30話 餃子の皮と、暴かれる側
一方で、城ではなお、軍備と城壁にのみ目を向け続けていた。
復興が進んでいるように見える街の裏で、
物流にだけ、静かな歪みが生まれ始めていた。
街へ届くはずの穀物は遅れ、塩や油の入荷は不規則になり、
理由を尋ねても、返ってくるのは曖昧な説明ばかりだった。
シーナは、その違和感を感覚ではなく、数字の並びで捉えていた。
炊き出しの回数と消費量、給食堂で使われる材料、学校へ回る配給の量を突き合わせると、
失われている量は、偶然では済まされない規模に達している。
米や物資の値は上がり、復興を信じ始めた町民の生活に、
目に見えない重さがのしかかっていた。
ヤクスも、同じ結論に辿り着いていた。
「これは裏がある。盗みじゃねえ。どっかで止められてる」
「このまま行くと、復興が止まるぞ」
低い声で言い切り、彼は帳簿のある一点を指で叩いた。
「流れが不自然に切れてる。商人だけでやれる量じゃねえ」
悪徳商人や奴隷商の名はいくつも上がったが、それらは末端に過ぎなかった。
この規模を動かせる力が、別にある。
誰もが、そこまで察し始めていた。
辿り着く先は、いつも同じだった。
第二王子、エンカル・ファン・デル・ウルク。
だが、彼の周囲は堅い。
許可を出す者がいて、見逃す者がいて、そこから利益を得る者がいる。
その輪の中心に王子がいる以上、正面からは手を出せなかった。
「……料理をつくろう」
シーナは、エアに頼み、ユリウスのもとを訪ねた。
「シーナ、久しぶり。来てくれたんだね」
「はい。今日はお願いがあって来ました」
「お願い?」
「ユーリ、食事の場を作ってほしいの」
「……食事?」
「ええ」
理由を問われ、シーナは迷わず答えた。
「数字は嘘をつかない。でも、人は数字を無視する。
だったら、人が逃げられない場所で話すしかない」
ユリウスはしばらく黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「相手は、第二王子だぞ」
「知ってる」
「それでも?」
「それでも」
その静かな断言に、ユリウスは頷いた。
第二王子エンカル・ファン・デル・ウルクは、以前からシーナの食に興味を示していた。
「王を説き伏せたという、戦わない聖女」
政治的な意図ではない。
街の噂を聞き、興味半分で取り寄せた炊き出しの場で口にした料理の味を、
忘れられずにいただけだった。
だからこそ、食事の招きに応じた。
その夜、城の一室に設けられた小さな食卓に、第二王子は姿を現した。
「なんだ。随分と簡素じゃないか」
並べられた膳を見て、率直にそう言う。
「必要なものだけです」
「我を愚弄するつもりか?」
「今の街と、同じです」
献立は、わかめご飯、ジャンボ揚げ餃子、バンサンスー、杏仁豆腐。
派手さはないが、この時代では決して出会えない、学校給食で大人気の献立だった。
エンカルは罵倒しているにもかかわらず、鼻をひくひくさせ、匂いに釣られている。
箸を取り、揚げ餃子に目を留めた。
「……これは?」
「ジャンボ揚げ餃子です」
「初めて聞く名だな」
それ以上の説明はなかった。
一口、噛んだ瞬間、表情がわずかに崩れる。
皮は軽く、中身は旨みが濃厚。
刻まれた野菜と肉が一体となり、油の熱に旨味を閉じ込めている。
「……なんという美味」
「今まで城で味わったどの料理よりも」
思わず漏れた言葉に、ユリウスが視線を向ける。
「いや、こんなもの、どこでも……」
二口目を運ぶ速度が、その答えだった。
「外はパリッとしていて、中はジューシー。
香ばしさと、にんにくの匂いが鼻に抜ける」
「それに、このわかめご飯も、旨みがあり、絶妙なバランスではないか」
「このサラダは、野菜が精密に切られ、
揚げ餃子の脂分をすっきりさせている」
「最後に、牛乳を固めたものと果物が、
口をさわやかにしている」
ひとしきり食べてから、エンカルは言った。
「ふん。所詮、炊き出しの時に食べた料理と、同じだな」
だが、小さく続ける。
「豪華ではない。だが、満たされる……」
シーナは、その言葉を逃さなかった。
「誰が食べても、同じように満たされるように作っています」
「特別な人のための料理じゃありません」
その言葉に、エンカルの手が止まる。
「それが、何だという」
「それが、困る人がいる理由です」
エンカルは眉をひそめた。
「私の管轄ではない。商人の問題だ」
「では、なぜ王子の承認印がある」
資料が重ねられる。
「貴様らは、王族を侮辱する気か」
シーナは、静かに息を吸った。
ここまで黙ってきた。
街で起きていることを、数字に落とし、流れにして、確信に変えるまで。
――シーナは、もう黙っていなかった。
「……いい加減にしてください」
声は低く、だが揺れなかった。
「穀物が届かない。油が止まる。塩が消える。
すべての価格だけが、高騰していく」
「これは偶然じゃありません。
この流れで利益を得る者がいる。
その中心に、あなたがいる」
エンカルは鼻で笑った。
「証拠は?」
「あります」
ユリウスが、帳簿を一冊、卓上に置いた。
「この帳簿が、何よりの証拠です。
あなたの一派が握る財と流通が、意図的に止めている。
民が困ることを知った上で、です」
沈黙が落ちる。
真実は、ジャンボ餃子のように包まれている。
刻まれ、混ぜられ、隠され、揚げられて。
噛みしめた者だけが、中身を知る。
「あなたが止めたのは、数字じゃない。
この味に辿り着くはずだった、無数の食卓です」
「何を。王子である私が、何をしたって国のためである。
平伏せよ」
「あなたって人は、まだ分からないのですか。
民の声を、民の力を」
ユリウスが語る。
「お前とは違うのだよ。お前とは」
「まだ、認めないんですか?」
「あたり前だ! 衛兵、こ奴らを侮辱罪で引っ捕らえろ!」
そのとき、扉が開いた。
遠征帰りと一目で分かる、革のフードの男が、何も告げずに入ってくる。
「もう十分だ、エンカル」
短い一言だった。
「誰だ、お前は」
「お前の兄の声も、忘れたか。エンカル」
フードを外す。
王位継承第一位――
エンデル・ファン・デル・ウルク。
資料を一瞥し、彼は断言した。
「不正は明らかだ。
談合、癒着、私物化。
民を飢えさせた責任は、重い」
採決は速かった。
「この者を、追放とする」
第二王子エンカル・ファン・デル・ウルクは、
すべての地位を剥奪され、王都から追放された。
実は第一王子は、以前よりエンカルの人身売買や麻薬闇取引を探っており、
今回の遠征も、その一端であった。
エンカルは用意周到な男であったため、手をこまねいていた。
「素晴らしい啖呵であった。感嘆に値する」
「名は」
「シーナ。アサクラ・シーナです」
「覚えておこう。その名を」
「はっ」
数日後、王位にすがっていたウルク王は、
老衰により崩御する。
まだ六〇歳だった。
一説によると、これもエンカルが関わっていたとも聞く。
王の危篤を受け、遠征から戻ったエンデルは、
死に目には間に合ったが、
状況を変えられなかったことを悔やんだと聞く。
そして、王位はエンデルへ。
ユリウスは王位継承権を破棄し、
エンデルの推挙もあり、
この国での初ポストとなる首相となった。
だが、シーナは城に残らない。
「私は、今は民の側でやる」
ユリウスは、ただ頷いた。
後に始まる学校給食制度と、ウルク栄養大学の設立は、
城と街を結ぶ橋となる。




