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02. 気づく

 結婚すれば幸せになれると思っていた。


 だって、物語はみんなそうでしょう? 王子様とお姫様が結婚式を挙げてめでたしめでたし。


 でも本当にそうなのかしら?


 目を開いて、ちゃんと見て。


 耳をそばだてて、ちゃんと聞いて。


 現実を俯瞰して見つめれば、結婚がもたらす効果はそこかしこにあふれている。




「あなた、聞いていらっしゃるの?」


 朝食の席で、母が柳眉をひそめた。


 険のある声を父は無視する。


 いつもの両親だ。


「アンドレア様はなんとおっしゃられているのかしら。まさかまた婚約期間を延長されるおつもりではないのでしょうね」


 憤然とした鋭い声が食堂に高く響いた。


 私の正面に座る兄はわずらわしそうに、その隣の兄嫁は居心地が悪そうにカトラリーを置く。


 母は周囲がどんな様子なのか歯牙にもかけない。


「男爵家のご子息とはいえ、こうも延期を重ねられては我が家の沽券に関りますのよ。わたくしも商工会のご婦人方になんて言われるか……」


 ああ、これは数日前までの私だ。


 相手のためだと言いながら、実際は自分のことばかりの私。身勝手でわがままで、周囲を顧みない。気にも止めない。


 だったら婚約者は、いずれ父のようになるのかもしれない。母のヒステリーをうんざりと聞き流すだけで、向き合おうともしない。……その片鱗はすでに現れている。


 曇りのない目で直視すれば気づけた目の前の真実。


 ――結婚すれば幸せになれるなんて、あわれな妄想だった。


 両親はケンカばかり。父がよその女性をかこっているらしいという噂もささやかに届いている。


 兄夫婦の仲は良好だが、いつも肩身がせまそうにしていて、幸せには見えない。


 友人たちの家々を思い浮かべても、うらやましいと思えるほど家族仲の良い家庭は思い浮かばない。


「ソフィ、あなたも聞いているのですか」


 母の情熱・・がこちらを向いたので、私は「はい」と努めておだやかに応じた。


「あなたも、アンドレア様にきちんと自分の意見をお伝えしなさい。唯々諾々とうなずくばかりでは、男性はつけ上がるだけですよ」


 手綱をにぎるのです、と得意げに言い放つ母を、率直に、恥ずかしい人だと思った。


 こともなげに男性と女性を仕訳けて、女性優位な持論を展開する姿に共感できない。


 この場に同席する父や兄が、母の本音を聞いてどう考えるのだろうと想像もしない思考に嫌悪が湧く。

 でもこれこそが、数日前までの私なのだ、と再度、胸に刻む。


 母を軽蔑するということは、少し前までの自分を憎み嫌うということ。


 あまりにも皮肉で、滑稽で、私の心はどんどん冷えていった。




 アンドレア様との口論からしばらく経って、先方の御意向が文章で送られてきた。


 彼の留学が正式に決まったらしい。期間は一年、結婚は再び延期になった。


 父は私に直接関係のあることだけしか教えてくれなかったけれど、使用人の立ち話から、男爵家が父に留学費用を拠出させたことを知った。留学の目的が商売の実践と見識を得るため、人脈を広げるためだからと説得されたとか。理由が理由なだけに、断れない父の姿が想像できた。




 曾祖父の代から続いている商いは、私の兄が継ぐことになっている。


 一方で、やり手と称賛される父が興した事業は、家業とは分離させる方針で定まっていた。兄ではなく、私の夫になる人物に託すのだ。


 そのため父は、私の結婚相手に、婿入りができて、商売の利益になって、組織を運営できる知識や人柄を求めた。




 アンドレア様が第一候補にあがったのは、なによりもまず彼の御家柄にある。


 男爵は貴族の中では下位だけど、私たち平民と比べれば、御殿を仰ぐような尊い血筋だ。


 男爵の名前があるだけで領地と領地の間にある関税を免除される場合もあるし、遠い外国に進出しても、不審がられることなく「ああ、あの国の」とすんなり受け入れられて商談が成立しやすい。


 加えて、アンドレア様には貴族ならではの教養があった。頭も良く、父の教えを乾いた土のように吸収して実践できた。外見も整っていて人当たりも良い。三男坊なので婿入りも望める。もっとも父は男爵家の名前を欲しさに、婿入りではなく、アンドレア様が独立なさって私が嫁入りする手順を希望したのだけれども――そしてもちろん希望は叶えられたのだけれども。


 父にとって、彼は最高の物件だった。


 男爵家にとっても悪い話ではなかったようだ。笑い飛ばされることなく話し合いの場が設けられ、意外なほどすんなりと婚約が決まった。


 法衣貴族の台頭により貴賤結婚の垣根が低くなった社会背景も理由にあっただろう。


 男爵家と世間が許すのであれば、アンドレア様の外見と話術にとりこまれた私に否やはない。いいや、本音を言おう。表面は平常を装いつつ、内心で両手を上げて歓喜していた。それが私のプライドだった。


 私が十五歳、アンドレア様が十七歳のできごとだ。




 でも振り返ってみると、幸福でいっぱいだったのは最初だけ。



 アンドレア様がパブリックスクールをご卒業されたら結婚に進む予定も、将来の仕事の助けになるように法律を学びたいと意欲を示されたため婚約期間が延長された。名門大学への進学費用はすべて我が家が捻出したそうだ。


 在学中はそれなりに優秀であらせられたので、順調にご卒業のめどが立つも、今度は隣国に留学したいとおっしゃられるようになった。


 私は今年で二十歳になる。


 すでに子どもを産んだ友人もいる。


 さすがに不安に駆られて、思いのたけを告白したというのに、婚約者同士の語らいはいつの間にかケンカに発展して、私はあえなく玉砕したというわけだ。




 アンドレア様の留学の報を受けて、母は金切り声を上げた。私に愛嬌がないからだとか、口答えをするからだとか、いろいろ叫んでいた。


 母をわずらわしく思っている兄は、母の機嫌を損ねた私を迷惑そうに見る。


 兄嫁は基本的に、家族に逆らわない。なにも言わずいつも居心地が悪そうな顔をする。



 父はすぐに万年筆をとり、承諾するお手紙をしたためた。


 名の知れた大商家とはいえ、私たちはしょせん平民。名も実も伴った男爵家の意向には逆らえない。


 我が家からの手紙が届くなり、アンドレア様は隣国に旅立ったと聞いた。


 ご本人からの報告は一切なかった。


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