12. 夜会にて
アンドレア様自身には妙な危うさがただようが、私の父から受け継いだ事業は確実に業績を伸ばしている。今期は新参の醸造所と契約を結び、めあたらしいお酒が入荷する予定だとつたえ聞いた。
アンドレア様が扱うお酒は貴族向けであるものの、ジャムのように希少性をを魅力にしているのではなく、味と価格のつりあいを得手としている。商品を安定的に仕入れる手腕はもちろん、値付けのバランス感覚が絶妙で、見込みの薄い商品ですら売りさばいてしまうらしい。彼に執着した父の目は確かだったということだ。
そして彼の子どもたちは皆――幸運なことに――勤勉で、母親思いのよい子ばかりだった。
とくに長男のシリルは責任感にすぐれ、下の子たちの面倒もみてくれた。周囲を見渡す気配りを持ち、彼が声をかけるだけではっとするほど空気が変わることもある。よい子につとめるあまり、子どもらしさを失ってしまうのではないかと不安に駆られて遊びにおかしにと、かいがいしく誘惑をけしかけるも、長男はかたくなだった。
「僕はいずれお父様とお母様の事業を引き継ぐのです。勉強は必要です」
「シリル、人にはしあわせであたたかな子ども時代が必要なのよ。そんなにいそいで大人になっても、ろくな人物にはなれないわ」
「ではお父様の子ども時代はしあわせでもあたたかでもなかったのですね」
てらいなく断言する息子に、私は目をしばたたいた。
「ご安心ください。僕はいつもお母様から、しあわせと、あたたかな気持ちをいただいています。だってお母様はいつも僕たちを案じてくださっているでしょう?」
邪気のないほほえみがうれしくもあり、子のたくましさに驚く一方、立場のない夫をすこしだけ哀れに感じるのと、自業自得だとさげすむのと、夫婦のありようを的確に見ぬく子の鋭敏さにおののいてと、感情があちこちにいそがしく、言葉を失った。
「適切をまもり、体もいといます。僕を心配する分は、どうぞお母様がお母様自身のために使ってください」
「シリル……」
たまらず、私は息子を抱きしめた。
アンドレア様との関係がままならずとも、子どもたちがいてくれるだけで、私の人生は端から端まで満たされると確信できた。
そのシリルが十五歳になる。
十五歳といえば、私がアンドレア様と婚約した年齢だ。
男性の適齢期は女性よりも少し上なので、まだたしかな約束こそないものの、アンドレア様の頭の中にはいくつか候補があがっているようだった。息子の誕生日パーティーに招待する名簿に見覚えのない家名がいくつか見受けられる。いささか不安が募っても、家長に指示された以上、無視もできず、形式にのっとってご招待した。
そのうちのおひとりが、パーティー会場で談笑していた私の前に立ちはだかった。
白い肌、薄い金髪、薄い青の瞳、じつに儚げな風貌をしている。そのくせお顔立ちは華やかで、強くひとを惹きつける。年齢は二十代の半ばほどだろうか。肩も腰も華奢でありながら胸は豊満。堂々とした立ち居振る舞いは芯の強さや信念ではなく、優位意識のにおいがする。
「あなたがアンドレア様の奥様なのね」
値踏みする視線は、アンドレア様が商品に値段をつける目つきに似ていた。
私はあいさつをして、名前を知らない非礼を詫びた。暗に名を名乗れと非難したつもりだったけれど、気づいたそぶりはない。たっぷりと間をもって彼女はバーバラと名乗った。急きょ招待名簿に名前をつらねた人物で、子爵令嬢だった。
また子爵令嬢か、と私は辟易した。
アンドレア様が最初に熱を上げた彼女も子爵令嬢だった。もう二十年ちかく前のできごとだ。なつかしさとともに、子爵令嬢という肩書きに呪われているのかと、うたがいたくなった。
そんな考えを持ったせいか急に目の前の女性がうろんに見えた。
息子の婚約者候補にしては年かさだし、この年頃でいまだに「令嬢」というのもあやしい。
うたがいをもって改めて観察してみると、ドレスも宝石も、かなりの金貨がつぎこまれているように見える。高級志向のジャムを販売して養ってきた審美眼はだてではない。家の格とふところのあたたかさが必ず比例する貴族ばかりではないけれど、それにしても、ちぐはぐな印象が強く感じられた。直截にいいかえれば、夫の影がつよく反映されていた。
子爵令嬢は口角を上に引きあげて、夫と私を話題にした。
「奥様のうわさはかねがね耳にします。身分にとらわれないご結婚だなんて、愛されておいでなのですね」「長い婚約期間を経た深い間柄であられるとか」「女だてらに商売をなさっておいでとうかがいましたわ」
「バーバラ!」
長口上にうんざりし始めたころ、アンドレア様の声が会場に響いた。
駆けつけた彼は子爵令嬢と私の間に立ちはだかって、私にキッとにらみつける。
「バーバラになにをした!」
「まあ、アンディ。なにも……なにもないわ、そう、ただおはなしをさせていただいただけなのよ」
実際そのとおりなのだが、バーバラと呼ばれた女性がすがるように声をふるわせただけで、まるでちがった印象に聞こえた。すなわち私が彼女にいじわるを働き、彼女は私をかばう――という構図だ。
彼女の名演は歌劇の女優にせまるほどで、彼はすっかり信じきってしまったらしい。
「なんという女だ! 心底、きみを見損なったよ」
アンドレア様が視線で私を切った。
まだ見損なうほど評価が残っていたのかと驚くも、そんなはずはないと考えをあらためる。アンドレア様もまた状況に酔っておいでなのだ。
ひそひそと周囲が湧きたつただなかで、アンドレア様は、私がいかに配慮に欠けているかを熱弁した。疲れて帰宅した夫を出迎えない、贈り物も見る目がないと日ごろの鬱憤を発散した。
言い返したいことは山ほどあった。でも反論は無意味だ。どうせ彼の頭には届かない。
言いたいことを言いたいだけ放って気が済んだのか、彼は「バーバラに近づくな」と釘をさして、背にかばった女性とともに去っていった。
――今日の主役の、実の息子に見向きもせずに。
そんな彼の後ろ姿を見つめる招待客の目を、すこしでも振り仰いでくれればよかったのに。