19話 貴族のキッチンと、付き人の謎
「さあ料理をつくろう」
翌朝、屋敷の廊下はまだ静まり返っていた。
重たい絨毯が足音を吸い込み、外の喧騒はここまで届かない。
初日の食事は、胃に負担をかけないものにする。
麦がゆ、グリフォンと野菜のつくね、そして野菜出汁の汁物。
「キッチン、お借りします」
「お、おはようございます……キッチンまでご案内します」
やせ細った付き人が答え、先に立って歩き出す。
「よろしくお願いいたします。こちらです」
控えめに頭を下げたあと、付き人の方は一拍置いてから、そっと続けた。
「もし……よろしければ、その……私も、お手伝いしましょうか」
その声は、遠慮がちで、それでいて、どこか芯のある声だった。
シーナは一瞬、言葉を選ぶ。
――ありがとう。でも、あなた……できるの?
そう聞けばいい。けれど、それは少しだけ上からに聞こえる気がして、
その言葉を、喉の奥で飲み込んだ。
相手は、旅の間ずっと控えめに立ち、背を丸めて歩いていた、弱々しい付き人だ。
少なくとも、シーナの目にはそう映っていた。
「大丈夫でしょうか?」
探るようでもなく、拒むでもない言い方で、そう返す。
すると、付き人の方は一瞬だけ迷い、それから、意を決したように小さく息を吸った。
「実は……」
言葉を探すように、伏し目がちに続ける。
「私、メイドの仕事もしておりまして……」
「え……?」
思わず声が漏れる。
付き人は、少し困ったように微笑み、帽子を取って、軽く頭を下げた。
「……女です」
短く、けれどはっきりと。
「旅の間は、男装を。そうするよう、言われていましたから」
肩をすぼめ、視線を伏せ、声を低く抑え、歩幅を小さくする。
それは幼い頃から身につけてきた、“目立たず仕えるための振る舞い”だった。
男装はただ、女であることを悟らせないための、静かで地味な選択の積み重ね。
「慣れていますので。」
「お嬢様のために私も力になりたいのです。」
最初に聞いた声よりも、少しだけはっきりしていた。
弱々しく見えていた姿の奥に、別の芯があることを、
シーナは、ようやく理解し始めていた。
「改めましてヴィレットと申します」
名乗り方は控えめで、それでも逃げるような響きではなかった。
「ヴィレット……」
名前を口にすると、その人の肩が、ほんの少しだけ緩んだ。
「はい」
「よろしくね、ヴィレット」
そう言うと、わずかに表情を和らげた。
「……ありがとうございます」
猫背だった背中が、ほんのわずかに伸びる。
「……何からしますか?」
包丁を持つ手つきは慎重で、それでも、怯えはなかった。
キッチンは、かなり整理されていた。
食堂と同じように釜も器具も揃っており、
使われていないだけで、手入れは行き届いている。
きっと彼女が手入れをしているからだ。
持ってきたエプロンの紐を締め、
肩掛けカバンから、昨日買った短刀を取り出す。
ヴィレットに下処理をお願いして
玉ねぎ、人参、レンコン、キノコ。
野菜を、ごく細かく刻んでいく。
「素敵な包丁ですね」
「昨日市場の武器やで買ったの。短刀なんだけどね。」
「そうなんですが私もいつか自分の包丁持ちたいな」
「でも、お嬢様こんなにお野菜が入っているのを食べてくれるかしら」
「どうかな、やってみないとね」
短刀は嘘みたいな切れ味で、最初は少し怖いほどだったが、
慣れると、刃が吸い込まれるように進み、リズムよく音が揃っていく。
アイテムボックスから取り出したグリフォン肉を叩き、挽き肉にしていく。
「アイテムボックスを持っているんですか、はじめ見ましたすごい」
ヴィレットがびっくりしている。
刻んだ野菜は、出汁を少し加えながら、
火にかけ、優しく炒める。
横でヴィレットが覗き込みながら聞く
「なんで炒めるんですか?しかも出汁を加えて」
「野菜の旨味を凝縮して閉じ込め、甘味を引き出すのよ
本当は煮崩れを防ぐ効果もあるけど、出汁を加えて繊維を崩しているの」
「へえー、なんか難しいですね」
「そんなことないよ」
冷ました野菜と肉、調味料をボウルに入れ、よく、よく混ぜ合わせる。
「これを丸めていくよ」
「なんかゆるゆるですけど、まとまるんですか?」
「スプーンを両手に持って、交互にまるめるのよ、そのあと小麦粉をひいた
まな板の上に落として、周りに軽く麦粉をまぶせばいいのよ。」
「すごい、魔法みたい」
ひと口サイズにまとめ、フライパンにバターを引いて表面を焼く。
返して蓋をし、蒸し焼きにする。
「とってもいい匂いがしてきてきましたね」
「そーでしょ」
火が通ったところで、塩と魚の出汁で取ったタレを回し入れ、
フライパンを揺すりながら煮詰めて完成だ。
調理の香りが部屋に満ちたとき、
寝台に横たわるエミナが、かすかに顔を上げた。
「……この匂い、すごくいい」
呟きながらも、フォークを伸ばす。
「これ、野菜入ってるの?」
シーナは、聞こえないふりをして席を外した。
ヴィレットも知らないふりをきめている。
肉なら大丈夫。そう、自分に言い聞かせるように、
エミナはつくねを口に含む。
一拍。もう一拍。
そして、はっきりと言った。
「……これ、おいしい」
フォークは止まらず、麦がゆにも手が伸びる。
ヴィレットは目を潤ませ、イヤーナは言葉を失ったまま、立ち尽くしていた。
昼には、野菜を溶かすように煮込んだスープを少量。
夜には、同じ献立を形を変えて。
翌日、歯ぐきの出血が止まり、
三日目の朝、エミナはまだ長くは立てなかったが、
寝台から自分の力で体を起こし、窓辺まで歩いた。
「……外の空気、久しぶりです」
歯ぐきの腫れはまだ残っているが、
出血は止まり、紫色だった部分が少しずつ色を戻している。
脚に溜まっていた重だるさも、昨日より軽い。
昼前、ふーぴょんが誇らしげに戻ってきた。
「見て、シーナ。これ」
差し出されたのは、黄色い果実だった。
「地元のおばさんにね、すっぱすぎて悪魔の実だって言われてた」
なるほど、とシーナは受け取った瞬間にわかった。
鼻に抜ける酸の強さが、まだ切ってもいないのに主張してくる。
その日の主菜は、グリフォンの唐揚げを、レモン煮にした。
下味を入れた肉に粉をまとわせ、油に落とすと、
表面がきつね色に変わるまでの音が軽い。
揚がった肉を鍋に移し、果実を絞ると、
酸味が湯気に乗って一気に広がった。
醤油と砂糖を合わせた甘辛い煮汁が絡み始めると、
香りは一段落ち着き、食欲だけをきれいに刺激する匂いに変わる。
「……いい匂い」
思わず漏れた声に、ふーぴょんが胸を張った。
口に運ぶと、最初に来るのはやさしい甘さだった。
すぐあとを追いかけるように、レモンの酸味が
舌の端をきゅっと締める。
油っぽさは残らず、肉の中に閉じ込めた旨味だけが
静かにほどけていく。
「学校給食で使っていたのは、鶏のもも肉だったけど、
今日はあえて、さっぱり仕上がる胸肉を選んでみたけどう?」
「さっぱりしてて美味しいよ!」
「それでも、物足りなさは一切ない。」
「甘みと酸味のバランスが、子どもでも迷わず箸を伸ばせる位置に、
きちんと収っているね。」
「マヨネーズの酸味にあわせてるんだよ」
「マヨネーズ?」
「今度作ってあげるね」
「これは、いくらでも食べられるやつだ」
そう言いながら、ふーぴょんは二つ目に手を伸ばす。
「ちょっとエミナ分まで食べないでね」
シーナは鍋を見下ろし、小さく息をついた。
この世界でも、この味は通じる。
それが、妙にうれしかった。




