26話 城へ向かう道と、第三王子
ウルク城へ向かう道は、異様なほど静まり返っていた。
瓦礫は片付けられつつあるが、まだ完全ではない。
割れた石畳があちこちに残り、慎重に足を運ばなければならなかった。
シーナの隣を歩くのは、ふーぴょんとしろっぷ。
少し後ろにカジドラン。
そして最後尾に、大きなリュックを背負い帽子を深くかぶったユーリ。
誰も、余計な話はしなかった。
城が近づくにつれ、空気が変わっていく。
見張りの数が増え、仮設の柵が張り巡らされ、
街と城のあいだに、はっきりとした境界が引かれていた。
ウルク城門前。
即座に衛兵の声が飛ぶ。
「止まれ!」
数人の衛兵が槍を構え、道を塞ぐ。
その奥で、弓兵が持ち場につく気配がした。
矢が番えられ、弦が静かに張られる。
「現在、城は緊急補修中だ」
「許可なき者の立ち入りは禁じられている」
「話だけでも聞いてもらえんか!」
前に出たのはドランだった。
瓦礫だらけの街で鍛えられた声が、城門に響く。
「街は限界です」
「エンメル王のお力が必要な時なんです」
シーナも、一歩踏み出した。
「炊き出しは続けています」
「ですが、私ひとりでは、もう支えきれません」
衛兵たちは動かない。
弓兵の弦が、さらに引き絞られる音がした。
その瞬間、ふーぴょんが一歩前に出る。
弓を構え、視線を逸らさない。
空気が、一気に張り詰めた。
「……待って」
シーナが、低く言った。
「ここは収めて」
「争いに来たんじゃない」
ふーぴょんは、ゆっくりと弓を下ろす。
だが、緊張は解けない。
そのときだった。
ユーリが、シーナの一歩前に出る。
帽子に手をかけ、深く息を吐く。
「我は――ユリウス」
「ユリウス・ファン・デル・ウルクだ」
静かな声が、城門前に落ちた。
一瞬、時間が止まった。
衛兵の顔色が変わる。
弓兵の手が止まり、視線が揺れた。
「……第三王子、殿下?」
城門が、わずかに軋む。
「この者たちを通せ」
「責任は、俺が取る」
重い門が開く。
中へ進むと、廊下の奥から足音が近づいてきた。
「こんなところで何をしている、ユリウス」
現れたのは、第二王子だった。
苛立ちを隠そうともしない視線が、弟を射抜く。
「また街で戯言か」
「この城の危機に、まったく何を考えている」
「兄さん」
「城より、民のことは心配ではないのか」
エンカル第二王子は、鼻で笑った。
「ふん……出来損ないの妾の子が」
「戯言の理想論を振りかざすな」
ユリウスは何も言わない。
ただ、真っ直ぐに兄を見つめて立っていた。
「ユリウス様は別室へ」
「お前たちは控室へ」
その言葉で、場は切り分けられた。
しばらく、王への謁見は許されなかった。
時間が、重く積み重なる。
やがて扉が開き、
重鎮らしき男の視線が、シーナに向く。
「……そこの女だけ、謁見を許す」
「俺らは!」
ふーぴょんが即座に声を上げる。
「大丈夫だから」
シーナは、はっきりと言った。
城の奥へ進む途中、黒い近衛兵が背後につく。
冷たい視線に、背筋が強張ったそのとき、
小さな声が耳元に届く。
「大丈夫だ」
「近くにいる」
振り返らなくても、分かった。
ユリウスの声だった。
重厚な扉が開く。
謁見の間。
シーナは進み出て、静かに膝を下ろす。
胸の奥が締め付けられるような、圧倒的な緊張感。
王は玉座に深く腰を下ろしていた。
疲労と警戒が、隠しきれていない。
「頭を上げよ」
「用件を述べよ」
シーナは、一歩前に出た。
「恐れながら申し上げます」
「城下町は、すでに限界を超えています」
「炊き出しは続けています」
「ですが、私の力には限りがあります」
「民が困っています」
「今こそ、エンメル王の力が必要です」
エンメル王は、しばらく黙っていた。
「……城も危機だ」
「兵を動かす余裕はない」
空気が、凍りつく。
そのときだった。
「父上!」
仮面を外し、前に出たのはユリウスだった。
「お聞きください」
「私も、この数週間、街に赴きました」
「この者は、あの噂の聖女です」
ざわめきが走る。
「戦わず、人を救い、今も、寝る間も惜しんで街を支えています」
「それでも動かぬのなら」
「この国は、何のために在るのですか?」
言葉が落ちたあと、
謁見の間には、重い沈黙が広がった。
玉座の王は、すぐには答えなかった。
肘掛けに置いた指先が、わずかに動く。
その沈黙を破ったのは、ユリウスだった。
「父上」
「今日は、彼女の作った料理を持ってまいりました」
王の視線が、ゆっくりとこちらを向く。
「一口でも、お試しください」
「王なら、分かるはずです」
短い間のあと、ユリウスは低く声を出した。
「……ランス」
「はい、王子」
ランスと呼ばれた執事長の老人が手を打つ。
大きな扉が静かに開き、
慎重な足取りで、給仕が一つの椀が運ばれてきた。
――別室に通された後、こんな準備をしていたのか。
シーナは、内心でそう思う。
王の前に椀が置かれる。
「これを、ワシに食えと申すか」
「はい」
王は一瞬、拒むように視線を逸らした。
だが次の瞬間、湯気とともに立ちのぼる香りに、
思わず鼻を鳴らす。
匙が、ゆっくりと持ち上げられた。
「……うむ」
一口だけ。
王の動きが、止まる。
「うまい。うまいぞ」
その一言に、空気が変わった。
「これは、なんという汁なのじゃ」
「すいとんです」
「小麦粉で作った団子を入れた、私の国の汁物です」
「野菜と鳥肉を使い、醤油仕立てにしています」
シーナがすっと答える
「しょうゆ、とは何だ?」
「米を、醸造の技で発酵させて作る液体調味料です」
王は、もう一口、匙を運ぶ。
「……何とも言えぬ風味じゃ」
「団子はもちもちとし、鳥の出汁としょうゆが、よく染みておる」
さらに、野菜を口に運び、ゆっくり噛みしめる。
「どれも柔らかく、喉に優しい」
「体が……温まるな、どこか懐かしい」
小さくか細い声がわずかに聞こえた
「ユリア……」と
王は、胸に手を当てた。
「しかもなぜか力が、湧いてくる」
しばしの沈黙の後、
王は椀を置き、深く息を吐いた。
「実に、うまかった」
そして――しばらくの沈黙の後
「あい……わかった」
その一言は、重かった。
「兵を動かす」
「物資を、城下へ回せ」
「神殿にも、通達せよ」
さらに王は、シーナを見た。
「すいとんの作り方」
「その醤油とやらを、どう仕入れればよいか」
「指示してくれるか」
「はい」
「喜んで」
その瞬間、
歯車が、一斉に噛み合った。
一か所だった炊き出し拠点は、
城下各地へと広がり、
シーナのレシピが回され、
醤油が、配給として行き渡っていく。
――食が、国を動かした。
謁見の後。
城の回廊は静かで、
遠くから足音と甲冑の擦れる音だけが響いていた。
ユリウスが、ふと足を止める。
「……ありがとう」
「俺一人では、無理だった」
背中越しの声は低く、
さっきまでの王子としての緊張が、
少しだけ抜け落ちている。
シーナは、首を振った。
「出来ることをしただけよ」
「それは、あなたも同じ」
しばらく、言葉が途切れる。
ユリウスは天井を仰ぎ、短く息を吐いた。
「正直……」
「すいとんが出てきた時は、びっくりして心臓が止まるかと思った」
シーナは、思わず小さく笑う。
「でしょうね」
「なかなかの名軍師ね」
「メリッサの助言がなかったら、思いつきもしなかった」
「それでも」
シーナは一拍置いて続けた。
「王子様なんて……」
「本当に、びっくりしたわ」
ユリウスは苦笑する。
「街では、ただの手伝い役でいたかった」
それ以上は言わず、二人は歩き出す。
城の外へ出ると、
夜明け前の空が、ピンク色に染まっていた。
門の外で、
ラピが立っていた足元には小さくなって丸まっているテンが待っている。
ラピは、シーナの姿を見つけると、
ほっとしたように肩の力を抜いた。
長い夜が、確かに、終わろうとしていた。




