『猶予はあなたのもの』 第四章
朝が来る。
眠っていないのに、目覚める。
【残り6時間】
数字は、淡々と減っている。
真白は駅へ向かう。
蒼の家に直接行く勇気が、まだない。
駅のホーム。
電車を待つ人々。
スマートフォン、コーヒー、無表情。
その中に――
いる。
少年。
昨日、写真にあった顔。
制服ではない。
白いパーカー。
年齢は十七か、十八。
柵の向こうではなく、こちら側に立っている。
だが、足元。
線路との境目。
白線の、ほんの外。
心臓が跳ねる。
真白は近づく。
少年の横顔。
どこかで見たことがある。
だが、蒼ではない。
もっと幼い。
もっと、静かだ。
少年が言う。
「七回目?」
振り向きもしない。
真白の喉が凍る。
「何のこと」
少年は小さく笑う。
「忘れる人は、だいたいそう言う」
空気が、わずかに歪む。
【残り5時間48分】
数字が、早くなった気がする。
「君は誰」
少年は白線の内側に戻る。
そして、真白を見る。
その目。
蒼と同じ色。
だが、温度が違う。
「僕は、まだ選ばれてないほう」
意味が分からない。
「選ばれてない?」
少年は線路の先を見る。
電車のライトが遠くに見える。
「あなたが赦されると、僕は消える」
「赦されないと?」
少年は肩をすくめる。
「増える」
電車の音が近づく。
風が巻く。
真白は思わず、少年の腕を掴む。
冷たい。
現実の体温。
少年は、掴まれた腕を見下ろす。
「今回は、掴むんだ」
その言葉は、どこか嬉しそうでもあり、諦めているようでもある。
「君は蒼と何の関係があるの」
少年は少し考える。
「可能性」
「何の」
「彼が落ちた未来の」
電車がホームに滑り込む。
強い風。
扉が開く。
人々が乗り降りする。
日常の音。
少年は真白の目をまっすぐ見る。
「彼が飛んだ六回、僕は生まれた」
呼吸が止まる。
「生まれた?」
「あなたが“正しかった”世界の数だけ」
胸が、重くなる。
「私は……」
少年は首を振る。
「言い訳は、もう聞いた」
その声音は、老人に似ている。
だが、もっと生身だ。
「彼は今、橋にいる」
その一言で、時間が凍る。
【残り5時間02分】
「どうして知ってるの」
少年は微笑む。
「僕は、落ちたあとの景色を知ってるから」
ドアが閉まる合図が鳴る。
少年は一歩、後ろに下がる。
電車には乗らない。
「ねえ」
真白が叫ぶ。
「君は蒼なの?」
少年は首を横に振る。
「まだ違う」
「じゃあ何」
少年は、少しだけ寂しそうに言う。
「あなたが作った、余白」
ドアが閉まる。
電車が動き出す。
一瞬、少年の姿が揺れる。
ガラス越しに見ると、
その輪郭が、透ける。
次の瞬間。
いない。
ホームは普通だ。
誰も気にしていない。
真白の手だけが、冷たさを覚えている。
ポケットの写真を取り出す。
川辺。
蒼。
数字。
【残り4時間50分】
だが、写真の端に、もう一人写っている。
ぼんやりと。
白いパーカー。
少年。
背を向けて立っている。
真白は息を呑む。
遠くでサイレンが鳴る。
不吉ではない。
ただの街の音。
だが、胸の奥が知っている。
猶予は、蒼だけのものではない。
赦しは、過去に向いている。
少年は“未来”だ。
そして、
真白がまだ向き合っていないもの。




