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03. 価値

 死にたい気分だった、なんて言われて、悩まないはずがない。


 ついでに結婚への夢も希望もなくして、鬱々とした日々を送っていたある日。


 気分転換に、友人だけを招いたお茶会を催した。


 三人全員が既婚者で、半分は一児、二児の母である。


 以前は自分だけが結婚していない窮屈さばかりに目を向けていたけれど、今日は心持ちがいつもとちがっていた。


 彼女たちは、私が憂鬱に感じてならない結婚という大業を成し遂げた偉人なのだ。


 人生の先達を敬い接していると、いつも以上になごやかな会となった。


 その影響もあってか、話題も尽き、そろそろお開きかというタイミングで一人の婦人がおそらく予定になかったたねをこぼした。


「アンドレア様が留学なさったと伺ったけれど、本当なの?」


 庭の一画に設けたテーブル席にぴりりとした紫電が走る。


 一方で、私の心は凪のようにおだやかだった。むしろこの場の空気を清らかにもどさなくてはという主催者としての責任感が先に立ち、涼やかな笑顔を心掛けて答えた。


「ええ、お恥ずかしい限りだけど、結婚も延期になったの」


 友人たちも、以前とは異なった私の態度を感じたらしい。


 緊張の糸がすこしゆるんだ。


「まあ、それは残念ね」


「ソフィ様のご家族も楽しみになさっていたでしょうに」


 母が婦人会で男爵家との縁を声高に叫んでいるのは誰もが知るところだ。


 母の態度は目に余るも、一方で、我が家の喧伝には役立っている。男爵家のおこぼれに預かろうとする野心家が父にすり寄り、父は父で利益を得ているらしい。


 そういった我が家の浅ましくも逞しい商魂が、高潔な貴族の矜持と合わず、アンドレア様のかたくなな態度を形成しているとしたら。


 私たちの不仲はなんて根深いのだろう、と苦笑すらこぼれた。


「確かに残念だけれど、もう少しだけ独身の身軽さを体験できるのは、ありがたいことだわ」


 せめてもの強がりをひねり出すと、彼女たちの雰囲気が微妙に変わった。


 ああやはり、とそれぞれの顔に書かれている。


「そうね、アンドレア様も留学期間に気持ちを落ち着かせていただけるといいわね」


 違和感があった。


 私が自分のこれからの一年をポジティブに表現した言葉は、彼女たちの耳には、婚約者に対する皮肉のように聞こえた、ということだろうか。


 ――否、なにかが食いちがっている。そしてそのなにかは、アンドレア様に深く関わった、私の知らないなにかなのだと直感した。


 きっと、これまでの鬱屈したままの私だったら、気づかなかった違和感だ。


 私は慎重に言葉を選びながら、彼女たちの持つ情報を引きずり出した。



 どうやらアンドレア様にはご執心の女性がいるらしい。




 お相手は子爵令嬢。アンドレア様のご友人の妹さんなのだとか。


 正式に知り合ったのは、ここ一年ほどのことで、どこかのお貴族様のパーティーで顔を合わせて以来、頻繁に同じ場所に出没しているとかいないとか。ご令嬢の兄はもともとアンドレア様のご友人なので、パーティーのみならず私的な逢瀬もあるとかないとか、ひそやかに噂が流れているそうだ。


 噂だけで進展がないのは、アンドレア様に私という婚約者がいることと、アンドレア様の男爵家では、歴史も資金も潤沢な子爵家との婚姻が望めないため、らしい。


 それでも彼はあきらめがつかず、親戚のいる隣国へ社交へ向かったご令嬢を追いかけて、彼も留学を果たした――と。




 客人が帰ったあとのわびしさが残る庭先で、空になった茶器をぼんやりと眺めながら、私は自分の心と向き合った。


 ショックはあった。彼が特定の女性に心を傾けていたと知って、嫉妬も湧いた。


 それ以上に怒りが強かった。被害者面をするな! と、さも自分が本物の被害者であるように怒ったくせに、やっぱり本当の被害者は私だったではないか。


 あのとき彼は「自分もたくさんのものをあきらめた」とも豪語していたけれど、その中にはご令嬢との結婚もふくまれていたと思うのは考えすぎだろうか。


 花の盛りを終えた私には、もう彼しか残っていないのに。


 その彼は、ほかの女の尻を追いかけて、私の家の資金を使って留学だなんて。


 考えれば考えるほど、私の気持ちは怒りを通り越し、果てへ果てへと突き進んでいった。



「お嬢さま、こちらを片づけてもよろしいですか?」


 声をかけられて我にかえる。


「ええ、ごめんなさい、お願い」


 お茶会が終わり、メイドが茶器やあまったお菓子を片づける様子を見守っていると、その向こうに、男たちが大きな樽をていねいに屋敷に運び込んでいる姿が目に入った。


「あれは?」


「ああ、旦那様が買い付けられたウイスキーだそうです。貴重なものなので、お屋敷の地下に保管するそうです」


「ウイスキーね」


 お酒の販売は父が独自に始めた商売で、将来アンドレア様が継承する事業になる。


 ここからずっと北のほうで製造される強いお酒で、熟成させればさせるほど他にはない深い味わいと華やかな香りをまとうようになるため、長くていねいに保管すれば高値で販売できるのだそうだ。


 実際に、家業とは別にしても問題がないほど大きな利益を得ている。それこそ、男爵家が婚姻を認めるほどの金額が動いているのだ。


 でも、お酒が得意ではない私には、あんな苦いものに大金を出す人たちの気持ちがさっぱり分からなかった。


 どうせ口に入れるのなら、パンに乗せるジャムのような甘いものがいい。


「ねえ、あなたは樽いっぱいのジャムとお酒、どちらに価値があると思う?」


 声をかけられたメイドは茶器を片付ける手を止めて、真剣な顔で悩んでくれた。


「お酒は原料を作ったり、醸造したり、手間暇がかかっていますし……。でもジャムだって高価なお砂糖をたくさん使いますし、煮込んでいる間は焦げないようにずっと見張っていなければなりませんから……」


「どちらも大して変わらないってことかしら」


「どうでしょう? そもそも比べること自体がちがうのではないでしょうか。だって材料も作る手順もまったくちがいますし。……ただ私はジャムのほうが好きです。だって美味しいんですもの」


 私と同じ結論にたどり着いたメイドが、しあわせそうに笑う。


 ジャムのおいしさを思い出で味わっているのだろう。


 いくらかかったのかではなく、どちらが好きか。


 ……なんだか私はおかしくなって、つられて笑みを浮かべた。


「そうね、私もそう思うわ」




 たぶん私はこのときに、彼からの便りをあきらめたのだ。


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