7話 前編 呪われた少女と、衛生管理
小鳥のさえずりが聞こえる
背中に当たる固いベッド感触。
目に映る藁の屋根。
異世界二日目の朝、天井が、
ここが異世界だと語ってくる。
まだ受け入れられているというと
――嘘になる。
しかし、思ったよりよく眠れている。
体が軽い。しかも――若返っている。
川辺で顔を洗い、水面を鏡代わりに覗き込む。
すっぴんの肌の調子が、やけにいい。
張りがあって、くすみもない。
――異世界に来て、今のところ
一番うれしいのは、これかもしれない。
ぴちぴち十六歳の肌。
――がんばれ、私。かわいいぞ。
そんなことを考えながら、シーナは息を吐いた。
不安がないわけじゃない。
でも、眠れている。
それだけで、今日はちゃんと向き合える気がした。
「おはよう」
「ふーぴょん、朝ご飯作るね」
「ラピ、いつもどうしてるの? 教えて」
朝は、ラピと一緒に簡単な食事を作る。
焼いたパン。
目玉焼き。
スープ。
今までラピやふーぴょんが
作ってきた根づいた料理だ。
――――リュウゴク村
一方そのころ、村では嘔吐と下痢が続いていた。
その村では、子どもが倒れている。
誰も異常だと思っていないことが、いちばんの異常だった。
原因は分からない。
誰かが言った。
「呪いじゃないか」
「これは呪いじゃ」
そうして、理由は作られた。
嘔吐が始まった時期。
村に戻ってきたばかりの住み込みで働く調理士の少女。
――しろっぷ。
「呪われたうさぎ獣人の少女」として、
彼女は隔離された。
固い石の床に、朝の光が落ちていた。
神殿の一角。
隔離された小部屋で、しろっぷは膝を抱えていた。
外の音は、遠い。
人の気配はあるのに、自分だけが切り離されている感覚。
――私が、悪いのかな。
理由は、誰も教えてくれない。
ただ、「近づくな」と言われた。
ただ、「呪いだ」と囁かれた。
扉の向こうで、誰かが咳き込む音がした。
そのたびに、胸が縮む。
商人で狐獣人のホクスが、
わざと聞こえる声で言った。
「あいつが来てからだろ」
「近くにいるだけで、
ろくなことが起きない」
誰も否定しなかった。
沈黙が、その言葉を支えていた。
村人の声に押され隔離を命じた村長も、
眠れずにいた。
呪いにしては、あまりにも規則的だ。
だが、他に説明がつかない。
だから、神殿に相談した。
上位者、ルシアン・ヴァル=エリオス。
「どうか村人をお助けください。
今日だけで、さらに十人倒れております」
「呪いと言っても、
呪い解除の呪文が効かぬ。
今は、私には回復させる術がない」
「原因が分からぬものは、誰かに背負わせられる」
理由が見えないとき、
人は安心するために理由を作る。
それが正しいかどうかより、
誰かのせいにできるかが大事になる。
「城の呪術師なら……しかし、一か月後となると……」
沈黙のあと、ルシアンは言った。
「……あの少女なら、もしかすると」
試すつもりか。
助けるためか。
あるいは、混沌を導くか。
見極めるために。
「ルミナス、いるか?
頼まれてもらえるか」
「御意」
――――村はずれ、ふーぴょんの家
神官の隠密、ルミナスが駆け込んできた。
「シーナ、至急、神殿にお越しください」
「どういうこと? 詳しく聞かせて」
ルミナスは顛末を簡単に説明する。
「しろっぷが……」
その話を聞いたふーぴょんは、
すぐに立ち上がった。
「お願いだ、シーナ。
しろっぷを助けてほしい」
「しろっぷがみんなに呪いをかけるなんて
ぜったいしない。いい子なんだ。」
隔離されている子がいる。
それだけで、動く理由として十分だった。
神殿に着いたシーナは、
まず村長に話を聞いた。
そして村に連れていってもらい、
体調不良の家々を回る。
何を食べたのか。
誰が作っているのか。
水はどこから引いているのか。
どこまで火を通しているのか。
徹底的に話を聞いた。
食材は同じ。
水も同じ。
火も使っている。
そして料理はしろっぷが
鍋の中ではない。
鍋に入る前。
そして、出来上がった後。
問題があるとすれば、そこだ。
作る手。触る手。
洗っているつもりの、その手。
「これは……人由来の二次汚染」
呪いでもない。
しろっぷが悪いんじゃない。
ただ、知らなかっただけだ。
少し離れた場所で、
シーナは自分の指先を見た。
そのとき、ひとつの記憶が、
はっきりと頭に浮かぶ。
前世で上司から聞いた話し
料理人だった女性。
メアリー・マローン。
世界で初めて臨床報告された、
チフス菌の健康保菌者。
腕がよく、まじめで、
住み込み料理人として富豪宅に雇われていた。
元気で、問題なく働いていた。
彼女自身は、一度も病気にならなかった。
それなのに、
彼女が料理をした家では、
必ず病人が出た。
原因を告げられても、信じられなかった。
自分は健康だ。
悪いことなどしていない。
結果として、彼女は隔離され、
調べられ、初めて知る。
自分が、知らないうちに、
チフスという病原菌を運ぶ存在だったことを。
――悪人だったわけじゃない。
――ただ、受け入れられなかった。
当時の社会一般から見れば、
あまりにも突飛な概念だった。
便に混じって排出され続けたチフス菌は、
目に見えないまま、
メアリーの手指などに付着していた。
そして、手洗いを怠った際に食事に混じり、
周囲の人間に感染したのだと考えられている。
その結末を、シーナははっきり覚えている。
彼女は隔離を受けたまま、
生涯を終えている。
――しろっぷを、メアリーにしないために。
ただ、この世界では検便はできない。
制度も、検査も、知識もない。
私にも、この世界ではできない。
それでも、できることはある。
考える前に、責める前に。
今できることを、全部やる。
やれることは、あるはずだ。
シーナは顔を上げた。
そうだ。
「……料理を作ろう」
それは逃げでも、誤魔化しでもない。
すべてを解決するために、
今できる最短の道だった。
村長にこの計画を相談し、
村人全員に料理を作ることを提案すると、
「いいでしょう。お金は出します」
「村人は何人ですか?」
「百人ぐらいかな」
「ふーぴょん、ラピ。
手伝って。
買い出しに行こう」
「うん、行こう」
三人の顔が引き締まった。




