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パンケーキは焼かずに、ソーダは炭酸抜きで

作者: 本海
掲載日:2026/04/23

ハードボイルドスタイルで書いてみました。

 店は国道16号線沿いにあった。看板のネオンの一部が消えていた。


 五時半だった。


 タカシはカウンターに立ち、店長は競馬新聞を読んでいた。


 ドアのベルが鳴った。

 二人の女子高生が入ってきた。一人は黒髪で、一人は金髪だった。

 二人は窓際のボックス席に座った。

 タカシは水を持ってテーブルへ行った。


「何にしますか」

「Bセット。パンケーキは焼かないで」


 黒髪が言った。


「焼かない?」

「そう。生地のまま持ってきて」

「生地のまま」

「メイプルシロップは別にして」

「私はメロンソーダ」と金髪が言った。「チェリーはいらない。炭酸も抜いて」

「炭酸抜きのソーダですか」

「言った通りにして。早く。重いものを持って疲れてるから」


 タカシは厨房へ戻った。店長は新聞を読んでいた。伝票を置いた。


「店長」

「なんだ」

「パンケーキを焼かずに、ボウルに入れて出せと言っています。ソーダは炭酸抜きです」

「客が言ったのか」

「はい」

「なら出せ」

「わかりました。そうだ店長。これが終わったら、安藤さんの分、もう落としていいですか。」

「まだ五時半だぞ。出す頃には冷めてるだろ」

「あの人は、淹れたての尖った味が嫌いなんです。二十分置いて、体温に近づいた頃が一番甘いって」

「変な客だ。お前も律儀に付き合うな」


 店長は新聞から目を上げなかった。タカシはボウルに生地を流した。グラスのソーダをスプーンでかき混ぜた。

 タカシはトレイを持って席へ行った。


「お待たせしました」

「ねえ、終わった?」


 黒髪が聞いた。


「秒で」と金髪が言った。「精度が上がってる。三メートル以内。マジ、ウケる」

「それはいい」


 金髪はソーダを飲み、顔をしかめた。


「炭酸、まだ入ってる」

「すみません」


 タカシが手を伸ばした。黒髪がそれを止めた。


「いいわ、そのままで。もう時間だから」

「時間ですか」

「タカシ君。ここで働いて長いの?」

「半年です」

「半年」

「はい」

「じゃあ、六時に何が起きるか知らないのね」

「六時に何があるんですか」

「いつもの場所で、いつものことが起きるだけ」


 黒髪が笑った。

 トラックが通り過ぎ、店が揺れた。

 黒髪はスプーンで生の生地を掬い、口に入れた。彼女はそれを飲み込んだ。


「美味しいですか」

「味がしないわ」

「焼いた方がいいですよ」

「熱いのは嫌いなの」


 時計は五時四十分だった。


「ねえ、このリップ、赤すぎない?」


 金髪がスマホを向けた。


「いいんじゃない。どうせ汚れるんだから」

「それもそうね。拭くのが面倒だけど」

「一発で済ませればいいのよ」

「アリスはいつもそう言う」


 タカシはカウンターに戻った。布巾で縁を拭いた。


「店長」

「なんだ」

「あの客、生の生地を食べています」

「腹を壊すのは客だ。お前じゃない」

「そうですが」

「仕事しろ」


 タカシはドリッパーを手に取った。


「ねえ、次のターゲット、もう動いてる?」


 金髪の声が聞こえた。


「まだよ。アパートにいる」

「律儀な人。六時にここに来るって、誰が決めたの?」

「上が決めたことよ。私たちは待つだけ」

「スタバ、寄れるかな」

「仕事が綺麗に終わればね」


 換気扇が回っていた。

 西日がアスファルトを照らしていた。


「タカシ君」


 黒髪が呼んだ。タカシは席へ行った。


「なんですか」

「お代、ここに置いておくわ」


 彼女は千円札を置いた。


「まだ六時じゃありませんよ」

「予習は済んだから。あとは本番だけ」

「本番?」

「パンケーキの話よ。次はもっと上手く混ぜてね」


 金髪が吹き出した。


「マジ、ウケる。ねえ、自撮り撮るよ」


 シャッター音がした。


「ハッシュタグ、放課後。これでいい?」

「『ダイナー』も入れなさい。雰囲気が出るわ」


 二人はスマホを眺めていた。

 タカシはボウルを下げた。生地は半分なくなっていた。

 店長は競馬新聞の数字を追っていた。

 またトラックが通り過ぎた。店が長く揺れた。


 二人がカウンターに来た。


 「店長。こっちへ来て」


 黒髪が言った。

 店長は競馬新聞を置かなかった。


「注文ならバイトに言え」

「いいから来て。大事な話」


 店長は溜息をついた。彼女たちの元へ歩いた。

 アリスがカバンから黒い塊を出した。先端が長い。彼女はそれを店長の腹に押し当てた。


「座って」

「おい」


 店長の手が動いた。アリスの腕を掴もうとした。アリスは銃口を強く押し込んだ。


「一」

「……なんだ。冗談だろ」

「二」


 店長は椅子に崩れた。顔が白かった。


「ルナ。準備中にしてきて」

「了解」


 金髪のルナが立ち上がった。入り口へ行き、プレートを裏返した。


「渋滞、始まった?」

「さっき連絡。三キロ先でトラックが横転したわ。一時間は誰も来ない」

「仕事が早くて助かるね」


 ルナが戻ってきた。彼女はカバンから結束バンドを出した。


「お兄さん。キッチンへ入って」


 ルナがタカシに小さな銃を向けた。


「本物か」とタカシが聞いた。

「撃ってみる? 掃除が大変になるから嫌だけど」


 ルナはタカシをキッチンの奥へ追いやった。手際がよかった。彼を冷蔵庫の横に座らせ、手首を縛った。


「安藤さんを待ってるだけ。邪魔しないでね」


 ルナはスマホを自分に向けた。


「あーあ。バンドのせいでネイルが剥げた」


アリスはカウンターへ移動した。銃を置いた。


「店長。コーヒー。ブラックで」


 店長はポットを持った。注ぎ口がカップの縁に当たり、音を立てた。


「……客が来るぞ」

「客は来ないと言ったわ」


 アリスはコーヒーを飲んだ。タブレットを開いた。


「安藤さんは?」とルナが戻ってきて聞いた。

「まだアパート。動かないわ」

「律儀な人。六時にここに来るんでしょ?」

「そう。最後の食事にね」


 タカシは床から彼女たちの背中を見ていた。


「アリス、あと何分?」

「十五分」

「終わったら、渋谷へ寄ってもいい?」

「仕事が綺麗に片付いたらね」

「やった。新作のグロス買いたいんだよね」

「いいわよ。私も見たい」


 カウンターの上には、黒い銃が置かれたままだった。


「店長、おかわり。次はこぼさないで」


 アリスが言った。

 店長は黙ってポットを傾けた。

 外でトラックのブレーキ音がした。


「ねえ、安藤さん、何食べると思う?」


 ルナが聞いた。


「さあね。でも、生の生地ではないはずよ」


 二人は笑った。

 換気扇が回る音だけが続いた。


 タカシは厨房の床に座っていた。タイルから冷気が伝わった。

 カウンターから声がした。


「ねえアリス。新作のリップ、見た?」

「見たわ。赤すぎる」

「そうかな。映えるよ。安藤さんのとき、返り血が目立たない方がよくない?」


 ルナが笑った。


「眉間を撃てば散らないわ」とアリスが言った。

「でも心臓なら服が汚れる。あなたは距離が近すぎる」

「確実にやりたい。賭ける? 眉間か、心臓か」

「スタバ一杯。私は眉間」

「じゃあ私、心臓。三発撃つ」

「無駄撃ちはやめて。弾がもったいない」

「いいじゃない。経費で落ちるわ」

「掃除をするのは私じゃない。店長、そうでしょ?」


 店長は答えなかった。


「店長。おかわり」


 コーヒーが注がれる音がした。


「手が震えてるわよ」とルナが言った。

「……すまない」

「いいよ。こぼさなきゃ。ねえアリス、安藤さん歩いてくるかな」


 ルナが銃のセーフティを動かした。カチ、カチと音がした。


「彼は歩くわ」

「どうして? 疲れるのに」

「監視カメラの死角がこのルートにしかないからよ」

「ふーん。よく分かんない。効率悪い」

「あなたは分からなくていい。準備して」

「オッケー。あ、自撮り撮らなきゃ」


 シャッター音がした。


「ハッシュタグ、放課後、ダイナーなう。盛れてる?」

「画面が明るすぎるわ」

「これくらいがいいの。あ、見て。安藤さん、まだ動かない」

「あと十五分よ」


 アリスが言った。


「十五分経ったら、全部終わる?」

「終わるわ。それから渋谷へ行く」

「新作のグロス、在庫あるかな」

「あるわよ。なければ他を探すだけ」


 換気扇が回っていた。


 トラックが通り過ぎ、店が揺れた。


「店長」


 アリスが呼んだ。


「……なんだ」

「安藤さんが来たら、いつものようにコーヒーを出しなさい。いい?」

「……ああ」

「逃げようと思わないことね。ルナが後ろにいるわ」

「分かっている」

「タカシ君。聞こえる?」


 アリスがキッチンに向かって言った。


「聞こえます」

「あなたもよ。変な動きをしたら、ルナのスタバが無料になるだけ」

「……はい」


 タカシは壁を見つめた。


「ねえ、アリス。安藤さんのGPS、一ミリも動かないんだけど」

「あと十分。彼は時間を守るわ」

「だといいけど。お腹空いちゃった」

「終わったらパンケーキを食べればいいじゃない。今度は焼いたやつを」

「名案」


 二人は笑った。

 国道をまたトラックが通った。

 換気扇の音だけが残った。 


−−−


六時になった。

 時計が音を立てた。アリスはコーヒーカップを置き、ドアを見た。ルナは弾倉を銃に込めた。

 一分が過ぎた。

 トラックが通り過ぎた。ベルは鳴らなかった。

 三分が過ぎた。


「遅い」


 ルナが欠伸をした。彼女はスマホを取り出し、店長に向けた。


「見てアリス。店長、顔色が砂利みたい。ウケる」

「GPSを見なさい」

「はいはい。……動いてない。アパートにいる。」


 アリスがタブレットを叩いた。


「彼は時間を守る男よ。一度も遅れたことはない」

「寝過ごしたんじゃない?」

「あり得ない」


 アリスは無線機を取り出した。


「こちらアリス。ターゲットが現れない。……ええ、六時三分。……待機? 無駄よ。直行の許可を。……分かってる。清掃班の手間は考えなくていい。……チッ」


 アリスは通信を切った。彼女はペンをテーブルに叩きつけた。


「なんて言った?」

「待機しろって。規約だからって。バカみたい」

「スタバ、終わったね」

「黙って。安藤、あのクズ」


 五分が過ぎた。

 アリスは椅子を蹴った。


「あいつ、何様のつもり? 私の予定を壊して楽しいわけ?」

「アリス、怖い」

「うるさい。六時に死ぬのが彼の仕事でしょ。それをサボるなんて」


 ルナは天井を見た。


「安藤さん、走るのをやめたのかも」

「走るのをやめたらどうなるんですか」


 キッチンからタカシが聞いた。


「リストの上ではもう死んでるのよ」


 アリスが吐き捨てた。


「場所がここからアパートに変わるだけ。逃げるのをやめた人間は、ただのゴミ」


 六時十分になった。

 アリスはタブレットをカバンに押し込んだ。


「撤収。予定変更よ」

「本部から許可出たの?」

「無視するわ。別の仕事が入ったことにする」

「了解。渋谷、急ごう」


 アリスは立ち上がり、カウンター越しにタカシを見た。


「通報はしないで。無駄だから」

「どうしてそう言い切れる」

「私たちはもういない。でもあなたの住所はここにある。ノイズを増やさないで。それが効率的よ」


 二人はドアへ向かった。


「アリス、バイクの鍵」

「ポケット。早くして」

「はーい。お兄さん、ソーダ代は置いたよ。お釣りはいらない」


 ベルが鳴った。

 二人は夜の中へ消えた。


 店内には換気扇の音だけが残った。

 時計は六時十二分を指していた。

 店長はまだ椅子に座ったままだった。

「店長」とタカシが呼んだ。

 答えはなかった。


 トラックが通り過ぎ、店が長く揺れた。


「安藤さんは、来ませんね」

「……ああ」

「逃げたんでしょうか」

「……知るか」


 窓の外は暗かった。国道を走るライトの列が見えた。


「アリスは、死んでるのと同じだと言いました」

「……ガキの言うことだ」


 タカシは立ち上がった。


「店長、ハサミを」


 換気扇が回り続けていた。


店長はハサミで結束バンドを切った。


「店長、警察を呼びます」

「よせ。何も言うな」

「銃がありました」

「何もなかった。見ろ、誰も死んでいない」


 店長はタカシを突き飛ばした。


「警察がいつまで守ってくれる。あいつらは住所を知っていると言ったぞ」

「でも、安藤さんが」

「誰だそれは。そんな客はいない」

「毎日六時に来て、同じドーナツとコーヒーを頼む男です」

「知らない。床を拭け。ベタついている」


 店長は床の千円札を拾い、レジに叩き込んだ。


「店長、怖くないんですか」

「怖いから言ってるんだ。仕事に戻れ」

「嫌です」


 タカシはエプロンを脱いだ。


「おい。どこへ行く。シフトは終わっていないぞ」

「エプロンはそこに置いておきます」


 タカシは裏口から出た。

 駐輪場には風が吹いていた。

 タカシは自転車の鍵を開けた。


「走るのをやめたら死ぬ。あいつはそう言った」

「誰に言ってるんだ。戻れ」


 店長が裏口のドアを開けて叫んだ。


「明日のシフトはどうする。代わりはいないぞ」

「安藤さんに聞いてみます」

「バカか。戻ってこなくていいぞ」

「そうします」


 タカシはペダルを漕いだ。

 夜の道は暗かった。

 安藤のアパートは線路のそばにある。店長がよく、あのボロアパートの男は金払いが遅いとぼやいていた。


「間に合うか」


 タカシは立ち漕ぎをした。

 前方に古いアパートの影が見えた。

 電車の音が聞こえてきた。

 風が強くなった。

 タカシはハンドルを握り直した。


「安藤さん」


 彼は夜の中を走り続けた。


---


 木造アパートだった。鉄の階段を上ると、錆びた音がした。

 二〇三号室のドアは五センチほど開いていた。タカシは部屋に入った。安藤は床に座っていた。


「安藤さん」


安藤が目線を上げた。


「……ああ、あの店の」

「今日はドーナツ、もう売り切れちゃったんです。なんて、冗談ですよ。逃げてください。店に殺し屋がいました」

「そうか」


 安藤は床を撫でた。


「早く。今なら間に合います」

「今日は靴を履かなかった」

「何を言ってるんですか」

「どっちの足から履くか忘れたんだ。それで、もういいと思った」

「俺のコーヒー、角がなくて飲みやすいって言ったじゃないですか。明日も、淹れますから」

「ボウヤ。もういいんだ」

「何を言っているんですか」

「外は風が強すぎる。俺はもう疲れた」


 電車が通り過ぎた。アパートが揺れた。

 安藤はゆっくりと横になった。


「安藤さん」

「いい寝床だ。ドアを閉めて」

「……本当にいいんですか」

「ああ。仕事に戻りなさい。まだシフトだろ」

「エプロンは捨ててきました」

「そうか。それはいい」


 安藤は目を閉じた。

 タカシはしばらく立っていた。それから外に出た。


---


 階段を降りると、また電車が通った。

 タカシは自転車に乗った。

 駅へ向かう道に、大きな看板があった。

 リップの広告だった。モデルが赤すぎる唇で笑っていた。


「腹が減ったな」 


 タカシは言った。

 コンビニの前に自転車を止めた。

 自動ドアが開いた。


「いらっしゃいませ」


 店員が言った。

 タカシは棚から弁当とパンを一つ取った。

会計に向かった。


「温めますか」


レジの奥でテレビが音を立てた。画面の上部にテロップが流れる。


『……たった今、入った情報です。市内のアパートで、銃声が聞こえると通報がありました。駆けつけた警察官が、室内で男性の遺体を発見。警察は……』


 画面には、鋭い目つきの知らない男が映っていた。


「温めなくていいですか」


 店員が言った。


「ああ」

「いいニュースじゃないですね。世の中、ろくな奴がいない」

「そうですね」


 タカシは店を出た。


 夜の国道をトラックが走っていた。彼はパンの袋を破り、一口食べた。


「味がしない」


 彼は独り言を言った。


 タカシはパンを口に押し込んだ。何度も噛んだ。

 大きなトラックが通り過ぎた。アスファルトが震えた。

 タカシはペダルを強く踏んだ。振り返らなかった。


女子高生の殺し屋はいいですよね。

皆さんはどうでしょうか?

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