オレンジジュース
「オレンジジュースを一つ」
やっぱり、と僕は思ったが、
「かしこまりました」
と快く返事をした。
彼女は一月程前から僕が働く喫茶店に来始めた、所謂常連さんである。
朝は良く晴れていたのに日が暮れ始める頃夕立が降り出したある日、少し雫を帯びた髪を振り乱しながら彼女は店に入ってきた。
以来毎日ここを訪れては、必ずオレンジジュースを注文している。年の頃は二十五歳前後といった所だろうか。流れるような黒髪、整った目鼻立ち、スリムな体型。
成熟した女性の雰囲気を持っていたが、僕は知っていた。
彼女は電話で話している時、幼い少女のような表情をする。多分電話の相手は彼女にとってかけがえのない人なのだろう。
僕は仕事の合間を縫っては、度々彼女を目で追っていた。
ほとんどは本を読んで時間を潰しているが、たまにケータイで話したりもしている。そして結構長い時間をここで過ごしていく。
彼女が何処に住んでいるのか、何をしているのかは当然知らないが、僕は彼女の事が気になっていた。
数日後。
いつものように店を訪れた彼女に僕は、
「ご注文は?」
と訊いた。
当然オレンジジュースと言われるものと思っていた。
「そうね。・・・コーラ、一つ」
なのに彼女から返ってきた言葉は僕の予想だにしないものだった。
僕は思わず訊き返しそうになったが、
「・・・かしこまりました」
とかろうじて答えた。
注文をとって戻る僕の頭には「?」マークばかりが浮かんでいた。
でもよく考えれば全然おかしい事ではない。たまには他の飲み物が飲みたくなる時もあるだろうし、今までオレンジジュースしか頼まなかったことの方が逆におかしいといえばおかしい。
そう思うと自分が疑問を抱いてしまったことが少し馬鹿らしく思えた。
でも彼女の席にコーラを届けようとした時に、僕は真っ赤に充血した彼女の瞳を見つけ、全てを理解した。
コーラをトレイに載せたまま慌ててカウンターに戻り、
「マスター!オレンジジュースを一つ、お願いします!」
僕は無我夢中で言った。
マスターは一瞬きょとんとしていたが、すぐに笑顔になった。
「了解」
多少からかうような表情をしたマスターからオレンジジュースを受け取り、彼女の席へと急いだ。
そして「どうぞ」と短く言って、彼女の目の前にオレンジジュースを置く。当然彼女は、
「こんなもの頼んでないわよ!」
と激昂した。
僕は真剣な顔で答える。
「これからは、僕があなたにオレンジジュースを飲ませてあげます」
怒りに歪んだ彼女の顔はすぐに呆れた様な表情になり、そして、笑顔に変わった。
・・・その笑顔は、彼女がケータイで話している時にのみ見せていた、幼い笑顔だった。
終