魂の存在
「大丈夫か?」
「大丈夫……じゃないに決まっているだろ。あんな時に、俺のことをそういう風に呼ぶんだから……」
泣き止み、涙や鼻水の痕が少し残ったくしゃくしゃ顔のフェル。もう大丈夫だろうと思っていたけど、照れている様子からしてまだ気持ちの整理はついていないようだ。
ここでもう一回〝Un amigo íntimo (親友)〟と言ってやれば、今度はどうなるんだろう?
「悪いな。俺、こんな性格だからさぁ。まあ、慣れてちょうだい」
「……レンヤが言わないっていう選択肢はないの?」
「ないな」
お前が照れるぐらいだもん。俺が困ることはないよ。
「レンヤらしいよ、ホント。言い切れるところがすごい。そして、それが強いと思うところだ」
「俺は強くないぞ。お前のように強さについて悩みを抱えることもある。一つ教えてやろう。俺が〝剣道をしている理由〟がそれだから」
「何だ?」
「俺が〝剣道をしている理由〟はな、俺自身を制御するため。この瞬間湯沸かし器みたいな一度キレたら何するかわからん性格を直すためなの」
「そんな理由?」
おいおい? バカにはできないことだぜ?
「俺にとっては結構な問題だ。そのせいで最初、お前は俺に蹴られた」
「それは……。確かに直したほうがいいな。被害者が多くなる前に」
お? 被害者とは言うねぇ、フェルくん。
「だろ。Un amigo íntimo(親友)」
そう言ってやると、フェルの表情が次第に崩れていった。
泣くわけじゃない。逆。口元が綻び、笑みが零れて大笑いになる。
もう慣れたのか? 適応力高ぇなぁ。
「そんな大笑いするな」
と俺も言うけど、俺もフェルに釣られてなぜか笑いが出て止まらない。
何だか、フェルと本当に打ち解けた気がする。上辺だけじゃない、本当の意味での親友というものになれた気が……。
あれ……? 笑いあう俺たちの間――何か光る線みたいなものが見えた。
それはフェルの左手から俺の右手。
右手を少し上げると、小指――赤、黄、紫、青、橙の糸とはまた別で、今度は緑色の糸が小指に結ばれている。
またか、と思った。けど、それがフェルの左手小指に結ばれていると知ったとき、気持ちが癒されて妙に嬉しくなる。
言い方はどうかとおもうけど、〝フェルと繋がった〟という安堵の思いで。
不思議に思いつつも、これだけは別に嫌とも思わない力。ケンシンくんやマリナちゃん、スミレ、フェル、糸が結ばれて繋がったときはとても心が落ち着きを与えてくれるから。
「レンヤ? どうしたんだ?」
糸を見つめ、顔が綻んでいる俺にフェルは訪ねてくる。
「ん。何でもないよ」
やっぱりフェルとか見えないみたいだ。俺しか見えない糸。これは俺や母さん、スミレの持つ朱鷺尾家の力と関係があるだな、と思い至る。
「でも、スミレにはすごくお世話になった。俺のためにこんなにしてくれるなんて。正直に嬉しい。ありがとう」
「スミレさん。俺も、スミレさんに負けて自分を知ることができました。ありがとうございました」
【礼には及ばぬぞ、二人とも。ワシもこれで一つレンヤの力になれたようじゃし。ワシは大事な者たちのためにしておるだけじゃからな。それにしてもお主ら、良い顔になったのう】
穏やかで柔らかく、優しい笑み。曾祖母だけど、弟たちを面倒見る姉のような存在に感じる。
本当に心から感謝の気持ちが溢れた。俺一人だと、上手くこうやって話せるかどうかわからないから。ホント、良かった。あとは、
「モモカかぁ……」
「モモカがどうかしたの?」
咄嗟に漏らした言葉にフェルが訊ねてきた。
「あ、いや。実はな、モモカにキレちまったんだ」
「どうして?」
「お前のことが理解できないときに俺にかまってきて……。まあ、八つ当たり」
イラついた理由はわかっていたんだけど、あの時は自分でもどうしようもなかった。
「レンヤの被害者が多いな」
「お前にも原因の一端があると思うんだけど? モモカと勝手に勝負して勝手に落ち込むし、顧問に剣道部を辞めるって言うし、しかも次の日から学校に来ないときたもんだ」
このまま責任転嫁してやろうか?
「ああ……。それを言われると反論できないなぁ。悪かったよ、ごめん」
「謝るな。冗談だから」
普通はイラつくような代物でもないしな。俺が怒りの感情を上手く制御できれば良かっただけの話である。
「でも、モモカに謝るなら早いほうがいいんじゃないか?」
「うん、わかっている。今からモモカの家に行って謝ろうと思っている」
「俺も行こうか? 俺の所為、でもあるし」
「いや、いいよ。お前はモモカに何もしていない。なら、謝るのは俺だけ。一人で行くよ」
「……そうか。許してもらえるといいな」
「許されなくても、許してもらえるまで謝るさ」
俺はそれぐらいしないといけないことをしたから、な。
「じゃあ、フェルとはここ……で……。どうした?」
「レ、レンヤ……あ、あれ……」
フェルが呆然とした驚き顔。振り返った俺の目の前に飛び込んでくる。
ドクン! と心臓が跳ね上がった。
土手の上――堤防沿いの道。
月明かりに影響を受けない黒い影のシルエットの姿は、忘れないし、忘れたくない。ブチのめしたいブラックリストナンバーワンと言ってもいいほどの忘れるわけがない野郎。
――黒い化け物――。
「レンヤ? あれは?」
【フェル! 逃げよ! 奴は危険じゃ!】
そうだ、そうだ、そうだった。モモカとは別でまだ重要な項目が一つ残っていたなぁ、確かぁ。
「え? スミレさん、いったいなにが……?」
【話はあとじゃ! 今は……】
「今度はいつ会えるんだろうと思っていたわぁ……。早い再会に感激。招いてもいないけど、ブチのめされにわざわざ俺の庭にやって来てくれて、どうもありがとう」
「レンヤ?」
【レンヤ! やめよ! 怒るではない!】
「スミレ……。怒りに任せるのはダメだとわかっている。でも、あいつだけは……あの野郎だけはどうやら……無理、かもしれない……」
理由もわからずに襲ってくるあの野郎に関しては許せる許容が一メモリもない。
黒い化け物はこちらを完全に襲う気満々のようだ。獲物を見つけた野犬のようにこちらに向かって走りだす。
意味もなく人様に迷惑をかけてんじゃねぇよ、こらぁ!
「今度こそ、ブチのめし……」
【レンヤ、ダメじゃ……】
【ダメです、あなた!】
スミレよりも大声で俺の後ろから身体に女が抱きつく。大口を開けた黒い化け物の前にスミレが立ちはだかり、
【やっ!】
大口を開けた黒い化け物の横面に向かって竹刀を振り下ろした。
黒い化け物が強打を受けて怯むと、俺の横面に強打の痛みがひた走る。
「がっ!」
身体の体勢が崩れ、大きくよろけて女もろとも地面に膝をつく。
何? 俺、またしても何をやられた?
【レンヤ! ……っ!】
「スミレさん!」
【ヒョー、ヒョー、ヒョー】
フェルの叫ぶ声と黒い化け物の不気味な鳴き声が聞こえる。ふと見ると、スミレは黒い化け物に殴り飛ばされたみたい。
「てめぇ、こらぁ……」
【ダメです! ダメなんです! あなたは、あの黒い人と戦っちゃダメなんですよ!】
女が俺と対面するように真正面に向いて言い放つ。
「ああ!? どうしてだよ!? 野郎がここにいて、俺がここにいて、野郎がまたアホやって、俺がブチのめす! こんな簡単なことが何でダメなんだ!? 理由を言ってみろ!」
横面を押さえながら女に問いただす。
【あの黒い人は、あなた〝自身〟なんです! だから、〝あなたは戦っちゃダメなんです〟!】
「はあっ!?」
俺があいつ? あいつが俺? 何を言ってんだ、お前?
「レンヤ! 危ない!」
黒い化け物が俺たち目掛けて大口を開いて襲ってくる。やばい! が……、
「レンヤたちに手を出すな!」
フェルの体当たりが奴の横腹をぶっ飛ばす。同時に、俺の横腹に痛みが走る。
「グォホ、グォホ……」
【大丈夫ですか! しっかりしてください!】
大丈夫、と女に頷きだけで答える。黒い化け物に体当たりをしたフェルは、奴と転がって取っ組み合いの状態になっていた。
「おい、女。俺があいつというのは本当なのか? あいつがやられるたびに俺に奴と同じ箇所が痛むが、これがその証拠なのか?」
【はい……。あの黒い人はあなた自身です。あの人は、〝魂を持っていない魂火だけの存在〟。〝私と同じなんです〟】
お前と同じ?
「……お前もあいつと同じって、何?」
【私、あなたのお母さん、アサギさんに言われました。私は魂を持った幽霊ではなく、別の誰かの魂から作られた存在なんだと……】
別の誰かって誰だよ?
【私が誰の魂によって存在できているか、私自身はわかりません。でも、あなたならわかるはずです。あなたは視えるんでしょ? あなたには視える、この糸がっ】
両手を俺の目の前にかざす女。
目を凝らして見てみると、俺と結ばれた左手小指の赤い糸とは別に、女の右手小指に赤色味を帯びた糸が結ばれていた。
その糸の先は間違いなくあの黒い化け物に向かって伸びている。そして、黒い化け物から土手の上に向かってさらに伸びる〝赤い糸〟を……。
【私やあの黒い人は、あなたと誰かを結ぶ魂の糸。だからあの黒い人は、あなたの魂の一部なんです!】
魂魄――精神的な魂と肉体的な魄を持ってこの世の体を成す。その魂で繋がれた糸から生まれたあの化け物は俺自身であり、だから俺自身に影響が返ってくる、と。
ということは俺自身から生まれた分身みたいな存在が、ケンシンくんやマリナちゃん、スミレや女を襲ってたってこと、か。
笑えねぇ。まったくもって、ふざけろよ!
【……丈夫ですか? 大丈夫ですか、あなた?】
色々なことが頭の中で駆け巡っていた。瞬間的に呆然としているところ、女は俺を呼んでいた。
「――……なあ、どうしたらいい……」
【え?】
「俺は、どうしたらいい……。教えてくれ、女。俺はどうしたらいい?」
ちゃんと話をするって決めたんだ。無理に抑えず、けど怒りに任せない。対話を持って理由を理解してもらえるようにしようと決めた。
黒い化け物は殴り、蹴り、何度も立ち向かうフェルを痛めつける。
何であんな理性の欠片もない酷い奴が俺自身なんだ。俺は心のどこかでやっぱり怒りに任せることしかできないのか。
【話は簡単じゃ、レンヤ】
【スミレさん】
「スミレ?」
殴り飛ばされていたスミレが立ち上がっていた。
【先に謝っておく。すまん。言い忘れておった】
「何を?」
【この娘の〝正体〟じゃ】
そこでハッと頭の中が切り替わった。
「知ってたのかよ?」
【うむ。つい最近じゃがな。レンヤと再会した日から、娘の魂色が誰かに似ていると思っておった。そして前に、〝天才美少女〟の話で確信を得た】
〝天才美少女〟?
「あの、わけがわからん話か? あれでどうやって正体にたどり着いた?」
連想ゲームの達人か何かか、スミレは?
【レンヤは話をちゃんと聞いておらんかったからのう】
あんな当て逃げのような話、聞く気にならねぇよ。
【まあ、よい。この娘は自分を〝天才美少女〟だと言った】
ああ。確かにそんな勘違いしてたな。
【それは何について、か。それは〝剣道〟のこと。レンヤが剣道に関して褒めておった者のことじゃ】
「ちょっーと待って、それぇってよぉ……」
【真じゃ】
――……マジ、かぁ……。と俺は女に視線を向けた。
この女は〝あいつ〟の魂によって生まれた存在。この俺だけに視える糸が力に関わるものなら、あの黒い化け物から伸びる赤い糸の先は……、
堤防沿いの道に目を向ける。こちらを見ていると思われる人のシルエットが月明かりで浮かび上がり、見間違うことはない見知った幼馴染――。
「〝モモカ〟!」
俺は姿を見て叫んだ。
遠く離れたモモカは俺に名前を叫ばれてビクッとした素振りをし、あとずさって逃げるように走り去る。
【追うのじゃ、レンヤ! あやつを止めることができるのは、あやつを作り出したモモカしかできん!】
「ぐっ!」
と、その時、フェルが俺たちの近くまであいつに投げ飛ばされてきた。その体は、痛めつけられてけっこうボロボロ。
「フェル! 大丈夫か! しっかりし……」
駆け寄ろうとする俺に、「来なくていい」と言い立ち上がる。そのフェルの眼は強い意思を持ったように俺に訴えかけてきた。
「レンヤ。話しはやられながらだけど聴こえていた。……行け」
「行け、って、お前どうする気?」
「詳しい事情はよくわからない。けど、今はレンヤのために力になりたい。あいつがレンヤなら、俺はレンヤを一切傷つけないし、レンヤを受け止めてみせる。レンヤがモモカと仲直りするまで、その間、俺がレンヤであるあいつを止めてやる」
「……フェル」
「任せろ。Un amigo íntimo (親友)」
【レンヤ、娘、行くのじゃ。ワシもここであやつを止めておく】
二人の後押し。考えている暇――いや、考えるまでもない。
俺は立ち上がり、
「フェル、スミレ。頼む」
「怒らずに、ちゃんと謝るんだよ」
【レンヤは誠実な男じゃ。その想いは曾孫のモモカにちゃんと届くぞ】
「ありがとう。――女、行こう」
フェルとスミレに俺の分身みたいな存在を任せ、俺は女を引っ張り、走り去ったモモカを追う。




