幽霊からの依頼パート2
「で、何で連れて来たの?」
夜も深まった自室にて、勉強机の椅子に腰掛けて女に問う。
【いえ、その、ですね……】
【ワシが貴様のところに行きたいと頼んだ。この娘は悪くはない】
女の隣で正座しているスミレが女を庇うように言う。
何、お前? 俺とケンカし足りないの? そんな暇ないんだけど、俺。
「あ、そう。帰って」
【何故じゃ?】
「話すことがないから。だから帰って」
【それが頼りにしてきた者への態度か! 貴様の性根はトコトン腐っておるな!】
「うん、それでいいから、帰って。三度目まで我慢してやった。四度目は言わせるなよ」
【貴様はワシを怒らせたいようじゃのう! せっかく先ほどのことは水に流して話しをしに来たというのに、礼儀を知らんのか、貴様は!】
お前が怒ることが筋違いだろうが、と俺は眉を顰めて険悪な顔で、
「あの時、まず初めに自分の名前を名乗らなかったのは、お前だ。話しを最後まで聞かなかったのも、お前だ。礼儀を欠いたのはどっちだ? どっちがおかしい? どっちが怒る方だ? お前か? 俺か? どっちだ? おい、こら。言ってみろ?」
【うぐぅ……】
「言っておくが、俺は怒っているんだぜ。自分の都合だけで話しを進めるお前の態度に、な」
狼狽――落胆――自己嫌悪。またも三面変化。
スミレは目尻に大粒の涙を溜め、膝の上に乗る両拳はプルプルと震えていたことに、精神的に弱くて脆い部分があるように感じる。その証拠に目を合わせようとせず、振るえは次第に、全身にまで及んだ。
オロオロとする女はどうしていいか分からず、俺は静かにスミレを見続けるだけ。
【す、すまない……。すまなかった……。ワシの至らぬことで失礼をして、申し訳ない……】
小さな子供だったら今にも大声で泣いて喚きそうなところ寸前で我慢するスミレ。
謝罪を聞き届けると、俺は椅子から降りて床に正座をし、
「こちらこそ失礼。申し訳ない」
深く頭を下げた。
【なっ! 何故、貴様が謝るのじゃ! 悪いのはワシの方であろう!】
悪いのはお前の方だ。でもな、
「確かに先に礼儀を欠いたのはお前の方。だけど俺はそれに怒り、言ってはならない言葉を口にした。だから謝やまらないといけない」
【――……】
……おい? 何をボケッとした顔をしている? おかしなことを言ったか?
スミレの顔を覗き込んで、
「どうした?」
顔が真っ赤だぞ?
【はっ! いや、何でもない! しかし、ワシは貴様を殴ったのじゃぞ? それでお相子のはずでは?】
「そんなものは勘定に入らない。受け売りだが、単純な暴力は時間を掛けて身体と心を傷つけるが、言葉の暴力は一瞬で身体と心を傷つける。だからあれは当然の報いだと思っている」
剣道を教えてくれたモモカの曾お祖母さんが、そう教えてくれた。
【そ、そうか。貴様、いや……】
「レンヤでいい」
【そうか。ワシのことはスミレでよいからな。しかし、レンヤは中々誠実な男じゃなあ。見直した!】
知っていて俺は口に出すから、誠実とはかけ離れているけどね。
「まあ、この話は終わりにしよう。で、スミレ? 頼りにしてきたというのはどういうことだ?」
面倒だけど、スミレは非を認めて礼儀を弁えた。頼ってきたと言っていたし、それならば話を聞かないわけにはいかない。さっさと話しを聞いて終わりにしたい。
【ああ、そうじゃ。頼みたいことというのは、ワシの大事な弟を探してほしいのじゃ】
何? また人探しならぬ、幽霊探しをしろと?
「そういうのは専門の人に頼んでくれない? 幽霊探し? そういうことをできる力を持った人とか」
【ダメじゃ。二年間、そういう力を持っておる者のところに赴いたが、頼めるどころではなく、ワシのことが視えない。存在自体に気づきもしない者ばかりじゃった】
役に立たないなぁ、そいつら。
【引き受けてはくれぬか? ようやく見つかったワシが視える者がレンヤなのじゃ】
視えたくて視ているわけじゃないんだけども。
【ワシと弟は生き別れてのう。ただ一目でいいから弟と会いたいのじゃ。後生じゃ! 頼む!】
なるほど。スミレはその若さで亡くなって、今を生きている弟に会いたいと。
でも、そんな懇願されてもねぇ……。
【スミレさん、可哀想そうなんです。話を聞いてこれは力になって上げたいと思いまして。私からもお願いします!】
今の今まで黙っていた女が突然間に入ってくる。
お前は俺に恨みでもあるの? 面倒なことばかり持ってくるから感心するよ。
【ダメ……かのう?】
不安そうに訪ねてくるスミレに、俺は思量に少し耽る。
スミレは別に悪い人間、いや、悪い幽霊じゃない。この女より遥かにマシな部類。あの兄妹たちのようなこともあったから、まあ困って助けを求めているなら力を貸してやりたいと思う。
ただ、スミレって姉貴とダブる感じがして仕方がない……。
「まあ、考えてもしょうがない。いいよ。引き受ける」
【本当か!】
「うん。いいよ」
視えるからといって、未練が晴れるまでとり憑かれることになっても困る。それなら、さっさと解決するか、探してやったと満足させてやったほうが早いか。
【さすがですね、あなた! やっぱり良い人です! ヒューヒュー!】
横槍ばかりする女。ちょっと黙っておいてほしい。
「ただ、引き受ける上でお願いがある」
【ど、どんなお願いじゃ?】
「俺が必要とする時でいい、スミレの覚えていることを話してもらいたい。身の上とか、色々と言いたくないこともあるかもしれないが、もしそうであっても、一切包み隠さず話してもらいたいというのが俺のお願い。約束できるか?」
【いいじゃろう。それが必要なことであるなら】
「そうか。じゃあ、さっそく訪ねようか。とりあえず二つ。まず一つ。弟さんの名前と歳は覚えているか?」
【トキワ。肥後トキワじゃ。歳は、ワシの一つ下じゃから十三じゃ】
スミレって俺と同じ歳なのか。全然見えない。
「じゃあ、次。スミレが弟さんと生き別れたのっていつ頃?」
【ふむ。確か戦後からすぐじゃ】
まさに今現在、幽霊の姿をしている頃の話か。
あれ? 戦後? 六〇年近くも昔の話かよ。弟さん、生きていても七〇以上、八〇に近い。生きているのか?
【他に訪ねたいことはあるかのう?】
身を乗り出しそうな勢い。話す気満々だな、スミレ。でも、
「いや、今日はこの二つで終わりにしよう」
【どうしてじゃ?】
「とりあえず二つだけって言っただろ? それに名前と歳が分かれば探す手立てはあると思う。例えば、学校の卒業記録とかから探るとか。卒業生なんだろ、弟さん?」
【おお! なるほど!】
「多分、図書室に置いてあると思う。明日、探してみよう」
【今からではダメか?】
「いや、もう夜も遅い」
気が急いでいるなぁ。今、何時だと思ってんの? だからここで話しを終わりにしようとしているのに。
そうか……、と残念そうに少し落ち込むスミレに、
「時間は掛かるだろうが、ちゃんと探してやる」
【そ、そうか! ならばレンヤを信じよう!】
一応探すけど、見つかる保障はしないけどね。
「とりあえず、俺はもう寝る」
【はっ。もうこんな時間ですか? 私も眠たいです。ふぁぁぁぁ……。おやすみなさい】
その場でコテンと眠りに入った女。生きている人間だったら確実に風邪を引くだろう。
【ききき、貴様ら! 同じ部屋で眠っておるのか!】
突然立ち上がったスミレ。羞恥心で顔が真っ赤に染まっている。
「うん。勝手に俺の部屋でこの女が眠るからね。一応、そうなるな」
【ダメじゃ、ダメじゃ、ダメじゃ! 間違いがあったらどうするつもりじゃ!】
「いや、こいつ幽霊。俺、人間。万が一、ない」
【それでもダメじゃ! 若い男と女が一緒の部屋で眠るなどと!】
スミレは六〇年前の人間だったな。その当時は若い男と女が同じ部屋で眠るなんて想像もできないか。正直、この時代には関係ない。
「おやすみ」
部屋の電気を消し、さっさと俺はベッドに潜り込む。と耳元で、
【おい、こらぁ! レンヤ! 人の話しを聞け!】
「あのな、スミレ? ここ、俺の部屋」
【ん?】
「俺が一応、主。あの女とスミレは不法侵入者になる」
【なぁにぃ! そ、そうなるのか?】
なるわけないだろ、幽霊なんだから。とは言わない。
「だから、俺がいいと思っているから、別に気にするな」
【気にするじゃろ!】
「スミレは眠らないのか?」
【いや、一応は眠るが……】
「そう。じゃあ、帰って眠りなよ? あの女にも言ったことだけど、帰るところがあるなら帰って。そうすれば、別に気にしなくて済むしね」
【うぅ……帰る場所は、ないのじゃ……】
「じゃあ、ここで眠れば?」
【なっ! そそそ、そんなこと……!】
「どうすんの?」
【う、うぅ……。ワシも、ここ、ここで、眠る……のじゃ】
「おやすみ」
【し、仕方なくじゃからな! 変なことは考えてはおらんぞ!】
「おやすみ」
【変なことは絶対してはいかんぞ! よいな! わかったな!】
わかった、わかった。しないし、したくもないから。
スゥっと耳元から、俺の近くからスミレの気配が遠のき、夜の静けさが訪れる。
眠ったのだろう。幽霊は眠る説が真実味を帯びてきたと少し考え、学会とかに発表しても信じてもらえない話だな、と過ぎったところで俺は眠りに落ちた。