36話 サラマンダーと、法則をなくした世界
進むほどに、空気が変わっていった。
湿った土の匂いに、焦げたような刺激が混じる。
鉄と硫黄が絡みつくような臭気が、喉の奥に残った。
魔人の領域が、近い。
森はまだ生きている。
だが、色は沈み、葉は艶を失い、足元の土は踏みしめるたびに鈍い音を返す。
魔力が薄く滲み、空気そのものが重くなっていた。
「……魔物の臭気が強い、近いです」
ヴィレットの声が発せられる。
気配は散発的だが、確実に数が増えている。
それでも、足は止まらなかった。
姿を現したのは、上位モンスターのひときわでかいサラマンダーと、
数匹の大トカゲ型のモンスターだった。
赤黒い鱗に覆われた体が、地面を焼きながら迫る。
ふーぴょんが、迷いなく弓を向ける。
火の魔法を付与し、風を引き、矢を放つ。
しかし、サラマンダーにはまったくノーダメージだった。
ユリウスは、それを見て火の加護を使わず、聖剣を掲げる。
ルシアンは後方に留まり、詠唱を行い、その剣に力を付与する。
ユリウスは、近寄ってきた数匹の大トカゲ個体を、確実に、無駄なく斬る。
「次、右」
「左」
しろっぷが、ヴィレットの魔法支援を得て高速で踏み込む。
地を蹴る音は短く、グリフォンクローの衝撃だけが残る。
土の加護を付与した一撃。
サラマンダーの持つ火の魔力ごと、地面に叩き伏せた。
ふーぴょんがすかさず、風魔法付与のグリフォンアローを放つ。
今度は、サラマンダーの鱗の継ぎ目を正確に貫いた。
サラマンダーの動きが鈍る。
しかし、大きく息を吸い込み、炎を吐き出す。
ドランが、大きな鍋の蓋にもなる縦盾で、その炎を左右に散らした。
その後ろからユリウスが飛びかかり、一刀両断で叩き切る。
戦いは短く、苦戦はなかった。
「これだけのボスクラスを無傷で……信じられん」
ルシオスがつぶやく。
シーナは、テンに跨り、後方に留まったまま動かなかった。
ただ、全体を見ていた。
「シーナ、この肉持っていこうよ」
「えっ、本当?」
「これ、きっと食べられるよ!」
「まだ正直、こういうのは慣れないよ」
「わっはは、美味しい料理にしてくれよ」
ドランが大笑いしながら声をかける。
その後も森を進み、いくつかのモンスターには出くわしたが、
苦戦もせず、倒していく。
森を抜け、平野に出たところで日が傾き始めた。
先頭を行くユリウスとドランが足を止めた。
「今日は、ここまでにしよう」
魔人城は、もう遠くない。
無理をする理由はなかった。
こんな日でも。
「料理を作ろう」
野営地に着くと、にやにやと、
ふーぴょんは、すでにサラマンダーを解体している。
「サラマンダー♪ サラマンダー♪ 何になるのかな♪」
少し緊張感のない様子に、皆がほっとさせられる。
無駄のない動きで、火の魔力が強く残る部位を避け、刃を入れていく。
「シーナ、肉さばいたよ」
シーナは、その肉を受け取った。
肉を、木に括り付け、焚き火に近づける。
「……まずは火を通して、味を」
表面を炙ると、ぴりりとした刺激が鼻を突く。
一口食べる。
「うん、肉そのものがスパイシーね。
でも、変な辛さではない」
「これは……大人のカレーが作れそう」
夜営の準備が進む中、ドランが地面にしゃがみ込む。
今日は、ちょっと暇そうだ。
そこでドランに、簡易なかまどづくりを頼んでみた。
地面に、インド料理屋で見たかまどの絵を描いてみせる。
「こんなの、作れる?」
「お安い御用じゃ」
石を組み、土を寄せ、短い時間で即席のかまどを作り上げた。
「これでいけるぞ」
「ありがとうね。さすがドラン先生!」
「おうよ。どんなもんだ」
少し、はにかむ笑顔を見せる。
食の籠から食材を取り出す
かまどでは、ヴィレットが香辛料と塩、ヨーグルトのたれに漬けた肉を焼く。
『タンドリーサラマンダー』
火の魔力が、逆に香ばしさを引き立てていた。
鍋に油を引き、香草を入れる。
香りが立ったところで、スパイスを重ねる。
サラマンダーの角切り肉と刻んだ赤玉ねぎ、レンズ豆を火で炒め、
水の魔法で水分を加え、ゆっくり煮込む。
ドランが焼き台の横で、小麦粉と水を混ぜた生地を伸ばす。
高温のかまど石に貼りつけると、すぐに膨らんだ。
「ご要望の、ナンというやつだ」
焼きあがったナンには、ミルル特製の濃厚バターを
周囲にはバターの芳醇な香り
サラマンダーカレーと、焼きたてのナン、タンドリーサラマンダー
みんなの唾をのむ音が聞こえてくる。
たっぷりと、器が並び、湯気が立つ。
一口。
最初に来るのは、深い旨味。
遅れて、芯のある辛さが広がる。
冷え切った体の奥が、静かに熱を帯びていく。
「うまーーい」
ふーぴょんはそう言うと、二口目を運び、
「これはすごい」
「美味しいね♡」
しろっぷは、ゆっくりと噛みしめている。
「……これは疲れた体に効くな。芯が燃えるようだ」
ユリウスが短く言った。
ドランは、満足そうに頷いた。
ルシアンは食事を取りながら、周囲の魔力の流れを確かめていた。
次の瞬間、そのスマートな表情が、わずかに崩れる。
「……まさか」
低く呟き、焚き火の周囲へ意識を走らせる。
揺らいでいるのは、料理だけではない。
サラマンダーの魔力だけでもない。
彼女の食の加護が、食材と噛み合っている。
「サラマンダー単体では、こうはならない」
「……法則を無視した掛け算だ」
焚き火の輪の中で、魔力が均されていく。
一人分ではない。全員のものだ。
今までなかった火の加護が、等しく宿っている。
ふーぴょんとユリウスの周囲では、その反応がさらに強い。
もともと持っていた火の加護が、押し上げられていく。
質が、変わりつつある。
火ではない。炎だ。
「……加護の昇格まで起きている。
見たこともない、急激な変化だ」
驚愕は、思わず口をついて出た。
「まるで神の手で、世界の法則が書き換えられているようだ」
「……想定以上だ」
ただ、それ以上ルシアンは語らなかった。
自分の手を、静かに見つめていた。
夜は、静かだった。
大型モンスターを倒したことで、魔物の気配は、遠のいている。
そして、翌朝。
霧が切れ、視界が開ける。
森を抜けた先に、黒い石の城壁が立っていた。
歪んだ塔。
空気が、完全に変わる。
魔人の城。
「ついに来たか」
先頭のユリウスが、深いため息とともに発した。
その言葉は、重かった。
ついに、辿り着いた。
ここから先は、戻れない。
それを、全員が理解していた。
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