21話 教会権力と、異彩を放つ青年
噂は、正しい形では広がらなかった。
「呪いを解いた女がいる」
「教会でも治せなかった病を、食事だけで」
「加護も祝詞も使わずに」
人々は驚き、語り、面白がり、
やがて言葉は、少しずつ色を変えていく。
――教会の権威を揺るがす存在。
――奇跡を否定する異端。
それが教会に届いたとき、
もはや噂ではなく、「問題」だった。
城下にそびえる石造りの神殿。
その奥、光の届きにくい執務室で、
ルシオスは静かに報告書を閉じた。
「……栄養士、か。やはり来たか」
声に感情はない。
怒りも驚きもなく、
ただ事実を一つずつ、頭の中で並べ替えている。
教会は、奇跡を独占してきた。
病は祈りで癒え、
救済は信仰の対価として与えられる。
その“ことわり”を、
シーナは「食事」という、
あまりに素朴な手段で崩した。
「危険だな」
それは、排除すべき異端か。
あるいは、
放置すれば秩序を揺るがす存在か。
「調査を。拘束は……――穏便にな」
“捕らえろ”という言葉は使わない。
ルシオスは、そういう男だった。
彼は剣を振るう立場ではない。
流れを作り、
人を動かす側にいる。
◇
その日、シーナは城下の宿にいた。
ふーぴょんたちは、
帰り支度を兼ねた買い出しに出ている。
夕方までには戻る予定だった。
宿の一階の食堂は静かで、
夕暮れの光が床に長く伸びている。
――嫌な静けさ。
そう思った瞬間、扉の外で足音が止まった。
「……こちらです」
低い声。 続いて、複数人の気配。
扉が開くより早く、
シーナは椅子から立ち上がっていた。
「教会の調査だ。
少し話を聞かせてもらう」
穏やかな口調。
だが、拒否という選択肢は用意されていない。
「私が……何を?」
「教会権威に対する侮辱の嫌疑だ」
「……なんで?」
理解できない。
だが、空気がそれを許さなかった。
背後で、誰かが苛立ったように言う。
「えーい、ひっとらえろ」
――いやだ。
こんな時に、二人がいない。
胸が締め付けられ、
足が床に張り付いたように動かない。
怖い。どうすればいいのか、分からない。
その瞬間、裏手の扉が勢いよく開いた。
「今だ、走れ!」
掴まれた手。
強く、迷いがない。
考える暇はなかった。
引かれるまま、身を翻す。
路地は狭く、暗く、
夕方の街の匂いが濃く漂っている。
息が近い。
肩が触れる。
「こっちだ」
金髪の青年の声は、
不思議なほど落ち着いていた。
追っ手を振り返ることもない。
角を曲がり、
市場の裏を抜け、
石段を下りる。
「……あなた、誰?」
そう問いかけたのは、
ようやく息が整い始めてからだった。
肩を抱いていた手が離れ、
青年は少し困ったように笑う。
「えーと……ユーリ」
「なんで、私を……?」
「うーん、なんでだろ。
たまたま、居合わせただけ」
金髪で少しぼさぼさの頭。
細い目に、長いまつ毛。
澄んだ藍色の瞳。
無駄のない動き。
それが、シーナの第一印象だった。
やがて、
追っ手の気配が完全に消える。
青年は足を止め、
ようやく深く息を吐いた。
「助かりました」
その言葉は、なぜかとても素直だった。
「……こちらこそ」
「でも、なんで追われてたの?」
「わかりません」
「そうなの?
おかしいね、あはは」
軽く笑ってから、
青年はシーナを見る。
「君、面白いね。名は?」
「シーナです。
アサクラシーナ」
「変わった名だ。
きっと、またどこかで会える」
「……また」
それだけ言って、
青年は夕暮れの街に溶けていった。
◇
その頃、城のどこかで、
ひとりの青年が静かに王に頭を下げていた。
翌日。
教会の動きは、急に鈍くなった。
ルシオスは報告を聞き、
ただ一言だけ告げた。
「王が……今回は、見送ろう」
調査は「一時保留」
理由は語られない。それだけだった。
◇
しばらくして、シーナは村へ戻った。
引いたのでも、逃げたわけでもない。
ただ、 今ここではないと判断しただけだ。
今回も馬車には、ヴィレットが同乗している。
今回は付き人ではない。
料理を学ぶため、村へ同行することになったのだ。
村には仲間がいる。
石鹸工場があり、畑があり、 給食堂がある。
夜。 静かな厨房で、シーナは釜を覗き込む。
「……料理を作ろう」
それは、何かの宣言ではない。
だが確かに、
世界を動かす一歩だった。




