懐かしい味と足早な帰り道
――剣道場とはまた別で、池の水上に建てられている四阿を中心に、灯篭、庭石、季節の草木。今は新緑の松と花壇を眺めながら、威風堂々なお屋敷の本宅を繋ぐ渡り廊下を通る。
ここら辺の土地で昔から続くモモカの家は名のある名家。
つくづくバカ広い家と庭だな、としか思えない。
ただ、古さと新しさが混在する住宅街とは一線かけ離れた綺麗な庭園を見渡せる四阿は、柱と屋根だけで簡素な建物の造り。公園などにある屋根付きのベンチ的な休憩所のようなもの。
静かで開放的。風景に溶け込んで趣があるからここは落ち着く。
「今日は道場を貸してくれてありがとう、モモカ」
「今は私ぐらいしか使っていませんから、そんなのご無用です、チーくん。さあ、おやつは菫餡子を使った大福ですよ。私が作りました」
「久々に食べるな、これ」
「そうだね」
とフェルと俺は感慨深い感じが沸く。
「しかもこれには、私の大好きなイチゴが入っています。名付けて、菫餡子のイチゴ大福なの。美味しく召し上がりましょう」
【そ、そんな……!】
ん? と思って隣に視線だけ配ると、女が驚愕顔で慄いた。
【何で私、幽霊なんですかー!】
ああ、こいつもイチゴが好きだったなあ。まあ、ご愁傷様。
「お味はどうですか、レンくん、チーくん?」
「うん。美味しいよ」とさっそく一口食べるフェル。
「よかった。ちゃんと出来ているか心配だったんだ」
「二年ぶりぐらいかな? モモカの曾お祖母ちゃんが作ってくれたのを食べたのが最後だった気がする」
と俺も大福を口にほお張る。
「うん。美味しい」
「ありがとう、レンくん。実は、曾お祖母ちゃんの三回忌が来週あるの。だから、その時に作りたいなぁって思って」
「あ、じゃあ、やっぱり二年経つんだ……」
八〇間近になっても、亡くなるまで優しくて穏やか。とても温もりがあった人だった。俺が剣道を始めたキッカケも、モモカの曾お祖母さんによるところが大きいと思い出す。
「レンくんもチーくんも美味しいって言ってくれた。曾お祖母ちゃんに食べてもらえないのが残念だけど、曾お祖母ちゃんしか作り方をしらないこの大福を作れたことに、私は胸張って曾お祖母ちゃんにご報告できます」
「なるほど。僕らは毒見なのか」
ちょっと意地悪っぽく言ってみる。
「はぁわわ。そ、そんなことないですよ」
「意地悪はやめなよ、レンヤ」
「アハハ。ごめん、モモカ。冗談だよ、冗談」
「もう、ビックリしました」
半分本気。菫は食用でもあるけど、種類によって毒性のものもあるから。だけど、
「うん、美味しいよ。それに菫の良い香りもほんのりするね。モモカの曾お祖母さんが作ってくれたのと同じだ」
「菫の砂糖漬けを餡子に混ぜてあるんだぁ。曾お祖母ちゃんが考えたの」
「へー。菫の砂糖漬け? そういうのがあるんだ?」
とフェルは関心気味で大福の中身を覗き込む。
「良かったら持って帰ります、お二人とも? そのまま食べても美味しいよ」
「いいのかい、モモカ?」
「うん。たくさん作ったからお二人にお裾分け」
俺とフェルは顔を見合わせて、
「じゃあ、いただくよ」
「ありがとう、モモカ」
お土産の約束までし、美味しいモモカの曾お祖母さんが考えた菫餡子と、モモカの一工夫(モモカの好物)が入ったおやつを食べる。
懐かしい味と香りがほんのりする中、和やかで楽しい談笑は続いた。
【あの人、カッコいいですよねぇ】
モモカの家からの帰り、フェルと別れた瞬間、開口一番に口を開く女。
【普段は穏やかな狼って感じだけど、剣道の稽古の時、勇猛な狼さんのよう。額に汗が浮いて火照った色気のある身体。それでもあの爽やかな姿が堪らなくカッコ良かったです】
雰囲気とかは、そこはかとなく間違っちゃいないけど、
「お前、人を動物に例えるのが好きだな?」
他に言い方を知らないのか?
【あの人のお名前、何て言うんですか?】
キラキラと目を輝かせ、憧れの男性に出会えたかのように浮きだった表情。
「俺の質問はスルーか?」
【あなたの質問なんてどうでもいいんですよ。今は、あの人のこ……】
「何だと、こらぁ?」
【ああぁ、すみません】
慌てふためく女に、まあ仕方がないかと思う。
フェルは男性の俺から見てもカッコいい。一般的な日本人中学生離れした体格に端整な容姿。
女子の評価も高く、学校内や部活の練習中でもチラホラと遠巻きしている連中からは〝王子〟という愛称が名付けられている。
【で、お名前は何て言うんですか? あなたは『フェル』って呼んでいますけど、あの、子ダヌキっぽい……モモカちゃんでしたっけ? あの子は『チーくん』って呼んでいましたけど】
「千歳・フェルナンド・マリアーノ・レドンド・セルナ」
【えぇ……どれがお名前?】
「全部」
【あ、わかりました。フェルナンドだからフェル。千歳だからチーくんですね。それにしても長いお名前ですね】
「フェルの母親が外国の人なんだよ。フェル自身、生まれは母親の母国。だからファーストネームがあっちの国」
【え? あの人、外国の方とのハーフなんですか?】
「お前、フェルの髪色や顔立ちを見て気付かないのか?」
【いえ。髪を染めている人は日本人でもいますから……。あ、だから何語かわからない言葉で話していたんですね。何語で話していたんですか?】
「スペイン語」
【へー。スペイン語。あれ? あなた、どうしてスペイン語が話せるんですか?】
「教えてもらった。というか、前に一度使っただろ?」
【いつですか?】
「覚えていないのか?」
【はい。あ、でもでもよく考えると、私にとってそれはどうでもいいことですね。アハハ】
訊いておいてそれか? いい度胸だな、お前? 笑うなよ。
でも、あの時は俺が怒って、こいつは泣いていた時だったと思い出す。そら覚えていないはずだ。
【それより、フェルさんのことをもっと教えてください】
「え? イヤ」
【え? そんなこと言わないでくださいよ? いいじゃないですか? お願いしますよ?】
「絶対、イヤ」と俺はそそくさと歩く速度を早める。
【え? 何で? って、ちょっと待ってくださいよ!】
「イヤ。待たない」
【あなたにはあの小ダヌキの子がいます。フェルさんは私と。教えてくれたら恋が始まるかもしれないんですよ?】
何でモモカが出てくる? あいつは妹みたいなもんだ。それより、フェルに対してお前の恋が始まったら、俺はフェルに申し訳が立たない。
教えてやっているうちに、『紹介してください』とか言い出すのが予測できる。
例え何かの手違いで紹介したとして、俺はフェルに、『紹介したい人がいるんだ。幽霊で人には視えないんだけど』とか言って紹介しないといけないのか。変人決定だろう。絶対、イヤだ。
【ねえ、あなた? お願いしますよ?】
急いでもないのに、家まで走って帰る羽目になる。