{ピ-}野郎
【で、誰が天才美少女なのじゃ?】
【天才な美少女さんが天才美少女さんなんですよ】
【それはモモカのことじゃな】
【えー、違いますよー。モモカさんは可愛らしい小動物、子ダヌキみたいな人です】
【なら、その天才美少女とは誰なのじゃ?】
【ですからね、天才美少女は天才でしかも美少女なんですよ、わかります?】
今、川原からの帰り道。
後ろで、スミレは川原での最後のやり取りを女に問いただし、テンション高らかに先ほどからずっと同じことを繰り返し言っている女。
聴こえてしまう話はしょうがないとして、触らぬ神ならぬ、触りに来ないアホ女は俺に平和をもたらすと思いながら前を一人歩く。
【すまんが、さっぱりわからぬ。というか、質問の意をちゃんと返さぬか】
何でわざわざ当て逃げに当たりにいくんだだろうねぇ、スミレは。当たり屋にでもなるつもり? 治療費どころか、心配さえも貰えないぞ。
【はあぁー、ダメですねぇ、スミレさんはぁ。ダメダメのダメダメさんのダメダメ女ですね、スミレさんはぁ】
【娘、温厚なワシでもそろそろひっぱ叩く頃合じゃぞ。いいからお主の言う天才美少女とはどこの誰なのじゃ?】
【一からですかぁ? しょうがないですねぇ。私が力説してあげましょう!】
【面を出すのじゃ、娘。ひっぱ叩いてやるぞ】
【それはこの私! 私が天才美少女なんですよ!】
それ、力説説じゃない、宣言だ。それ、川原でも聞いたぞ?
【ふむ。ようやく意を返したのう、娘】
はぁっ? 返ってないだろ、どう考えても?
【やれやれ、長く掛かったのう。〝こう言わせる〟のにどれほど時間を潰してしまったことじゃろうか……。まあ、娘、〝お主〟が〝その者〟ということじゃな】
何かわかったの、あれで?
【〝その者〟って、どちら様ですか?】
【おい、レンヤ。話がある。ちょっと聞くのじゃ】
スミレは女を無視して俺のほうに話を持ちかけて来る。
巻き込むな、と言おうとして俺は振り返った。
【あ、スミレさん、人の話を聞かないなんて悪い人ですよ。人の話は最後まで聞きましょう】
ビシッっと人差し指でスミレを指す女。お前が言うな、お前が。
【キャァーーーーッ!】
人気の無い夜道、闇夜を切り裂いて響き、耳を劈くような幼い悲鳴が耳元に届いた。
「――……」
一瞬で緊迫した空気が肌に纏わりつく。
悲鳴が上がったのに、住宅街は夜の静けさを保ったままだった。
【レンヤ、異質な感覚を感じる】
真剣みを帯び、一切の緩みない表情のスミレが俺に告げる。
異質って、俺には何か気に食わない、無性に腹が立つ感覚しか感じないんだが……。
【気をつけるのじゃ、レンヤ】
スミレが注意深く視線を辺りにゆっくりと泳がせている。
「――……ッ!」
【どうしたのじゃ、レンヤ?】
【あ、あなた?】
唐突に俺に何かが入り込んでくる。身体の奥底から貫く悲痛と圧しつけられた恐怖、二つの思いの訴えを感じ、鮮明に山吹さんところの兄妹の顔が思い浮かびあがった。
「あそこ、か……」
【どうしたのじゃ、レンヤ?】
【え? 何? 何ですか?】
この先の十字路に向かって俺は駆け出した。
ものすごく嫌な予感と気分しかしない。脳と心臓をザラザラとしたヤスリで擦られているような、何とも言い難い気色の悪いモノ。
曲がり角を曲がり、十字路への通りに辿り着いた俺はそこで、
――ドクンッ! と心臓が一度大きく跳ね上がる。
【レンヤ! どうした、の……】
【あ、あぁぁ、あ、あれ、は……】
スミレや女は震えた声を最後まで絞り出すことが出来ない。
十字路の街灯の明かりが、目を塞ぎたくなるような光景を映している。
俺たち三人の目の前で、俺と黄色い糸で繋がれた山吹さんところの兄妹――その妹のマリナちゃんが足で地面に踏みつけにされ、兄のケンシンくんが、
〝大口を開けた黒い人影に頭部を食われていた〟
【ばば、化け、化け物ですっ!】
女が声を荒げて叫ぶ。
と、黒影はゆらりと〝食う〟ことをやめた。こちらに気付いたらしく、こちらにその姿かたちを見せる。
犬らしき頭部に細い白線の眼、クマのような身体つきにサルのような細長い手足、手先足先は大型鳥類を思わせる鉤爪、生きたヘビのように揺れる長い尾を持った身の丈二メートルほどの黒影の化け物。
何やってんだ、お前……。
【ヒョー、ヒョー、ヒョー】
姿かたちとは裏腹に、寂しげで気味の悪い威嚇の唸り声とともに白い息を吐き出す。
白線の眼が、こちらに無機質な眼差しの印象を与えた。
何やってんだよ、てめぇ……。
ケンシンくんを放り投げ、黒影の化け物が鈍く動いてこちらに一歩、また一歩と歩きだす。
投げ捨てられたケンシンくんと、倒れているマリナちゃんを見てもう一度大きく心臓が跳ね上がると、プチンと切れた。
【レンヤ、あの者、こちらに来……】
「何やってんだぁ、てめぇ、ごらぁっ!」
黒影の化け物は何も答えない。
「おい、{ピー}! 何か言えやっ! 頭のてっぺんにある耳は飾りかっ! そんなに俺にブチのめされたいのかっ!」
近づいてくる黒影の化け物に俺が一歩近づくと、
【やめよ、レンヤ! あやつは人ではない!】
「見ればわかるわ、んなもん! だけどなぁ、あの二人にやったことに対してそれに何の意味が……」
【スミレさん、危ない!】
【……ぐぅ!】
女が叫ぶと、一瞬の誤差のあとスミレが黒影の化け物に殴られ、投げ捨てられた軽い空き缶のように地面を転がる。
【ヒョー、ヒョー、ヒョー】
気味の悪い唸り声だけが聴こえ、黒影の化け物はゆったりと女の方に向いた。
「何しやがってんだ、こらぁっ! 無視すんなっ、{ピー}!」
竹刀袋から竹刀を取り出し、剣道の型など関係なく黒影の化け物の腹目掛けて竹刀を振って叩きつける。
「ゴホッ!」
――え……?
突如、俺自身の腹にバットか何かで叩かれたような痛みと、それによって込み上げてくる嘔吐感に襲われ、地面に膝をつく。
俺、何された……?
【あ、あなた! あ、て、キャー!】
女の叫ぶ声が耳に入る。
俺、何されたんだ? 殴られた? いや、何もされてない。え? 何で?
わけがわかないけど、痛がっている場合でもないし、キレている俺は立ち上がる。黒影の化け物が女に襲いかかろうとしていたから。
「ブチィのめしてやるぅぅぅ!」
竹刀を振りかぶり、黒影の化け物の無防備な後頭部めがけて力任せに竹刀を振り下ろす。
「ガッ!」
――また……?
今度は後頭部に強烈な激痛がひた走り、再度膝をついた俺は悶えた。
【二人から離れよ、貴様っ!】
……ん!? スミレの声は聴こえるけど、頭は朦朧。微かに霞む視界から、スミレは俺の竹刀を持って黒い化け物と対峙しているのが伺えた。
【せやっ!】
スミレの雄雄しい掛け声。
【ヒョ、ヒョ、ヒョ】
短く荒い唸り声。
程なくして一人の威勢の良い声と、一つの気味悪い声が聞こえなくなる。
【去ったか……。二人とも大丈夫か?】
――スミレの気遣う言葉。どうやら、スミレが追い払ったのだと思いに至る。
【は、はい。私は何とか……。――あなた? 大丈夫ですか、あなた? しっかりしてください! しっかりしてくださいよ!】
【レンヤをそんなに乱暴に揺らすではない、娘! 〝あやつの攻撃を食らったのじゃぞ〟】
いや、違う。〝俺は一度も殴られたり、攻撃されていない〟。
ぶれていた視界が定まり、頭を軽く振って意識をハッキリさせると泣いている女が映った。
「……女?」
【ばぁいぼうぶばぇぶか(大丈夫ですか)?】
涙と鼻水、歪んだ表情に汚い顔だと思う。
が、それは置いておいて……。
くそったれっ! 意味がわからねぇ! あの化け物、俺に何をしやがったんだっ!
怒りが沸きあがってくるが、すぐに冷静な部分が俺に問いかける。
「そうだ、ケンシンくんとマリナちゃんは……?」
【びば(今)、ずびべざんがぁ(スミレさんが)……】
「何言ってるかわかんねぇよ」
立ち上がるとケンシンくんとマリナちゃんの許に向かうとする。けど、身体がガクッとふらつき、女に支えられる格好となった。
【レンヤよ、心配せずともよいぞ。二人は無事じゃ】
「ぶ、無事、なのか……? ケンシンくんは……頭を食われて……」
【心配に及ばぬ。〝魂色〟は尽きておらん】
「た、たま? 何だ、そ、あ、いてぇ……」
頭と腹がズキズキと痛む。
【無理をするな。レンヤの手当てもせんといかんし、この二人もここに居ては危険じゃから、連れて行こう。娘、手を貸してくれ】
【は、はい】
くそっ! 腹が立つっ! あの、{ピー}野郎がぁっ!