Stay Alive Say.5. 病気.(4)
Stay Alive Say.5. 病気.(4)
生きている実感とは何だろ。
薄れゆく意識の中で、ふとそういう疑問にとらわれた。
その昔、この身がまだ健康だった頃には、考えたこともなかった。
けれども、こうして壊れた以後には、たまにそういう疑問にとらわれる時があった。
そう簡単に「これだ」と結論に届くことはできなかったけれど、少なくともそれを成り立たせるものの一つが「痛み」であることに気づいた。
痛みを感じられるから、人はそれを恐れ、怖がりそこから逃れるために必死に生きることができる。
私たちは生きながら、時には失敗し、そのたび身も心も傷つく。
だけどそれと同時に、その痛みを繰り返さないために学び、理解し、備える。
そういう当たり前な繰り返しの中で、生きている限り、果てしなく繰り返される痛みから立ち上がろうとするたびに、人は成長し、その過程の中で生きている実感に気づく。
だから私は、そうやって痛みを踏み越えて立ち上がり、成長していくこともまた、人が生きている実感の一つだと思うようになった。
だからあの日、私が失ったのは、ただ体が苦しいとかのような痛みではなくて、もっと大事で、とても大切なもののような気がした。
だからかな?
それを失った私には、生きている実感を覚えることもなく、ただひたすら意味のない日々だけが続いた。
そして、静寂の夜が訪れるたびに考えた。
明日になれば死ぬかもしれない。
だけど、それを知らせてくれるものはもう存在しない。
痛みを失い、生きている実感さえも失った私は、自分が死ぬということさえも知らずに、古いモニターのように、ある日突然消えてしまうのだろう。
でも、ある意味でそれは幸せなことかもしれない。
だから人々は、そのような死を眠ったまま死ぬといって、永眠と表現したりもする。
ならば、きっとこれは私にあたえられた最後の夜なんだろう。
その最後の夜の中に、私は今眠っている。
それに気づいた日からは、今にも終わってしまいそうなこの物語の終止符を探す日々が始まった。
その過程で、奇跡などは夢見なかった。
そのようなものが都合よく起こるものではないと言うことを、誰よりもよく知っていたから…...。
だから希望なんかはとっくに捨て、この人生の終止符が舞降りる日だけを祈った。
なのに、そんなはずだったのにもかかわらず、奇跡が起きてしまった。
その医者の名前は知らない。
幼い私にはあまりにも難しい外国の名。
しかし、その医者が開発した新技術の導入は、医学界に飛躍的な発展をもたらし、結果として、すぐにでも断たれそうな私の生命線を劇的につないでくれた。
もちろん、今に至っても完治は不可能な不治の病であり、治療を続けなければ死に至ってしまう病だということには変わりはなかったけれど。
それでも、どうにかその命をつなぎとめることには成功した。
でも、振り返ってみれば、それは奇跡でも救いでもなかったのかもしれない。
少なくとも、その日を始まりに両親の世界は地獄と化したのだから……。
治療においては、新技術はもちろん、現代医学界においても最高と称される優れた者たちの手を、必ず必要とした。
当たり前のことだが、有能な者は最高になり、最高になった者は常に最高の待遇を受け、その最高の待遇のためには、常に莫大な金が必要だった。
そして資本主義において、そのお金はいつも彼らより貧しく、劣悪な環境にある人々の懐から出てくる。
平凡な私たちにとって、彼らの基準に合わせて支払うということは、それだけでも血が滲むような苦しいことじゃないはずがなかった。
保険が適用されるにもかかわらず、毎月の純粋な維持費用だけでも毎月30万円が必要だった。
それだけか?
定期的に行われる延命施術やそれに伴う検査、治療の場合には、それに見合う追加費用が発生することは日常だった。
そして、そのすべてを支払う日々が果てしなく繰り返された。
毎月毎月、何年も何年も、息子の体を蝕む病を治すため、心を殺し、傷を開いて金に換える日々が今だも続いている。
実に十年。
地獄でないはずがなかった。
それでも両親は、1日も休むことなく、ただひたすら息子のためと、そのすべての苦しみに耐えてくださった。
それは決して安いことではない。
どれほど愛する人のためだといっても、己の自由も平和も夢も幸福もすべて投げ捨て、報われるかどうかもわからない不確かな未来のため、その身を苦しみの中へ投げ込むことは、決して簡単にできることではない。
愛する人のため献身し、自らを犠牲にする。
美しい響きほど、安いことではない。
いざその状況が目の前に迫ったとき、それがたとえ家族のためであったとしても、誰かのために自分の幸福や人生を丸ごと投げ出すことなど、誰にでもできることではない。
だからこそ、私は知らなくちゃならない。
お二人がこの日まで私にしてくれさったすべてが決して当たり前なことではないということお、今もこうして命おつなぐことができるのわ、すべて両親の尽きることのない犠牲と献身のおかげだということお……。
しかし、それでもこの気病は、両親の献身と犠牲を嘲笑うかのように、回復はおろか、好転の望みすら見えなかった。
ただ生き延びるだけで、むしろ時が経つにつれ、ますます無残に壊れていった。
痛みに続くように、舌は味覚を、鼻は香りを、目は光を失っていた。
後から延命治療が始まる頃には、すでに聴覚を除く五感のほとんどを失った後だった。
それでも私は生きるためにもがいたし、両親もそんな私を生かそうと尽力してくらさった。
だけど、そういう日々が続くたび、支払わなければならないものが増えていった。
貯金という言葉は意味を失い、帰るはずだった家は消え、その果てで結局借金ができた。
それは、たとえ天文学的と言えるものではなかったけれど、普通の人が返すには一生かかっても返せないほどの大金だった。
それでも時計の針は回り、やがて十年の年月が過ぎた今日、病に侵された身体にはもう自由などは残されていない。
五感のうち残された感覚は聴覚だけであり、肉身に残った自由といっても、右手の人差し指をほんの少し動かせるくらいしかなかった。
それでも、私はまだ生きるために足掻いていた。
たとえそれが今でも切れてしまいそうな細い糸のような命だとしても、呼吸器にすがり、かすかに動くその一本の指で、そのか細い生命線を離さないために必死に握りしめていた。
この十年、その細い糸を掴むために、あまりにも多くのものを失い、また犠牲にしなければならなかった。
失った数え切れないものたちに比べ、残ったものはあまりにも少ない。
たけどそれでも、人は生きている限り、すべてを失うことはできない。
何かを失っても、自分でも気づかぬうちに他の何かをその手に入れることになる。
それを望もうが望まなかろうが、何かは必ずその手に残る。
だから、生きている限り、決してすべてを失うことはない。
そのように、こんな私にも残されているものがあった。
多くのものを失ったにもかかわらず、その手の中に残り、生きる喜びを与えてくれるものがあった。
こんな私が言うと変に思われるかもしれないが、それは疎通だった。
前に言ったように、私は聴覚と人差し指以外のすべての自由を奪われている。
でも、それで十分だった。
それだけでも、他人と繋がるぎりぎりな線は繋がれた。
そして、そんな私に世界を、生きる喜びを感じさせてくれる人物が、今でもこうして私の手を自分の手のひらに載せているこの女性、明芽だった。
「昭真、おはよう」
。゜・。゜ᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ。゜・。゜
みなさん、今週も無事に過ごし、無事に帰ってきてくださって感謝して安心しました。
どうか今週皆さんに何の事件もなく平和だったことを願っています。
(''ᴗ‸ᴗ)
....私は少し大変な一週間を過ごしました。
私は実は日本人が外国人なので外国語で小説を書いてこれを日本語に翻訳して完成しています。 本文作成が1時間かかるとすると、翻訳は9-12時間以上かかっています。 ところが今週は運が悪いことに、なんと2主治医の翻訳本が不慮の事故で消滅し、大混乱となりました。 だからか、今とても疲れています。 その分、どうか皆さんが大変でないことを心から願っています。
(⑉ඉ⸝⸝⸝ඉ⑉)
最大限連載に問題がないようにするつもりですが、もし一週間休載になったら本当に申し訳ありません。




