。
年頃の女の子というのはわかるけど、もうちっと練習に身を入れなさい。
それにしても、
「難儀だなぁ」
【それって誰のことですか?】
ジト目で見るな。自覚ないのか?
【乙女心はとっても複雑なんです。そんなことばっかりすると、いつか痛い目を見ることになりますよ】
乙女心は細かい、わかっているつもりではあるが気難しくて絡みづらい。
――帰り道。
「そっか。まだまだなんだな、俺……」
今日の部活内容について訪ねてきたフェルに率直に物申してやると、落ち込んだ。
じめじめしてんだから、じめじめすんなよ。どんよりするだろ。
「で、でも、前よりはかなり身が入っていると思うよ、チーくん。これからですよぉ」
すかさずフォローを入れるモモカ。雑念が混じって身を抜いていたのによく言う、と思うけど口には出さない。
「そ、そう?」
「ええ。そうですぅ」
「俺もそう思うよ。もっとかましてもいいと俺は思うけど、部長はお前。お前が考えたやり方でやればいい」
やりたいようにやってみたらいい。
お前は全部が優しさでできているが、迷いなどの成分がたまに混入される奴。それもいい経験になるだろうさ。
「そっか。うん! そうだな!」
フェルは元気が出たよう。
「そうそう、その調子」
じめじめなところにどんよりした空気はいらんし。
「でも、さっきレンヤが言っていた、かましてもいいというのは気になるな。どういうものなんだ? 参考に教えてくれないか?」
【ちょっ、チーくん……!】
何だ、フェル? お前、人間爆弾にでもなりたいのか? マジメなのは美徳だと思うが、俺を参考にするのはお勧めしないよ。
ほら、前に聞いたことのある分身女がすっごい不安な顔している。
でも、試行錯誤しているフェルが参考にと言うんだ、ホント参考程度で教えてあげよう。
「フェルさぁ、今日、吼えただろ?」
「あ、ああ」
「それをちょっと悪くするの。『みんな声が小さいよ』じゃなく、『お前らやる気あんのか。基本は腹から。腹から声出せ、ボケ』という風に」
「――……それ、もうケンカ腰じゃないか」
「俺の参考だもん」
訊く前にある程度わかる事柄だとも思うよ。分身女とモモカは納得顔だし。
【お兄さん、こんにちは】
【あ、ケンシンくんとマリナちゃんです。こんにちは】
真っ先に分身女が挨拶をする。
話しをしながら歩いていて、どうやら十字路のところまでいつの間にか帰って来ていたようだ。
「こんにちは」と俺が挨拶をしたのをきっかけにフェルやモモカも二人に挨拶をする。
【今日は特に遅い帰りですね?】
「まあ部活があるからね」
俺は答えた。
【へー。中学生ってすごいんだ。雨の日が続いていますから、冷えたり濡れたりして風邪を引かないようにしてくださいね】
「ああ、ありがとう。そうするよ」
心配してくれんのか。ふと思ったが、ケンシンくんは小学生なのに物凄く出来た子だなぁ。
いや、二人だな。マリナちゃんもとても良い子で……ん?
無表情の中にちょぴり見え隠れする悲哀感。いつものマリナちゃんとは明らかに違う様子。
どうしたんだろう……?
【ケンシンくんとマリナちゃんの二人はこの雨の中、寒くないんですか? ズブ濡れになっちゃいますよ?】
【ボクらは幽霊だよ。お姉さんと同じ。傘はいらないですよ】
【あ、ホントでしたっ。私ったらうっかり】
モモカがそれはとても恥ずかしそうに顔を赤くして俯く。
アホは平常運転だな、と思いつつ、今はマリナちゃんの様子がおかしいことを……。
「その後ろにいるお前たち、〝幽霊〟ですね」
ん? 聞き覚えのない声に、辺りを見回す。
「さっきの、誰が言った?」
「いや、俺じゃないよ」
「私も違うよ」
【私じゃないです】
ケンシンくんとマリナちゃんの二人に視線を向ける。ケンシンくんはマリナちゃんを一度見て、それから俺に向かって首を横に振った。
ちょっと静かな間が漂い、
誰? みんなで、怪訝な顔を見合わせた。
「ここよ。ここ」
「だから、ここってどこだよ? どこのどなたか存じませんが、的確に言え」
【お兄さん、あそこに】
ケンシンくんが指で示す。
〝上〟? どうして〝上〟に向かって指しているのか? うーん、見てみればわかるか。
……屋根の上……あれ、アンテナか? いや、違うか。
アンテナに見えたのはそいつが傘を差していたから。赤味を帯びた濃い紺色の和傘。
一番に思ったことは、〝おかしな奴がいる〟、だった。
ケンシンぐらいの背で、歳もそのくらいだろう。だけど、なぜおかしいと思う理由が二つある。
一つはなんていうのかそのメイク。とても不健康そう。肌は真っ白で目の下にクマがあるし、唇は真っ黒。
二つ目はその服装。どこの時代の人? ちゃんとした名称は知らないけど、ドラマなんかで見たことがある。平安時代かそこらの貴族の子供が着ている服装。
うーん、おかしな奴だ。
「私はアイラ」
アイラ? 女の子?
「〝氏〟の一つ、東家に連なる者。そこにいる幽霊――魂を滅しに来た。ただ視えるだけの者たち、巻き込みたくない。その場から早々と立ち去りなさい」
誰一人としてアイラという奴が何言っているかわからなかった。
一般人の感覚で考えてみると、アンテナというのはあながち間違いじゃない。こいつ、かなり電波を拾ってやがる。
「キミ? 頭大丈夫?」
現実と空想の区別ちゃんとついてる? あの歳であんな風になる奴もいるのか、世の中終わりだなぁ。笑えない。
「言ってもわからないようね。ならば……」
ならば何ですか?
アイラは懐から何かを取り出す。
それは手のひらサイズの赤紫色をした〝トカゲ〟。
「四神東帝の眷属たる我が式――〝晩春〟!」
舌噛みそうな単語を並べてよく口が回るね? って、えぇぇ……?
アホなことを考えていた俺だが、その後は思考も止まって呆然。
小さなトカゲが赤紫色の炎に包まれ、その姿が大きく変化していく。
赤紫色の木の枝が無数に積んだ大きな羽。胴体、尻尾も大きくなり、首が伸びてトカゲの頭部は恐竜図鑑に載っているような形相。
体長二、三メートルぐらいの立派な空飛ぶ恐竜――西洋風でいうドラゴン。
――うそぉぉぉ……。
【キャァーーーーッ! ドラゴンですっ! ファンタジーですっ!】
分身女が一人叫び、アイラが少し首を上げ、
「〝晩春〟。射よ」
告げると空飛ぶドラゴンがその羽を大きく一羽ばたいた。
何かヤバイ! と直感がするけど遅かった。
羽を構成する木の枝のようなものが赤紫色の炎を纏って放たれ、こちらに向かって飛来する。
俺は目をつぶり、今度は分身女だけじゃなくモモカ、ケンシンくんとマリナちゃんたちも叫び声を上げた。
耳に響く爆竹音と、熱が篭った瞬間的な突風が巻き起こると、手に持っていた傘や鞄、竹刀が手から離れる。
身体に冷たい雨の雫が降り注ぎ、髪や肌、制服が濡れていった。
今の何?
目を開き、頭の中が呆然と驚愕の中、一時置いて考え出せたことはこれだけ。
道路に三つ、家の塀に一つ三○センチほどの穴が開き、穴の周りは燻ぶるような赤紫色の小さな炎が灯っていた。
「今一度警告する。視えるだけの者は立ち去れ」
俺はアイラとその隣にいるドラゴンを視界に納める。
マジか、これ……。笑えない……。




