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そんなことどもを思い出しながら、公園のベンチで和真はのどかと光龍館でのことをしゃべりあった。彼らにとってそれらは美しく、輝かしい思い出たちだった。ベンチに座る和真の背中側で子供の遊ぶ声が聞こえ、公園の外では救急車に老人が担架で運び込まれていく様子が見えた。しかし受け入れ先がまだ見つからないのか、救急車はサイレンを切ったまますぐには発車しなかった。
和真とのどかがおしゃべりを止めたのは、のどかのスマートフォンが鳴ったからだった。
「ごめんなさい、電話」
のどかはそう言い、鳴っているスマートフォンをハンドバッグから取り出した。画面を見てちょっと表情を固くし、座ったまま電話に出た。
「はい。……今? 塚山公園、そう、下高井戸かな? 神田川沿いの。……ううん一人じゃない、友達と。……そうじゃないよ、偶然会って。――まだ何かあるの? ……うん、もう少しいると思う。え? 違う、悟さんじゃないよ、空手道場の友達。……うん、塚山公園の、橋のそばの広場。え? ちょっと待って――」
そこで電話が唐突に相手から切られた。のどかはスマートフォンを耳から離すと、納得のいかないような表情でその通信機器を一瞥し、バッグにしまった。
「どうしました?」
和真が聞いた。
「うん、友達。さっきまで会ってた人」
「ああ、浜田山の? なんだったんですか?」
「――よく分からない」
「そうですか」
そこで会話は再び途切れた。相変わらず救急車のパトライトがどこか間の抜けた感じで公園のそばで光っている。
「きゃはははは」
その時子供の笑い声が後ろからしたので、和真は背中側を振り向いた。
見ると、幼稚園児くらいの小さな女の子が、広場にひとつだけ置かれてある複合遊具の、滑り台を滑り降りたところだった。その近くで母親と見える小柄な若い女性が女の子を見守っていた。母親の前には黒のベビーカーがあって、母親はその手すりに両手を置いていた。和真のところからは見えないが、恐らくベビーカーには女の子の弟か妹が乗っているのだろう。
「滝口さん」
のどかが声をかけてきたので、和真は「はい?」と答えながら前を向き直った。
「最近はどうしてるの? 転職活動中だってさっき言ってたけど。ずいぶん痩せたみたいじゃない。元気にしてる?」
そうのどかから問われて、和真は一瞬答えをはぐらかす術を探った。しかしその術は見つからず、気は進まなかったが正直に話しはじめた。
大学卒業後、和真はかねてから将来の目標としていた居酒屋経営という夢につなげるため、内定をもらっていたチェーン居酒屋を運営している企業に入社した。去年、二〇二一年のことである。しかしコロナ禍の影響による会社側の事情があって短期間で解雇され、続けて入社した同業の会社も、上司とのいざこざが原因でわずか数ヶ月で退職した。
それでも居酒屋経営の夢は諦めきれず、その後は飲食業界専門の人材派遣会社に派遣登録をして、日銭を稼ぎながら飲食業界関連企業の社員採用試験を受け続けている。しかし二社続けて短期で会社を辞めてしまっていることと、コロナ禍の影響であまり転職活動はうまく行っていない……。
そんな近況報告をしているうちに、救急車がサイレンを点け、不吉な音を鳴らしながら通りを走り出していった。
のどかは和真の話を同情の目を向けて聞き、いったん居酒屋にこだわらずに転職活動をしたらどうか、と提案した。他の業界でもいいからとりあえず就職し、コロナ禍が治まったころに飲食業界に戻っても遅くないのではないかと。
「居酒屋を諦めろってことですか」
「ううん、そうじゃないよ。少し遠回りかも知れないけど、とりあえずいったん――」
和真は声を荒らげた。
「僕がどういう思いで」
のどかはびくっとして話を止めた。
「居酒屋を開くためにずっとやってきたか、分からないから香山さんはそんなこと言えるんです」
「……知ってるよ。前に話してくれたじゃん、ちゃんと覚えてるよ。お義母さんが居酒屋やってて、子供のころから自分も居酒屋を出したいって思ってきたんだよね? だから学生のころのアルバイトも居酒屋だったし、大学の専攻も経営学だった」
「……ハイ」
「でも今のままだと飲食業界の会社にまた就職するっていうのは、コロナのこともあるし、厳しいんじゃ――」
「だからって今ここで諦めちゃうと、もう一生、居酒屋なんて出せない気がして」
絞り出すような声だった。和真は目の前のテーブルに両肘をつき、腕を立てて両手で目を覆った。のどかにはもう、そんな和真に掛ける言葉が残っていなかった。
「すみません、お取り込み中でしょうが」
その時、男の声が二人に掛けられた。