優しい? 何それ?
翌日――。
「スミレ?」
学校から帰って来て、自室に入るなりスミレに呼びかける。
今日一日、怪訝な表情を崩さず、返事も曖昧でおかしいと感じたから。
「スミレ?」
【――……】
眉の端すらピクリとも動かない真剣みを帯びた表情。思案に耽っているのだろうか、返事は返ってこない。
【スミレさん、聴こえていますかー? 呼ばれていますよー?】
【――……】
女の呼びかけにも応えなかった。荒療治しかないな。
「おい、お前?」
【はい? 何ですか?】
「スミレを殴れ」
【えぇ! どうしてですか?】
「俺の話しが進まないから」
【それだけで?】
「それ以外に何がある? 俺だとスミレに触れることができない。幽霊同士なら、できるだろ?」
【だったら、殴らなくてもいいんじゃないですか?】
「何でもいいからやれ」
女は、ご自分の都合なら手段を選ばない人ですね、とかぶつくさと言いながら、
【スミレさん! すみません!】
張り倒すほど強烈な一撃をもって、スミレの頬を引っ叩いた。うわ、痛そう。
【何をするのじゃ、貴様!】
スミレ、復活。
【あ、いえ、あの人がやれと、ですね……】
「俺、殴れとは言ったけど、叩けとは言っていない」
【まあ! 酷い人!】
【そうか。レンヤの指示なのじゃなぁ】
立ち昇る煙のようにユラユラと身を起こすスミレ。
そう睨むな。過度の上目遣いでの睨みは、ホラー映画でよくある幽霊のシーンだけど、肌の血色が良いお前だと恐怖感がまったくさっぱりだ。
「さっきから話しをしようと呼びかけているのに、返事をしないお前が悪い」
【あ、そ、そうか。それはすまんかったのう】
「単純に信じる奴だな」
【貴様!】
「冗談だ、冗談。本気にするな。でも、話しがあるというのは本当だ。で、単刀直入に訊くが、お前、持っている記憶は曖昧だろ?」
スミレは姿勢を正して正座しなおすと、
【うむ、そうじゃ。覚えていることは自身のことを少しと、弟のことだけなのじゃ】
「そうか。で、お前の記憶に何が引っかかっているんだ? 昨日の部活前からおかしかったぜ」
【ふむ、わからん】
わかれば苦労しないか。
【ただ、〝朱鷺尾〟という言葉に何かしらの繋がりがあると思うのじゃ】
〝朱鷺尾〟は〝モモカ〟の苗字だ。けど、スミレの記憶との関連性がさっぱり見えない。スミレは六〇年も昔に亡くなっているのだから。
――一応、訊いてみるか。
「なあ、スミレ? お前が覚えている記憶、全部話してくれないか? これから何か関連性の記憶が出てこられると、一々面倒だから」
【あまり多くはないが、よいぞ。ワシの一番初めの記憶は、二年前からじゃ】
「二年前が最初?」
【そうじゃ。二年前、川原の前で立っていたところから始まる】
「どこの川原?」
【この近所の川原じゃ】
俺がサボるまで剣道の一人稽古をしていた川原か。
「で、そのあとは?」
【自身の名。中学生であることはわかっておった。で、弟がいたと覚えておって、探さないといけない、と。そのあとは人には視えず、自分が幽霊であること。レンヤに言ったように、ワシの存在が視える者を探すことを始め、日本各地を周ったのじゃ】
「弟さんのことは、詳しく覚えているか?」
【いや……名前と歳だけじゃ。そういえば、どのような顔をしておったか、記憶にないのう……】
よくそんなので前は話す気満々でいたな。
「そうかい」
まあ、おかしい点がある。
どうして記憶が二年前から始まるんだ? 六〇年も昔に亡くなって幽霊になったのなら、六〇年間分の記憶があるんじゃないか、普通。
スミレの弟。本当に実在しているのか? これは記憶の勘違いという顧慮が真実味を帯びてくる。
〝朱鷺尾〟。モモカの苗字がどうしてスミレの記憶に引っかかる? 聞いて、そう多くないスミレの記憶の中で関連を持つものはない。
考えられるのは、〝まだ忘れている記憶がある〟ということか。
【のう、レンヤ?】
「ん? 何?」
【ワシの曖昧な記憶で、弟はちゃんと見つかるかのう?】
名前と歳だけだし、卒業記録に載っていないとなると、そもそも弟が実在しているのか怪しい。
【のう? ハッキリと言ってくれんか?】
「ハッキリ言うと、難しい」
【……そ、そうか……。難しい、か……】
静かに俯き、力なく呟くスミレは落ち込んだ。
勘違いで済ますには可哀想としか思えない姿だという訴えを抱く。弟を想い、会いたいという気持ちがヒシヒシを伝わってくる。
探すことはしても、見つかる保障はしないと考えていた俺だが、もし、スミレに弟が実在する、実在しない、というどちらかの結果になっても、その事実がどちらかハッキリとはさせてやりたい。
はあ、と溜め息を吐きながら、俺も覚悟を決めるか、と考え、
「スミレ?」
【ん?】
「一つ訊く。どんな結果になっても、それを受け入れられる覚悟はあるか?」
【……どういう意味じゃ?】
ゴクリと息を呑むスミレに、俺は静かに、
「確証はないが、スミレの弟さんが実在していない可能性も考えられる。もしその時、その結果を受けても受け入れられるか、という意味だ」
淡々と告げる。
スミレの背筋が僅かに伸び、直視する目は微細にぶれている。話しを黙って聞いている女も、緊張の面持ちでスミレを見ていた。
「どうだ?」
再度訪ねると、大きく息を吐き、一度目を瞑ってまた目を開ける。
【うむ。よいぞ】
ぶれていた目は、完全に一切の不安な面を消していた。
「わかった」
面倒という考えはもうなしだな。スミレの為に、俺はスミレの弟を探すことにしよう。
とりあえずは、今あるスミレの記憶と引っかかりの関連性。それらの繋がりが何なのかを突き止めることが……、
【レンヤは、優しい男じゃなぁ】
先決か……。え? 優しい? 何それ?
【見ず知らずのワシに、ここまでしてくれるからのう】
まだ何もやっていないぜ、俺。
【昨日、弟のことが卒業記録にも載っておらんかったからのう。ワシの記憶が曖昧で勘違いだったと考えれば、弟が実在しないかもしれない、というのはあるかもしれぬ話。じゃが、それがわかったのなら普通、『覚悟はあるか』と問うことはしないはずじゃ】
うん。不思議なことだ。普通なら、お前の勘違いだ、で済ませて終わらせる。卒業記録に載っていない時点で、その結果に辿り着けたからな。
【なのに。なのに、レンヤは『わかった』と一言。実在するのか、しないのかわからぬのに、最後まで見届けてくれる気概を持ってくれておる。それを優しいと言わずに、何と言う……のじゃ……】
スミレが――泣いている。
【ぐすっ……。見苦しいところを……見せたのう】
「気にしていない。泣きたい時は泣いたらいい」
【……そうか。ふふふ。レンヤには、礼儀を尽くさねばならんのう】
スミレは正座のまま少し後ろに下がり、右手――指を揃えて膝の前に差し出すと、左手も同じようにして右手に添える。
何する気?
【お心遣い、感謝致します。私も、レンヤ殿のお力になれることがございましたら、この身を捧げてお力添えを致しましょう】
口調が変わり、優雅でいて気品溢れる身の使い。
【何卒、よろしくお頼み申し上げます】
高貴でいて上品――頭を下げる姿なのに、思わず見とれてしまう。
ゆっくりと頭を上げるスミレの顔立ちは、とても美しかった。
【ん? どうしたのじゃ、レンヤ?】
「あ、いや、別に……」
すっかり見とれていたことに、不意をつかれて狼狽してしまった。
【あなた? 思わずスミレさんに見惚れていたでしょ? 綺麗でしたものねぇ】
チッ。こいつ、何でこういう時だけ間に入ってきやがる。
【なっ……! ダメじゃぞ、ワシは! ワシには、ちゃんと許婚がおるからのう!】
いや、ないない。そういう気はまったくこれっぽっちも更々ない。
【えー! スミレさん、許婚の方がいらっしゃるんですか? キャー! いいな、いいな! どういう人ですか?】
あ、スミレ、墓穴掘った。
【カッコいいですか? 優しいですか? 頼もしいですか?】
この女、こういうことは興味を持って突っ込んでくる。フェルに対する感じからして、そういうのは薄々とあったからな。
スミレの奴、大変だ。色々と根掘り葉掘り質問されて面倒だぞ。
【う、うむ。そそ、そうじゃな。えっと、口悪く、ぶっきらぼうな感じじゃが、本心ではとても優しく、面倒な振りをしつつもいざという場合は頼もしい男気があって……】
答えるのかよっ!
【スミレさん? スミレさん? その許婚の人、有名人で言うと誰に似ていますか?】
【――……】
スミレ、どうして俺を見る? 後ろに誰かいんのか。
【あ、そうだ! キスは? キスはしました?】
【せ、接吻じゃとぉっ!】
【はい!】
【そ、そのその、そのようなこと、言えるわけなかろぅ……】
【あ、その様子では、経験済みですねぇ】
【バババ、バカを言うでない! ちょ、ちょっ……と、触れた程度じゃぁ……】
【キャー! えっちぃな感じです!】
【そそ、そのようなふしだらなものではないわ!】
女性はこういう話が好きだね。あ、もういい時間だ。メシ食ってこよう。
大盛り上がりしている風に見える二人を素通りして部屋から出ると、後ろポケットにある携帯が震えた。
フェルからだ。
「もしもし?」
『もしもし、レンヤ。夜分にごめん』
「構わないよ。それより、どうしたの?」
『いや、明日のお墓参りの確認をと思って。明日、お昼でいいんだよな?』
律儀だなぁ、フェルは。明日は朝から部活なんだから、その時に話せばいいのに。
「うん。そうだよ」
『わかった、ありがとう。それと、レンヤ……』
「ん? 何?」
『あ、いや……ごめん、何でもない。じゃあ、明日お昼に行くよ』
「うん、わかった。待っているよ」
挨拶をし、携帯を切る。何か言いたげだったなぁ。まあ、いいや。
さてさて、メシだ。