04. 一年
たしかに父を通して彼が留学をすることは知っていた。
だからといって本人から手紙のひとつもないのは不誠実だし、あまりにも子どもっぽい行動だと感じた。
アンドレア様から見れば、口論の謝罪を申し入れない婚約者など手紙一つを送るにも値しないのだろう。好ましさのかけらもない、ただ我慢を押しつけるだけの女は、子爵令嬢のスカートの裾にすら及ばない価値というわけだ。
当然の流れとして、その後の便りも一切なかった。
隣国に到着したことも、留学先での様子も、すべて男爵家から父へ、父から私へと断片的に届けられた。
そんな選別された情報より、噂のほうがよほど早くて赤裸々だ。
アンドレア様は頻繁にご令嬢の出入りするパーティーへ顔を出しているらしい。
ご令嬢も、騎士のようにかしづくアンドレア様を憎からず思っているらしい。
ご令嬢は両親に可愛がられているから、あるいは彼女が望めば……。
真偽の程度はともかく、噂の火種は目撃されているというわけだ。
私は早々に彼からの便りをあきらめた。
期待をやめると、結婚に障りがなければいいのだと思うようになり、男爵家への配慮も世間の基準を満たしていれば良いのだと気づいた。
考えが変われば行動も変わる。
結婚できない女としてずっと気後れを感じていたけれど、卑屈な気持ちが小さくなると共に、友人とは良好でなめらかな関係を再構築できるように変化した。
「まあ、紅茶にジャムを?」
縁あって招かれた小さな舞踏会の片隅で、私はアンドレア様とは別筋の男爵家のご令嬢とおしゃべりに興じていた。
最近の個人的な流行を教えると、ご令嬢の目の色が変わる。
甘いものの話は、どこへ向けても感度が高い。
「お砂糖の代わりにしております。果物の香りが紅茶の香りと並び感じられて、とても晴れやかな気持ちになるんです」
「それはとても楽しそうね。わたくしも真似しようかしら」
「でしたらぜひ、我が家のジャムを贈らせていただけませんか」
私はするりと当初の目的をすべり込ませた。
私の話術も磨かれたなと内心自賛しながら続きをたたみかける。
「もちろん、お嬢さまの御宅のジャムとは比べるべくもない味と思います。ただ我が家のジャムは、果肉も食べられるように煮詰めて、紅茶によく溶けるよう工夫して作らせているんです」
最後に、紅茶専門のジャムなのですよ、と付け加えるとご令嬢の目つきが変わる。通常ならざるお品物ですよ、とないしょ話をするように声をひそめるだけで好感度が高まるのは、正直に言っておもしろい。
それに、我が家のジャムと売り込みながらも内実が少し異なるのも、カードゲームで相手を欺くような愉快さがあった。嘘ではないけれど事実でもない――正確には、父の商売先の商家を通じて作らせているジャムなのだ。
我が家にはジャムを作るスティルルームも、バターやチーズを作るデイリーも備わっていない。貴族のお屋敷と比較すると小ぶりな屋敷だし、商売柄、保存食も乳製品もよそから手に入る環境だったので設ける必要がないと父が言ったそうだ。
だから紅茶にジャムを入れる習慣のある地域の話を聞いたとき、いつもよりも多めにジャムの仕入れをお願いした。それでもパーティーに出席するたびに小瓶がどんどん減ってゆく様は気持ち良く感じた。
私もしょせんは父の子なのだろう。
「お気に召していただいたときは、父を通じてご購入いただければ幸いです」と連絡先を書き添えてジャムを贈っているおかげで、貴族からのジャムの問い合わせが少しずつ増えているそうだ。
半年ほど経つ頃には、製造元が父ではなく私に直接話を持ち掛けてくれるようになった。定番のイチゴから、季節限定品の開発。くちどけではなく紅茶に適切な甘みの調整。逆に果肉を除いて飲み物であることに注力するなど、若い娘の視点でたくさんの口添えをした。
事業というにはあまりにもおこがましいけれど、商品の数が増えることも、仕入れの動きが活発なのも、私という存在を肯定してくれるように思えて背筋が伸びるようになった。
貴族のご令嬢に対して「あなたのおうちには及びませんが」と自分を下げる言葉を口にする回数も増えた。
自信が身についたことで劣等感や卑屈が目減りし、率先してへりくだった態度がとれるようになったのだ。
下手に出ても自分の価値が減るわけではない。
そんなプライドよりも、ジャムが売れる方がよほど喜ばしい。
私は、私という人間にも長所があるのだと自認できるようになった。
もちろん世の中うまい話ばかりではない。浮かれ熱が去れば売れ行きは低迷する。
それでも一時代ならぬ一季節を築いた事実は、確かに私の礎となったのだ。
「ソフィさまは変わられましたね」
と愛らしい子犬をめでるような目で私を見てくださったご令嬢もいた。