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婚約破棄を告げられましたが、諦めるつもりはありません

作者: 瑪々子

誤字報告をありがとうございます、修正しております。

「リネア、エリオット様から手紙が届いているぞ」


 兄のカーティスから声を掛けられて、リネアの頬が薄紅色に染まる。


「まあ、エリオット様から?」


 リネアは嬉しそうに兄の元に駆け寄ると、白い封筒を受け取った。エリオットは彼女の婚約者だ。新しく立ち上げた事業のために、海外の国々を駆け回っている彼とリネアが会える時間はごく僅かしかない。エリオットの帰国時に、年に数回会えるかどうかといったところだからだ。

 エリオットは伯爵家の次男で家は継げないことから、自ら事業を興している。落ち着いたら迎えに来るという彼の言葉を信じて、リネアは婚約してから四年になる今でも、彼の帰りをずっと待っている。

 このところはエリオットの帰国が叶わなかったために、リネアはしばらく彼に会えてはいない。


 カーティスは、幸せそうに手紙を胸に抱き締めた妹を見て微笑んだ。


「最近、エリオット様から連絡がないと気を揉んでいたようだったが、ようやく手紙が来て良かったな」

「ええ、お兄様。エリオット様がお忙しいことはわかってはいたけれど、長いこと放っておかれたら、やっぱり寂しいもの」


 頬を上気させたまま、にっこりとリネアが笑う。彼女は今年で二十二歳を迎える。未婚の貴族令嬢にしては、なかなか良い歳だ。


「父上も母上も、いくらお前が婚約しているとはいえ、行き遅れないか心配しているからな。そろそろエリオット様に腹を括ってもらったらどうだ」

「私だって、エリオット様と早く結婚したいですけれど……こればかりは彼のご都合もありますから」

「花の盛りは長くはないぞ。まあ、お前がこの家にいてくれたほうが、俺たちにとっては助かるんだがな」


 リネアはフェレンツ男爵家の長女だ。才気煥発で、ここぞという時に押しが強く度胸のある彼女は、父から『男に生まれていれば』と惜しまれるほどの商才を開花させている。

 彼女の父は商家の出だったけれど、フェレンツ男爵家の一人娘だった彼女の母と結婚して婿入りしてから、それまでぱっとしなかった男爵家の事業を急拡大させた辣腕の持ち主だ。時流を読むのに長けていて、貴族の間で流行した舶来の化粧品や稀少なシルク、モダンなデザインの宝飾品など、流行り出す前から同業者に先んじて仕入先を開拓しては、先行投資をして事業を花開かせてきた。

 そんなフェレンツ男爵家を快く思わない貴族も少なくはない。金を使って男爵位を得るために婿入りしたのだと、彼が陰口を叩かれることも日常茶飯事だった。間接的に、その一番の被害者になったのがリネアである。彼女は貴族学校に通っていた時、上位の貴族の令嬢たちから、鼻持ちならないと酷い嫌がらせを受けていた。

 何事にも要領が良く、柳のようにさらりと嫌味を受け流すことのできた兄のカーティスに対して、裏表がなく正直なリネアは自分を偽ることをしなかった。自分より高位の貴族に阿ることをしなかった彼女は、虐めの標的になったのだ。

 元々気の強いリネアだったけれど、貴族学校で収まる気配のない嫌がらせに、心身共に弱っていた。そんな彼女をただ一人庇ってくれたのが、同じ学年にいたエリオットだ。

 緩くウェーブのかかった漆黒の髪に、美しい緑色の瞳をした端整な顔立ちの彼は、たまたま実習のクラスでリネアと一緒になってから、何かと話し掛けてくれるようになった。女生徒たちにも人気のある彼がなぜ自分に構ってくれるのか、リネアにはわからなかったけれど、彼と過ごす時間は彼女にとって唯一の癒しだった。

 どうしてあの子がエリオット様と、とやっかまれることはあったものの、伯爵家の彼が親しくリネアと接するようになってから、苛めも少しずつ収まっていった。もっとも、リネアが在学中から開発を始めた、痩身に効く美容クリームが大当たりして品薄が続いたために、掌を返して彼女に擦り寄ってくる令嬢が増えたことも一因ではあったけれど。

 リネアの話に、エリオットはいつでも楽しそうに耳を傾けてくれた。彼さえ側にいてくれれば、リネアは他人にどう思われても構わなかった。

 優しいエリオットにいつしか心底惹かれていたリネアが、卒業直前に彼から求婚された時には、天にも昇るような心地になったものだ。


 彼と過ごした学生時代を懐かしく思い返しながら、リネアは改めて手にした手紙を見つめた。


(エリオット様、お元気かしら。早くお会いしたいわ)


 いそいそと手紙の封を開けた彼女だったけれど、便箋に視線を落とした途端、さっと顔色が変わった。便箋を持つ手が震え、ぎゅっと唇を噛んでいる。


「……どうしたんだ、リネア?」


 妹が涙を堪えていることに気付いて、カーティスが慌てて尋ねる。リネアは兄の問いかけに答えることもできずに、無言のまま手にしていた手紙を彼に差し出した。

 便箋に目を走らせたカーティスの表情が翳る。真っ白な便箋には、几帳面なエリオットの字が綴られていた。


「すまない、リネア。

 僕には愛する人がいる。

 だから、君との婚約は破棄させて欲しい。

 どうか僕のことは探さないでくれ。

 君の幸せを、心から願っているよ。」


「……くそっ」


 カーティスが悔しげに便箋を握り潰した。


「こんなにリネアのことを待たせた挙句、この仕打ちか。彼は誠実な青年だと思っていたのに」


 リネアの目から、堪え切れずぼろぼろと涙が溢れる。


「エリオット様。どうして……」

「彼は綺麗な顔をしていたし、女性から言い寄られそうな雰囲気はあったからな。お前と離れている期間が長くなって、他の女性に気を移したんだろう。まあ、よく聞く話だ。そんな男、さっさと忘れたほうがいい」


 カーティスは、泣き崩れたリネアの身体を優しく抱き寄せた。


「お前なら、エリオット様でなくてももっと他に良い相手がいるよ。女性としても魅力的だし、商売の腕だって一流だ」


 艶やかな亜麻色の髪に空色の澄んだ瞳をしたリネアは、溌剌とした美人だ。いわゆる超が付くほどの美人ではなかったけれど、場を明るくするような独特の愛嬌があった。そして、それはフェレンツ男爵家の商売にも一役買っている。これまで、彼女を嫁に欲しいと望んできた商売相手も少なくはなかった。


 けれど、リネアは静かに首を横に振った。


「私が好きなのは、エリオット様だけなの。商売のことを学んできたのだって、いつかエリオット様のお役に立ちたかったからだもの」


 涙を拭ったリネアが、兄を見上げる。


「私、エリオット様を探すわ」


 カーティスは妹の言葉に眉を寄せた。


「どうやって? 手紙には探さないで欲しいとあるし、今、彼がどこの国にいるかもわからないのに?」

「封筒に貼られている切手と消印に書かれていた文字には、見覚えがあるわ。私が扱っている商品の販売網がある国の一つよ。遠方にある小国だけれど、きっと手掛かりはあるはずだわ」

「お前は、まったく……」


 気遣わしげにカーティスがリネアを見つめる。


「一度決めたら何があってもやり遂げるお前のことだから、エリオット様を探し出せないとは言わない。だが、彼を見付けたところで、泣くのはきっとお前だぞ? それに、家格は彼のほうが上だ。向こうから婚約破棄されたら、受け入れるほかないだろう」

「そうかもしれないわ。でも私、このまま彼のことを諦めたくはないの」


 カーティスは小さく息を吐いた。


「これ以上、お前の涙を見たくはないんだがな。だが、ここで引くようなお前じゃないこともよく知っている。気が済むようにすればいい」

「ありがとう、お兄様」


 兄に向かって無理矢理に笑顔を作ったリネアは、彼の手から皺くちゃになった便箋を取り戻すと、丁寧に伸ばした。


***


 その二月後、リネアは海を渡り、小国の地方都市にやって来ていた。ある部屋のドアの前で、ふっと深呼吸をする。エリオットの居場所を、とうとう突き止めたのだ。

 手紙を受け取って以降、考えられるありとあらゆる情報網と手段を使ってリネアはエリオットを探した。当然、エリオットの両親や兄弟、友人にも尋ねたけれど、誰一人として彼の行方は知らず、困惑するばかりだった。

 リネアは父親を頼ったのはもちろん、商売で縁のあった相手にも必死に頭を下げては、どんな小さな情報でも構わないからと、エリオットに関する情報を探して回った。エリオットも商売のために海外を巡っていたこともあり、接点のあった事業関連の取引先を通じて、彼女はようやく彼の情報を入手したのだった。


 覚悟を決めて、リネアがドアノブを回す。

 そろそろと彼女がドアを開くと、部屋の中にはエリオットの他に、彼に穏やかに話しかける若い女性の姿があった。ドアが開いたことに気付いて、彼女がリネアを振り返る。


「あら、エリオット様のご家族の方ですか?」

「……はい」


(ああ、エリオット様)


 彼女はエリオットを見つめて棒立ちになっていた。突然現れたリネアを見て、彼の目がみるみるうちに見開かれる。


「リネア、どうしてここに……?」


 弱々しくそう言った彼の前で、付き添っていた女性が微笑んだ。


「では、私は失礼しますね」


 ドアの閉まる音がして、部屋に残された二人の間にはしばしの沈黙が落ちた。夢にまで見たエリオットを前にして、リネアの目からは涙が溢れ、頬を伝う。

 彼は、小さな病院のベッドの上で身体を横たえていたのだった。身体中、至るところが包帯に覆われている。かつて美しかった顔は半分ほどが今も包帯で覆われ、露出している肌にも痛々しい痕が見える。彼に付き添っていたのは、看護師の女性だった。


 エリオットの右手を、リネアが労わるように取る。


「どうして教えてくださらなかったのですか? 貴方様が火事に巻き込まれ、入院していたのだと」


 リネアが突き止めた情報は、エリオットが商談で訪れていた町で、大規模な火災があったというものだった。乾いた季節に強風で煽られた火の粉が広範囲に飛び、大きな被害が出たというのだ。まだ行方がわからない者もいるらしい。

 辛そうに顔を歪めたエリオットが、呟くように言う。


「わかるだろう? こんな僕では、君を幸せにしてやれない。もう君を迎えに行けると思っていた矢先だったけれど……醜い火傷を全身に負った上に、まだ身体を満足に起こすことすらできないんだ」


 彼は静かにリネアを見つめると、掠れた声で言った。


「優しい君に真実を話したら、きっと君から僕に婚約解消を告げることはできなくなってしまう。だから、僕から婚約破棄をお願いしたんだ。できることなら、こんな姿になった僕を君に見せたくはなかったけれどね」


 憔悴しきった様子の彼の頬に、リネアの涙がぽたりと落ちる。


「そんなこと……」

「もう、僕のことは忘れてくれ。でも、こんな場所まで僕を探しに来てくれてありがとう。最後に君に会えて、嬉しかったよ」


 エリオットの温かな瞳の色は、リネアにとって、大好きだったかつての彼とまったく変わってはいない。

 彼女はじっとエリオットの瞳を覗き込んだ。


「一つ聞いてもいいですか?」

「ああ、何だい?」

「エリオット様の手紙にあった愛する人って、私のことでしょう?」


 はっとエリオットが息を呑む。リネアは言葉を続けた。


「エリオット様が他の女性に心を移したのなら、私が身を引かねばならないとわかってはいました。でも、私は知っています。貴方様はそんな方ではないと。それに、エリオット様が嘘を吐けるほど器用な方ではないということも」


 瞳を潤ませたエリオットの右手を、彼女がそっと握る。


「貴方様の手紙を見た時、もちろんショックだったのですが……読み返してみて、いつもの手紙よりも字が乱れていることに気が付きました。無理をして必死に字を書いてくださったような、そんな気がして……。きっと、エリオット様の身に何かがあったのだろうと感じたのです」


 リネアは、愛する彼女のために身を引こうとしたエリオットの真意に薄らと気付いていたのだった。


「さすがだな、リネアは」


 彼女の聡明さは、彼が貴族学校で彼女に興味を惹かれたきっかけでもあった。単なる成績ということ以上に、彼女からは溢れる機転と才覚を感じたのだ。


「エリオット様が生きていてくださってよかった。貴方様は、今でも私の幸せを願ってくださっていますか?」

「ああ、その通りだ。だから……」


 改めて婚約解消を口に出そうとした彼の言葉を、リネアが遮った。


「なら、私をお側に置いてください」


 きっぱりと言い切った彼女に、驚いたようにエリオットが目を瞠る。


「私、今でもエリオット様のことが大好きです。貴方様のいない、空っぽで白黒の人生なんて絶対に考えられません。私、エリオット様が思うよりも、ずっと諦めが悪いのですよ?」


 リネアはくすりと微笑んだ。


「貴方様の元まで二月で辿り着いたことも、褒めてはいただけませんか? 私、結構広い情報網が使えるのです。貴方様の身体を治せるように、効果のある薬も、良いお医者様も、必ず探し出してみせますから。貴方様の事業だって、私にお手伝いさせてください」


 彼の瞳から、一筋の涙が流れて頬を伝う。


「……君には、敵わないな」


 エリオットが惚れ込んだのは、何より彼女の真っ直ぐな心の強さだった。家格の違いにも卑屈にならず、虐められても前を向いている彼女が、学生時代、優秀な兄に引け目を感じていた彼には眩しく映ったのだ。


「僕が悪かった。君を傷付けてしまってすまない」


 優しい瞳で、リネアは彼を見つめた。


「エリオット様、もうずっと私を貴方様のお側に置いてくださいね。それから……」


 はにかむように彼女が頬を染める。


「できれば、貴方様を見付けたご褒美をいただけませんか?」


 リネアが彼にこんなことを言ったのは初めてだった。顔中を真っ赤に色付かせた彼女を見上げて、ようやくエリオットが笑みを零す。


「愛しているよ、リネア」


 リネアの顔にゆっくりと手を伸ばしたエリオットは、彼女の顔を自分の元に引き寄せて、そっと柔らかく唇を合わせた。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!


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どうぞよろしくお願いいたします。

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