31話 制度と、現実の間の真珠蒸し
王城の執務室に集められた顔ぶれは、この国の縮図だった。
玉座にはウルク王国国王エンメル・ファン・デル・ウルクが座り、
その背後に宰相アーデル・グランツが控えている。
政治の側には、首相ユリウス・ファン・デル・ウルクと、
副首相ランス・フェルゼン。
神殿からは、教義と秩序の最終判断を担う
神殿大司教長ルシオス・ヴァル=エリオスが、静かに立っていた。
財と復興の代表として、ヴァルドリック財団代表エミナ・ヴァルドリックと、 ヴィレット
ヤクス商会――今や財閥と呼ばれる当主ヤクスが名を連ね、
民の側には、現場を知る者としてシーナと、
ロザンヌ町長ヤギーが呼ばれている。
官庁からは、農政を司る農水大臣グレオ・バルハと、
教育を司る文部大臣セリス・ノアール。
互いに視線を交わすこともなく、その不和は隠されていなかった。
壁際には、宦官たちが控え、
言葉と沈黙のすべてを記録する準備を整えている。
以前も、このメンバーで制度を作った。
新王が新たに築いた、王・官・神・民一体の審議会。
先王では成しえなかった、大きな改革。
誰一人として、同じ立場に立ってはいない。
だからこそ、この場では、一つの決断が国の形を変える。
王城の執務室は広く、音が沈む造りになっていた。
高い天井と厚い壁は、声を遮るためではなく、
言葉の重さを測るためにあると、シーナは感じていた。
長い卓の向こうに王が座り、その斜め後ろに宰相が控えている。
正面にはユリウス首相が立ち、書類を閉じたまま、まだ一言も発していなかった。
すでに会議は始まっていた。
文部と農政の両大臣が互いに譲らず、言葉だけが行き交っている。
「だから言っているだろう。供給が不安定では、学校など回らん」
農水大臣が声を荒らげる。
「供給以前の問題です。人も制度も整わないままでは、教育は成り立ちません」
文部大臣が即座に返す。
「それはそちらの準備不足だ」
「動かない理由を、こちらに押し付けないでください」
責任の所在をなすりつけ合う声が重なり、
しかし話は一歩も前に進まない。
ユリウス首相は、そのやり取りを遮らなかった。
ただ耳を傾け、言葉の流れと、詰まりどころを見極めている。
やがて、視線がシーナに向けられた。
「……シーナ。君は、どう見ている」
一拍の間。
「エミナ財団の力で学校は復興し、給食室もできました。
子どもたちも、戻ってきています。
でも、決裁が遅れ、責任の所在が曖昧で、
宦官たちは失敗を恐れ、動けていません」
感情を強めた声ではない。
ただ事実を置くような低さで、言葉が床に落ちた。
ユリウスが、わずかに眉を動かす。
それを見て、シーナは続けた。
「私たちが作った制度は、間違っていません。
ただ、その制度が、現場に届いていないんです」
可否は混迷を極めていた。
時だけが過ぎ、意見は交わされるが、なぜ進まないのか、
なぜ届かないのか、明確な答えは生まれない。
その場で、ユリウス首相が立ち上がった。
「……少し、休憩にしませんか」
「王様、恐れながら、わたくしに
食事を作らせていただけませんか。
長くは取りません。少しだけ、お時間を」
シーナに視線が集まる。場に沈黙が落ちる。
宰相が何か言いかけ、口を閉じた。
王は、シーナを見つめ、
「……よい。許そう」
その一言で、張りつめていた空気が、わずかに緩んだ。
――厨房は、執務室から近い場所にあった。
石造りの台所に立ち、シーナはエプロンをして袖を整える。
……さあ料理を作ろう。
エミナが一歩、近づいた。
「私も手伝うわ。……何を作るの? シーナとこうして台所に立つの、久しぶり」
「台湾の点心――珍珠丸子、真珠蒸しと、にらたまにゅう麺」
聞き慣れない名に、エミナは首をかしげたが、それ以上は聞かなかった。
「食材は?」
「こんなこともあろうかと、用意してきたわ」
「さすがシーナ」
「でしょ」
「じゃあ、何からする?」
「玉ねぎ、長ネギとしょうがを細かく刻んで。あと、海老も」
「細かく?」
「そう、お願いね。私はオーク肉をひき肉にするね」
「まず肉に塩を振って、手でこねて粘りを出すの」
「野菜と、一緒に混ぜちゃだめなの?」
「この方が味が浸透しておいしいの」
「野菜と片栗粉、醤油も入れて混ぜていくね」
「それをバットに入れて、等分に分けて、大きさを均一に。
力を入れすぎないように丸めていくから、手伝って」
「まるまるって楽しいね」
「でしょ。この後は、浸水したもち米を、外側にひとつずつまぶしていくの」
「蒸し器に並べ、蓋を閉じる。火を入れ、待つ。」
湯気が上がり、蓋を開けると、白く膨らんだ粒が並んでいた。
「キラキラしていて、綺麗!」
「食器はどうしよう……」
「いいのがあったぞ!」
料理前にお願いしていたヤクスが、蓋つきのせいろを持ってきてくれた。
「いいね! さすがヤクス」
「ご用命の通りに、お嬢様」
蒸している時間に、シーナは手際よく同時に、
にら玉にゅう麺も仕上げていた。
せいろに盛られ、卓に運ばれる。
シーナが説明する。
「今日は、珍珠丸子と、にら玉にゅう麺をご用意しました。
珍珠丸子は下味もついていますので、そのままお召し上がりください」
最初に蓋を開けたのは、王だった。
「おお、なんと美しい」
「真珠のようですね」
グランツが思わず声を挟む。
一口。
「……ほう、これはうまいな」
「なかなかじゃな」
「なんとも芳醇な香りだ」
ユリウスも口に運ぶ。
「……なんと、なんと。肉と海老、野菜のうまみが一体となっている。
その旨みを、もち米が包んで、一つになっている」
ルシオスは遅れて箸を伸ばした。
「なんという味だ。肉、魚介、野菜の三位が一体となっている。
いつも驚かされる」
にゅう麺の椀が添えられる。
ニラと卵が、湯の中でほどけている。
温かさが、喉を通る。
しばらく、誰も声をあげなかった。
箸の触れる音と、湯気だけが、場を満たしていく。
食べ終えた頃、空気が変わっていた。
満ちたのは、腹だけではない。
ユリウスが、ぽつりと言った。
「……本来は、別々に食べるものだな」
視線が集まった。
「ごちそうさまでした」
下膳が始まり、シーナは隣にいるヤギー町長と、小さな声で言葉を交わす。
「町長、お味はどうでしたか?」
「シーナの料理は、いつ食べてもおいしいな。だが……何かあるんだろ」
シーナは、はにかんだ笑顔で、そのまま黙っていた。
食後、審議が再開される。
ユリウスは、確信に迫る一歩を踏み出した。
シーナに問う。
「義務教育令は通した。予算も確保した。
それでも、足りないと?」
「足りません」
即答だった。躊躇も、言い訳もない。
「責任を取る人がいません。
決める人と、作る人と、配る人が、すべて別だからです」
王が、初めて口を開いた。
「それが、官の組織だ。民とは違うのだよ」
「その上で、私もシーナに問いたい。その解決法があるか」
シーナは一度、視線を落とした。
床の石目をなぞるように呼吸を整え、それから顔を上げる。
ユリウスが、彼女を見る。
「私は、権限も肩書きも、いらないと思っていました。
現場で回せばいいと、本気で考えていたんです」
少し間を置き、シーナは言葉を選ばずに続ける。
「でも、無理でした。
現場は制度なしでは続かないし、
制度は、現場を知らなければ壊れます」
そして、はっきりと言った。
「……私に、責任を取らせていただけないでしょうか」
室内の空気が、変わった。
ユリウスが、重い空気の中で声を放つ。
「今まで拒んできた国の要職に就く、ということですね」
「はい。やらせてください。ただ」
「ただ?」
「一時的で構いません。文部と農政、どちらもです。
難しいことは、わかっています」
「文部と農政をまたぐなど、権限が集中しすぎる」
「前例にないぞ」
「認められない」
宰相や大臣たちが、批判論を投げ続ける。
混沌とした中で、静観を決め込んでいた大司教ルシオスが声を出す。
神殿の衣を揺らすこともなく、感情の起伏もない。
「笑わせるな、娘。それは秩序ではない。
役割を混ぜ、境界を曖昧にする行為だ。
この世界は、それを分けて管理することで安定してきた」
そう言うルシオスに対し、シーナはまっすぐな目で答える。
「分けているから、今こうなっているんです。
今は国の未曾有の危機だからこそ、
学ぶ場所と、食べるものを、別の論理で扱わず、連携させることが大切です」
「娘……いや、シーナ。その覚悟は……」
「あります。そして、すべてやり切ったら、返上いたします」
ルシオスは静かに席を立ち、ユリウス首相に向かって頭を下げた。
ユリウスが、小さく息を吐いた。
「分かった。彼女の言う通りだ」
王と宰相の視線が、ユリウスに集まる。
「学校は、知識を教える場所であり、生き延びる力を育てる場所だ」
「本来は、別々のものだ」
「今日の真珠蒸しも、米と肉は別に食べるものだとばかり思っていた。
だが、役割を変えただけで、肉、海老、野菜という違う食材をまとめ、
同じ数だけ、同じ形で配れる」
「そういうことだな」
シーナは、何も言わず頷いた。
ユリウスは覚悟を決めた顔で、王を見つめる。
王はゆっくりと立ち上がり、卓の上の書類に手を置いた。
「では、問おう。その責任を、最後まで引き受けられるか」
「はい」
シーナは、はっきりと言葉で返す。
「引き受けます。失敗も、批判も、すべてです」
その声に、恐れはなかった。
あるのは、覚悟だけだった。
王は短く笑った。
「ならば任せよう。シーナを、文部・農政担当大臣に任ずる」
「皆も、よいな」
宰相や大臣たちは何かを言いかけたが、王の一瞥で口を閉じた。
会議を終え、執務室の扉を閉め、廊下に出る。
ユリウスは、ようやく微笑んだ。
「これで、逃げ道はなくなったな」
「はい」
「それにしても、ずいぶん待たせたな」
「ごめんなさい。私、今も足が震えています」
シーナはそう答え、ユリウスに肩を預ける。
その日、国は変わった。
剣も魔法も使われず、ただ一つの台所を起点として。
「これからだ」
その言葉が、彼女の胸の奥で、確かな重さを持って鳴っていた。




