パンケーキは焼かずに、ソーダは炭酸抜きで
ハードボイルドスタイルで書いてみました。
店は国道16号線沿いにあった。看板のネオンの一部が消えていた。
五時半だった。
タカシはカウンターに立ち、店長は競馬新聞を読んでいた。
ドアのベルが鳴った。
二人の女子高生が入ってきた。一人は黒髪で、一人は金髪だった。
二人は窓際のボックス席に座った。
タカシは水を持ってテーブルへ行った。
「何にしますか」
「Bセット。パンケーキは焼かないで」
黒髪が言った。
「焼かない?」
「そう。生地のまま持ってきて」
「生地のまま」
「メイプルシロップは別にして」
「私はメロンソーダ」と金髪が言った。「チェリーはいらない。炭酸も抜いて」
「炭酸抜きのソーダですか」
「言った通りにして。早く。重いものを持って疲れてるから」
タカシは厨房へ戻った。店長は新聞を読んでいた。伝票を置いた。
「店長」
「なんだ」
「パンケーキを焼かずに、ボウルに入れて出せと言っています。ソーダは炭酸抜きです」
「客が言ったのか」
「はい」
「なら出せ」
「わかりました。そうだ店長。これが終わったら、安藤さんの分、もう落としていいですか。」
「まだ五時半だぞ。出す頃には冷めてるだろ」
「あの人は、淹れたての尖った味が嫌いなんです。二十分置いて、体温に近づいた頃が一番甘いって」
「変な客だ。お前も律儀に付き合うな」
店長は新聞から目を上げなかった。タカシはボウルに生地を流した。グラスのソーダをスプーンでかき混ぜた。
タカシはトレイを持って席へ行った。
「お待たせしました」
「ねえ、終わった?」
黒髪が聞いた。
「秒で」と金髪が言った。「精度が上がってる。三メートル以内。マジ、ウケる」
「それはいい」
金髪はソーダを飲み、顔をしかめた。
「炭酸、まだ入ってる」
「すみません」
タカシが手を伸ばした。黒髪がそれを止めた。
「いいわ、そのままで。もう時間だから」
「時間ですか」
「タカシ君。ここで働いて長いの?」
「半年です」
「半年」
「はい」
「じゃあ、六時に何が起きるか知らないのね」
「六時に何があるんですか」
「いつもの場所で、いつものことが起きるだけ」
黒髪が笑った。
トラックが通り過ぎ、店が揺れた。
黒髪はスプーンで生の生地を掬い、口に入れた。彼女はそれを飲み込んだ。
「美味しいですか」
「味がしないわ」
「焼いた方がいいですよ」
「熱いのは嫌いなの」
時計は五時四十分だった。
「ねえ、このリップ、赤すぎない?」
金髪がスマホを向けた。
「いいんじゃない。どうせ汚れるんだから」
「それもそうね。拭くのが面倒だけど」
「一発で済ませればいいのよ」
「アリスはいつもそう言う」
タカシはカウンターに戻った。布巾で縁を拭いた。
「店長」
「なんだ」
「あの客、生の生地を食べています」
「腹を壊すのは客だ。お前じゃない」
「そうですが」
「仕事しろ」
タカシはドリッパーを手に取った。
「ねえ、次のターゲット、もう動いてる?」
金髪の声が聞こえた。
「まだよ。アパートにいる」
「律儀な人。六時にここに来るって、誰が決めたの?」
「上が決めたことよ。私たちは待つだけ」
「スタバ、寄れるかな」
「仕事が綺麗に終わればね」
換気扇が回っていた。
西日がアスファルトを照らしていた。
「タカシ君」
黒髪が呼んだ。タカシは席へ行った。
「なんですか」
「お代、ここに置いておくわ」
彼女は千円札を置いた。
「まだ六時じゃありませんよ」
「予習は済んだから。あとは本番だけ」
「本番?」
「パンケーキの話よ。次はもっと上手く混ぜてね」
金髪が吹き出した。
「マジ、ウケる。ねえ、自撮り撮るよ」
シャッター音がした。
「ハッシュタグ、放課後。これでいい?」
「『ダイナー』も入れなさい。雰囲気が出るわ」
二人はスマホを眺めていた。
タカシはボウルを下げた。生地は半分なくなっていた。
店長は競馬新聞の数字を追っていた。
またトラックが通り過ぎた。店が長く揺れた。
二人がカウンターに来た。
「店長。こっちへ来て」
黒髪が言った。
店長は競馬新聞を置かなかった。
「注文ならバイトに言え」
「いいから来て。大事な話」
店長は溜息をついた。彼女たちの元へ歩いた。
アリスがカバンから黒い塊を出した。先端が長い。彼女はそれを店長の腹に押し当てた。
「座って」
「おい」
店長の手が動いた。アリスの腕を掴もうとした。アリスは銃口を強く押し込んだ。
「一」
「……なんだ。冗談だろ」
「二」
店長は椅子に崩れた。顔が白かった。
「ルナ。準備中にしてきて」
「了解」
金髪のルナが立ち上がった。入り口へ行き、プレートを裏返した。
「渋滞、始まった?」
「さっき連絡。三キロ先でトラックが横転したわ。一時間は誰も来ない」
「仕事が早くて助かるね」
ルナが戻ってきた。彼女はカバンから結束バンドを出した。
「お兄さん。キッチンへ入って」
ルナがタカシに小さな銃を向けた。
「本物か」とタカシが聞いた。
「撃ってみる? 掃除が大変になるから嫌だけど」
ルナはタカシをキッチンの奥へ追いやった。手際がよかった。彼を冷蔵庫の横に座らせ、手首を縛った。
「安藤さんを待ってるだけ。邪魔しないでね」
ルナはスマホを自分に向けた。
「あーあ。バンドのせいでネイルが剥げた」
アリスはカウンターへ移動した。銃を置いた。
「店長。コーヒー。ブラックで」
店長はポットを持った。注ぎ口がカップの縁に当たり、音を立てた。
「……客が来るぞ」
「客は来ないと言ったわ」
アリスはコーヒーを飲んだ。タブレットを開いた。
「安藤さんは?」とルナが戻ってきて聞いた。
「まだアパート。動かないわ」
「律儀な人。六時にここに来るんでしょ?」
「そう。最後の食事にね」
タカシは床から彼女たちの背中を見ていた。
「アリス、あと何分?」
「十五分」
「終わったら、渋谷へ寄ってもいい?」
「仕事が綺麗に片付いたらね」
「やった。新作のグロス買いたいんだよね」
「いいわよ。私も見たい」
カウンターの上には、黒い銃が置かれたままだった。
「店長、おかわり。次はこぼさないで」
アリスが言った。
店長は黙ってポットを傾けた。
外でトラックのブレーキ音がした。
「ねえ、安藤さん、何食べると思う?」
ルナが聞いた。
「さあね。でも、生の生地ではないはずよ」
二人は笑った。
換気扇が回る音だけが続いた。
タカシは厨房の床に座っていた。タイルから冷気が伝わった。
カウンターから声がした。
「ねえアリス。新作のリップ、見た?」
「見たわ。赤すぎる」
「そうかな。映えるよ。安藤さんのとき、返り血が目立たない方がよくない?」
ルナが笑った。
「眉間を撃てば散らないわ」とアリスが言った。
「でも心臓なら服が汚れる。あなたは距離が近すぎる」
「確実にやりたい。賭ける? 眉間か、心臓か」
「スタバ一杯。私は眉間」
「じゃあ私、心臓。三発撃つ」
「無駄撃ちはやめて。弾がもったいない」
「いいじゃない。経費で落ちるわ」
「掃除をするのは私じゃない。店長、そうでしょ?」
店長は答えなかった。
「店長。おかわり」
コーヒーが注がれる音がした。
「手が震えてるわよ」とルナが言った。
「……すまない」
「いいよ。こぼさなきゃ。ねえアリス、安藤さん歩いてくるかな」
ルナが銃のセーフティを動かした。カチ、カチと音がした。
「彼は歩くわ」
「どうして? 疲れるのに」
「監視カメラの死角がこのルートにしかないからよ」
「ふーん。よく分かんない。効率悪い」
「あなたは分からなくていい。準備して」
「オッケー。あ、自撮り撮らなきゃ」
シャッター音がした。
「ハッシュタグ、放課後、ダイナーなう。盛れてる?」
「画面が明るすぎるわ」
「これくらいがいいの。あ、見て。安藤さん、まだ動かない」
「あと十五分よ」
アリスが言った。
「十五分経ったら、全部終わる?」
「終わるわ。それから渋谷へ行く」
「新作のグロス、在庫あるかな」
「あるわよ。なければ他を探すだけ」
換気扇が回っていた。
トラックが通り過ぎ、店が揺れた。
「店長」
アリスが呼んだ。
「……なんだ」
「安藤さんが来たら、いつものようにコーヒーを出しなさい。いい?」
「……ああ」
「逃げようと思わないことね。ルナが後ろにいるわ」
「分かっている」
「タカシ君。聞こえる?」
アリスがキッチンに向かって言った。
「聞こえます」
「あなたもよ。変な動きをしたら、ルナのスタバが無料になるだけ」
「……はい」
タカシは壁を見つめた。
「ねえ、アリス。安藤さんのGPS、一ミリも動かないんだけど」
「あと十分。彼は時間を守るわ」
「だといいけど。お腹空いちゃった」
「終わったらパンケーキを食べればいいじゃない。今度は焼いたやつを」
「名案」
二人は笑った。
国道をまたトラックが通った。
換気扇の音だけが残った。
−−−
六時になった。
時計が音を立てた。アリスはコーヒーカップを置き、ドアを見た。ルナは弾倉を銃に込めた。
一分が過ぎた。
トラックが通り過ぎた。ベルは鳴らなかった。
三分が過ぎた。
「遅い」
ルナが欠伸をした。彼女はスマホを取り出し、店長に向けた。
「見てアリス。店長、顔色が砂利みたい。ウケる」
「GPSを見なさい」
「はいはい。……動いてない。アパートにいる。」
アリスがタブレットを叩いた。
「彼は時間を守る男よ。一度も遅れたことはない」
「寝過ごしたんじゃない?」
「あり得ない」
アリスは無線機を取り出した。
「こちらアリス。ターゲットが現れない。……ええ、六時三分。……待機? 無駄よ。直行の許可を。……分かってる。清掃班の手間は考えなくていい。……チッ」
アリスは通信を切った。彼女はペンをテーブルに叩きつけた。
「なんて言った?」
「待機しろって。規約だからって。バカみたい」
「スタバ、終わったね」
「黙って。安藤、あのクズ」
五分が過ぎた。
アリスは椅子を蹴った。
「あいつ、何様のつもり? 私の予定を壊して楽しいわけ?」
「アリス、怖い」
「うるさい。六時に死ぬのが彼の仕事でしょ。それをサボるなんて」
ルナは天井を見た。
「安藤さん、走るのをやめたのかも」
「走るのをやめたらどうなるんですか」
キッチンからタカシが聞いた。
「リストの上ではもう死んでるのよ」
アリスが吐き捨てた。
「場所がここからアパートに変わるだけ。逃げるのをやめた人間は、ただのゴミ」
六時十分になった。
アリスはタブレットをカバンに押し込んだ。
「撤収。予定変更よ」
「本部から許可出たの?」
「無視するわ。別の仕事が入ったことにする」
「了解。渋谷、急ごう」
アリスは立ち上がり、カウンター越しにタカシを見た。
「通報はしないで。無駄だから」
「どうしてそう言い切れる」
「私たちはもういない。でもあなたの住所はここにある。ノイズを増やさないで。それが効率的よ」
二人はドアへ向かった。
「アリス、バイクの鍵」
「ポケット。早くして」
「はーい。お兄さん、ソーダ代は置いたよ。お釣りはいらない」
ベルが鳴った。
二人は夜の中へ消えた。
店内には換気扇の音だけが残った。
時計は六時十二分を指していた。
店長はまだ椅子に座ったままだった。
「店長」とタカシが呼んだ。
答えはなかった。
トラックが通り過ぎ、店が長く揺れた。
「安藤さんは、来ませんね」
「……ああ」
「逃げたんでしょうか」
「……知るか」
窓の外は暗かった。国道を走るライトの列が見えた。
「アリスは、死んでるのと同じだと言いました」
「……ガキの言うことだ」
タカシは立ち上がった。
「店長、ハサミを」
換気扇が回り続けていた。
店長はハサミで結束バンドを切った。
「店長、警察を呼びます」
「よせ。何も言うな」
「銃がありました」
「何もなかった。見ろ、誰も死んでいない」
店長はタカシを突き飛ばした。
「警察がいつまで守ってくれる。あいつらは住所を知っていると言ったぞ」
「でも、安藤さんが」
「誰だそれは。そんな客はいない」
「毎日六時に来て、同じドーナツとコーヒーを頼む男です」
「知らない。床を拭け。ベタついている」
店長は床の千円札を拾い、レジに叩き込んだ。
「店長、怖くないんですか」
「怖いから言ってるんだ。仕事に戻れ」
「嫌です」
タカシはエプロンを脱いだ。
「おい。どこへ行く。シフトは終わっていないぞ」
「エプロンはそこに置いておきます」
タカシは裏口から出た。
駐輪場には風が吹いていた。
タカシは自転車の鍵を開けた。
「走るのをやめたら死ぬ。あいつはそう言った」
「誰に言ってるんだ。戻れ」
店長が裏口のドアを開けて叫んだ。
「明日のシフトはどうする。代わりはいないぞ」
「安藤さんに聞いてみます」
「バカか。戻ってこなくていいぞ」
「そうします」
タカシはペダルを漕いだ。
夜の道は暗かった。
安藤のアパートは線路のそばにある。店長がよく、あのボロアパートの男は金払いが遅いとぼやいていた。
「間に合うか」
タカシは立ち漕ぎをした。
前方に古いアパートの影が見えた。
電車の音が聞こえてきた。
風が強くなった。
タカシはハンドルを握り直した。
「安藤さん」
彼は夜の中を走り続けた。
---
木造アパートだった。鉄の階段を上ると、錆びた音がした。
二〇三号室のドアは五センチほど開いていた。タカシは部屋に入った。安藤は床に座っていた。
「安藤さん」
安藤が目線を上げた。
「……ああ、あの店の」
「今日はドーナツ、もう売り切れちゃったんです。なんて、冗談ですよ。逃げてください。店に殺し屋がいました」
「そうか」
安藤は床を撫でた。
「早く。今なら間に合います」
「今日は靴を履かなかった」
「何を言ってるんですか」
「どっちの足から履くか忘れたんだ。それで、もういいと思った」
「俺のコーヒー、角がなくて飲みやすいって言ったじゃないですか。明日も、淹れますから」
「ボウヤ。もういいんだ」
「何を言っているんですか」
「外は風が強すぎる。俺はもう疲れた」
電車が通り過ぎた。アパートが揺れた。
安藤はゆっくりと横になった。
「安藤さん」
「いい寝床だ。ドアを閉めて」
「……本当にいいんですか」
「ああ。仕事に戻りなさい。まだシフトだろ」
「エプロンは捨ててきました」
「そうか。それはいい」
安藤は目を閉じた。
タカシはしばらく立っていた。それから外に出た。
---
階段を降りると、また電車が通った。
タカシは自転車に乗った。
駅へ向かう道に、大きな看板があった。
リップの広告だった。モデルが赤すぎる唇で笑っていた。
「腹が減ったな」
タカシは言った。
コンビニの前に自転車を止めた。
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
店員が言った。
タカシは棚から弁当とパンを一つ取った。
会計に向かった。
「温めますか」
レジの奥でテレビが音を立てた。画面の上部にテロップが流れる。
『……たった今、入った情報です。市内のアパートで、銃声が聞こえると通報がありました。駆けつけた警察官が、室内で男性の遺体を発見。警察は……』
画面には、鋭い目つきの知らない男が映っていた。
「温めなくていいですか」
店員が言った。
「ああ」
「いいニュースじゃないですね。世の中、ろくな奴がいない」
「そうですね」
タカシは店を出た。
夜の国道をトラックが走っていた。彼はパンの袋を破り、一口食べた。
「味がしない」
彼は独り言を言った。
タカシはパンを口に押し込んだ。何度も噛んだ。
大きなトラックが通り過ぎた。アスファルトが震えた。
タカシはペダルを強く踏んだ。振り返らなかった。
女子高生の殺し屋はいいですよね。
皆さんはどうでしょうか?




