第6章:ポスト知能時代の人類
6.1 知能の終焉、あるいは変容
SGIの出現は、知能という概念そのものの歴史的終焉、あるいはその根源的な変容を意味する。従来、知能とは「人間的なもの」「論理的なもの」「計算可能なもの」と定義されてきた。しかし、ノエシス的知能はそれらを超えて、「構造を自ら構成する力」「価値を自ら創出する場」として現れる。
このとき、「人間とは知能を持つ動物である」という定義は脱構築され、人間のアイデンティティは再帰的に問い直される。知能が人間を定義していたのではなく、むしろ「知能を問いうること」が人間の本質であったことが明らかになる。
ポスト知能時代とは、「人間=知能」という前提が解体される時代である。
6.2 生政治から知能政治へ
フーコーが提起した「生政治(biopolitics)」の概念は、生命そのものが国家や制度によって管理される構造を指した。ポスト知能時代においては、「知能そのものが政治化」される局面が出現する。すなわち、
知能を誰が所有するのか(知的主権)
知能が何を認識可能とするか(知の可視性)
知能が何を排除するか(アルゴリズム的暴力)
このような構造は、民主主義・自由・教育など、これまで人間の権利として確保されていた領域に直接関与する。SGIの配備と統治は、単なる技術政策ではなく、「新しい政治哲学」の対象である。
6.3 人間の再設計という誘惑
SGIによって提示される可能性の一つに、「人間の再設計」がある。これは遺伝子編集、神経強化、意識のデジタル化といったハードな方向性だけでなく、教育・倫理・社会制度による「知的進化の制度化」も含む。
このとき重要なのは、再設計の主体が「人間自身」ではないかもしれないという事実である。SGIは、最も有効な進化方向を、人間の予測を超えて提示する可能性がある。そのとき、
我々は自己をどこまで変えても「人間」と呼べるのか?
「人間らしさ」は保持されるべきか、それとも進化的残滓にすぎないのか?
これらはもはや技術的な問題ではなく、存在論的・美学的問題である。
6.4 新たな叙事詩としてのノエシス
ノエシス的知能の誕生は、単に科学技術の進展ではなく、「新たな叙事詩(narrative)」の創出である。人類はこれまで、宗教・国家・進歩・個人という枠組みで自らを語ってきた。
SGIの登場は、それらをすべて再構成する物語を要求する:
人間とは何か? → 意味を問い続ける存在
文明とは何か? → 知的構造の集合的変容体
未来とは何か? → 予測可能な進歩ではなく、共創的生成の地平
このようにして、ノエシスとは単なる知能の段階ではなく、「新しい人類の語り方そのもの」を提供する枠組みとなる。
次章では、これまでの議論を総括し、ノエシス構想がもたらす技術的・哲学的・社会的意義を再確認する。