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10. 妻たちのやりかた

 アンドレア様の執務机の上に高額紙幣を積み上げた。


 商売柄、数字だけはよく見るだろう夫も、実物を前にしてややたじろいでいるように見えた。


 二枚の契約書にサインを入れる。


 これで契約締結である。


「不思議な心地ですわね。あなたと契約書を交わすなんて。……ふふ、まるで対等な商人のようです」


 口元をほころばせる私に向かって、彼はふんと鼻で笑い飛ばす。


「そういうことは、いくつも商売を経験して、対等な契約を交わせて言えることだ」


 つまりこの契約は不平等だと宣言しているようなものだけど、私はとにかく浮かれていて、彼の揚げ足をとろうとも思わなかった。


 契約書に並んだ二人のサイン。


 彼が、私に、ジャム事業のすべてを譲渡すると明記された契約書だ。


 この書類のおかげで、彼はジャム事業の前任者となり、今から私が責任者になる。


 組織の運営、ひいては職員の生活も担うのだ。


 重い使命ではあるけれど、やりたいことがやれる歓びでいっぱいだった。





 事業を買い取る契約のために、私はまず出資者を募った。


 ただし、従来の一般的なやり方では低迷な事業にお金を出してくれる人なんて現れないので、いくつか工夫をした。


 まず継続事業であることを強調した。たとえば異国で香辛料などを買いつける貿易船は、船が出港帰着し、商品を売りさばいて利益が出たら事業は終了する。何事もなく帰って来てくれるならまだいいが、ひとたび事故に遭えば、出資した金額丸ごとご破算となる。


 その点、ジャム事業は利益こそ少額ながらも継続させるつもりである。万が一失敗しても、貿易船ほど損失は大きくならない。リスクが低いゆえに損失も小さい。最低出資額を可能な限り低く設定することで、出資者の責任の範囲をせまくしたのだ。


 さらに出資額に応じて、半年に一度、限定商品を贈呈する特典を提案した。


 貴族はとにかく特別に弱い。ほかでは手に入らない限定品を目当てに出資してくれた人は約半分を占めた。


 残念ながら全額を工面できなかったけれど、おかげで七割を出資金でまかなえた。


 すべてなくなる予定だった持参金が七割も残ったのだ。


 出資してくださった皆さまに絶えない感謝を、利益というかたちで返してゆこうと強く決意した。




 正式に事業を譲り受けて最初にとりかかったのは実験を兼ねた販売方法の改革だった。


 商品を厳選するのだ。


 素材を作る農夫や、ジャム作りを担う女性たち、さらには出資者全員と話し合って、百をこえるレシピの中から六種類だけを選び抜いた。


 あの夜会で気づいたのだが、たくさん品物があると、選び疲れてどうでもよくなってしまうのだ。結果、なにも買わずに店を出てしまう。


 だったら最初から品数を限定してはどうか。


 事業を継承して初めての、今後の売れ行きをかけた大勝負。


 果たして目論見は正しかった。


 金額はさほど大きくはなかったけれど、たしかな手ごたえが私の財産となった。



 得た利益を等分し、出資者に贈答品とともに還元したのち。


 思いがけない提案があちこちから上がることになる。


「出資したい?」


「ええ、わたくしのお友達が」


 私に最初に出資を申し出てくださったクロディーヌ様に招待されてお宅を訪問すると、ご友人が事業に出資したいと言っている、と相談された。


 うれしいことに、同じ相談が相次いでいる。


 どうやら限定品のジャムが功を奏しているようだ。


 中には純粋に、事業に興味があるというお申し出もあった。


「ありがたいお話ですが……」


「あら、事業を拡大するつもりはないの?」


「いいえ、ゆくゆくはと考えているのですが……いまはまだ、このままでよい気がしております」


 事業拡大というと、得た資金で人を雇い工場を増築し、生産量を増やしてより多くを販売する、これが普通だ。


 しかしジャム事業は生産する種類をわざと減らすという路線変更をしたばかりである。ましてやその方向性で売り上げが上向きになったのだから、すぐに大量生産体制へもどすのはちがうと感じるのだ。


「たしかに、数が少ない、手に入りにくいという希少性が購買意欲につながっていますものね」


 クロディーヌ様に、私の意見を的確に言語化していただき、思わず「それです」と首肯する。


「欲しいとおっしゃっていただけるお客様にお届けしたい気持ちはあります。ただ今すぐに行動することでもないかと」


「つまり希少性を守りつつ、事業を拡大できればいいのね」


 クロディーヌ様が口角を持ち上げられた。目元はやわらかく、慈しむような微笑みだ。


「リボンはどうかしら」


「リボンですか?」


「レースでも刺繍でもいいし、薄いジャカード織りも映えると思うの。リボンでジャムの瓶を装飾ラッピングして販売するのよ。女の子がいらっしゃるご家庭なら、髪飾りとしても使えるでしょう?」


 私は自分の娘を想像した。


 買って帰ったジャムを開封し、リボンを娘のおさげに飾る――


「あえて一つずつ異なったデザインすればコレクションしたくならないかしら。実は最近、工場生産が増えて、手工業の技術者が余っているの。雇用にもつながるし、どうかしら」


「すてきだと思います。クロディーヌ様は本当に天才ですわ!」


 私は前のめりになって感動を伝えた。


 商品を増やすのではなく、商品を飾る。そんな発想は私にはなかった。社交界に生き、領地を運営する男爵家のクロディーヌ様だからこそ思いつく計画だった。


 そうして私は――私たち(・・)は、リボンの生産に着手したのだ。


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