のほほん母さん
「さてさてぇ、何をお話ししましょうからしらねぇ。おとぎ話がいいかしらぁ? それとも童話がいいかしらぁ」
「そんなくだらない話しはいらん。ちゃんとした話をだな……」
「やっぱり昔話がいいかしらねぇ。〝朱鷺尾家と私たち。それと、レンちゃんのことぉ〟」
姉貴は部屋に戻らせ、女はケンシンくんとマリナちゃんを連れさせて部屋の外に出した。
今、この部屋にはどうにか落ち着いた俺と、スミレと母さんがいる。
「一々調子を狂わすなよ、お前」
「あらぁ? レンちゃんに『お前』って言われると、何だかレンちゃんと夫婦になった気分だわぁ」
「頭が不良動作しているのか?」
「あらまぁ、酷いわねぇ。もう一度、躾をしたほうがいいかしらぁ?」
【じゃが、口調が〝てめぇ〟から〝お前〟に戻っておるのう。もう大丈夫そうじゃ。――さて、アサギ。説明をしてくれぬか? ワシの記憶では思い出せないところが多々多いのでのう】
「その前に一つ聞かせろ。何でスミレと母さんが知り合いなんだ?」
俺にとって今一番説明が欲しいのはそれだ。
「えー。だってぇ、お母さんはぁ〝スミレお祖母さまの孫〟なんですものぉ」
言っている意味が一瞬わからなかった。
【アサギはワシの孫じゃ。お、そういえば、アサギ。いつぞやは勝手場を貸してもらったのう。まだ礼を言ってなかった。感謝する】
「いえいえ。あの頃は記憶が無かったんですからぁ仕方ありませんよぉ。それにぃ、こちらこそレンちゃんの面倒を見ていただいてありがとうございますぅ」
スミレと母さんが向き合って頭を下げ合う……。何これ?
「レンちゃん、素直で良い子でしょ? 自慢の息子なんですよぉ」
【アサギから貰った差し入れを届けたときは、『いらん』とドライに言われたぞ?】
「照れ隠しですよぉ。感情の起伏が激しいだけでぇ、怒りますけど涙もろいところもありますしぃ、本当は可愛いところがたくさんあるんですよぉ」
【まあ確かにのう。そういうところ、ワシの旦那にそっくりじゃ】
「あらぁ。カッコいいところもですかぁ?」
【うむ。ちょっと頑固なところもあったがのう】
だから何だよ? ○○君、大きくなったわね? 的な近所のおばさん話を展開するなよ。
「おい。というか、さっさと話をして……」
「朱鷺尾家は〝魂魄の禁厭師〟なのよぉ」
いい性格しているなぁ、母さん。
「何? その痛い呼び名? どこのマンガで拾ってきたネタだ?」
「違うわよぉ、レンちゃん。〝禁厭〟は〝おまじない〟のことぉ。朱鷺尾家は〝おまじない師〟なのよぉ」
初めからそう言え。無駄に難しい言葉を使うな。
【そうか。まじない師か。そう聞いた覚えがあるのう】
「私これぇ、スミレお祖母さまから聞いたんですよぉ?」
【むむ。そうじゃったか?】
幽霊の記憶は当てにはならない。再度、そう思った。
「古くは魂魄を操る力を利用して神託を捧げ、それを指針とした政などに関わっていたわぁ。時代が進むにつれて呪術や祓いといった用途などの役割もしていたのよぉ」
「宗教団体が作れそうな力だな」
「そうねぇ。できちゃうかもしれないわねぇ。魂魄――精神と肉体を操る力だからぁ、今の世の中だと不思議な力に分類されちゃうものねぇ」
今の世の中じゃなくても不思議なモノとして分類できるよ。
「まあぁ、その力もだんだん弱まってぇ、最近だと魂が視える程度の力になっちゃったわねぇ。本家や分家のみなさんも力を持つ人は少なくなっているらしぃし」
俺は〝程度〟というもんもいらんかったわ、こんな力。
「まあぁ、朱鷺尾家と私たちに関してこんなところかしらぁ。これ以上は知らないしぃ」
「説明ありがとよ」
俺がモモカの遠い親戚だということと、幽霊とかそういった類が視える理由を初めて知ったわ。前者はいいが、後者は迷惑極まりない。やっかいな力を受け継いだもんだ。
「じゃあぁ、次はレンちゃんがお話しする番ねぇ」
「何をだ?」
【フェルとモモカのことに決まっておる】
確かに、な。母さんやスミレだけに話しをさせて俺が話さないのは筋が通らない。
また怒りが沸いてくるかもしれないから、あまり思い出したくないし言いたくないけど、ここは話をしないといけない。
「フェルの奴が、モモカと真剣勝負して負けたんだ」
【二人が真剣勝負を?】
「あらぁ、まあぁ。ぶっそうねぇ」
母さん、あんた絶対にそう思ってないだろ? スミレが少し動揺を見せたのに、何でのほほんとしとんだ?
「スミレには前に、女子の部長がモモカに負けたって話しただろ? それを聞いたのはフェルからなんだ。その時あいつ、『自分は部長に向いていない』とか弱気なことを言ったのさ」
【ふむ】
「モモカに剣道で勝てないのは、モモカの強さを知っている俺やあいつがよく知っている。なのに、あいつは勝てない勝負を挑んだ。俺にはわけがわからない。あいつにとって抱いている弱い部分をさらに抉るようなマネをすることがな」
アホだからか? としか俺には判断がつかないぜ、フェル。
【そうか……】
スミレが神妙な面持ちで考え込むが、母さんは、
「それってぇ、強くなろうとしていることの裏返しじゃないからしらぁ」
「はあ?」
何を言っているのか、俺には判断がつかなかった。
【ワシもそう思う。フェルは優しい子じゃ。同時に心の弱い子でもある。そのフェルが弱い部分を強くなろうとしている様にワシは思う】
「そうねぇ。人は誰であろうと悩みを抱えるものだからぁ。でも、それを強くしようとするのもまた人、だものねぇ」
あいつはあいつなりに強くなろうとしていたってこと?
【レンヤ? なぜフェルはレンヤと友達になったのじゃ? レンヤのそういう性格は〝モモカ〟で思い出した。それなのになぜあの優しいが、脆さのあるフェルとお主は友達になったのじゃ?】
なぜ俺とフェルが友達になったのか……。
理由はどうしてだったか。いつの間にか一緒にいるようになっていた。でも出会い方は今でも思うが最低だった。
「小学三年生、フェルが転校してきたのは。とても目立っていたよ。ハーフであのカッコよさだ。特に女子の間では、ね」
【今と変わらぬようじゃのう】
「ああ。でも、気は小さかった。日本語も通じないところも多くて、あいつは環境の変化で相当不安だったと俺は思う。で、ある日。体育の授業あとだったかな、体育倉庫裏でガキにしては少しガラの悪い同じクラスのアホ四人組みに囲まれていたところを見かけた」
「イジメはよくないわぁ」
「詳しくは知らん。だけど、まだ言葉もろくに通じないのに叩いたりしてやがったよ。で、そこからだ。アホどもが、たまたま見かけた俺に気づいて近づくなりこう言ってきたんだ。『こいつ調子のってんだ。お前も一緒にやるか?』とか『やらないなら誰にも言うなよ。じゃないと、お前もやっちまうぞ』とか何とかかんとか」
【悪ガキの言いそうなことじゃのう。で、レンヤはどうした?】
「しばいた」
【しばいた?】
「あらぁ、一緒にやっちゃたの?」
「違う。俺がしばいたのはその四人。それだけの理由で一人を四人でやることにキレた。だから四人とも泣かせて黙らせたの」
「わかってるわよぉ」
わかってんなら無駄な説明させることを言うな。
【まあ、それでフェルを助け、そこから仲良くなったわけじゃな】
「いんや、違う。その時はまだなっていない。俺はそのあと、フェルに蹴りをいれたからな」
【何か、ちゃんとした理由があってのことじゃな】
「そうみたいですねぇ。何があったの、レンちゃん?」
え? 何で意味があるとそこで即考えることができるの?
「お前ら、俺のことを酷い奴とは思わないのか?」
普通の奴ならイジメをした奴らと変わらないことをしている、って思うぞ? 実際、蹴りを入れた本人である俺は思うもの。
【レンヤが怒る場合は何かしらの理由があるからのう】
「ええ」
そんな大層なモンは持ち合わせていないよ、俺は。
【で、その蹴りを入れた理由とは何じゃ?】
「あ、ああ。あいつ、俺に『ありがとう』とか言いやがったからだ」
【――……。ふむ、理由がよくわからぬようになった】
少し困った様子のスミレは、ほのぼのとした母さんに目を向ける。
「えーっとだな。俺は四人にイラついたから奴らをしばいただけであって、フェルに『ありがとう』と言わることはしていない。だから、『俺はお前にありがとうなんて言われる筋合いはない』って言って蹴りをいれたの」
決してフェルを助けるためにやったわけじゃないから。
今思えば、昔の俺は口より先に手が出る奴だったと思い返す。まったく酷い奴だ。
【そうか。ちゃんと筋を通しておるのう】
「そうですねぇ」
「はあ? どこをどう聞いてそう思うの?」
お前らはどれほどの聖人君子なんだ? それとも、ただ単に頭がイカレてるのか?
「レンちゃん、怒ったときの気性はとても悪いけど、昔からそういうところは変わらないわねぇ。あきらかに怖い人にまで言っちゃうときもあったからぁ、とても困っちゃったこともあったけどぉ」
【よくそれで今まで生活していたものじゃな?】
「あらぁ。それはスミレお祖母さまのおかげですよぉ。この辺りだとぉ、朱鷺尾家と繋がりがあると、怖い筋の人でも敬遠しちゃいますしぃ。それに、レンちゃん場合は個人的にスミレお祖母さまがよく面倒見ていただきましたからぁ」
【そうであったか? ここらへん辺りの記憶もあまり覚えておらんのう】
迷惑かけ過ぎだな、俺。普通ならまともな生活を送れていなかったのかしれない。
「でもぉ、お母さんとしては、〝アカネちゃん〟のときが一番困ったわぁ。なにせぇ、大事な家族のことだったものねぇ」
「それについては、ごめん、母さん」
姉貴のことに関しては、親に対して本当に迷惑なことをしてしまったと思っている。やったらやり返す姉弟ケンカじゃない。あれは一方的過ぎる。
「謝らなくてもいいわよぉ。レンちゃん、謝ることはしていないと母さんは思うからぁ」
「どうして? 姉貴をしばいたんだぜ?」
「どうしてアカネちゃんが自分のことを〝ボク〟って呼んでいるか知っている?」
「いや」
姉貴の僕っ子一人称の経緯が何時だったかわかるわけがない。というか気にしたことないし。
「レンちゃん、覚えているかどうかわからないけどぉ、昔、公園でアカネちゃんが近所の男の子に泣かされたことがあったのよぉ」
「もしかして、あの時」
えー、〝あれ〟が発端かよ。
「覚えているのぉ? まだぁ、三、四歳ぐらいの頃なのにぃ?」
「ああ。姉貴を泣かした奴をしばいたのもちゃんと覚えているし、そのあと姉貴をしばいたこともね」
それが他人――普通の人に対して初めて酷い性格を現したときだから。
【それもフェルと同じような理由か?】
「ああ。家に帰ってきて、泣き止んだ姉貴が俺のところに来て、『あたしはレンにたすけてほしいなんていってない』となぜか怒鳴られた。俺はイラついた奴をしばいただけで、何で俺が怒鳴られないといけないと思い、キレてしばいた」
「そうねぇ。そのあと、アカネちゃんはレンちゃんを怖がったわぁ」
そうだね。明らか俺のことを避けてたからね。
「でもねぇ、レンちゃん? そんなアカネちゃんも、レンちゃんのその強さを見習って自分のことを〝ボク〟って呼んでいるのよぉ」
「昔の俺の一人称を見習った、てか?」
俺を見習うとか、ろくなことがないぞ。何せ、後悔が後からやってくるんだから。
「そうよぉ。だってぇ、アカネちゃんはレンちゃんのお姉さんだもん。弟の前ではぁ、やっぱり〝お姉ちゃん〟でいたいものよぉ」
そんなもんなのか? わからんわ。
【そうであったか……。モモカの時と同じようなことをしておるのう、レンヤは】
黙って訊いていたスミレが口を開く。しかも、それもあまり思い出したくないことを言って。
「ああ、あのことですかぁ」
【そうじゃ。レンヤが朱鷺尾の道場で剣道の稽古を初めた頃に……】
「モモカにキレてしばいた」
「あらぁ、ホントよく覚えているわねぇ、レンちゃん」
「自分の悪いことは覚えているよ」
俺の人生、そういう人様に迷惑かけるという黒歴史がたくさんあるからな。
「レンちゃんがモモカちゃんに怪我をさせたことよねぇ」
【あれは剣道の稽古の最中か。レンヤに懐いておったモモカが遊ぼうって付いて回っておってのう。かまってもらえない不満か、つい出来心か、そういったものでレンヤの剣道具を粗末に扱った時じゃったのう。そのあとのことには、さすがに胆を冷やした】
思い出したスミレは苦い表情を浮かべる。
「悪いな。付いて回られることには別に何とも思っていなかったんだが、モモカが俺の竹刀を奪って投げ捨てたことに一発でキレちまった」
それだけでしばいた。最低だなぁ、俺。
【じゃが、モモカは反省しておったぞ】
わけがわからないな。理由はどうあれ、手を出したのは俺なのに。どうしてモモカが反省をする?
【あの後のモモカは、『わるいこはあたし。レンくん、モノをそまつにしてごめんなさい。きらわないで』と、もう近所迷惑になるほど大泣きしながら喚いておったのを覚えておる】
どうして姉貴やモモカがそう思うのかわからない俺は、頭を掻き毟って、
「どうしてっ? わけがわからないっ。どう考えても悪いのは手を出した俺だぞっ?」
考える俺にどうしてもわからない。俺が他人様だったら俺のような奴とは絶対関わろうとも思わない。俺自身、自分が酷い奴だと一番知っている。
物心ついた時からそれはわかっている。何で誰も俺を責めないのかがわからない。
「それでも、どうして俺に関わってくるっ!? 何で俺に対して平然と接することができるんだっ!?」
スミレと母さんに、さらに語尾を強めて言い放つ。が、
「それはねぇ、レンちゃんがすごく〝純粋〟だからよ」
「……は、はあ?」
全身の力が抜けていく感覚に襲われる言葉。
「レンちゃん、間違った筋違いに怒るだけだもの。自分にしても、他人にしても、ね。だから、アカネちゃん、モモカちゃん、フェルくんにはそれを怒ったのぉ。さっきのこともぉ、自分の筋が間違っていると心のどこかで思っていたからぁ、お母さんを叩けなかったのよぉ」
「――……」
【うむ。確かに手を出したことはいけないことじゃが、レンヤは純粋な道徳心からそれを行っておる。自分を反省させることもしておる。レンヤは正しいことができる芯の強さを持っておるのじゃ】
「そうよぉ。それはとてもすごいことだものぉ」
心が落ち着いて、気持ちが軽くなっていくような気分。
「家族の中でもそういった我慢できないことはあるものよぉ。外では尚更多いわぁ。大変なことも多かったけどぉ、その都度、お母さんは家族のことを考えられるようになったのぉ。そういうのは良かったと思っているわぁ」
素直に感謝と嬉しさ、そういったじんわりと込み上げてくるものがあった。今にも泣いてしまいそうな、そんなものが。
「でもねぇ、レンちゃん。自分を抑えつけることにはぁ、お母さんとしてはあまり感心しないわねぇ」
「抑える?」
「そう。無理して自分を偽らないこと。自分にできることは他人にもできるのよぉ。レンちゃんは頭が良いからそれをちゃんと伝えられる子のはずだからぁ」
俺ができること、伝えられること。
「怒っている理由。それを怒って手を出すんじゃなくて冷静にぃ、どうして怒っているのかぁ、なぜ怒っているのかぁ、それを相手にちゃんと伝えるのぉ、お話でぇ。正しいことは無理に抑え付けるものじゃないと思うわぁ」
「――……。俺が怒りが沸いて、そこまで忍耐して話せる奴だと……思うのか?」
怪訝に俺は問う。
「思うわよぉ。現に、今レンちゃんはそのことについて考えているでしょ? そういうことを訊いてくるってことは、そういうことぉ。だってレンちゃんはぁ、〝純粋〟なんだもん」
「――……」
こっちが呆気に取られるほど何て真っ直ぐに返してくるんだろう、母さんは。
でもまあ、母さんの言葉は何ていうか、心をとても楽にしてくれた。のほほんとしている、しているようにしか見えないけど、よく見ているんだな、とも思い、感謝の気持ちを抱く。
だとすれば最後の俺の問いに関しては無駄話だ。そこから考えて冷静に対話で伝えれるようになればいいって話だよな。
「うん。そうだな」
自分に言い聞かせるように呟く。
モモカは明日には学校で会える。でもフェルは学校に来ないかもしれない。会えないとなると、家まで行かないと……。あ、でも、モモカは俺を許してくれるのだろうか……。
あれこれと考えが廻るが答えが出ない。というより、出なくなる。珍しく不安が襲い掛かってきた。
【レンヤ?】
スミレが悩んで考えている俺を呼ぶ。墓の前で見送った時のような、真剣な目を向けて。
【竹刀を持って川原に行くのじゃ。ワシも〝すぐ〟行く】
スミレが立ち上がると、
「よろしくお願いしますねぇ、スミレお祖母さまぁ」
母さんが頭を下げる。それに静かに頷いたスミレは黙って部屋から出て行った。
川原に竹刀? 稽古か? そんな暇は今はないんだけど? というか、どこへ行った、スミレ?
すぐさま母さんが振り向き、
「レンちゃん、行ってらっしゃい」
その言葉が後押しをする。
漠然としていた頭が晴れた感じ。スミレのことだから何かあるのかもしれないと思考を切り替える。
俺の未熟な心を鍛えてくれるのか、それとも違うことをするのか、行ってみればわかるか。
竹刀を手に持ち、「行ってきます」とだけ言って俺も部屋を出た。




